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起きたらすぐ失神した

 扉の向こうに、毛むくじゃらの巨大な動物がいる……!

 紺野静樹こんのしずきは息を潜めて、木の扉の間から謎の生物を見つめていた。


(二足歩行の虎に見えるけれど、服も着ているしやたらとリアルで、着ぐるみには見えない……怖い、なにあれ)


 人のように二本の足で立つ虎は、褲褶こしゅうと呼ばれる服を身につけていた。

 襟が大きく開いた短い上着を帯で留め、膝下までのズボンから足首までを足巻きで覆う衣装だ。


 エプロン代わりだろうか、前掛けまでつけて鼻歌を歌いながら料理をしていた。


 雪色の毛皮に黒い模様の入った姿は、顔も虎なのに表情豊かで、どこか楽しそうな雰囲気が漂ってくる。


 よくできた合成画像のようだ。

 静樹の頭一つ分以上高い背丈を恐々と見上げると、ペロリと長い舌で鼻を舐めた拍子に、鋭い牙がのぞいた。


「ひ……」


 本能的な恐怖に身慄いして一歩後退する。


 静樹は自他共に認める怖がりだ。特に牙のある動物に対しては、見ただけで震えるほどの恐怖に見舞われてしまう。


 元々引っ込み事案だし、大きな音や騒がしい場所は苦手な性質をしている。


 それに加えて小さい頃近所の猫に思いきり噛まれてしまい、傷跡が残る程の怪我をしたことで完全に動物が苦手になった。


(嫌だ、怖い、噛まれる……というよりも、あの大きさなら喰われる……!)


 傷跡のある右腕上腕を押さえながら、息を殺す。

 しかしすでに遅かった様で、先程静樹が漏らした微かな悲鳴が聞こえたのか、虎獣人は白い三角耳を扉の方へと向けた。


 続いて首も静樹の方へ振り返り、縦に長く瞳孔が開いた青色の瞳が、怯える黒髪の青年を視界に捉える。

 虎獣人は凶悪な口の端を釣り上げて、牙を剥き出しにした。


 静樹を捕らえようと駆けてくる虎男が、スローモーションに見える。身動き一つとれずに足をガクガクと震わせていた。


(僕の人生も最早ここまでか……ああでも嫌だっ、虎に喰われて死ぬなんてめちゃくちゃ痛そうだっ!)


「わあああぁー!」


 焦りと拒否感、恐怖心でパニックになって大声で叫んだけれど、恐れたような痛みは襲ってこなかった。


 モフッと柔らかな毛皮が頬に触れる。白くて柔いそれが一瞬何かわからず、混乱して頭上を見上げた。


 恐ろしい肉食獣の顔が、すぐ目の前まで迫っている。大きく口を開けた虎獣人が、ニンマリと瞳を細めた。


(ああ、もうダメだ……さようなら今生。次回の生では突然大学の床下が抜けて、二足歩行の虎と出会うなんて珍奇な出来事が起きなければいいな)


 あまりの恐怖に意識が遠ざかっていく。

 先程のモフッは彼の胸板あたりの毛に顔が触れたんだなと理解したのを最後に、意識がフェイドアウトした。


「あれ? せっかく起きたと思ったのに、また寝ちゃうの? おーい、人間さーん……」



*****



 ハッと目を開けると、静樹は寝台の中にいた。ろうそくの光が暗い部屋を照らしている。


(ろうそくって……電気は? そもそもここはどこだっけ)


 心臓をバクバクさせながら視線だけを周囲に巡らせていると、三角耳のシルエットが静樹に覆い被さってきた。


「あ、起きた」

「ふおぁああわあぁー⁉︎」

「うわ、大声出さないでよ。耳が痛くなっちゃう」


 手の甲まで毛皮に包まれた指が、獣の耳を塞いでいた。

 目を白黒させながら上半身を起こして後ずさると、彼は乗り出していた体を寝台の隣に置かれた椅子の上に戻す。


「よかった、元気そうだね。君は泉の畔に倒れていたんだよ」


 虎獣人は瞳孔の細い目を興味深げに丸く見開き、静樹に笑いかけた。また獰猛な牙が眼前に晒されて気が遠くなる。


「お腹空いてない? お粥を用意してみたんだけど、食べられる?」


 恐ろしすぎて物を食べるどころじゃない。

 小刻みに首を横に振ると、虎男は残念そうに持っていた木の器を隣のテーブルの上に戻した。


「じゃあ、ちょっとお話しようよ! 俺はタオ、白虎の獣人だよ。人間さんの名前も教えて?」


 名前を要求されているのはわかったけれど、ちょっと待ってほしい。

 あまりにも心臓の鼓動が速くて、呼吸も切迫しているし、上手く喋れる予感が微塵もない。


(だって、目の前に、虎が。おり越しじゃなくて、虎が……! いるっ!)


 立って話して料理を作る虎なんて、見たことも聞いたこともない。

 実は静樹はとっくに死んでいて、これは死ぬ間際に見ている悪い夢なのだろうか。


 いつまでも無言でいると、虎獣人は瞳を悲しそうに伏せた。

 虎顔なのにこんなにも感情が伝わってくるなんておかしい。ますます現実のことではないかのように思えてきた。


「ねえ、どうして何も言ってくれないの? ひょっとして、喉に怪我でもしてる? それで話せないのかな」


(リアルな夢だなあ、どうせなら、喋る動物のぬいぐるみだったらよかったのに。そしたら怖くなかったんだけどな)


 現実逃避に精を出していると、虎獣人がおもむろに手を伸ばして、静樹の首筋に触れてきた。


(待って。死ぬ)


 ぷにっと桃色の肉球らしき感触が当たって慄いた。人間の指より太くて、指の腹と手のひらにあたる部分がぷっくりと膨らんでいる。


 肉球で皮膚の様子を探られて息を飲んだ。

 猫科の動物だし、指先に圧力が加わったら鋭い爪が飛び出すかもしれない……!


