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もやしの話に食いつかれた

 握手をすると、人間ではあり得ない凹凸のついた手のひらの感触をモロに感じた。

 咄嗟に手を振り払いそうになったがなんとか耐える。


「さあ、冷めないうちに食べて」


 手渡された料理の器は木で作られていて、中にはどろどろになるまで煮込まれたお米が入っていた。


 木のさじもにこにこしながら手渡される。恐ろしさを押し殺してなんとか受け取った。


(食べた方がいいよね? 正直食欲はないけど……食べないことを怒られたりしたら、怖すぎるし)


 恐る恐る口にした粥は、柔らかくて食べやすい。

 小さな人参や、チンゲンサイっぽい野菜のかけらも一緒に煮込まれていて、塩分薄めの優しい味がした。


 静樹は猫を嫌うが故に逆に猫に詳しかったので、虎獣人は猫と同じように、人間ほど塩分をとらないのかもしれないと思考した。


 でも完全に猫と同じなら、肉食動物のはずだから米が家にあるのはおかしい気がする。

 気になるものの、問いかける気にはなれなかった。


 静樹の食事風景を微笑ましげに見つめるタオを警戒しながら、半分ほどを食べ終えたところでさじを置く。


「あれ、もういらないの?」

「すみません、胸が、いっぱいで」


 緊張しすぎて気分が悪くなってきた。

助けてくれて食事まで恵んでくれた相手に失礼すぎると頭では思うのだが、どうしても見た目が虎そのものだから恐怖心がおさまらない。


「そっか、お腹が空いたらまた言ってね」


 朗らかな声で告げる白虎は、食事を残すことを怒ったりしていないようだ。ホッと胸を撫で下ろした。


 彼は受け取った食器を寝台脇のテーブルの端に寄せると、改めて椅子に座り直した。

 なんだろうと身構えていると、縦長の瞳孔をまんまるく開いたタオが弾んだ声音で問いかけてくる。


「ねえシズキ、よかったら君のことを詳しく教えて! 食べ物はどんな物が好き?」


 タオの長い縞模様の尻尾が上下に揺れる。女の人の手首よりも太い尾をまじまじと凝視した。


(うわ、動いてる……やっぱり本物なんだ)


 得体が知れなくて鼓動が速まってくるが、なんとか声を出すことに成功した。


「え……っと、魚、とかですかね」

「へえ、今度とりにいこう! 他には?」

「……野菜? もやし、とか」


 静樹は両親が仕事をしている関係で、祖父母の家に預けられることが多かった。

 和食が好きな祖母の、素朴ながら滋味のある食事を頂きながら育ったので、どちらかというと淡白な食べ物が好きだ。


 育ち盛りの時期にも質素な食事を好んで食べていたせいか、静樹の背丈は百六十七センチしかないし、体つきだって細身だ。


 臆病な上に静かな場所を好む性質なのもあって、運動も積極的には行わず、図書館で本を読んで過ごすのが好きだった。


 大学も文学部に進学して、部活にも入らずに大好きな本を読んで暮らしていた。

 あれこれ考えることは得意だけれど、実際に行動に移すのは苦手な自覚がある。大学に入ってからの一年間、友達の一人も作らずに過ごしていた。


 これではいけない、大学生になったら心の内を何でも話せるような親友を作ろうと決意していたのに。

 理想と現実に隔たりがありすぎて、同じ教授のゼミ生同士で語りあう輪にすら入れないのが悔しい。


 二回生である今年中に絶対に友達を作るんだと誓った翌日に、異世界へと飛ばされてしまったのだった。


「もやしって聞いたことがない、どういう野菜?」


 もやしの説明をすると、タオは相槌を打ちながら熱心に聞いてくれた。


忙しい両親とも、最近病気がちで気軽に遊びにいけなくなってしまった祖父母ともろくに話をしていなかったから、こんなに話をするのは久しぶりだ。


「そっか、シャキシャキで細長くて白い野菜かあ……見たことないなあ」

「豆を暗闇の中で育てないと、できない野菜だから、ですかね」

「えっ、どうして野菜を暗いところで育てるの?」

「そうすると、食べやすくなるからでしょうか……?」

「面白いね、シズキは柔らかい野菜が好きなんだ」

「そう……ですかね。そうかもしれないです」


 話をしている最中にも尻尾が振られたり、ピンと立ったりと忙しない。


 尻尾の動きに気を取られていると、怖がりすぎずに会話を続けることができた。


(話も通じるしフレンドリーだし、もしかしたら友達になってくれるかな……?)


