06-1 月光
翌日。夜明けと共に《薄明かり》の町を出発し、《始まりの誓い》の村に到着したのは、太陽が南より西へ少し傾きかけた頃だった。
通常なら昼食を終え、夕食の準備が始まる頃。通りには食欲をそそる香りがたち込め始める時刻である。
しかし、『誘い』の手の内に落ちた村は芳しい香りはおろか、人の話し声、鳥のさえずりさえ聞こえない。
辛うじて。本当に辛うじて耳に届くものはといえば。
呻き声、だけ。
いつ何が起こるかわからないという緊張感のもと、村に足を踏み入れた三人は、村の状態に唖然とした。カイにいたって、クロウのマントに包まり、身を隠すように耳を塞いでいる。
「おいおい、これじゃ、まともなはずの俺達まで気が狂いそうだぞ」
「そうだ。気を付けないと、私達まで引き釣りこまれない」
「いや、冷静にそんなこと言われてもな……」
そう言いつつ、セフィアはクロウのマントからカイを引きずり出す。
「―――だとさ。カイ、お前がシャキッとしなくてどうするんだよ」
「でも……」
「でも?村の奴らを助けたいって言ったのは、どの口だ、おい」
むにっ。と、セフィアがカイの頬を引っ張る。
これが彼なりの励まし方なのだろう。
「いひゃい。いひゃいよ、セフィア」
そう言って、カイが手をばたつかせる。
手加減はしているつもりようだが。
それでも、痛い。
「放して欲しいなら、シャキッとしろよ。シャキッと」
「する。するから」
「よし、約束だぞ」と、約束したところで、セフィアはやっとその手を放す。赤くなった頬に手をやるカイの頭を撫でながら、黙って様子を見ていたクロウに目をやった。
「それにしても―――」
「何だ?」
「いや。俺は、荒々しい歓迎を予想していたんだが……」
「『誘い』か?今は昼間だ。その上、お前自身が負わせた傷もまだ癒えていないだろう。おそらく、夜にならないと姿を現すことはない」
「そうか。じゃあ、村人にかけた呪縛を解かせるのは後回しか。悪いな、カイ。そういうことだ。今は先に案内を頼む」
「セフィアが村の皆を助けるのに力を貸してくれるの?」
「なんだ。この状況を見捨てておけるほど薄情に見えたか?」
「……違うけど」
《薄明かり》の町の一件で、カイは十分セフィアの凄さを知っている。だからそんなことは思うはずがない。けれど、その優しさが嬉しいと同時に切ないのだ。自分がしてもらったことと、自分がしてあげられることの差異が大きすぎて。
「俺はホルスの神子だ。ホルスの大切な民を見捨てられるわけないだろう?だから、余計な心配はしなくていい」
「うん。ありがとう、セフィア」
代わりにカイは精一杯の気持ちを込めて礼を言った。
「―――クロウもお前ほど素直なら良いのにな」
クロウがその言葉に眉を顰めるのが見える。けれど、セフィアは気にしていない様子で、もう一度カイの頭をクシャリと撫で、手を差し出した。
「行くぞ」
「うん!」
南北にまっすぐ伸びる大通り。それをまっすぐに行けば、村の中心、神殿へと到着する。クロウの言った通り、昼間に『誘い』は動かないらしく、無事に神殿まで到着できた。
けれど、小さな神殿―――と言ってもセフィアの場合ウジャト神殿と比べてしまっているため、どうしても小さいと表現せざるを得ないのだが―――の扉に手を掛けかけた時、カイの足が止まった。次いで、後方についてきていたクロウを見やる。
「―――どうする?」
「大丈夫だ。セトの加護など当の昔に捨てている」と、クロウは頷く。
「ああ、なんだ。そのことを心配してたのか?そんなに心配なら、ほら―――」
チャリンッ―――
金属音をたててセフィアがクロウに差し出したのは、自身が身につけていた装飾具。金の輝きを放つそれには太陽と月が模されている。
「これは?」
「ホルスからの貰い物」
「ホルスからの?」
「そう。所謂お守りみたいなもんだな。まあ、あれだけの啖呵きってたお前には、必要ないものかもしれないが、ホルスの加護の証みたいなもんだから。カイも心配しているし、一応つけとけよ」
