獣人と人間のハーフ
広場の一角では獣人の集団が板でできた簡易舞台を囲んでいた。
段上では陽気そうな犬獣人が、片足立ちをしながら棒の上で皿を回している。
「へえ、すごいや。器用だねー」
タオが呑気に感想を呟く中、静樹の視線はとある人物に釘付けになっていた。
片足立ちの犬獣人の頭の上に飛び乗り皿回しをしている少年は、人間だったからだ。
(いや、違う。よく見ると頭に犬耳がついてる)
茶色い犬耳つきの翡翠色の目をした少年は、楽しげに笑いながら芸を披露している。
彼はいったい人間なのか、それとも獣人なのかどっちなんだろうと気になって、静樹は一秒たりとも目が離せなかった。
やがて公演の時間が終わり、人がはけていく。
芸が終わった後も愛想よく手を振り続ける少年に熱い視線を送っていると、彼の方も静樹に気づいたらしい。
ばっちり目が合うと同時に、瞳を煌めかせた少年が静樹に向かって駆けてきた。
「ねえ君! ボクの演技をずーっと見ててくれたよね、ありがとう!」
「えっ、あ、わ」
いきなり舞台の上にいた人から話しかけられたものだから、咄嗟に反応できずに固まってしまう。
そんな静樹に構わず、彼は親しげに話を続けた。
「ボクはハオエンだよ! 君はだあれ?」
「えっと、静樹……」
「シズキかあ、ねえ君って人間だよね? わあ、初めて見た!」
「ハオエンは、人間じゃないんだ?」
「ボク? ボクはハーフなんだ。母さんが人間だったんだって。顔も見たことないけどね」
人懐っこいハオエンにつられて、静樹は自然体で会話をすることができた。
「ハーフ……そうなんだ」
「そう、可愛いでしょ? 耳も尻尾もあるけど、顔はほとんど人間なんだ」
犬耳の少年は尻尾を見せつけるように、くるりとその場で回ってみせる。
ハオエンの自称する通り、彼は可愛らしい容姿をしていた。
顔もアジア系で茶色い自然な色の髪をしていて親近感が湧く。
獣頭ばかりに囲まれて緊張していた静樹は、たちまち彼に心を開いた。
「よかったらまた芸を見にきてよ。一月後にはすっごい催し物もあるから!」
「すごい催し?」
「そう、まだ達成してないけど、きっとね!」
ハオエンは酷く楽しそうに口の端を吊り上げて笑う。
何かの芸を練習中なのだろうかと首を傾げたが、彼はすぐに話題を変えた。
「シズキは町によく来るの?」
「今日が初めてなんだ」
「へえ、ボクもチェンシーは初めてだよ! 一緒だね。僕、君のことが気に入っちゃった。絶対にまた会いにきて!」
「うん、来たいな」
こんなにも楽しく応酬が続けられた経験なんて、初めてかもしれない。しかも静樹のことを気に入ってくれたなんて。
興奮で頬を染めながら、ハオエンとの話に夢中になった。
「雑技団で芸の腕を磨くのは、そりゃもう厳しい道のりなんだよ。ボクもしょっちゅう父さんに怒られているんだ」
「父さんって、さっきハオエンと一緒に芸をやっていた人?」
「そう。父さんと一緒に演技をするのが、一番しっくりくるんだよね」
ハオエンは耳だけを器用に父親の方へ向けた後、静樹の方に向き直り尻尾をパタパタと振った。
「でもさ、静樹と一緒に演技するのも楽しそうだね!」
「え、僕と?」
「うん! ボクってほら、人間とのハーフだからそれなりに珍しいでしょう? 尚且つ芸の腕もあるから結構な稼ぎ頭なんだけど、静樹は純粋な人間だから、もしも雑技団に入ったらきっとボク以上に大人気になれるよ」
「大人気……」
雑技団に入団するだなんて、考えたこともなかったけれど、いるだけでユニークだとしたら案外向いているのかもしれない……?
