06-2
カイは、二人の背後から恐る恐る通りを見やる。
「地上まで案内を。でも、いいか、危険だから神殿からは絶対に出るなよ」と、クロウは言った。
けれど。
通りに佇んでいたのは見覚えのある人。
大切な家族の姿。
「ファト!」
「待て!」
カイの歓声とクロウの制止が重なる。
クロウは手を伸ばしたが、その手を振りきりカイは駆け出した。
姿を現した養い親に向かって。
ああ、ファトだ。ファトなんだ。
手にしていた箱を手放し、歓喜に満ちた表情を浮かべ、伸ばされた腕にそのまま飛び込む。すると、馴染み深い香りにカイはファトに顔を埋めた。
「―――ファト」
この存在がファトであることを確かめるようにカイはその名を呼んだ。
……けれど。けれども。だが、しかし。
なんだろう。
どこか。
おかしい。
違和感―――
そうだ、これは違和感だ。
いつも優しいファト。
抱きつけばいつも撫でてくれる手。
温かく包んでくれる熱。
それが―――
感じられない。
「カイ、離れろ!離れるんだ!」
その違和感を意識してしまうと、今まで聞こえなかったクロウの声がカイの耳に届いた。
「クロ……―――!」
クロウの名を呼ぼうとしたカイだったが。
ぞくりっ。
体にはしった悪寒。
体を巡った痛み。
「痛っつぅ……」
首筋に感じる冷たい感触。
カイは腕の中に捕らわれた。
カイは事態に囚われた。
ファトが手にしていたのはナイフ。
そして、それは今―――カイの首筋にあてられている。
ファトがどうして……
感じたのは底知れぬ恐怖。
ああ、これが、
夢ならば、よかったのに。
悪夢ならば、まだ、よかったのに。
ファトの腕の中、カイは呆然とするしかない。セフィアもクロウもあまりの事態に手が出せずにいる。
そんな中―――
「ククッ、また会ったな。神子殿」
ファトの背後から、聞きなれない声が響いた。
神子? セフィアのこと?
カイは声の主を視界に納めようと体を動かす。それに合わせて強まるファトの力ともう一つ振ってきた声。
「逃げようなんて考えるなよ。あいつ等を始末したらお前も村の奴らみたいに楽にしてやるから、さ」
この声にはカイにも覚えがあった。クロウを襲った嫌な奴。
「『宵の誘い』! それに、『真夜中の戦慄』まで!」
ファトの背後に立つであろう二人に向けて、クロウが声を張り上げる。
「ほう、『誘い』の言ったように、本当に裏切り者は神子と手を組んだらしい」
クツクツと『戦慄』が笑った。
「おいおい、『戦慄』お前、俺の言葉信じてなかったのかよ!」
それに対し、気分を害したらしい『誘い』。
いや、実際、『誘い』の気分は最悪だ。傷が癒えないまま、理不尽にも連れ出されたのだから。
「仲間割れは別に構わないんだけどさ。カイを離せ。そして、村人も解放しろ」
二人のやり取りを見せいたセフィアが、カイに大丈夫だと微笑みかけ、そのやり取りを遮った。
『戦慄』はまたクツクツと笑い、ファトの後ろから一歩、前に出る。
『誘い』が纏っていたのと同じ黒いマントがひらめいた。
「相変わらずの様で、うれしいぜ。神子」
「お前は相変わらず変態のようだな『戦慄』」
「おや、神子殿にその名を呼んでもらえるとは、至福の極み」
「はん、いっそのこと『真夜中の変態』にしたらどうだ?」
「ギャハハハハハ―――こりゃ、いいや。傑作だ!」
大声をあげ笑う『誘い』。その拍子にファトを操る力が弱ったのか、ファトの腕の力が弱まる。
もぞりっ。
カイは身動ぎをした。もう少しで抜け出せそうだ。
しかし、そこで『戦慄』が振り返った。
フードから覗くのは鋭い眼光。紫紺の冷たいその視線に、カイの体は一瞬にして強張った。
動けない。
否。
動きたくない、のだ。
その眼に、敵として映るのが怖い。
「『誘い』は相当命が惜しくないとみえる」
殺気を含んだ視線。
「あれ、『戦慄』はお気に召さなかったのか?」と、その視線を至極楽しそうに受け止めて『誘い』も一歩前に出る。『誘い』は『戦慄』とやりあう機会が出来て嬉しそうだ。
だが、カイは、
怖い。怖い。怖い怖い怖い―――
怖くて、怖くて、たまらない。
殺気に当てられ意識が錯乱する。
と。
「動くな!」
ク――ロウ―――?
響いたのはクロウの声。
朦朧とする中、声の方へ意識を向けると、『誘い』の首筋にピタリとナイフを当てたクロウの姿がある。
「なかなかやるな、裏切り者も。俺たちが互いに気を取られている間に背後に回り込むとは」
「ギャハハ、それこそ裏切り者の考えそうなことだぜ」
首筋に刃物が当てられているというのに、緊張感なく『誘い』が笑う。
「黙れ!形勢逆転だ。早く皆を解放しろ!」
「いんや、黙らねぇし、その申し入れは受け入れかねるぜ。あれか、あれなのか?このくらいで自分たちが有利に立ったと本気で思ってるわけ?」
「…………」
「別にいいけどよぉ。やってみる? お前が俺の首を掻っ切るのが先か。そのおっさんがあの坊主の首を掻っ切るのが先か。言っとくけど、他の奴らに力回してない分、こいつの反応速度は速いよ」
カイを拘束しているのは養い親だというファト。
もし、『誘い』を仕留め損ねれば、カイも、ファトも、きっと癒えない傷を負うだろう。肉体的にも。精神的にも。
迷いは一瞬。
だが。
その一瞬が命取りだった。
ガッ!