クロウはカイの様子を窺うと、それを受け取り首から提げた。黒を基調としたクロウの服には、白を基調としたセフィアの服とは違った意味でその金がよく映えた。
「これで、いいのだろう?」
「うん。よく似合ってるよ、クロウ。じゃあ、改めて開けるね」
満足そうにカイは扉に手を掛け、扉を開いた。
神殿の内部。
特に宝物庫へ至る道筋は複雑だ。それは一重に歴史的、文化的遺産の盗難を防ぐためであるのだが、この小さな神殿のどこにこんなに多くの仕掛けが成されているのか不思議なくらい《始まりの誓い》の村の神殿の造りは複雑だった。
もしかしたらウジャト神殿の仕掛けに引けを取らないかもしれない、とさえセフィアは思った。
同時にカイの同行を許可したことが、ここまで功を奏すとは思っても見なかった。
大聖堂にある仕掛け扉。
迷路のような道筋。
右。左。左。と、始めは道筋を覚えていたセフィアも角を曲がる回数が増えるにつれ、それは意味を成さなくなっていく。わかるのはどうやら地下に向かっているということと、段々と近付くホルスの神気だけである。
「ホルスの神気が強まっていく。この先か……」
「うん。この角を曲がれば、宝物庫だよ」
角を曲がると、視界に飛び込んできたのは重厚な造りの扉。
カイは迷わずそれに手を掛ける。
物々しい造りの割に扉は子供の力でも簡単に開いた。
そのあっけなさに呆然としている、と。
宝物庫の中から溢れ出す、神子であるセフィアだからこそ見える神気。
朝日のような輝きを放つ帯。
通常なら窓もなく、換気口もない宝物庫はかび臭いはずなのに、その空気は澄んでいる。
その神気を放っているのは一つの箱。
扉を開くや否や目に飛び込んでくる位置に配置されたそれ。
セフィアは一変、息を呑んだ。
「―――強いホルスの神気が宿っているな」
「でも、開ける方法がわからないんだよ」
セフィアが箱を手にするのを戸惑っていると、カイは代わりにクロウにそれを差し出した。
「確かに鍵穴がないな―――セフィアは開け方を知らないか?」
一通り目を通したクロウが、今度はそれをセフィアに渡す。
「いや、ホルスは何も言ってなったと思うが。何か特別な鍵があるのか、あるいは―――」
「中身がどうのと言うよりこの箱自体が〝鍵〟または〝瞳の一部〟という可能性もあるな」
「ああ。何にせよ、これが見付かったときの状況、そしてこれだけ強い神気。この箱が太陽の瞳に関わる物であることは疑う余地はないさ」
そう言って、セフィアはその箱をもう一度カイの手に戻す。いくら神子であるセフィアでも、長くこの神気に触れているのは辛かったのだ。
それにしても。
と、セフィアは思う。
神子である自分でさえも長くは触れていられない強い神気をカイはなぜあんなに平然と受けていられるのか。
通常、神気を意識的に感受できる者は少ない。けれど、意識しなくても神気は人に影響を及ぼす。例を挙げれば、ホルスが懸念していた月の瞳の影響もその一種だ。純粋な子供、神官や神職者はそれが神気だと気付かなくとも、ある程度それに触れることは平気だ。だが、仮にそうだとしても、カイの場合は異常と言っていい。
セフィアはもう一度確認するように箱を手にするカイに目を向ける。
と、その時。
ドゴオオ―ン!
「――――!」
響いたのは鐘の音?
いや、何かが違う。
「地上で何かが起きている」
クロウが眉を顰め言う。
「そのようだ。『誘い』が動き出したのか……急いだ方が良いだろうな」
「ああ、わかっている。カイ―――」
セフィアに答えながらクロウがカイに手招きをした。
「なあに?」
「つけていろ」
クロウがカイの首から通してやったのは先ほど、セフィアから借りた宝飾具だった。
「クロウ、これは……」
「私は大丈夫だ。だから、お前がつけていろ。ホルスの加護がきっと守ってくれる」
クロウは微笑むとそのままカイの手を引く。
「地上まで案内を。でも、いいか、危険だから神殿からは絶対に出るなよ」