カルバトの塔 21
「――そもそも、メルメルは初めから僕の言う事を聞く気なんかなかったんだ! 一体どれだけ危険な事だったのか分かってたの? いくらおじいさんを救い出す為だからって、もしも大怪我したり、万が一、し、――死んでしまったりしたら、救い出すも何もなくなってしまう。まさに本末転倒だよ。それなのにメルメルは――」
永遠と続くのではないかと思われるようなトンフィーのお説教をうんざりと聞きながら、メルメルは心の中で、(しまったな……)と呟いた。何が「しまった」なのかと言うと……。
実は先ほど、無事なメルメルの姿を見たトンフィーが、
「いや~……。鉄球が通り過ぎてもメルメルが戻らないから、まさか鉄球に踏み潰されたんじゃないかとドキドキしたよ……。でも、やっぱりメルメルはさすがの俊足だなぁ。ちゃんと階段部屋までたどり着いちゃうんだもんなぁ」
と、ホッとしたようにニコニコとしているのを見て、つい調子に乗ってメルメルは言ってしまったのだ。
「いや~……。さすがのワタシも今度はもうダメかと思ったわ。ようやく階段部屋が見えた時にはとっくに約束の二十秒を超えちゃってるし、遂には鉄球が現れて、ワタシが部屋に飛び込むのが先か、それとも鉄球がワタシを踏み潰すのが先か……。――ふぅ。今考えれば本当に危なかったわね……」
これを聞いた途端に、トンフィーの顔色が変わってしまったのだ。
「メルメルは僕が慎重すぎると言ったけれども、僕にはメルメルが余りにも無謀すぎると思う! 今日の事だけじゃないよ。これまでだって、こういう事はたくさんあった。――覚えてるかな? 僕らがまだ園に入りたての頃、クラスのみんなで川に遊びに行った事があっただろう? あの時だって――」
まだまだ続きそうなトンフィーのぐちぐちガミガミを早く終わらせたくて、メルメルは七階への階段を急ぎ足で登っていく。そして内心で小さく舌を出して、(そんな事言ったってワタシのおかげで上へ上がれるんじゃない)などと思っていた。しかし、
「メルメルは自分のおかげで上へ行けるなんて、得意げな気持ちでいるかも知れないけれども――」
見透かされたように言われて、思わず、(うへぇ)と、心の中で舌を巻いてしまった。
「僕、もうすっかり呆れてしまった。メルメルはいくら僕が心配して警告したって、結局好き勝手にやるんだもの。だったら、これからはメルメルが無謀な事をしようとしても注意しないし止めない! その代わり何かあっても助けもしないし心配もしないからね! それにこれからは――」
鼻息荒く言うトンフィーに、メルメルは困ったような情け無いような顔をした。どうにもいつもと立場が逆である。
実は、トンフィーとしても今回はさすがにものすごく心配したのに、メルメルが余りにものほほんとしていたから、ちょっぴり腹を立ててしまっただけなのだ。それにしても本当はそろそろお小言も終わりにしたいのだが、珍しく強気で喋り続けたせいでなんだか勢いがついてしまい、口が止まらなくなってしまっているのだった。
(……ちょっと言い過ぎかな?)
ぐちぐちを続けながらも、心配になってメルメルの横顔をちらりと覗き見ると、意外にも神妙な様子で俯いていたので、トンフィーはドキリとしてしまった。
(や、やっぱり言い過ぎだったんだ!)
しまったと反省しかけたその時、メルメルがふと顔を上げにっこり笑った。
「あ! 見てトンフィー。七階の明かりだわ!」
言われて上を見れば、確かに暗い階段に光が降り注いで、次の階にたどり着いたのだという事が分かった。ようやくトンフィーの「お説教」から解放されると喜んだメルメルは、立ち止まる素振りも見せずにウキウキと足早に階段を上がって行く。
「メルメ――ムグ」
敵がいるかも知れないのに様子を窺う事もしないで、またしても無謀な行動を取ろうとするメルメル。トンフィーは危うく注意を促そうとしてしまい、それを寸でのところで自らの手で口を押さえて止めた。
(まったくもう……。全然反省してないじゃないか!)
しぼみかけた怒りが再び膨らんできて、トンフィーはムカムカしながら階段を上がった。
「まーた何にも無い部屋ね……。――あ、でもドアがあるわ。あっちの部屋に階段があるのかしら?」
だだっ広い部屋には確かに何にもなく、部屋の一番奥にドアがついているだけだった。
「メ――うぐぐ」ドアに駆け寄るメルメルを制そうとして、トンフィーはまたしても手で口を塞いだ。
(やっぱり反省してないや。どうしてこう脳天気なんだろ? そりゃあ、それがメルメルの良いところなのは分かるけど、もう少し慎重にしないと――あれ?)
姿を見ているとあれこれと言いたくなるので、メルメルから目をそらして何気なく見つめていた近くの壁に、妙な物を見つけてトンフィーは歩み寄った。
(……何のしるしだろう?)
