奇怪獣の見せ物
既に外気温は褲褶では対応できないほど冷えてきている。
静樹は町で買い足した、袍と呼ばれる足元まで覆う長い丈の服を着た。
町までの道も落葉していて、いつもより歩き辛い。
慎重に歩を進めていると、タオは真剣な表情で静樹に声をかけた。
「もしも奇怪獣が町で暴れるようなことがあったら、動かないでね。やつらは動く物により引き寄せられるから」
「わかった」
チェンシー町は前回来た時と同じか、それ以上に活気があった。
秋の味覚に溢れた市場を通り過ぎて、マーロウ雑技団がいるであろう広場を目指す。
広場は大混雑していた。こんなに混んでいるところは見たことがない。
なにやら見知らぬ天幕まで建っているし、何が起こっているのだろうと驚きながら辺りを見渡していると、見知った顔が天幕の前にいるのに気がついた。
彼の方もこちらに気づいたようで、呼び込みをやめて静樹に向かって大きく手を振った。
「あ、シズキ! 来てくれたの? いらっしゃい!」
「ハオエン、久しぶり」
犬の尻尾を振りながら、彼は人混みを掻き分けて静樹の前までやってくる。
「本当に! もっと早く会いに来てほしかったなあ。ボク達はもう友達でしょ?」
「友達……!」
静樹は感動で頬を染めたが、タオは嫌そうな顔で会話に割り込んできた。
「シズキと一度会話したことがあるくらいで、勝手に友達面しないでくれる? 図々しいよね君」
「なんで? シズキは嬉しそうじゃん。いいじゃんねえ?」
喉から手が出るほど友達に飢えている静樹は、一生懸命首を縦に振って喜んでいることをアピールした。
「ほら、やっぱり友達でいいみたい」
「うぐっ……でも、一番の親友は俺だから!」
「大人気ないなあ、アンタそれでもボクより年上なの?」
「そうだよ!」
ハオエンは牙を剥き出しにして怒るタオを恐れる様子はなく、フンと適当にあしらった。
「それにしてもシズキ、どうしてボクに会いに来れなかったの?」
「あ、ごめんね? 冬支度で忙しくて」
「そんなことだろうと思った。まあボクらも忙しくしてたしね、許してあげる」
フフンと胸を張ったハオエンは、天幕の方を指し示した。
「それよりも見てよ! 今日は特別な催しがあるんだ」
「特別な催し?」
「そう、実はね……んふ、やっぱやーめた。教えない。でもとにかくすごいんだから! 特別割引してあげるから、ぜひ見ていって」
「ねえ、それってさ……」
静樹はハオエンを手招きして、屈んだ彼の犬耳に口元を寄せつつ声を潜めた。
「もしかして、奇怪獣?」
「正解! なんで知ってるの?」
「自警団の人から教えてもらったんだ。危ないから見せ物にするのはやめた方がいいよ」
ハオエンは途端にテンションを落として、わかってないなあとでも言いたげにため息を吐いた。
「危なそうなのが面白いんじゃん。それに実際には危なくないよ、ちゃーんと頑丈な檻の中に入れてあるんだから」
「でも、万が一逃げ出したりしたら」
「あーもーうるさいうるさい、その話はもう聞き飽きたよ。お客さんだって喜んでるのに、どうして逃さなきゃいけないの?」
ハオエンは犬耳を両手で塞ぎながら踵を返した。
「どうしてもって言うなら父さんに直談判してよ! じゃあね」
「あ、ハオエン……!」
彼は天幕の中に入ってしまった。券を買わないとこの先へは入れないようだ。
「タオ、駄目だった……」
「シズキが言っても駄目なら説得は難しいんじゃないかな。この件は自警団に報告をして、もう帰ろう」
「……」
落ち込む静樹を励ますためか、タオは思いついたように声を上げた。
「そうだ、シズキは前に柔らかくて長細い野菜が好きだって言ってたでしょ? 冬になって市場が完全に畳まれる前に、今のうちに探してみようよ」
「もやしを?」
「そう、それ。町に来る時はなんだかんだ薪を売ったり必要な物を買ったりするだけで、ゆっくり買い物したことなかったからさ。どう?」
「……うん」
ハオエンや町の獣人達が危険な目に遭わないか心配だが、これ以上静樹ができることはなさそうだ。
頷いて広場から離れようとしたその時、天幕の中から誰かの悲鳴が上がった。
複数の悲鳴は止まるどころか大きくなっていき、中から獣人達が飛び出してくる。
彼らは恐怖に塗れた表情で、口々に叫んでいた。
「檻が破られたぞ、逃げろ!」
「ああっ、痛い……! 腕をやられた!」
「助けて、ママー!」
異常事態を感じ取るなり、タオは静樹を腕の中に抱えて群衆から距離をとった。
広場の端まで駆けて細い路地の前に静樹を下ろしたところで、騒ぎに気づいて駆けつけたユウロンと出くわす。
「タオ! ちょうどいいところに居てくれた、お前も手伝え!」
「でも、シズキが!」