一瞬そう考えたところで、今まで静かに二人の会話を見守っていたタオが、いきなり声を張り上げた。
「そんなの駄目だ! シズキは俺と暮らすんだから」
楽しい空想に水を差されたハオエンは、白んだ視線を乱入者に向けた。
「誰? おじさん」
「お、おじさん⁉︎ 失礼な、ちょっと老け顔なだけで、まだ二十二歳だからね?」
獣の顔にも老け顔とかあるんだなと感心した。静樹から見るとどの獣人の年齢も、ろくに判別がつかない。
「ふうん、十六歳のボクからしたら全然老けてるけどね。それで、何? いきなりボクとシズキの邪魔をするなんて、どういうつもり?」
ハオエンは可愛らしい顔を盛大に歪めて、タオにガンを飛ばしている。
静樹は犬耳少年の豹変に驚いて目を見張った。
「邪魔をしているのは君の方だよね? シズキを勝手に連れていこうったってそうはいかないよ」
「どこに行くか決めるのはシズキの勝手でしょう? ねえシズキ」
「あ、うん……そうだね」
「シズキ⁉︎ 俺じゃなくて今日会ったばかりの、よく知らない子どもを選ぶの⁉︎」
「いや、僕は」
「絶対やめた方がいい、雑技団にようこそって最初だけチヤホヤされて、でも運動神経がよくないからってだんだん失望されて、綺麗な服を着せられるだけの見せ物にされちゃうよ⁉︎」
「うっ」
タオには運動が苦手なことがしっかりバレていたらしい。
やけに具体的であり得そうな未来予想図に、静樹は戦慄した。すかさずハオエンは反発する。
「いいじゃない、綺麗な服を着て笑顔で手を振るだけでも、シズキなら稼ぎ頭になれるよ!」
「いや、だから僕は」
「ね! 一緒に雑技団を盛り上げよう!」
「駄目だって言ってるでしょ!」
さっきから熱くなり過ぎていて、二人の会話に割り込めない。
静樹は意を決して腹の中から声を出そうとした。
そして息を吸い込んだタイミングで、我慢の限界を迎えたタオによって抱き抱えられてしまう。
「えっ、わぁ⁉︎」
「シズキに変なことを吹き込むのはやめて! もう帰るから」
「待ってよ人さらい!」
「違う! まったくもう」
タオは肩の上に静樹を乗せると、あっという間に広場から立ち去った。
モフモフの首の毛が静樹の手のひらに触れて、見た目より柔らかな感触に目を見張る。
(うわ、ふわふわだ)
肉球は得体が知れないが、毛皮は心地いいのかと新たな発見に内心驚く。
タオは勢いのまま荷車を引き取りに行くと、台の上に静樹を乗せて無言で引き始めた。
鬼気迫る背中の様子と、前に伏せたまま戻ってこない耳の先を見て、しばらく声をかけずにそっとしておくことにした。かなり怒っているらしい。
(タオがこんなにも頭にきているところを初めて見た……そんなに雑技団に入るのっていけないことなのかな)
冷静になって考えてみると、全く静樹には向いていなさそうだから、入団する気は欠片もないのだが。
家に帰る頃にはタオの頭が冷えていることを願いつつ、ひたすら森の中の景色を堪能した。
黄色い木の実が生っている木も見つけたので、機会があれば木の実狩りをしたいと考えつつ時間を潰す。
森の中の家に帰りつくと、ようやく荷車から降りられた。
揺られ続けて痛くなったお尻をさすっていると、荷車を片付けたタオに詰め寄られる。
丸太の壁に両手をついた虎頭に見下ろされて、静樹はゴクリと唾を飲み込んだ。
「シズキ……お願いだから、俺の側にいてよ。好きなんだ……っ」
そのままずるずるとしゃがみこまれて、目線の下に虎耳がくる。
萎れた耳を目にしてどうしたものかと思案していると、彼は更に言葉を重ねた。
「君の側にいられるなら、なんだっていいから……本当は番がいいけど、番じゃなくたっていい。保護者でも、兄でも友達でも、ただで住める便利な場所としてでもいいから、ここに住んでほしいんだよ。お願いだ」
番じゃなくていいなんて本当だろうかと驚いた。
友達という言葉が妙に胸を打ち、繰り返すように発音する。
「……友達?」
「! なってくれる? 友達としてなら家に住んでくれるのなら、友達でもいい。俺の友達になってよ、シズキ」
ずっと心を通わせられる友人が欲しかった静樹は、タオの訴えに胸の奥を揺さぶられた。
震える唇をペロリと湿らせてから、言葉を紡ぐ。
「僕の友達になってくれるんですか? なんでも話せるくらい、心を許せる友達に」
「いいよ、なろうよ。友達から始めよう。なんでも話して。シズキのことならなんでも知りたいんだ」
「……じゃあ、ひとつお願いを聞いてもらってもいいですか」
「なに?」
本当になんでも話をしていいのだろうかと、一瞬ためらって口ごもる。けれど先ほどから気になってしょうがない。
静樹は恥ずかしさを堪えて一息で言い放った。
「荷車の揺れのせいで、お尻がとっても痛いんです……何かいいお薬はありませんか?」
「お尻に塗るお薬……?」
タオが息を呑む音が聞こえた。