05‐1 家族
光に包まれたあたたかな空間をカイは漂っていた。
「ここは……?」
「ここは、世界の深層―――自らの根源を知る場所」
光に溶け合うように響いた優しい声。あの箱から聞こえてきたものに似ている。
「自らの根源を知る?」
そう―――
君は自らを知り、
そして。
目覚めなければならない。
ガバッ―――
言われた瞬間感じた浮上感にそのまま身を任せれば、一気に意識が浮上した。
自分がいたのはベットの上で、カイは訳がわからず辺りを見回す。
「ここは……?」
口をついたのは、先ほどと寸分違わぬ言葉。
だが。
自分がいるのは―――
「ようやくお目覚めか?」
混乱する頭でカイは声のした方に顔を向けた。すると、窓辺に置かせたソファでクロウが書物を読んでいる。
「あ、う、えーと」
自分の置かれている状況がわからず、カイは答えに詰まった。
よくよく思い出してみれば、自分は寝て―――
「って、あの女の人!あの女の人どうなったの!」
「何だ、騒々しい」
問い掛けに答えた声は後方から。訳もわからず振り返れば。
「あー、お前やっと起きたのか」
「って、えええええええええ!」
タオルを手に、髪から滴り落ちる水滴を拭う女性の姿―――の、はずが。
胸が―――ない。
湯浴みをしてきたからか、上半身裸で立つ彼女の胸には、確かに女性特有のふくよかな膨らみはなかった。ここ、必然的にそこにあるのは胸板なのだが。
「お、男だったんですか!」
カイは信じられないという目でそれを見た。
「何だ、起きて早々騒がしい奴だな。俺が男だったのが、そんなに残念か?」
この人が男―――。
まあ、現実を突きつけられれば信じない訳にはいかないが。それでも端正な顔立ちで言われれば、目のやり場に困る。
服も着ずに近付いてくる女と見紛うほどの容姿の男に、カイは顔を真っ赤にしてうろたえた。カイはなんとも純情だった。
「え、いや、うぅ……」
「そのくらいにしておけ。そして、さっさと服を着ろ」
それを見かねて、クロウが助け舟を出す。
クロウの眉間には皺が寄っている。なんとも不機嫌そうに。
「何だよ、クロウ。それが助けてやった俺に対する態度かよ」
「それなりの態度をとって欲しいなら、それなりの態度をとったらどうだ?」
男の言い分に溜め息を吐き、クロウはベッドの上に脱ぎ捨ててあった男の服をほうって遣す。
「なんでこう、夜の奴らは極端な性格が多いんだろうな」
服を受け取り男はやれやれと肩を竦めた。
そのやり取りの一部始終を見ていたカイは目を瞬かせた。
呆れた―――という訳ではない。呆れたというより、寧ろ。
懐かしい。
そのやり取りはどこかラオとよくやったやり取りに似ている。
そう。だからか―――
「いつの間にか、仲良くなってる?」 と、カイは思わず口にした。
その途端。
ばっ!と二人の視線はカイに集中する。その視線が交わる中心で、カイは言わなければよかったかなぁ、などと思ってしまう。それでも二人が仲良くなったことは悪いことではないので、カイは安心した。
「で、カイ、とか言ったな」
「え?なんで俺の名前を」
「お前が寝ている間にクロウが色々話してくれたからな」
「クロウが?」
ああ、やはり、自分が寝ている間に何かしらのやり取りがあったのだ。と、カイは思った。
「そうだ。それで、俺はお前が目覚めるのを待っていたんだ」
目覚める、のを待っていた?
あの夢はこのことを指していたのだろうか。
「どうして俺が起きるのを待っていたんですか?えーと……」
「セフィアだ。セフィア・マラト」
セフィア―――。
カイは少女と見紛うほどの美少年の名を口の中で反芻する。
そして、口に馴染んできたその名を戸惑うことなく口にした。
「で、セフィアさんは、どうして俺を?」
「………それはだな」
それに困惑を示したのはセフィアだった。子供の無邪気な問い掛け。
これが大人相手なら誤魔化しようもあるかもしれないが、素直な子供相手に下手な嘘を吐くと自分の首を絞めることになり兼ねない。と、セフィアは日々の旅の経験から、常識から少し外れた見解を持っている。
どう答えたものか。
考えあぐねるセフィア。
けれど、
「カイ、セフィアは、太陽の瞳を探しに来たんだよ」
先に口を開いたのはクロウだった。
「太陽の瞳?……あの箱のこと?クロウと一緒だね」
「ああ、そうだな」
クロウは苦笑を浮かべた。
その表情を見て、カイは、ぽんっと手を打つ。
「あ!だからなのかな。二人がいつの間にか仲良くなったの」
やはり子供は鋭いな。
その時、セフィアはそう思った。
これで正直に話さなければならなくなってしまったことに、溜め息を吐く。
子供に余計な心配をさせたくない。それがセフィアの持つ本音だ。
「まあ、兎も角だ。俺とクロウは、太陽の瞳を手に入れるために共同戦線を張ることになった。それで、お前に聞きたいことがあったんだよ」
「聞きたいこと?」
「そう。神殿内部の造りや、村の構造について」
「教えてあげても良いけど、二人だけで行くつもり?」
じとり。カイはセフィアを見詰める。恨みがましそうな目で。
「―――な! だったら、どうだって言うんだ」
「俺も連れてって!」
その一言を予想していなかった訳ではないが。いや、寧ろ十分すぎるほど予想はしていたのだが。
「お前、自分が何を言ってるのかわかっているのか!」
思わずセフィアは怒鳴ってしまった。この少年は、今がどれだけ大変な状況なのかをわかっていない。それを知らしめる為には、出来る限り大人が強気に出なければならない。