「路地の隅に隠れてりゃ大丈夫だろ。むしろここで奇怪獣を逃して森にでも逃げ込まれたら、後々コイツが危ねえ目に遭うんだぞ⁉︎」
ユウロンは金色の目をギラギラ光らせながら、タオの襟を掴む。
「俺とお前でヤツを仕留めるんだ。わかったな?」
「自警団は?」
「まともに奇怪獣と戦えるヤツらは遠征に出てんだよ、間の悪いことにな」
「……仕方ない、やるよ」
ユウロンはタオを解放すると、背後についてきていた狐獣人に命令を下した。
「うっし! おい、お前! 死ぬ気でコイツを守れ」
「はい!」
事態についていけず突っ立ったままの静樹の両肩に、タオは手を置いた。
「シズキ、しっかり隠れててね。すぐ戻ってくるから」
痛いくらいの力で肩を掴まれて、顔をしかめながらも頷いた。
「絶対に天幕の方に近づいちゃ駄目だよ!」
「おいタオ、早くしろ!」
「わかってる! そこの君、シズキを頼んだよ!」
「あ……」
あまりにも突然のことで、何も返事を返せないまま見送ってしまった。
揺れる縞模様の尻尾は、あっという間に人混みに紛れて見えなくなる。
悲鳴を上げて広場から離れていく獣人達に、静樹は恐怖を隠せずひきつった顔を向けた。
「大丈夫ですよ! 小隊長もお連れの方も、とてもお強いですから。気をしっかり保ってくださいね」
「は、はい……」
静樹と同じくらいの背丈の狐獣人に励まされて、なんとか返事を返した。
若々しい声だし獣人にしては背も低いから、きっとまだ彼は大人になりたてくらいの若者なのだろう。
(しっかりしなくちゃ、怯えている場合じゃない……!)
年下の獣人に心配をかけているなんて、情けなさすぎる。
静樹はフッと短い息を吐くと、気合いを入れて胸の前で拳を握り込んだ。
天幕から逃げ出す獣人が少なくなると、凄まじい唸り声と金属がぶつかり合うような音が、外まで響いてくるようになった。
タオとユウロンは無事だろうか。
どうか二人が怪我をしませんようにと、両手を合わせて祈る。
やがて音が止んだ。決着がついたのだろうか……?
路地から身を乗り出して天幕の方向に意識を集中させていると、聞いたことのある声の悲鳴が耳に届いた。
(今の悲鳴は……ハオエンだ!)
静樹は弾かれたように路地から飛び出す。
「なりません、まだ隠れていてください!」
「ごめんなさい、でも友達が……!」
せっかくできた友達が危ない目に遭っているのかもしれないと思うと、居ても立っても居られなかった。
静止する狐獣人を置いて、一目散に天幕の側まで駆けていく。
天幕の中は薄暗くて、外からでは様子がうかがえない。
それでも目を凝らしているうちに慣れてきて、朧げに中の様子がわかるようになってきた。
中は広い空間になっていて、衝立や飾りが床に散乱している。
中央奥には大きな檻があって、扉が開いていた。
(ハオエンは、タオ達はどこにいるの……)
視線を彷徨わせると、天幕の反対側の出口付近に複数の人影を見つけた。
あの犬耳のシルエットはハオエンじゃなかろうかと、静樹は天幕の中に身を乗り出す。
逆光になっていてわかりにくいが、ユウロンらしき人物が犬耳の少年の腕を捕らえているところだった。
「離してよ、何も悪いことなんてしてないのに、なんで捕まらなきゃいけないんだ」
「これだけの騒ぎを起こしておいて、まだ自覚がねえのか……目撃情報からして、奇怪獣は一匹じゃねえんだろう。いいから二匹目の場所を吐きやがれ」
やっぱり、ハオエンとユウロンの声だ……!
静樹は耳を澄ました。
「なんでボクがアンタに協力しなきゃならないわけ? せっかく捕らえた奇怪獣を全滅させられたら、こんな辺境まで来た甲斐がなくなっちゃうよ」
「テメェ、この期に及んでまだ世迷いごとをほざくのか」
二人は言い争っているので、大きな怪我などはしていないのだろう。
険悪な雰囲気をハラハラしながら見守る。
(タオはどこだろう……もう一匹いるって言ってたし、探しているのかな)
忘れていた危機感が再び舞い戻ってきて、静樹は路地の方へ戻ろうとした。
路地前にいる狐少年が、すごい形相で静樹の斜め後ろを指差していているのが視界に入る。
「うっ後ろを見てください、早く逃げて!」
つられて首をそちら側に向けると、血の匂いと肉が腐ったような腐臭が鼻を掠めた。
生温かい空気が這い寄ってきて視線を上げる。
そこには見たこともない醜い異形の生物がいた。
静樹の三倍はありそうな背丈の丸いシルエットは、太った豚のようにも見える。
青紫色の皮膚はぶよぶよとしていて、傷口からは鮮血がいく筋も滴り落ちていた。
赤く濁った瞳孔が、静樹の姿を捉える。
動いたら襲ってくるかもしれない。動かないでおこうと頭では思うのに、身体が勝手に震えだす。
奇妙な、けれど素早い動きで太い足を踏み出した奇怪獣は、静樹に向かって丸太のような手を振り上げた。