「――――――!」
隙をついた『誘い』の肘がクロウの脇腹を打つ。
クロウの腕の拘束が緩み、『誘い』はクロウの手にあったナイフを奪い取ると、それを慣れた仕草で放った。
風をきりナイフが飛ぶ。
風の渦をつくり吸い込まれるようにナイフが刺さったのは胸。
カイの―――胸だった。
カイは、驚きに目を見開いたまま動かない。
痛みに。
体中を駆け巡った嘆きに。
クロウは叫び声をあげた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「ほお、裏切り者にあのお姫様と同じくらい大切な者がいたなんてな」
感情を隠そうともしないクロウに、一部始終を見ていた『戦慄』は目を細める。
「ホントだぜ。あいつがあんなに取り乱すところなんて、見るの初めてだぞ。まあ、こっちとしては殺り易くて良いけどな」
クロウの拘束から逃れた『誘い』が『戦慄』の横に並ぶ。
そして、間を置かず。
「殺れ」と、『誘い』はファトに指示を出した。
ドサッ。
ファトは動かなくなったカイの体をなんの感慨もないかのように離す。カイの体は支えを失い、力なく地に落ちた。
舞った土埃が微かに視界を悪くしたが、崩れ行くカイの体から目を放すことがなかった、否、目を放すことができなかったクロウは、状況も省みず駆け寄ろうとする。
「―――カイ!」
カイだけを視界に捉え、カイだけに駆け寄ろうとするクロウ。
クロウだけを狙い、クロウを殺すことだけに意識を向けるファト。
クロウはもうカイだけしか見えていない。
ファトはもうクロウを間合いに捉えている。
二人が交わる交差点。
ファトは先ほどまでカイに向けていたはずのナイフを、クロウの急所に向け、突き刺した―――
キイィィーン!
金属音。
次いで。
重量のあるものが倒れる音。
「俺を忘れてもらっちゃ困るね」
地に倒れたのはファトの方。地に伏したファトの手から、ナイフを拾い上げ、挑発するような目を『誘い』と『戦慄』に向けたのは―――
セフィアだった。
「へえ、あんたはクロウみたくあの坊主なんて気にしてないわけ?」
「何とでも好きに言えばいいさ。俺は俺のやるべきことをするまで……二人まとめて相手になるぜ」
「ふん、面白い。もう日も暮れた。夜の領域で俺たち二人を相手に戦うだと?」
『戦慄』の言葉通り、もう日は暮れ、辺りはだんだんと闇に包まれてきている。けれど、ここでセフィアは引くわけにはいかない。
カイはもういない。それでも、カイとの約束は必ずだ。そして、何よりもう一人―――今の状態のクロウを放っておけない。クロウはもうすでにセフィアにとって仲間、なのだ。
「ああ、二人まとめてかかって来いよ」
手に汗が滲む。
けれど。
仲間のため。
そう決意を固めたセフィアに怖いものなどない。
「そうでなくては楽しくない。『誘い』、神子は俺が殺る。お前は手を出すなよ」
力強いセフィアの目を見て、『戦慄』は満足そうに剣を構えた。
「って、言われても俺もそいつに借りがあるんだけどよぉ」
納得いかない様子の『誘い』。
「手を出すなよ」と、『戦慄』は念を押す。
「あー、はいはい、わかりましたよ。じゃあ、俺はあの腑抜けた裏切り者でも始末してくるかな」
「させるか!」
折れた『誘い』は、クロウの方に足を向ける。
それ阻もうと身を翻すセフィアだったが、
「お前の相手は俺だろう?」
セフィアの前で剣を構える『戦慄』がその行く手を阻んだ。
ちっ、とセフィアは舌打ちをする。
そして、心強い仲間の名の空に向かって口にした。
「ウィン! クロウのことを頼む」
ピィーキュゥルル
鳴き声と共に一羽の隼が『誘い』の行動を遮るように舞い降りた。
それを見届けて、セフィアは『戦慄』に向き直った。
「カイ! カイ! しっかりしろ!」
心の臓を貫かれ冷たくなっていくカイの体を抱え、クロウは呼びかけ続けた。
背後ではセフィアが一人、敵と応戦しているが、クロウにはもうどうでもよかった。
本当に大切なもの―――一人の少女を助けるために始めた旅が、もう一人大切だと思えるようになった少年を失う結果で終わるのかと思うと、クロウは遣る瀬無かった。
「カイ! 死ぬな! 死ぬなよ」
必死に呼びかけ続けるクロウ。
あの子に似たあの笑顔が見たかった。
あの子に似たそのぬくもりが愛しかった。
あの子に―――
「大丈夫だよ―――」
後悔の念が渦巻く心に響いたのは、大切な少女のあたたかい声。
クロウが悲しみに歪む顔をそっとあげれば、月の光を思わせる銀の髪を持った少女が立っている。クロウは幻でも見たような目でその姿を見た。
「―――セレ?」
月の光が見せる幻か。
いつの間にか日が暮れた空には、満月が昇っている。
クロウは、月を視界に納め思う。
それでもいい。
大切な義妹が目の前に立っている。カイを失った悲しみを癒してくれるのは、天秤のもう一片―――同じくらい大切なこの少女しか有り得ない。
クロウは藁にも縋る思いで、少女の名を呼び、手を伸ばした。
「セレ」
月の光が見せる幻は、そっとその手をとった。
けれど―――
握らせたのはカイの手だった。
「大丈夫。大丈夫だよ。クロウ義兄さん」
耳元で少女の声が響く。
「この子は―――、この子の光は、いつの日も世界を包んでくれるものだから―――」