表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/135

レジスタンス 1

 早く、と言っていた割には、余りのペッコリーナ先生の足の遅さに、メルメルは何度もおいてけぼりにして先に行って仕舞おうかと思った。困った事に空にはいつの間にか真っ黒な雲が広がり、あっという間に、ポツリ、ポツリと雨が降り出してきていた。

「ひ~、ひ~。こ、こんなに急いで走ったのは、ひ~。娘が転んで、と、トイレで便器の角に頭をぶつけて、びょ、病院まで走った時以来だわ! ふ~…………あら?」

 何故かシバとミミが急に止まってしまったので、仕方なくメルメル達も走るのを止めた。しかし、メルメルの家まではまだもうちょっと距離があるのだ。

「どうしたの?」メルメルは首を傾げた。

「いや、ちょっと気になる事があって」

 などと答えてくれるはずもなく、二匹はじっと前方を見ているばかりだ。

 視線の先には、いよいよ本降りになってきた雨しぶきが上げる靄の向こうに、メルメルの家のドアがあり、いつもと変わりなく、大きいドアの中にプラムじいさんが二匹の為に作った小さいドアがある。その大きいドアも、今はピッタリと閉まっている。

 顎から雨粒を滴らせながら、「……行ってみましょう」ペッコリーナ先生が言って、先に立って歩き始めた。メルメルがそれに続いて歩き出すと、その後ろからは二匹も仕方なさそうに付いて来る。

 ぺッコリーナ先生はドアの前に立って、コンコンッと強くノックした。

「プラムさ~ん! プ~ラ~ムさ~ん!」

 全くプラムじいさんの出て来る様子は無い。雨の音がうるさいし、遠くで雷まで鳴り始めたので、家の中から物音がするのかどうかも良く分からない。

「いないのかしら……」

「きっと買い物にでも行っているんだわ!」

 何となしに、にこにこしながらドアを開けて、「なんじゃメルメル、こんな早くにどうしたんじゃ?」とか言いながら、何事も無かったかのようにプラムじいさんが出てくると思っていたので、メルメルは急に不安になってきてしまった。

 思わず声をひっくり返しながら、「な、中に入ってみましょうよ先生!」メルメルがドアノブをひねると、「あ、あれれ?」カチャカチャ回してもいっこうにドアが開かない。

 鍵がかかっているのだ。

 普段プラムじいさんはほとんど鍵などかけない。帰る時はプラムじいさんが必ず家にいるので、メルメルはそもそも鍵など持ち歩いていないのだ。

 ――カタン。と音がして、足元に視線を落とすと、ミミの長い尻尾が小さなドアの向こうに消える所だった。濡れて、いつもより痩せたように見えるシバも、ミミの後から恐る恐る中に入って行った。

 二匹が消えてからしばらく、メルメルとペッコリーナ先生がどうしようかと顔を突き合わせていると、家の中から雨音に混ざってかすかに、「フギャー!」と猫の悲鳴が聞こえて来た。

「せ、先生!」「離れてなさい!」

 胸を押されてメルメルは三歩後ろに下がった。

「ルルル~ララララ~、――開けドア!」

 カチャッと鍵の外れる音がして、少しだけドアが開いた。ペッコリーナ先生は無言で弓を構えると、矢の先でドアを押し、少しずつ、少しずつ中に体を滑り込ませて行く。しばらく家の外でメルメルがドキドキしながら待っていると、家の中からペッコリーナ先生が、「メルメル!」と呼びかけて来た。

 恐る恐る中に入ると、薄暗い部屋に、矢をつがえたまま立っているペッコリーナ先生の、ぽっちゃりした背中が見えた。

「私の後ろにいなさい」

 ペッコリーナ先生の緊張した様子に、メルメルの心臓も爆発寸前だ。

「メルメル、あのドアは?」ペッコリーナ先生が弓の先で、左側の壁にあるドアを示す。

「おトイレと、お風呂です」

 メルメルの家は、玄関を入ってすぐが二十畳ほどの一番大きな部屋で、右手にキッチンが付いていて、真ん中にテーブル、手前にソファ、奥にはテレビが置いてある。

 日が陰ってしまったせいで窓からの光が少なく、暗くて良くは見えないが、どうやら室内には誰もいないようだ。

「あっちは?」今度は前方の壁にある二つのドアの内、左の方のドアを示す。

「あれは、ワタシの部屋です」

 ペッコリーナ先生はゆっくり移動して、そのドアの前に立つと、少しの間ドアの向こう側の様子を探るために耳を澄ませた。そうしている間も、外では時折雷鳴が轟き、時折稲光が窓から室内を照らし出している。メルメルはペッコリーナ先生の背中にひっついて、先生の花柄の上着の裾をぎゅっと掴んで息を殺していた。

「大丈夫よ、メルメル……」ペッコリーナ先生は小声で呟きながら、メルメルの部屋のドアをゆっくり開けた。しばらく黙って様子を窺っていたが、「誰もいないわ……」

 呟いたペッコリーナ先生の肘のあたりからメルメルは恐々顔を出した。いつもと変わらない部屋の景色にホッとして、ようやくペッコリーナ先生の洋服を離す。メルメルが握っていた部分は、花柄だか何柄だか分からないくらいにシワシワになってしまっている。   

 メルメルは改めてゆっくりと室内を眺めた。見慣れた自分の部屋だ。誰もいない。ベッドと、勉強用の机(本来の目的で使った事はほとんどないんだ)と、洋服ダンスがあるだけだ。

 ペッコリーナ先生は踵を返して部屋を出て行く。それに続いて部屋を出ようとして、ふと机の上に何かあることに気が付いた。

(何かしら……?)

