どうして私はコーヒーを好きになったんだろう
しいな ここみ様主催の
『フェイバリット企画』参加作品です。
概要はこちら!
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どうやら、私はコーヒーが好きらしい。
毎日コーヒーを飲むようになって、いったい何年がたっただろうか。
子どものころから現在に至るまで、コーヒーを飲まなかった日なんて、両手で数えられるほどしかないと思う。
傍から見れば、私は無類のコーヒー大好き人間に見えるのだろう。朝、通勤の前に一杯。昼、食事の後に一杯。だいたいこの時間は確実に飲んでいる。それ以外にも、隙あらば複数の水筒に入れたコーヒーをちょっとずつ飲むような毎日だ。
私自身も、コーヒーの無い日常なんて考えたことがなかった。特に朝のホットコーヒーがないと、仕事だろうと遊びだろうと、何をするにつけてもテンションが上がらなくなってしまう。もし、現在の文明が崩壊してコーヒーが飲めなくなってしまったら、一ヶ月以内に頭がおかしくなる自信がある。
じゃあやっぱりコーヒーのことが大好きなんだ、と言われると、なんか違和感を覚えてしまう。
味や香りが好きというわけでもなし、飲んだあとの頭が冴えた感じが好きというわけでもなし、飲んでる時の落ち着いた雰囲気が好きというわけでもなし。
なのに毎日飲んでいるし、自宅には豆から全自動で抽出できてカプチーノも作れる御大層なエスプレッソマシンまである。そして知らない土地に行った時は、もれなくコーヒー豆を販売している店をチェックしている。
……あれ、これって依存症? カフェイン中毒ってやつ?
いやいや、私とコーヒーはそんな爛れた関係ではないはず。
この『フェイバリット企画』を機に、私とコーヒーの関係が始まったきっかけは何なのか、私はコーヒーのことが本当に好きなのか、検証してみることにしよう。
一番古い記憶にあるのは、コーヒーではなく緑茶だった。
私の祖父母は大のお茶好きで、三食の合間にはいつもお茶を飲み、お菓子を口に運んでいた。
幼稚園に通っていたころまでは、祖父母の家に行くことが多く、そのたびにお茶とお菓子をいただいていた。
もちろん、急須で淹れた熱い緑茶である。このころから私の頭は濃厚なカフェインに晒されていたのだ。ついでに塩辛い味のせんべいをよく食べるようになったのも、この時のせいだろう。
そして、私の父は喫茶店でコーヒーを飲むのが好きだった。家にいる父はそれほどコーヒーを嗜んでいた記憶がないけれど、父はコーヒーそのものより、喫茶店の雰囲気が好きだったんじゃないかと今になって思う。
父と一緒に外出した時は、ほとんど毎回、道中で喫茶店に寄ることになった。
私としては、早く帰ってゲームしてーなあ、と思うときもあったけど、なんだかんだコーヒーを飲みつつ父と話をしていた時間に、悪い記憶はない。父はいつもブラックでコーヒーを飲んでいたので、私も自然にブラック党に染まっていった。
さて、いよいよ中毒者疑惑が濃厚になってきたところで、私自身はコーヒーとどう過ごしてきたのか考えてみる。
小中学校と、私は勉強の時によくコーヒーを飲んでいた。ただしこの時はブラックではなく、パックに入ったコーヒー牛乳だった。
理由は、冷蔵庫を開けたらだいたい1パックは入っていて、適度に甘くて、なんだか頭が冴えたような気がするから。1パック飲んだら、もうその日の勉強は終わり、という妙な自分ルールを設けていたような気がする。
日常的にブラックのホットを飲むようになったのは間違いなく高校生からだろう。なんせ校舎の中に、紙コップのホットコーヒーが出てくる自販機が設置されているのが良くなかった。
勉強がどんどん難しく、そして楽しくもなくなってきた当時は、コーヒーの力を借りてなんとか体を机に向かわせていた。そのうち自宅でも、インスタントコーヒーの瓶を自分で買って使うようになる。教科書を置いた机の右上に、コーヒーカップが当然のように居座っているのが常だった。
それから大学、就職と至るまでの過程で、現在のような日常ルーティンが確立していったのだ。
……やっぱり中毒者じゃないか。
一瞬絶望が襲ってきたけれど、ここで私はあることに気がつく。
これまでの人生、好きでコーヒーを飲み続けたわけじゃなかった。じゃあ本当は飲むのが嫌なのか、止められるのなら止めたいのか。
答えは明らかに、ノーだ。
なぜなら、コーヒーは私の人生でいつもそばにいたのだから。
確かに気合を入れるため、気持ちをリセットするため、困難を乗り越えるためにコーヒーの力を借りていた感は否めないけど、それでも毎回毎回薬のようにコーヒーを飲んでいたわけじゃない。
特に社会人になってから、私はコーヒーの楽しみかたがわかってきたような気がする。
遠出をした高速道路のサービスエリアで、自販機のいつもと違うコーヒーを飲むと、ああ、ずいぶん遠くまで来たなぁ、としみじみ感じられる。
たまに好奇心でめちゃくちゃ高いコーヒー豆を買ってエスプレッソマシンに放り込んでみると、おっ、やっぱり違うな、と嬉しくなる。
仕事がとんでもなく忙しかった時、疲れ切った体に黒い液体を流しこむと、へっ、乗り切ってやったぜ、とわけもなく勝ち誇った気分になる。
正直なところ、私はコーヒーの味や香りが詳しくわかるわけじゃない。せいぜいなんか違うと感じるくらいだ。でも、コーヒーを楽しむにはこれで十分なんだろう。
これはまるで、近所に住んでいた幼馴染の子を、長い期間苦楽をともにしていたら、いつの間にか好きになってしまっていたという、熱いシチュエーションじゃないだろうか?
つまり、『フェイバリット企画』でコーヒーについて思いを巡らせているうちに、私ははじめてコーヒーのことが本当に好きだったと気がついたのだ。
コーヒーよ、これからも私とともに行こう。あなたのいない世界など考えられない。あなたは戦友であり、そして家族なのだから。
という珍妙な文章を書き終えた私は、急にのどの渇きを覚えて、マグカップに残っていたコーヒーをぐいっと飲み干した。
うぇ、苦っ。
数時間放置されていたコーヒーはすっかり不機嫌になってしまい、強い苦味を舌に残して行ってしまった。
あーあ、なんでこんなやつ、好きになっちゃったかなぁ……。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。