シルバー
朝の八時。
僕は学校に行くために、いつものようにバスに乗り込んだ。
バスは今日も満員だ。仕事へ向かう人たちで、通路までぎゅうぎゅうに埋まっている。人と人が押し合って、ガチャガチャとした音で溢れている。
吊皮もつかめないから、僕はなんとか体をよじって、入口の真横にある、手すりのところに身を寄せた。
そのときだった。
「学生さん、座りますか?」
「えっ」
手すりの横にある優先座席に座っていたお婆さんが、僕に声をかけたのである。
僕は驚いたし、ちょっと遠慮がちになった。
「そんな、いいですよ」
「いえいえ、若いんだから、座っておいた方が良いですよ。それに、あなたの右足、軽いケガをしてるんじゃないの?」
ギクリ。バレていたのか。
実はその通りだ。昨日の部活で、軽く足首を捻ってしまったのだ。だからズボンの裾から、白いテーピングが覗いていた。
本当に大したことないし、問題なく歩ける程度だけれど、本音を言えば座りたかった。
お婆さんの言葉は周りにも聞こえていたようで、『なんだ、そういう事情があったのか』と周りの人たちもすっと体をひいて、優先座席の前を開けてくれる。
お婆さんは立ち上がって、どうぞと手で示した。
ここまでされたら、もう断れない。
「ありがとうございます。まだほんの少し痛んでいたので、助かります」
「いえいえ。私も気づけて良かったわ」
僕は会釈しながら席を貰った。
お婆さんはすっくと綺麗な姿勢で立って、つり革につかまる。
あたりには言いようのない、ほっこりとした空気が流れた。
あくせくした朝の通勤ラッシュのなかで、親切な気配りを間近で見られたからだろう。
僕はなんだか、嬉しいような恥ずかしいような気分になった。
シルバー世代のお婆さんに席を譲られることを、人生で初めて経験した。
しかし、友達の話を聞いていると、最近では“よくあること”だそうだから、ついに自分も当事者になったんだなという、変な実感があった。
僕は運動してるし、普段は足腰に自信がある。
だから、今までも『席を譲りましょうか?』と聞かれたことはあるけど、ずっと遠慮してきた。
それがとうとう、だ。
座りながら、周りを見てみる。
バスの中を、お爺さん、お婆さんたちが埋め尽くしている。
みんな60代~80代くらい。
10代なんて僕くらいしかいない。
僭越ながら、さっき皆から贔屓されるみたいに席を譲ってもらった空気も、無理ないよなと思ってしまう。
皆さんにとって、僕は孫同然なのだ。
お爺さん、お婆さんたちはみんな、身体アシスト用のサポーターマシンを足腰に取り付けている。合金製の、メタリックシルバーカラー。SF映画に出てくる機械兵士の装備みたいで、かっこいい。だからバスが揺れるたび、サポーターが触れ合って、ガチャガチャという音が絶えないのだ。
あれは60代を超えると国から支給されるもので、装備することで、20代と変わらないような身体能力を得られるという。
そうして“シルバー世代”は今でも現役バリバリで建築業にも、配達業にも、介護業にも従事している。
かっこいいな。
僕もつけてみたいけど、国の予算が足りなくて若者には配られない。若いころからつけると体の成長を阻害するらしいしね。僕が60になるまではお預けだ。
現在、21XX年。
高齢化率が70%を超えた日本。文字通り経済は、シルバー世代に支えられている。
僕たち若者はみんな、東京の真ん中に作られた大きな学校に集められて、たくさんの先生と設備に囲まれながら、高等教育を受けさせてもらっている。
『君たちこそ日本に残された、可能性そのものなのだ』と言われながら。
内心、期待を重く感じることはあるけど、こうして日本を支えてくれる人たちのためにも、頑張らなきゃなと思う。
なんてぼーっと考えてたら、ふと目の前の、席を譲ってくれたお婆さんと目が合った。
にこりと微笑まれた。
「勉強、大変だと思うけど、頑張ってね」
「はい」
僕は照れながらも頷いた。お婆さんがまたふふっと笑った。
「頼もしいわ。あなたたちは国の宝だもの。そのためにお婆ちゃんたちも、今日もお仕事、頑張るわ」
バスが揺れて、窓から差す光が、お婆さんの肘のサポーターにキラリと反射した。
こちらこそ頼もしくなるような、そしてどこか申し訳なくなるような━━銀色の光だった。