カルバトの塔 19
「どうすればって……。つまり上へ行く方法はないのかって事かな?」
「そうよ。いつまでもここにはいられないわ。先へ進まなくっちゃ!」
「う~ん。勿論どこかに上へ行く階段があるはずだけれども……。う~ん」
トンフィーは腕組みしながら思案した。しかし――メルメルが返事を待ちながらもドアの方を時折ちらちらと気にするような素振りを見せて、まさか今にも廊下へ飛び出して行く気じゃないだろうかと不安にさせられて、今一考えに集中出来なかった。
「お、恐らく、廊下の先のどこかにここと同じように部屋があって、そこに階段もあるんだと思う。でも、この場所からは結構離れてると思うんだ」
「どうして?」
「だって、このぐるぐる回る鉄球の仕掛けは、たぶん敵を退ける為にカルバト族が作ったものなんだろうけれども、もしも、次の階に簡単に上がられてしまったら仕掛けは大して意味がなくなってしまうでしょ?」
「そりゃあそうね。じゃあ、この部屋の真裏くらいにあるのかしら? ――取り合えず少し様子を見てくるわ」
「ま、待ってよメルメル!」
気の早いメルメルはとっととドアを出て、今度は先ほどとは逆の右方向に向かって歩き始めた。慌ててトンフィーが袖を引いて連れ戻す。
「ちょっ――何よトンフィーったら!」
「とりあえず様子を見になんて行ったら、鉄球にぺっしゃんこにされちゃうよ! ちゃんと考えないと……」
あんまり考える事が得意ではないメルメルは不満そうに口を尖らせた。
「考えるって何をよ? トンフィーは少し慎重過ぎるところがあると思うの。取り合えず行動する事も必要だわ!」
「でもさ、一歩間違えたら死んじゃうんだから少し慎重にならないと。――それに、メルメルは今右に進もうとしたけども、それは一体どうして?」
「どうしてって……。さっきは左に行って何もなかったから今度は右に行ってみただけよ」
「でも、多分上への階段は左に近い方にあると思うんだ」
「どうしてよ?」
相手が大分話に集中し始めたので、トンフィーは油断なく掴んでいたメルメルの袖をようやく離した。
「人間心理だよ。だって、どちらかに進んでどこにあるか分からない階段を探し出してたどり着こうと考えたら、鉄球が通り過ぎたと同時に走り出して、鉄球を追いかけるように進むのが普通だと思うんだ。鉄球が向かって来る方に行くなんて何だか怖いでしょ? それに、当然同方向に進んだ方が遠くまで行く事が出来る。だから、逆に仕掛けを作ったカルバト族の方は、左手に近い方に階段部屋を作ったと思うんだ」
メルメルはトンフィーの言った事を考えてみた。そして、結局本当は分かったような分からないような感じだったが、とりあえず分かったと答えておいた。
「じゃ、左手の方に進むわ! あ……。大分近づいてきたわね。今度通り過ぎたら、左に向かって思い切り走って階段までたどり着いてみせるわね!」
メルメルはスタート前のリレーの選手のようにドアの前で構えた。
「だ、だめだよメルメル! もう少しじっくり考えないと――」
「え~……。まだ考えるの?」メルメルはとことんうんざりした様な顔になる。
「だって、本当に走ればたどり着ける場所に階段部屋があるとは限らないよ? ある程度行ったら、戻って来ないと鉄球に踏み潰されてしまう」
「分かってるわよ。鉄球が見えたら急いで逃げるわ」
「それじゃあ間に合わないよ。さっきだってギリギリだったんだから、もっと先へ進んでしまったら逃げきれない――わ!」
その時、またしても巨大鉄球がドアの向こう側を通過して行った。トンフィーは少しは慣れてきたようで、今度は驚いた声を出しただけで飛び上がりはしなかった。そして、
「一、二、三、四、五――」
すぐさま懐中時計を取り出して時間を測り始めた。さすがのメルメルにもその意図する事が分かって、邪魔をせずにじっと見守る事にした。
「二三、二四、二五――」
退屈になってきたので、メルメルは足元のミミとシバに目をやる。するとシバがやけに丁寧に顔を洗っているのを見て、得心顔で一人頷いた。
(明日は雨なんだわ)
昔プラムじいさんに、「猫が顔を洗う時、耳の手前しか洗わない時は晴れ。耳の後ろからしっかり洗う時は雨なんじゃよ」と教えられ、「じゃあ、曇りの時は?」と言って、少し困らせた事があるのを思い出したのだ。
「二九、三十、三一――止まった」
パチンコの仕掛けに鉄球がさしかかったのだろうか? 一瞬転がる音が止まった。
「動きだしたわ!」「三四、三五、三六――」
トンフィーは再び時間を測り始める。
今度は、トンフィーのお腹から顔を出しくうくうと気持ち良さそうに眠っているアケを、メルメルは眺めてみた。時折ヒゲがピクピクとして、なんだか可愛い。疲れているのだろうかと考え、すぐに、それも当然の事だと思った。悪魔の兵隊だのハゲタカもどきだの恐ろしい化け物に遭遇しながら、長大な距離を旅し、こんな見知らぬ土地まで連れてこられたのだ。
メルメルは少し目線を上げて、一心に数を数えているトンフィーを見る。
服も顔も土埃だらけで、手や足には擦りむけたような跡がたくさんある。ふと自分自身の体に目をやれば、トンフィーと同じ様に土埃にまみれ、キュロットスカートから出た膝小僧はかさぶたが出来ているし、服など返り血がついてピンクの水玉模様の中に不気味な赤黒い水玉が混じってしまっている。そんなボロボロでみすぼらしい自分達を見て、メルメルは、何故だか――にっこりと笑った。
(よく頑張ってるわ、ワタシ達。こんなに一生懸命頑張ってるんだから、きっとおじいちゃんを助け出す事ができるわ!)
