最終決戦 2
「あのバカ女のアホなところなど挙げ連ねてしまったら、夜が明けてしまうわ! それに、余りのアホさ加減に話す気も失せる! ……そもそも、あの赤軍が敗北したのだってあのバカ女のせいではないか」
メルメルは段々呆れてきていた。――話す気も失せるとか言いながら、全然話す気満々ではないか。
「ふむ……。何故赤軍が負けたのがラインのせいなのかな? そりゃまぁ、確かにあの子は指揮官だったんじゃから責任は勿論あるんじゃろうが……」
「あのバカ女の力不足で負けたのは明確だ。勝てるはずの無い戦いを挑んだのだから、やはりアホとしか言いようが無い。だがそれよりも、もっともっとあのバカ女がアホだといえる出来事が、あの戦いの前にあったのだ。――その出来事のせいで、勝てるはずの赤軍は大敗を喫する事になったのだ」
「ほうほう……。そりゃあ初耳じゃ。――して、それはどんな出来事だったのかの?」
「それは……。あの戦いの少し前に、ある最高の戦士――その先、大いなる戦力をもたらす素晴らしい力を持った男が、実は赤軍に入りかけた事があったのだ。ところが! あのバカ女は、その男が軍に入るのを阻んだのだ。その男さえ受け入れていれば、あの戦いとて勝つ事が出来た筈なのに! 全くもって、アホで、バカで、マヌケな事だ!」
「……ふむ。――して、その男とは何者だったのかな?」
メルメルとトンフィーは、嫌な予感がした。
「その男とは……その男とは、この俺様! ――ガスバルド様だ!」
(………………)
「ほお~。お前さん赤軍に入りたかったのか?」
「入りたかったんじゃない! 入ってやろうかと考えただけだ! それを――それをあのバカ女めが~」
「断られたのか? 珍しいのう……。あの子が受け入れを拒否するとは」
よほど腹を立てているのか、大男――ガスバルドは、煙草の煙だけではなく、体全体から薄っすらと白い湯気を立ちのぼらせている。
その様子を恐ろしげに見ながら、トンフィーはメルメルの袖を軽く引き、少しずつ横に移動し始めた。今の位置からだと「あの人」の姿が捉えられないのだ。
「俺様はあの時、既に八十もの人間を殺していた。その強さはトキア全土に響き渡っていたし、赤軍だって俺様を必要としていた筈なのだ。しかし、あのバカ女は自分だけの勝手な判断で俺様を入軍させなかった……。――いや。おそらくさせられなかったのだろう……。――そうだ。そうだ、そうだ、そうだ! あのバカ女は俺様を、このガスバルド様を怖れていたに違いない! 俺様を入れてしまえば、その内大臣の椅子を俺様に取られてしまうと考えたのだ! そうだ、そうだ! きっとそうだ! グワッハハハハハハ!」
ガスバルドの笑い声が夜空に響き渡る。それはもう本当に大きな笑い声で、カルバト地方全体に響き渡っているんじゃないかと思われるほどだ。大口を開けて顎をそらし、下品で汚らしい笑い声をあげ続けている大男の向かい側で、「その人」は目を丸くしていた。ガスバルドの大きな笑い声に驚いた訳では無い。その巨体の後ろから、二人の子供がひょっこり顔を覗かせたので驚いてしまったのだ。そして、片方の子供の口が、声を出さずにこう動いたのをその目で捉えた。
──おじいちゃん(・・・・・・)。
「グワッハハハ……ハハ……ハ………。さて……。お喋りもそろそろおしまいだ。部下共の報告では、なんだか広場で騒いでいる連中がいるらしいからな。少しはここへと近づいているかも知れん」
目に涙を一杯に浮かべてかじり付くように「その人」――プラムじいさんを見つめているメルメルの耳元で、トンフィーはそっと囁いた。