 そっと顔を見上げた拍子に、開いた口の間から鋭利な牙が見えた。


(いや、やっぱり無理)


 急いで顔を逸らして、柔らかな口調に反して男らしい声と揺れる尾に意識を集中させた。


 恐ろしい牙を持つ虎と、友達になれるはずがない。


 タオはその後も静樹がどのように暮らしていたのか、どんな場所が落ち着くのかなどを問いかけてくる。


 静樹はその度に自室の本棚や誰もいない居間、市立図書館の自習机などを頭に思い浮かべながら、訥々と答えた。


 流石に恋人はいたのかという問いには閉口してしまった。

 何も答えられずに気まずげに目を逸らして、静かに首を横に振る。


(友達すらいないのに、恋人なんているわけない)


 純文学の本やドラマの中で恋人同士の登場人物を見るたびに、仄かな憧れの気持ちを抱くことはあった。


 けれど現実では、かわいいなと思った女子に積極的に近づこうとした試しはない。


 友達すらいない自分に恋人ができるなんて、想像すらしたことがない。

 この話題は苦手だからやめてくれないかなとひたすら顔を背けていると、タオは尻尾をしょんぼりと下ろした。


「ごめん、立ち入ったことを聞きすぎたよね? どうしても気になっちゃって」

「……いいよ、別に」

「でも声が沈んでるし、話し疲れちゃったかな? 質問攻めにしてごめんね、ゆっくり休んでて」


 タオは木の器を抱えて、のしのしと歩いて部屋を出ていった。

 扉が閉まると同時に一気に緊張から解放されて、静樹は寝台の上に倒れ込んだ。


(はあっ、怖かった……!)


 まだ心臓の鼓動が騒がしい。話の最中でも急に獰猛な肉食獣と化して襲われるのではないかと、気が気ではなかった。


 実際には何も起こらなかった上に、随分と友好的に接してくれた。

 おかげで話すのが得意ではない静樹も会話を続けることができた。


(悪い獣人じゃないんだろうな)

 虎なのに、まるで犬みたいに人懐っこい性格をしている。

 犬も怖いけれどまだ躾ができるから、猫よりは苦手ではない。


 巨大な大型犬だと思えばなんとか、一緒に暮らしていけるかもしれない……?


 静樹の人差し指の半分程度の長さがある牙を思い出し、勢いよく首を横に振った。


(アレに噛まれたらもれなく死ねる)


 今は友好的に思えても、いつ牙を剥くかわからないじゃないか。だって虎だし。


 静樹は扉まで歩み寄り、鍵がないことに落胆して寝台の中に戻った。気が休まらない……


「あ、そうだシズキ」

「はっはいいぃ⁉︎」


 突然扉が開いてタオが語りかけてきた。心臓に悪い。


「君の着替えを用意したから、置いておくね。ちょっと……だいぶ大きいと思うから、今度裾上げしよう」


 タオが広げたシャツは彼自身の物らしく、横にも縦にも大きい。牙もない上に筋肉も背丈も負けていることをありありと自覚して、絶対に怒らせないようにしようと胸に誓った。


「水浴びしたくなったらいつでもタライを貸すから言ってね。なんなら今から浴びる?」

「い……いらない、です」


 遠慮すると、虎獣人はくんと鼻を動かした後、手を振って去っていった。


「……臭うかな」

 昨日の朝シャワーを浴びて、それきりだ。緊張で変な汗をかいた気もする。

 明日はがんばって水浴びしたいと言ってみよう。


(シャワーじゃなくてタライなんだ)

 タライで水浴びなんてしたことがない静樹は、子ども用プールを思い浮かべた。

 涼しげな気候だし、風邪を引かないようにしないと。


(はあ、帰りたい……)


 静樹にとって実家は温かみのある場所ではないが、それでも静かに本を読む時間は安らぎを感じた。


 せめて本の一冊でも置いていないかなと部屋中を見渡しても、棚の中にはタオルらしき布や木のカゴが置かれているだけだった。

 諦めて寝台に入って、お腹を守るようにして背を丸めた。

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