 痛いのは嫌なので身体を動かさないようにしたかったが、どうしても震えてしまう。


「外側はなんともなさそうだけど……震えているね、ひょっとして寒い?」


 登校した時と同じ長袖の黒シャツと紺色のチノパンを着ていて、別に寒くはない。

 顔を横に振ると、ホッと一息吐かれた。


「だったらどうして……あ、もしかして緊張してる? 大丈夫、虎獣人は好戦的な人が多いけど、俺は戦うことがそんなに好きじゃないんだ。君を屈服させる気はないよ」


 凶暴すぎる見た目と違って声は穏やかだ。

 目の前の虎から発せられているのでなければ、聞き惚れるくらい響きのよい朗らかな男の声だった。


「こんなに可愛い人間さんを、襲ったりなんてしないからね! むしろ仲良くしたくてたまらないんだから」


 タオは身振り手振りを交えて力説する。

 大げさでコミカルな様子を眺めていると、やっと話をまともに聞く余裕が出てきた。


(僕を襲う気はないって……? もしかして助けてくれたのかな)


 大学の床が抜けて落ちた先は、杉のような針葉樹林の中だった。


 鬱蒼とした夜の森は視界が悪くて一歩も動けず、聞いたことのない物騒な獣の声に恐怖しながら、そのまま木の根元で疲れて寝てしまった。


 そして起きたら寝台の中にいたのだった。

 静樹は改めて室内を見渡した。


 木で作られたログハウスは暖かみが感じられ、手作りの家具は素朴な雰囲気がする。

 虎獣人サイズらしく、何もかもが大きい。


 生活ぶりを見る限り、人間と同じような知能や理性が存在しているように思える。


 どうやら目の前の虎獣人は悪い人……獣人? ではなさそうだ。


(とにかく見た目が怖すぎるけど)


 タオの方を直視しないように目を伏せながら、静樹は勇気を出して声を振り絞った。


「名前……紺、野……静樹、です」

「あっ喋ってくれた! 聞きとれなかったから、もう一回お願い!」


 唇をわななかせる中で発した声は聞き辛かったらしく、虎獣人は顔を寄せてくる。

 やめて怖い離れてと内心叫びながら、震える声を大きくした。


「静樹、です……!」

「シズキ……すごい、名前までかわいい! シズキ!」


 虎獣人は興奮して抱きついてきた。


(うびゃああぁやめて離れて無理っ怖いぃー!)


 あまりの事態に発声すらままならずに、歯がカチカチと音を立てる。

 タオはあろうことか、シズキの頭に頬ずりをしてきた。


(ひぇっ……)

「いい匂い! 肌もすべすべだしとってもかわいいなあ。俺、いつか人間を保護するのが夢だったんだ。シズキを見つけられて、ほんっとうに嬉しいよ!」


 ゴロゴロと鳴る喉の音が、地獄の門から奏でられる死への誘いのように感じられる。


 またしてもショックで血の気が引いてきたが、タオは話ができるほど理性的な生き物だと気づいたことで、今度は気絶するまでの恐怖を抱くことはなかった。

 なんとか意識を飛ばすことは避けられた。


 だがそれにしても怖すぎる。昔噛まれた右腕の古傷が、ジクジクと痛むような気さえする。


(ああぁ……っ、牙が、今まさに、僕の頭の真上にある……っ!)


 頭を守ろうと顔を伏せ手で抱えこむと、白虎は顎の置き場をなくしたせいか離れてくれた。

 海色の瞳が静樹を見下ろしながら、いきいきと輝いている。


「心を込めてお世話をするからね。いつまでもここにいてくれていいよ!」


 ありがたい申し出なのだろうけれど、命の危険を感じた状態のままでは、死刑宣告にしか聞こえなかった。


(二足歩行の虎と一緒に住むなんて恐ろしすぎる! なんとかして外に出て……)


 静樹がそこまで考えたところで、タオは爆弾発言を投下した。


「というよりも、勝手に外に出ちゃダメだよ。森には奇怪獣きかいじゅうもいるから、君みたいに身を守る毛皮も爪も牙もない人間だと、あっという間に食べられちゃいそうだからね」


 どうやら外に出られたとしても、死亡フラグが立っているようだ。

 奇怪獣という響きだけでも、おどろおどろしい生物なのだろうと想像できる。


 夜中の森で聞いたおどろおどろしい声を思い出し、血の気が失せた。

 見た目が凶暴な虎獣人と一緒にいる方が、まだ安全なのかもしれない。


(ここでお世話になるしかないのか……この、恐ろしい牙を持つ虎に……)


 静樹が勝手に怖がっているだけで、彼は親切に接してくれている。

 きっと食べられたり噛みつかれたりはしないはず、大丈夫だと自分に言い聞かせた。


 浅い息を繰り返していたのを、意識して深呼吸に切り替える。

 何度も息を吸って吐いて、やっとまともに声を発することができた。


「……ありがとう、ございます。よろしくお願いします……っ」

「こちらこそよろしく、シズキ!」


 親切な虎獣人はシズキの手をとって握手をした。

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