「……魔封じの紐で縛られてる。あれじゃあ、おじいさんは魔法が使えない」
確かに、プラムじいさんの体は、ただの紐ではなく不思議な編み目模様の入った紐で縛られている。しかし、取りあえず大きな怪我などなさそうな様子に、メルメルはひと安心をした。
「……そう言えばラプートの奴、随分と長い事帰って来ないな。――ラプート! …………おかしいな――」
その時、のっそりと大男が立ち上がった。立ち上がるとそれまでよりずっと巨大に見えて、余りの威圧感にメルメルとトンフィーは体を仰け反らせてしまった。
大男は煙草を足で踏み消して、大声で怒鳴った。「――ラプート!」
「あ、あれじゃな、あれ! あー、そろそろ――、そうじゃ! そろそろラインが来るかも知れんな!」
「ん~? なんだと~?」
トンフィーは一度戻って作戦を練り直すべきだと考えた。たとえ奇襲を仕掛けてもこの巨大なガスバルドを倒す事は出来ないだろう。
──ロロ族。
先程トンフィーが呟いたロロ族というのは、巨大な体を持つ戦闘に長けた部族の事で、その中には背丈が四メートルを越すような者もいるという話だ。恐らくこのガスバルドもロロ族なのだろうが、トンフィーも教科書の中で読んだだけの事で、勿論本物を目にするのは初めてだった。そして想像以上の威圧感に正直足が震えていた。
このままではいずれ、ガスバルドは後ろを振り返ってしまうだろう。だから、プラムじいさんはガスバルドの注意を逸らそうとしてくれているのだ。トンフィーはその場から動き出しそうに無いメルメルの袖を強く引いた。
「何故、あのバカ女がここへとやってくるのだ……」
「お前さん、さっき言っておったじゃろうが。レジスタンスのリーダーと一緒にラインもここへ向かっていると」
「それにガキ二人だ」
「――と、という事は、下の広場で騒いでいたのはライン達だという可能性が高いんじゃなかろうかの?」
「……だったらなんだと言うのだ?」
「チャンスではないか~! お前さん、そりゃあ大チャンスじゃぞぉ!」
「……チャンス? 何をほざくかじじい……。一体何がチャンスなのだ?」
「ラインに、どうして軍に入れてくれなかったのか聞いてみるチャンスじゃよ!」
「………………」
「……………………チャンスじゃぞ」
「――ラプート! 聞こえないのかラプート!」
大声で叫びながらガスバルドが右へ左へと顔を振って、その横顔がメルメルとトンフィーにちらりと見えた。赤鬼のように顔を赤らめ、こめかみには青筋が浮かび上がっている。トンフィーは思わずぶるりと震え上がった。メルメルの袖を更に強く引く。
「――そ、それに、そのアホバカ女を倒す事も出来るかも知れんな! 素晴らしい戦士であるお前さんを軍に入れなかった事、後悔させてやるんじゃよ!」
「…………ほう」
「ど、どうじゃ? 名案じゃろう?」
「――――確かにな! それではこちらから出向いて、一捻りにしてやるか!」
ガスバルドはぐるりと身を翻した。メルメルとトンフィーは体をいよいよ仰け反らせ、遂にこちらの方を向いてしまったガスバルドを恐ろしげに見上げた。
月明かりに浮かびあがった顔は厳めかしく、顔を半分覆う程の黒々とした髭を蓄えていて、その中に半分埋もれたような口からは、汚らしくよだれがたれてギラギラと光っている。そしてその目は以上なほど血走り、なんだか焦点が定まっていない様に揺れ動いていた。――妙に気になるのは、何故か黒い布で肩口から手首までぐるぐる巻きにされている右腕だ。もしかして怪我でもしているのだろうか?
