トオリの木の実とり
静樹は寝台の上で裸の尻を上げて毛布を被りながら、悩ましげな声を上げた。
「うぅ、痛い……っ」
「シズキ、大丈夫!?」
扉の向こうからタオが鬼気迫った声音で問いかけてくる。静樹は慌てて返事をした。
「だ、大丈夫です」
「やっぱり俺が手伝おうか?」
「いえ、大丈夫ですから!」
仮にも番になってほしいとお願いされている相手にそんなことを頼んでしまったら、理性の糸が千切れる予感しかしない。いくらタオが優しいからって、そこまで甘えてはいけないだろう。
痛い部分に薬を塗り終えると、静樹は慌てて身を起こし服を元通りに直した。
もう終わったと伝えると、青い瞳が据わった状態のタオが寝台の上に乗り上がってくる。
もしかして想像だけで理性の糸が切れてしまったのかと青くなっていると、彼は吐息がかかりそうな距離で静樹を責めた。
「ずるい」
「え?」
「今日会ったばかりの雑技団の子には、最初から打ち解けていたのに。なんで俺にはそんなによそよそしいのかな?」
「よそよそしいだなんて、そんなつもりはないですよ」
いくら友達だからって、お尻の薬を塗ってほしいなんて頼めないだろうし。若干身を引きながら伝えると、タオはふいと視線を逸らして拗ねた。
「口調だって、他人行儀だ」
「それはその……」
「友達なら普通に喋ってよ」
胡座をかいたタオの尻尾は、ぼすん、ぼすんと怒りを表すようにシーツに叩きつけられている。
こんなにも静樹を求めているのに、それでも友達でいいと言いながら拗ねているタオを前にして、今までに感じたことのない情動が湧いてくる。
(なんていじらしい人なんだろう)
心を打たれた静樹は彼に向かって身を乗り出し、顔をのぞきこんだ。
恐ろしい牙が眼前に迫り、少し身を引きながらも声をかける。
「タオ……?」
「なに?」
「えっと……そろそろお腹空いたね、何か食べる?」
タオは静樹の言葉遣いが変わったのを聞いて、機嫌を直したらしい。太い尻尾が緩やかに左右へと振れる。
「そうだね、一緒にご飯を作って食べよう」
料理の手伝いは、日を追うごとに少しずつできることが増えている。
今回は調味料の配分を任せてくれて、美味しく作ることができた。
ほとんど静樹が一人で作れた鶏肉と野菜の炒め物を、タオは大袈裟に褒めながら頬張った。
「すごいよ、めちゃくちゃ美味しい! 静樹には料理の才能がある」
「そうかな……? ありがとう」
タオは基本的に嘘をつくことがないので、静樹は安心して言葉通りの意味で受け取ることができた。
人の言葉の裏を読むのは苦手だから、タオの真っ直ぐな気質は好ましく映る。
鶏肉は捌けないしかまどの火起こしもまだまだだけど、できることが着実に増えてきていて嬉しくなった。
食事を食べながら、森の木の実は採ってもいいのかと話題を振ってみる。
「トオリの実のことかな。この周辺一帯なら大丈夫だよ、採りにいこうか」
新しい服を着てカゴを背負って、黄色い木の実があった場所まで出かけることになった。
木の根元まで来てみると、拳大の大きさの細長い果実が鈴なりに生っているのがわかる。
「もう熟してる?」
「黄色いやつはバッチリ食べれるよ」
タオが引っ張ると、トオリの実はぷちりと軸の部分を簡単に千切り取ることができた。
彼を見習って、枝に手を伸ばす。抵抗はあったものの、根本から取ることができた。
見た目は真っ直ぐなバナナのように見えたが、触るとザラザラしている。
面白くて夢中になって撫でていると、気づいたタオが近づいてくる。
「どうかした?」
「感触が、好きだなって」
「ああ、ちょっと面白いよね。俺はシズキの肌触りの方が好きだけど」
素直にセクハラまがいのことを告げられて、どう返答しようか迷う。
彼は静樹の返事がないことを気にせずに、実の収穫に戻ってしまった。