ゴルフボールくらいの小さな丸が壁に書かれている。そして、その周り直径三十センチくらいが切り取られたように二ミリくらいへこんでいるのだ。
トンフィーは首を傾げ、他にも変わったところがないか周りの壁を見回してみた。すると、しるしから二メートル程離れた壁が、逆に二ミリ程出っ張っている事に気が付いた。それは縦長の四角くで、大人の背丈より少し大きいくらいのサイズだった。――そう、ちょうど人が出入りするのに手頃な大きさだ。
(ひょっとしたら……)
トンフィーは首を傾げたまま、眉根を寄せて、少しだけ丸いしるしのついた壁を押してみた。すると、
ズズズ……。大きな四角くの方が、少し飛び出してきたのだ。
「……! メルメル――」振り返ると、丁度メルメルはドアに辿り着き、その取っ手に手を掛けたところだった。
「だ、駄目だメルメル!」
――ガチャリ。
「きゃあぁぁぁ!」
一瞬、トンフィーは頭が真っ白になった。ドアを開けた途端に、悲鳴と共にメルメルが忽然と消えてしまったのだ。
「め、メルメル? ――メルメル!」トンフィーはようやく我に帰って慌ててドアに走り寄った。
ドアの向こうの部屋はとても暗くて、まるで壁にぽっかりと穴が開いたように見える。もしかしたら暗闇の中に紛れてしまって、メルメルの姿が見えなくなっているだけかも知れない。と、トンフィーは少し楽観的に考えてみた。
オォォォォォ……
何者かの唸り声が聞こえてきて、トンフィーはドキリとして思わず立ち止まってしまった。楽観的な気持ちも一瞬にして吹き飛んでしまう。
――唸り声……。先程のメルメルの悲鳴……。
ゴクリと唾を飲みこんで、震える手で体にかけた弓を掴む。その時、開いたドアの方から冷たい風がビュゥゥと吹き付けてきて、トンフィーの柔らかな薄茶色の前髪をフワリと持ち上げた。
(……? どうして建物の中なのに風が……)
トンフィーはドアに向けてゆっくりと足を運び始めた。すると、不思議な事に前へ進むごとに吹き付けてくる風の勢いがどんどん強くなってくるのだ。
オォォォォォ……
――唸り声? ……違う。これは――そう。風の音だ。
目を見開き、残りの距離を一気に駆け抜けた。ドアの縁に手をかけて体を支え、ぽっかりと開いた暗闇の中へ半身をぐっとせり出させる。
ビュオォォォォ……
猛烈な風が吹き付けて、トンフィーの髪や服がバタバタとはためく。
もしかしたらとは思ったが、目の前に広がる光景にトンフィーは口をパクパクさせた。
「こ、ここは……」
先程ドアの外から見えていた時は真っ暗闇に思えたが、こうしてその中に身を乗り出してしまえば、真の闇という訳ではないのだという事が分かる。
雲一つない空には幾千万の星が瞬き、弓のように細長い月が闇夜を照らしている。
――空に浮かぶ月と星。それは紛れもなく外の景色だった。――そうなのだ、これは塔の外へとつながるドアだったのだ。風がやたらと強く吹くのも当たり前。ここは地上から遠く離れた塔の上なのだから……。
どれ程の高さに立っているのかと、トンフィーは恐る恐る下の方を向いた。星の明かりも届かない遥か地上の景色はさすがにトンフィーの目にも見えはしなかったが、濃く深くなっていく闇がその高さを物語っていた。
「め、メルメル……」
トンフィーは吹き付ける風に目を細めながらも、呆然とその深い闇を見つめた。
あの時――何の躊躇もなくドアを開けた瞬間に、メルメルはきっとこの闇の中に落ちて……。トンフィーは強く唇を噛みしめた。
「ぼ、僕が止めていれば……。せめて――せめて注意を促していれば……。うぅ……」
意地を張って声をかけなかった自分に腹を立てても、もう遅いのだ。頬を大粒の涙がつたう。
「メルメル……うぁぁ」「――トンフィ~」
その時、ビュービューと風の唸る音に紛れてカの鳴くような小さな声が聞こえたような気がして、トンフィーはハッと顔を上げた。
「トンフィ~……」
今度こそはっきりと足元から声が聞こえてきて、慌ててそちらに目を向ける。「――メルメル!」
「トンフィ~! 早く手伝って~」
なんと、落っこちてしまったものだと思い込んでいたメルメルが、トンフィーの足元でドアの縁をしっかりと掴み上へ上がろうともがいているではないか!
「早く早く~」「め、メルメル! 良かった……」
「良くないわよ~! 風が強くてどうにも……。早く持ち上げて~」
どうやらメルメルは落ちる寸前でドアの縁に手を引っ掛けて難を逃れたようなのだが、いかんせん風があまりにも強くて体を引き上げる事が出来ずにいる様なのだ。トンフィーはメルメルの腕を両手で掴み、踏ん張りを利かせるために片足を壁にかけた。
「よっ……いしょ!」「ううーん!」
何とか顔がドアの縁から覗いてきた、その時、
バサバサバサバサ!
「きゃあぁぁ!」
「メルメル! うぐぐ……」
何かがメルメルの足にぶつかってきて、ガクンと体が元の位置まで落ちてしまった。トンフィーはメルメルに引っ張られ、腕がもげるかと思うような痛みを感じてギュッと目を瞑った。それでも何とか掴んでいた腕を離さずに耐えると、一体何があったのだろうかと、ゆっくりと瞼を開いた。
バサッ、バサッ、バサッ、バサッ!
「…………は、ハゲタカもどき!」