 何か小さな白い物が載っているのが見える。机に近づいて良く見てみると、

 それは、煙草だった。

 しかも吸った後のもので、机に直接もみ消してある。

「どうしてこんな物が……」

 プラムじいさんはこんな事をする筈無いし、そもそも煙草なんて吸わない。

 メルメルはぞっとして、ペッコリーナ先生に教えようと慌てて部屋を出た。

「……先生?」

 ペッコリーナ先生の姿が無い。

 メルメルは、余りにドキドキして心臓が口から飛び出すんではないかと心配した。その時、

 ――――――カタ、

 とソファの向こうで何かが動いた。


 ガラガラビッシャーーンン!


 窓から注いだ一瞬の光が、ソファの向こう側に花柄の丸い背中を浮き出させた。

「大分近かったわね。今のは……」

 花柄の背中が呑気な声を出して、メルメルは泣き出しそうになってしまった。

「せ、先生、な、何してるんですか~?」

「ちょっと……」

 ペッコリーナ先生は屈んだままゴソゴソと何かしている。メルメルが歩み寄ろうとしたその時、

「フッ、フッ、フッ……」

 何か獣の息づかいのようなものが聞こえた気がして、ふとそちらを見た。そこには、もう一つの開けていないドア。すなわちプラムじいさんの部屋のドアがあり、それが、ほんの少し開いている事に気付いた。

(おかしいわ……。さっき見た時は、たしか開いていなかったのに……)

 メルメルはゆっくりと、その開いたドアに近づいた。するとまた隙間から、「フッ、フッ」と獣の息づかいが聞こえてきた。

(……ミミ……シバ?)

 ゴクリと唾を飲み込み、メルメルはそっとドアを開いた。


 ガラガラガラガラピッシャーーン!


 再び稲妻が室内を照らし出す。

「…………………………………!」

 その一瞬の光が見せたものは、メルメルよりも大きな黒い獣と、その両足に踏みつぶされたミミとシバの姿だった。

 室内がまた薄暗くなり、ぼんやりとしかその影が見えなくなっても、メルメルは全く動けずにいた。ペッコリーナ先生を呼びたいが、金縛りのようになってしまっていて声が出ない。

(きっと、殺される……わ……)

 ゆっくりと背中を冷たい汗が流れる。と、その時獣が低く、「ウ~」と唸った。すると消え入りそうな声で、

「ヴァ~ン……」とミミだかシバだかが呻き声を上げた。

(生きているんだわ……!)

 その瞬間、ようやくメルメルの金縛りが溶けた。だけれどもちゃんと言葉は出てこなくて、

「あ、あ、あ、あ、あ」

「どきなさい!」

 メルメルが震える足を動かし、横に動いた次の瞬間、ビュー! と目の前を矢が通り過ぎたかと思ったら、ガッキーン! と激しい金属音がして、突然黒い人影が目の前に現れた。

「ライト!」

 その人影が大声で叫んだ。すると、まばゆい光が辺りを照らし出し、メルメルは思わず目を閉じてしゃがみ込んでしまった。

「ご挨拶だな。ペッコリーナ」

 聞き慣れない男の声がして、メルメルはしゃがみ込んだままそっと目を開けてみた。どうやら薄暗かった部屋には明かりが灯っているようだ。床には真っ二つになった矢が転がっている。

「は~……。あなたが何故ここにいるのよ? グッターハイム」

 ドアの横で座り込んでいるメルメルに手を差し伸べながら、ペッコリーナ先生が落ち着いた声で尋ねた。

「ラブレターをもらったのさ。プラムからな」

「――どういう事なの?」

 メルメルは、ペッコリーナ先生の手を握って立ち上がり、二人の訳の分からないやり取りを聞きながら、突然現れた謎の相手の顔を上目使いに覗き見た。背が高く、よく日に焼けて精悍な顔つきをした男だった。メルメルの知らない顔だ。誰だろうかと首を傾げれば、その見知らぬ男は視線に気付き、片頬をあげてニヤリとメルメルを見た。慌ててメルメルは目を逸らし、ペッコリーナ先生の後ろに隠れる。また先ほどの真っ二つになった矢が目に入り、次いで目の前の男がぶら下げている大剣に目を移した。

(この人、飛んで来た矢を剣で切り落としたんだわ……!)

 驚いてもう一度顔を上げると、男は今度は両頬を上げ先程よりずっと優しい顔でメルメルを見つめていた。

 少し安心しかけたところに、「フーッ!」と激しく猫の威嚇する声が聞こえて、メルメルはハッと部屋の隅に視線を向けた。

「シャーー!」

 ミミとシバが、黒い大きな犬に向かって毛を逆立て怒っていた。犬の方はというと――素知らぬ顔で横を向いている。

「まったく、とんだドラ猫共だ。入って来るなり、いきなりルーノに襲いかかって来やがった!」言葉の割には嬉しそうな顔をして男が言う。「このドラ猫どもはお嬢さんの飼い猫かい? 首輪をしていないから、ペットではないようだが……」

「ノラ猫なんです。……それよりおじさんは誰ですか?」

 メルメルが逆に質問をすると、男は思い切り顔をしかめた。

「おじさんはないだろう! そりゃあ、お嬢さんに比べりゃ……。まあ、いい。俺の名前はグッターハイムだ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