(タオはなぜ、僕を番にしたいなんて言い出したんだろう)
すべすべだし可愛いし人間が大好きだと言っていたから、内面ではなく身体の特徴で好ましく思われているような気がする。
きっと彼も静樹の臆病なところを面倒に感じているだろうし、内面になんて興味ないのだろうなと諦めの気持ちを抱きながら作業に戻った。
(どうせ誰も僕の話を聞きたいなんて思わないんだ、わかってる)
両親にすら面倒な子だと疎ましがられていたくらいだ。
だからせめて勉強面で迷惑をかけないようにストレートで国立大学に入学したし、大人しく自己主張しないようにして過ごした。
(ああでも、本当に子どもの頃におばあちゃんに、木の実狩りに連れていってもらったことがあったっけ)
林檎の実の軸を切り取って笑顔を向ける瞬間、確かにあの時はおばあちゃんと心が通じ合っていたような気がする。
数少ない家族との交流の思い出だ。
黙々とトオリの実を採っている間は、焦燥感も虚しさも忘れられた。
だんだんとカゴが一杯になっていくのが楽しくて、夢中になって実をとり続ける。
「う、届かない」
静樹の二倍は背の高い木だから、上の方まで手が届かない。
タオは静樹がつま先立ちする様子を眺めて、いいことを思いついたとでも言うように笑った。
「シズキ! 俺が肩車をしてあげるよ、そしたら届くでしょ?」
「えっ」
「友達なんだし遠慮しないで、さあ!」
両手を開いてシズキを待ち構えるタオを、困惑の表情で見返す。
そんなことをしたら牙が静樹の身体のすぐ側まで来てしまうし、色々とタオの理性的にまずいのではないか。
(それに、子どもでもないのに肩車って……)
本当は少し憧れがあった。肩車なんてされたことがない。
近所の子どもが肩車をされているのを羨ましく見送るばかりだった子ども時代を思い出し、胸が切なくなる。
タオの海のように濃い青の瞳は、無邪気に輝いている。
静樹を肩車したくてたまらない様子を見て、恐れと遠慮の天秤が上方へと傾いた。
(いいよね、友達なんだから。お言葉に甘えても)
「じゃあ……少しだけ、お願いしていいかな」
「少しと言わずにいくらでも、シズキが満足するまで乗ってていいからね!」
タオはしゃがみ込み背を向けた。広い背中の上に乗った頭部は、紛うことなく虎だ。
緊張感が喉まで競り上がるが、震える足を叱咤しながら一歩ずつ近づいた。
(大丈夫だ、タオはとっても理性的な虎獣人なんだから、間違っても僕を噛んだりしない)
えいやと肩に手を置くと、布越しでもモフッとした感覚が手のひらに広がった。
おっかなびっくりしながらも背中によじ登り、足を肩に乗せて首を跨ぐ。
「準備はいい? 立つよー」
ガッシリと両足を肉球のついた手に掴まれてピクリと体が強張ったが、のけ反ることは避けられた。
タオの頭の毛に指先を埋めながらバランスを取る。
「う、わ……高い」
「支えてるから両手を離しても大丈夫だよ! 実に手が届くかな?」
「あ、うん届く……!」
視界が高くなり恐ろしくなったが、採りたかった実が目に入るとそちらに意識が集中した。
むしり取って背中のカゴに放り込んでいく。
楽しく作業をしていると、自然と口元が綻んで鼻歌を歌ってしまっていた。
ハッと気づいて中断すると、タオは声をかけてくる。
「シズキって声もかわいいよね、歌もとっても上手だ」
「え、そんなことは、ないと思うけれど」
恥ずかしくなって頬に熱が昇る。初めて言われた……この世界に来てから初めての経験ばかりで、心の中が忙しい。
特にタオに関することで気分を乱されていた。新しい体験をする度に心臓の鼓動が騒がしくなる。
最初のうちは怖さ故に驚くことばかりだったけれど、最近はそうでもない。楽しいと思うことが増えてきた気がする。