「わかってるよ」
「いや、わかってない! 今、村に行くのは危険なんだぞ。折角、クロウに助けてもらった命を無駄にするつもりか?」
「……わかってる……」
カイは、ちらりとクロウの様子を伺い呟いた。カイはカイなりに考えている。
わかっている。
理解しているのだ。
自分がどれだけ幸運だったか、を。
それでも。
自分だけ助かったことに何の意味があるのだろうか。
自分だけ逃げ果せることで自分は満足なのだろうか。
「わかっているんだ。それでも―――村の人達が心配なんだよ。じっとなんかしていられない!」
カイにとって、村の皆は家族だ。
孤児であるカイのたった一つの家族。
「もう頑として譲れないって目だな」
はあ、と溜め息を吐くセフィア。
カイの目は、セフィアやクロウと同じ。本当に大切なものが何かを知っている目だ。
こんな目をされたらもう反対は出来ない。
「わかった。同行を許可しよう」
セフィアはそう言って、ぽんっとカイの頭に手を置き優しく撫でた。
「敵は夜の民。俺たちは夜動くより、昼動く方が都合がいいだろう。明日、夜明けと共に
出発だ」
「それでいいな」と、セフィアはクロウに目を向ける。
クロウは元々自分がカイを巻き込んでしまった手前、二人のやり取りに余計な口を挟むまいとしていたためか、その決定に反対はしなかった。
「じゃあ、明日に備えて俺は寝るからな!」
二つあるベッドのうち一つはカイが占領している。セフィアは空いているベッドに入る。
これではクロウの寝る場所がないのではないかと、カイは心配そうにクロウを見詰めた。けれど、納得している様子のクロウは、ソファの上で自らのマントを被り身を丸くした。
カイはそれを見て自分の布団を手繰り寄せたが、今まで眠っていた以上すぐには寝付けない。迷惑かと思いつつ、カイはクロウにもう一度目をやった。
「ねえ、クロウ」
「何だ?」
「クロウの家族ってどんな人たち?」
「どうしたんだ、急に」
カイの質問にクロウは決まりが悪そうに眉を顰めた。心なしか声も低い。
「別にどうしたって訳じゃないけどさ……」
目を伏せるカイ。
「何だ、家族が恋しくなったのか?」
その真意を的確に察して、クロウの声音が優しくなった。
「そうかもしれない。俺、気付いたら孤児院育ちで、両親のことは覚えてないけど、村の皆が家族同然で―――そんな皆と離れ離れになったのは初めてだから」
「そうか―――辛いな。家族と別れるのは」
「クロウはさ、旅に出る時、家族と別れるのが辛くなかったの?」
一拍。
クロウは答えを探す。否。自身の出した答えを認めようとしていたのだろう。
「確かに、辛くなかった、と言えば嘘になる。それでも―――悲しくとも、寂しくとも、それが家族の笑顔を取り戻すための旅なら辛くはないさ」
悲しくとも、寂しくとも―――
それが家族の笑顔を取り戻すための旅なら辛くはない。
カイは思う。
この言葉はきっとクロウの本心から出たものなのだ。
「クロウは強いんだね」
カイが思わず口にした呟きに、クロウは首を振る。
「いや―――それは違うな。強がってみたところで私は弱い。私は、辛くとも泣けないだけだ」
「クロウ?」
カイには、クロウの言う言葉の意味がよくわからない。それでも、クロウは言葉を続けた。
「―――だからお前は、辛さを隠す必要はないんだそ。寂しかったなら、寂しいと素直に言葉にすればいい。泣きたいなら、心ゆくまで泣けばいい」
ああ、クロウはやっぱり強いんだ。
そう思った瞬間―――カイの視界はぼやけた。
なんだろう。触れてみる。
涙。
それは、涙。
涙が―――
涙が止まらない。どうしてだろう。
「心ゆくまで泣けばいい」
再度クロウの声が響く。
ぽすっ。
感じたのは―――衝撃。
感じるのは―――ぬくもり。
気付くと。ソファから立ち上がったクロウに、抱きすくめられていた。
「ねえ、クロウ、俺の……俺の家族の話聞いてくれる?」
「…………」
クロウは黙ってカイの背を擦る。
それでも。
黙っていても。
クロウは話に耳を傾けてくれている。
そう感じて、カイは言葉を続けた。
「俺が家族と出会ったのはね、俺がまだ三歳の時。俺、両親のことも、自分の名前も全然憶えてなくてさ。しかも、神殿に突然現れたんだって、ファトが話してくれた。あ、ファトはね、村の神殿の神官で、俺の養い親なんだけど―――俺が現れた時、神のお導きだって、大騒ぎしたんだって。そんな訳ないのに。可笑しいよね」
カイはそう言って苦笑したつもりだった。
けれど涙はまだ止まらない。
クロウは尚も黙って話に耳を傾け、背を擦ってくれている。
「それから、孤児院での生活が始まって。ファトが皆に神話を読んでくれたり、皆で遺跡の発掘に行ったり楽しかった。あ、それから、親友にも出会ったんだ。五歳の時に孤児院にやって来た、ラオ。クロウも会ったことあると思うけど……俺の親友で……俺の大切な……家族……」
うつら。
うつら。
最後まで言い終わらないうちに瞼が重くなってきた。
涙は疼くような微熱と心地よい疲労感を残し、ようやくおさまりを見せたようだ。カイは瞼の重みに耐えられず、その熱と疲労感に身を任せた。
瞼が閉じる瞬間にカイが感じたのは、背から離れるクロウの手の感触。そして、優しく囁かれるクロウの言葉。
「カイ、良い夢を……」
悪夢など見ない。
今日見るのは、楽しかったあの日々。