「七一、七二、七三、――わっ!」
再び鉄球が通り過ぎた。トンフィーの悲鳴を聞いてメルメルは物思いから覚めた。
「七三秒ね」
「うん……。よし。ねぇメルメル、この廊下の先のどこかに上へ行く階段部屋があると思うんだ」
「分かってるわよ。それを探してくればいいんでしょ?」
メルメルは腰に手を当てて、ちょっぴりえらそうな顔をした。
「そうなんだけど、その部屋には階段だけじゃなくて、ぐるぐる回る鉄球の仕掛けを止める装置があると思うんだ」
「仕掛けを止める装置?」メルメルは腰に当てた手を思わず離した。
「だってほら、ずっとぐるぐる回り続けていたら、仕掛けを作ったカルバト族だって行き来出来ないでしょう?」
メルメルは目の玉を上にして考える。そして思う。――そりゃあそうね。
「だからメルメルには、もしも階段部屋にたどり着いたら、その装置、――多分ボタンとかレバーかだと思う。――それを止めてほしいんだけど……」
「分かったわ! まかせておいて!」
ドンと胸を叩いて、メルメルは再びドアに向かってスタートの構えをした。トンフィーは慌ててメルメルとドアの間に割り込んだ。
「め、メルメル、分かってる? 様子を見に行くだけでいいんだ。そうだな……二十秒だ。――二十秒経ったら、すぐに引き返して来て」
「二十秒? ……三三秒も余裕があるじゃない」
つまり――鉄球が一周するのに七三秒。メルメルが二〇秒進んで――引き返して来るのに更に二十秒かかるから、合計四十秒。七三―四十は三三だから、三三秒の余裕というわけだ。メルメルにしては実に素早い計算だった。
――帰ってくる時間を考慮しても、後十秒は先に進める。不満そうに頬を膨らませたメルメルに、トンフィーは厳しい顔で首を横に振った。
「帰りは疲れているから少し時間がかかるだろうし、それに――無理をしちゃダメだよ。本当に危険な事だから」
「だけど、上への階段を探し出さなきゃ先へは進めないのよ? 多少無理してでも、ギリギリまで行かなくちゃ――」
トンフィーはメルメルの言葉を聞いて青くなり、両手を広げてドアを塞いだ。
「だ、ダメだよ! そんな事言うなら、僕ここを退かないよ!」
「トンフィー……」
興奮して耳まで赤くしているトンフィーに、メルメルは困ったように眉をハの字にした。
「む、無理しなくともいい理由もあるんだ。僕、多分この部屋にも装置を止める仕掛けがあると思う」「この部屋にも?」
メルメルはキョロキョロと周りを見回す。何の変哲も無い茶色の壁が天井まで続いている。唯一、壁以外にある物と言えば、部屋を照らす為のランプが壁に掛けられているだけだ。床を見ればメルメル達が上がってきた穴が開いているだけで、やはり他には何も無い。仕掛けを止める装置などどこにも見当たら無いではないか。
「無いじゃない。そんな装置」
「勿論隠されているんだよ。そんな物、簡単な場所にあったら敵にすぐ止められちゃうでしょ? だけど、こちら側にも止める装置が無いと外から味方が入る事も出来ない。きっと、どこかに隠して作ってると思うんだ」
「隠すって……どこに?」
トンフィーは壁にバッと張り付き、拳でコンコンと叩いてみせた。「壁の中に空洞があるとか……」
そうしてコンコン、コンコンと叩きながら少しずつ横に移動して行く。
「……そうやって探していくの?」
トンフィーは頷いて作業を続けているが、メルメルには何だか日が暮れそうな(とっくに暮れているんだ)話だと感じた。
「じゃあ、トンフィーがそうやってる間に、ワタシはちょっぴり様子を見てくるわね」
「…………」コンコンを止めて、トンフィーがじっとりと疑わしそうな目でメルメルを見つめた。
「わ、分かってるわよ! ……二十秒で戻ればいいんでしょ? ちゃーんと帰ります!」
「本当だよ? 約束だからね、メルメル……」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ
再び音が近づいてくる。メルメルはドアの前に三度構え、トンフィーに向かって親指を立ててみせた。トンフィーは相変わらず不安げにそれを見つめている。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ
「――!」
目の前を巨大な鉄球が通り過ぎた。トンフィーは遂に悲鳴をも堪える事に成功した。飛び出して行ったメルメルと二匹のトラ猫を見送って、慌てて懐中時計を取り出した。