「ねえ、もっとシズキの声が聞きたいな。何か話してよ」
「何かって、何を?」
「そうだなあ、例えばこの世界でやりたいこととか。雑技団に入っちゃうと旅の道中危険だし、遠くに行って会えなくなっちゃうから反対するけど。町の仕事だったらまだ会えるし、この家からも通えるかもしれないよ?」
「え、と……その、やりたい仕事はできなさそうなんだ」
「そうなの?」
「将来は司書になりたかったんだけど、この世界には本がないみたいだから……王城とかに行けばあるのかもしれないけど、そういうところで働くのは平民じゃ無理なんだよね?」
タオにわかるように司書の仕事内容や、日本の図書館について語ってみせると、彼は感心しながら唸った。
「そうか、うーん、難しいかもねえ……シズキのやりたい仕事に一番近いのは官僚だと思うけど、貴族の推薦がないと役人にはなれないって聞くよ」
国の役人になりたいわけではないと俯くと、タオは励ますように声を明るくした。
「シズキが本当に官僚になりたいっていうなら、王都まで行ってみるのもアリだと思うよ。俺も路銀を出すから」
「あ、いや、なりたいわけではないよ」
「そうなの? 遠慮しなくていいから、シズキの本当の気持ちを教えてよ。ししょだっけ、それになりたいんでしょ?」
「そう、だったけれど……」
日常生活のお手伝いや字の読み書きもままならないのに、そんなに先のことまで考えられないというのが正直なところだった。
(そんな情けないことを、話してもいいのだろうか)
今までであれば、家族の誰もそんな話を聞きたくないだろうと口をつぐんでいたが、タオだったらバカにしないような気がする。シズキは勇気を出して気持ちを伝えた。
「今はまだ考えられない、かな」
「そっかあ。また気が変わったら相談してね」
大丈夫だったと、ホッと息を吐く。
(タオは僕の話を頭ごなしに否定したり、適当に流したりしないんだ)
ピクリと動いた虎耳を新鮮な気持ちで見下ろしていると、疑問が湧いてくる。
尋ねてもいいか一瞬ためらったけれど、遠慮しなくていいと言われたので聞いてみることにした。
「……僕が仕事をすること自体は、嫌じゃないんだ?」
「んー、俺としてはここで静樹と一緒に暮らせるならなんでもいいかな。一緒に暮らせないほど遠くの仕事であっても、静樹が本当にやりたい仕事なんだったら……」
彼は苦悶の声を上げながら、静樹を下ろした。
何を言いだすのだろうとドキドキしていると、タオは静樹の目の前で片膝をついて視線を合わせた。
「応援するよ、すごく寂しいけどね……! ああでもやっぱり離れ離れにはなりたくないから、その時は俺も静樹と一緒に暮らせるような仕事を見つけたいな。協力してくれる?」
「……ずっと僕と一緒に暮らしたいの?」
「そうだよ。だって俺の一番大事な友達で、番になれたらいいなって思ってる人だから」
友達と番は両立しないんじゃないかと感じたけれど、ずっと一緒にいたいと思ってくれてるなんて、悪くない気分だった。
胸の奥がそわそわと騒いで、落ち着かなくなる。
嬉しいような恥ずかしいような、この感覚はなんだろうと首を捻った。
「シズキ、頬が桃色になってるよ! 可愛い……っ!」
「え……」
言われて見れば頬が熱いと、急いで両手で頬を押さえた。
タオは静樹に触ろうとして、途中で勝手に触らない約束をしたのを思い出したらしく、残念そうに手を引っ込める。
(また僕のことを、かわいいって言った……そういえばハオエンだって見た目は人間っぽいのに、タオは彼に見惚れたりしなかったな)
疑問を抱きつつじっと海色の目を見上げていると、タオは瞳を瞬かせた。
「どうかした?」
「いや、その……タオは僕のこと、なんで好きなんだろうなって気になって」
タオは立ち上がり、うーんと腕を組みながら首を捻る。