「しかし――お前さんではラインに勝てはせんじゃろうな!」
「……なんだと~?」ガスバルドの小さな黒目がギョロリと横に動いた。怒りに顔が歪む。
──だが、なんと驚いた事に、どうやらメルメルとトンフィーの存在に全く気付いていない様なのだ。余りに高い場所に目の玉が付いているから、小さなメルメル達が視界に入ってこないのかも知れない。
結局、ガスバルドは二人に気付かないまま再びプラムじいさんに向き直ってしまった。
「じじいよ……。貴様は何故、俺様があのバカ女に勝てないなどと言うのだ……」
「う~ん……」プラムじいさんは目の玉を上にして考えた。「だってなぁ、お前さん。ラインはと~っても強いんじゃぞ? ワシは、あれより強い戦士は見た事が無い。いや~……。本当に、まったく、驚く程……」再び大男に目を向ける。「ラインは――強い!」
「…………」
ガスバルトの巨大な背中が震えている。勿論怯えているのでも泣いているのでも無いだろう。余りの怒りに震えているのに違いない。
それを見ているトンフィーの小さな背中も同じ様に震えていた。こちらは完全に恐怖の為だ。プラムじいさんが必死で相手を惹き付けてくれている間に逃げなくてはと思うのだが、足が固まってしまって上手く動かない。メルメルの方は最初からプラムじいさんを置いて逃げるつもりが無いから、トンフィーと同じ様にじっとしている。
「くっ……くくく………」
「………? お前さん、一体どうした――」
「グワッハハハハハハー!」
突然笑い出した大男に、トンフィーは驚いて三十センチも飛び上がってしまった。さすがにプラムじいさんも目が点になってしまっている。
「グワッハハハハ! ――じじい! お前は何も分かっていない! 俺様は――もう、あの時の俺様では無いのだ!」
「…………」
ガスバルドは目を血走らせ口の隅から泡を吹いている。
――あの時とは一体どの時の事なのか? とは、プラムじいさんは聞かなかった。今までの会話から察するに、二人は恐らく以前からの知り合いでは無いだろう。しかし、プラムじいさんは何も言わずに、ただ憐れむような目で大男を見上げている。
「素晴らしい力を手に入れたのだ……! 俺様は進化したのだ! もう――もう、赤の大臣など恐るるに足らんわ! さあ! これを見よ!」
ガスバルドは布でぐるぐる巻きにされた右腕を高く掲げた。
「これが俺様の進化の証しだ!」叫び声と共に右腕に巻かれた布を剥ぎ取った。
「………ふぐ!」
(な、何なのあれは!)
思わず、メルメルは悲鳴を上げそうになってしまった。その隣では、トンフィーが目も口もまん丸に開いて食い入るようにガスバルドの右腕を見つめていた。
プラムじいさんだけはそれ程表情も変えずに、瞳の中の憐れむような色を一層濃くしただけだった。「グッフッフッフッ。……驚いただろう?」
プラムじいさんの表情を完全に読み違えて、ガスバルドはしてやったりといった顔で笑っている。
──まぁ驚いた。メルメルとトンフィーは、それはもう驚いた。布を剥ぎ取ったガスバルドの、その、右腕。まず――一番驚くのはその太さだ。ちなみに左側についているのはどうやら何の変哲もない腕のようで、恐らくガスバルドの成長に従って少しずつ大きくなっただけの普通の腕なのだろう。ところが――。その普通の左の腕に比べて、右の腕の太さが五倍くらいあるのだ。まるで、肩口から別の腕を無理やりくっつけたようにさえ見える。
異常なのは太さだけではない。色も不気味で全体的に青黒く血管がブクブクと浮き出ている。そして、
「……命の石か」プラムじいさんは眉をひそめて呟いた。
そうなのだ。気持ちの悪い右腕の、肩から肘のちょうど中間辺りに、最近ではメルメルとトンフィーもすっかり見慣れてしまった青い石が埋め込まれていたのだ。
「そうだ……。この石が俺様の望みを全て叶えてくれた……。もう俺様は……、何者にも負けはしない……!」
「…………ふぅ」プラムじいさんは呆れたような顔で溜め息をついた。
「言葉も無いほど驚いたかじじい? まさか、こんな命の石の使い方があるとは知らなかっただろう。しかし誰にでもこの様な事が出来る分けではない……。力の強い者だけが得られる進化なのだ!」
プラムじいさんガスバルドの焦点の定まらない目を見つめた。そして小さく首を横に振った。
「それが進化かのう……」
「勿論進化よ……! 弱き者ならば力を得るどころか逆に命の石に飲み込まれる。化け物のようになって死んでしまう事もあるらしいのだぞ?」
「お前さんとて、化け物のようになりかけているではないか」
プラムじいさんがサラッと言ったこの一言に、ガスバルドのこめかみや肩がビクビクとひくついた。
「なんだと~? このクソじじい……。俺様のどこが化け物なのだ! 俺様は……命の石に飲み込まれた連中とは違う……。ベラメーチェの奴は、俺様に二つ以上の石は無理だ――などとほざきやがったが……。見よ……。石の力をしっかり抑え込み、新しく手に入れた素晴らしい力を! ――――うおぉぉぉぉ!」
獣の咆哮の様な叫び声をあげながら、ガスバルドはその右腕を思い切り地面に叩きつけた!




