カルバトの塔 20
「い~ち、に~い、さ~ん、よ~ん」
メルメルは廊下を猛スピードで駆け抜けながら、あえて声に出して数を数えていた。こうすると少し疲れてしまうのだが、頭の中で数えただけでは正確に時間を測る事が出来ない気がするのだ。
「し~ち、は~ち、きゅ~う、じゅ~う」
もう五十メートル以上は進んでいると思うが、周りの景色に何ら変わった所は無かった。遥か先、突き当たりのように見えるカーブまで部屋らしき物はありそうにない。
「じゅ~ういち、じゅ~うに、じゅ~うさん、じゅ~うし」
余りに代わり映えしない景色に、いささか疲れを感じて足元に目を落とすと、ミミとシバが必死で横を走っているのに気付く。
「じゅ~うご、じゅ~うろく、じゅ~うしち、じゅ~うはち」
シバがあまりに必死の形相をしていて、もしかして倒れはしないかと少し心配になりながらそちらばかり見ていた。
「じゅ~うく、にぃ~~~!」
往生際悪く長めに語尾を伸ばして前を見たその時、廊下の先に何か今までとは違う物が見えた気がして慌てて目を凝らしてみる。
「……じゅう」
頭の中にトンフィーの声が響く。
――本当に危険なんだから。約束だからね、メルメル。
しかし――廊下の先に見えてきたのが部屋の入口らしき物なのだと、メルメルは気付いてしまった。
「……に~じゅういち、に~じゅうに、に~じゅうさん」
数を数える事も前に進む事も止められずに前方を睨み据える。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!
部屋の入口が近づくと共に、あの音もどんどん大きくなってきていた。
「に~じゅうし、に~じゅうご、に~じゅう――!」
その時遂に、カーブの向こうから、再び巨大な鉄球がその姿を現した。
――おじいちゃん!
「今、十八分四九秒だから、十九分九秒までだな……」
トンフィーは時計を確認し、メルメルの出て行ったドアをチラリと見た。
――ちゃんと引き返して来るかな? 一瞬疑うような気持ちになったが、すぐに頭を振って、その考えを否定する。もしも引き返さなければ大変な事になるのだ。トンフィーは急かされるような気持ちで部屋を見回した。
この部屋にも仕掛けを止める装置がある筈だ。それを見つけ出せればもう無茶な事などしなくとも良い。しかし、壁の空洞を叩いて探して回るのは、いかにも効率が悪い気がしていた。それに、少し不安に思うのは、子供の背丈では届かないような場所に仕掛けが隠されている可能性がある事だった。
(でも、それにしてもカルバト族だって、そんなに分かりにくい場所には作らない筈だ。何か目印になる様な物が……)
だが、部屋にはそんな物は無い。あるものと言えば部屋を照らしている壁掛けランプくらいのもの。そう思ってランプを見上げて、トンフィーはふとある事に気付いた。
(……?)
ランプと壁をつないでいる掛け金の部分が少し浮いているような感じで、全体的に僅かに斜めっているのだ。
(……! ――そうか)
もしかしてあれがと思ったが、あいにくランプは高い場所に据えてあり、トンフィーには届きそうになかった。台か、引っ掛ける物か、何か丁度良いものがないかと慌てて周りを見渡す。部屋の中に役に立ちそうな物は無く、今度は自分の持ち物を考える――。メルメルが置いていった鞄は役には立たないだろうし、今日はあいにくズボンにベルトもしていない。どうしようかと思って、ふと気付いて慌てて時計に目をやる。
――十九分十一秒。
「ま、まずい!」トンフィーは急いでドアを飛び出して叫んだ。「メルメル! メルメール! 時間だよ! 戻って来てーー!」
廊下の向こうからの返事は無かった。遠すぎて相手の返事する声が聞こえないのか、そもそもこちらの声が向こうに届いていないのか……。
仕方無くトンフィーは今度は慌てて部屋に戻って、何故か自分の着ている長袖シャツを脱ぎだした。潜り込んでいたアケがビックリして飛び出す。トンフィーはボタンを引き千切りそうな勢いで、超特急でシャツを脱ぎ、片方の袖口を掴むとランプ目掛けて放り投げた。
一度目は上手くかからず、焦りながらももう一度投げると、今度は上手い具合にランプに服がかかり、もう片方の袖口が垂れ下がってきた。トンフィーは全体重をかけて両方の袖口を引っ張った。一瞬、ギシリと音がして、
ガチャーン!
「………………いっ、ててて」
勢い余って転んでしまったトンフィーは、自らの洋服を掴みながら体を起こした。足元に転がったランプを見つめ、次いで、そのランプが取り付けてあった筈の壁を見上げ愕然とした。そこには――何かを無理やりもぎ取ったような、ささくれ立った跡があるだけだった……。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!
ハッとしてドアを見ると、巨大な鉄球が目の前を通過した所だった。トンフィーは更に愕然とする。
――鉄球が通り過ぎた。メルメルが、――メルメルが戻って来ていないのに。メルメルが……。
あまりの事に何も考えられずに、トンフィーはふらりと立ち上がった。音は、いまだに遠く聞こえている。足元から震えが立ち上ってくる。
――もしも、階段と仕掛けのある部屋にたどり着いたなら、鉄球が止まる筈だ。つまり――部屋にはたどり着いていない。それなのに、メルメルは戻って来なかった。
トンフィーは目の前が真っ暗になり、思わず壁に手をついた。
「そんな……そんなぁ……」
涙が込み上げてくる。
「にゃ~ん」
チリチリ……チリチリ……。
アケが鈴を鳴らしながら部屋を出て行った。
「あ、アケ……!」
トンフィーは慌てて追いかけようとして――気付いた。廊下の奥から、チリチリと遠ざかっていく鈴の音が聞こえてくる。ごく小さい音だが、とても静かだからいつまでも聞こえている。
――そう、とても、静かだから。
トンフィーは熱に浮かされたようにふらふらと廊下に出た。やはり――
あの音が止まっている。
「仕掛けが……止まった」
顔を上げ、大急ぎで廊下を駆け出す。途中で、呑気にお尻をふりふり歩いていたアケを追い抜くと、慌てたように後ろからチリチリと鈴の音がについてきた。異常なほどに長く感じるその距離を走り抜けると、廊下の先に部屋の入口らしき扉が見えてきた。息を切らし駆け込む――と、腰に手を当てて背中を向けて壁の方を見ている少女の姿が目に飛び込んできた。
気配に気付いて、その後ろ姿がこちらを振り返った。
「ねぇトンフィー、もう一度このレバーを上げると動き出すのかしら? ちょっと試していい?」
そして息が上がり過ぎたのと、興奮し過ぎたので喋れずにいるトンフィーの姿を見て、目を丸くした。
「どうして服を脱いだの? ――そんなに暑いかしら?」
憎らしいほど呑気な声に、トンフィーは思わずがっくりと膝をついてしまった。




