1:出会いは銃声と血の中
8区―腐った金と欲望の臭いが染みついた街。
ここは王都の中でもひと際治安の悪い場所だった。
カジノの光が夜の闇を押し返すようにギラつき、酒と煙草の香り、薬物を詰めたパイプの煙が路地裏にまで溢れかえる。
顔の右側に酷く爛れた火傷の跡がある青年はポーカーテーブルに腰をかけ、カードを手に笑っていた。
「ほらほら、また俺の勝ち。運が悪いなぁ、ハゲの旦那」
テーブルの向かいには、脂ぎった額に皺を寄せたイカつい男。
額に浮いた血管が、そろそろ切れそうだった。
「てめぇ……絶対イカサマしてるだろ!」
「疑うならカードでも舐めてみる?味が違ったら認めてやるよ」
周囲の観客が笑い声を上げる。
青年はくしゃっと目を細めて笑ったが、目の奥はどこまでも冷たいままだった。
その瞬間、男の拳がテーブルを叩き割った。
「ぶっ殺してやる!」
「めんどくせ……」
青年は肩をすくめて、ジャケットの内ポケットに稼いだ札束を詰めると、悠々と席を立った。
背後では椅子が倒れ、怒声が飛び交っていた。
* * *
カジノを出て数分。
裏通りを抜けた青年は、物陰から現れた5、6人の男たちに囲まれていた。さっきのハゲの仲間らしい。
「おいお前、イカサマ野郎が逃げられると思うなよ」
「いやあ、しつけえー。俺は正々堂々やってた……って言っても信じねぇよな、そういう顔してるし」
次の瞬間、拳が飛んできた。
青年は半身をひねってかわし、軽く足を蹴り上げる。
男の一人が呻いて倒れた。
「なぁ……俺、ほんとはあんま暴れたくないんだよね。服、汚れるし」
それでも次々に襲いかかる男たち。青年はひらりひらりとかわしながら、急所に正確に蹴りを入れていく。
しかしさらに数人の増援が現れた。
「マジか増えたし。もういいや、面倒くさい。逃げよ」
青年は小走りで通りを抜け、8区の外れにある夜の湖へ向かって走り出す。
背後では怒号と足音が追いかけてきた。
湖岸に着くと、迷わず靴を脱ぎ、コートを脱ぎ捨てて、服のまま飛び込んだ。
冷たい水が全身を包む。今にも凍死してしまいそうな程の水温に心臓がきゅっと縮まるような感覚がした。
だが――死なない。青年はにやりと笑い、水中を泳ぎ抜け、対岸へと浮かび上がった。
* * *
湖のほとり、森の中にポツンと建つ古びた小屋があった。窓も割れ、屋根は今にも崩れそうだ。
だが青年にとってはちょうどいい。
「ふぅ……寒い。ちょっと乾かすか……」
軋む扉を開けて中へ入ると、そこには想定外の光景があった。
隅の床に、金髪の女が蹲っていた。大きな胸を抱くようにして、小さく震えている。服はボロボロで、傷もある。
青年は一瞬、言葉を失った。次に口から出たのは、軽口だった。
「お姉さん……その胸は…反則じゃない?」
反応はない。女は顔を伏せたまま、震えていた。
青年は軽く舌打ちし、彼女に近づいた。
「なあ、おーい……」
その時、外からまた怒声が聞こえてきた。
「この辺に逃げたはずだ! この小屋も調べろ!」
「……マジかよ、しつこい連中だな」
青年は女を見下ろし、数秒考えた。
そして無言でその身体を抱き上げた。
女は抵抗せず声もあげず、ただ震えていた。
「重てぇ……でもまあいい拾い物か?」
小屋の扉が開く直前、青年は音もなく外へ飛び出し、背後から追いすがる男たちの首を二人分、淡々とへし折った。
静かに、無慈悲に。まるでそれが日常のことのように。
* * *
森の中を駆け抜けた後、青年は女をそっと地面に降ろした。
まだ怯えている。
追っ手の気配がすぐ近くまで来ている。
「お姉さん。ちょっと耳と目、塞いでなよ。血、跳ねるかも」
女は青年の顔をふと見てしまった。
青年は笑っていた。けれどその目は、まるで氷のように冷えていた。
見なければ良かった…後悔しても遅い。
全身の震えは治まらなかった。
その夜の森で、短くも激しい殺戮が繰り広げられた。
悲鳴と肉の裂ける音が交じり、やがて静寂が戻ってきた。
女は、恐る恐る顔を上げた。金髪が涙と泥に濡れている。
彼女と目が合った青年は、血のついた頬に笑みを浮かべて言った。
「お姉さん、このまま俺と一緒に来る?」