04‐2
静かに後ろ手にドアを閉めて、セフィアは目の前の男を見据えた。
クロウという名のその男は、抱えていた少年をベットの上に下ろし布団を掛けてやると、手際よくカーテンを引いて顔を覆うように被っていたフードをはずした。
「よく眠っているな」と、クロウが少年の寝顔を見下ろし呟く。
右耳に二つ並んだ水晶の耳飾りがチリンッと鳴り、耳に掛かっていた少し長めの髪がハラリと顔に掛かった。
その髪の合間から穏やかに細められた瞳が見えて、セフィアは場を包んでいた空気が一気に和らいだ様な気がした。
「ああ、そうだな。それにしても、よくあの戦闘中に眠れたもんだ」
クロウの言葉に同意を示しながら、セフィアは少年の眠るベットに近付き、窓際に立つクロウからは対面に腰を下ろす。ギシッとベットが軋み少年が寝返りをうった。けれど起きる気配は一切ない。本当によく眠っている。
「昨日、一昨日、ほとんど眠っていなかったようだからな」
寝返りをうった拍子に顔に掛かってしまった髪を除けてやりながらクロウが言った。
「寝ていない?どうして……いや、そもそも夜の民であるお前と昼の民であるこの少年に、どういった接点があるというんだ?」
それは少年の助けたい相手が夜の民だと知った時、一番最初に浮かんだ疑問だった。
クロウもその質問はあらあらかじめ予測していた範疇なのか、随分と落ち着いている。
けれど、言葉は選んでいるらしく、答えが返ってくるのには暫しの時間を要した。
「《始まりの誓い》の村、そして、太陽の瞳―――お前はどこまで知っている、ホルスの神子」と、暫くしてようやく言葉を口にしたクロウ。
けれど。
太陽の瞳―――その言葉は、まさしく不意打ちだった。
セフィアはその不意打ちを受け流すことも出来ずに狼狽した。
「な、なぜそれを!お前こそ、どこまで知っていると言うんだ!」
「うぅ、ん……」
張り上げた声にベッドの上で少年が身じろぎをした。セフィアは慌てて両手で自らの口を覆う。
「その様子だと、大概のことはもうご存知のようだ」
冷静なクロウの呟きがセフィアの苛立ちを煽った。が、少年が眠っている以上、声を荒げることは出来ない。代わりといっては何だが、セフィアは苦々しげにクロウを睨みつけた。
「だったらどうだって言うんだよ」
「いや、これからの話に大きく関わってくることだ。知っていてもらった方が話し易い。私が太陽の瞳を手に入れようとしたことが、カイとの出会いのきっかけだったのだから……」
「お、おまっ―――太陽の瞳が目的だったのか」
またしても。
不意打ち。
セフィアは、先ほどのことから、下手に声を荒げる失態は犯しはしなかったが、無意識のうちに強くなる声音を抑える術はなかった。
「そうだ―――と、言えば、私はお前の敵なのか?」
「…………」
なぜそんなことを聞くのだろう。
いや、そもそもなぜクロウが太陽の瞳のことを知り得たのか―――
「……裏切り者」
確かセトの配下はクロウのことをそう呼んでいた。
思わず口をついた呟きにセフィアがクロウを見れば、クロウは憂いを帯びた目を伏せ、口元に弧を描いた。
自嘲するような笑みだ。
いや、寧ろ。
悲しい笑み、と言っていいのかもしれない。
「裏切り者―――そう、呼ばれることを悔いはしないさ」
と、クロウは言う。
「お前の目的は何なんだ」
太陽の瞳を手に入れることが、クロウにとってどんな得になるというのか。
それが見えてこない。
「人は、いつも取捨選択を行う。いつもその手に天秤を持ち、本当に大切なものはなにかを選ぼうとする」
「何が言いたい……」
「私にとって本当に大切なものは、地位でもなく、名誉でもなく、セトによる加護でもない、ということさ」
「…………」
じゃあ、お前の大切なものとは何だと言うんだ―――とセフィアは思った。けれど、それを口にする暇は与えられなかった。
「もう一度聞く。そうだ―――と言えば、私はお前の敵なのか?」
「お前は―――」
クロウは、地位も名誉も、セトの加護もいらないと言った。
その言葉が真実ならば、自分が選び出す答えは―――
「俺は、お前が敵だとは思えない。いや、思いたくないだけかもしれないが。お前は、何かはわかんねえけど、その本当に大切なもののために太陽の瞳を求めたんだろう?」
「…………」
沈黙は、尤もな肯定。
セフィアはそう受け取った。
「だったら、俺も同じ。俺は大切な世界のために太陽の瞳を求める。俺と同じ思いで瞳を求めてる奴を悪い奴だとは思いたくないのさ」
「神子……」
「何だよ。辛気臭せえな。セフィアって呼べよ。とりあえず、味方……とも言い難いけど、都合の良いことに敵も同じって感じだし、共同戦線と行こうぜ、クロウ」
「―――いいのか?」
今更何を言うか!嫌なら最初からあんな質問するなよ。
と、怒鳴ってやりたくなったが、セフィアは眠る少年のことを思い寸でのところで思い留まる。そして、やり場のないその気持ちを解消するように、クロウの胸を拳で小突いた。
「まあな!」
「……感謝……する」
そのやり取りに微かに頬を染め、クロウが呟く。
こんな表情もできたのか、と余裕の出てきたセフィアは思った。
「だが、共同戦線なんて格好良く言ってみたはいいけど、これからどうするかな―――まあ、《始まりの誓い》の村まで行くのが先決だろうけど、……そこで問題なのは、クロウ達が何で《薄明かり》の町に居たかってことだよな?」
そう言ってセフィアはクロウを見やる。
《始まりの誓い》の村は、今いる《薄明かり》の町からそう遠くはないが、大人の足で歩いて半日から一日は掛かる。
そんな距離をクロウはなぜ少年を連れて来る必要があったのか。
そして連れのカイという少年は、どう見ても旅装とは言い難い格好をしていた。
セトの配下の襲撃もそうだが、村を離れるほどの理由―――何かが《始まりの誓い》の村で起こったとしか考えられない。
セフィアの危惧を証明するように、クロウは辛そうに目を伏せ言う。
「《始まりの誓い》の村は、『誘い』の見せる悪夢によって支配されてしまった」
そしてクロウは、伏せていた目を瞑った。昨夜の出来事を思い出すかのように。
「悪夢が生み出す負の感情が、顕現されてしまったのか」
眼下に広がる光景―――真夜中だというのに、大通りに集まりつつある村人達の姿―――に、クロウは憎憎しげに唇を噛む。セトの配下が動いていることは気付いていたが、ここまで大掛かりなことをする者など一人しか思いつかない。
「宵の……」
「その通り―――まさかとこで会うなんてな、クロウ。いや、裏切り者と呼んだ方がいいのか?」
自分に寄り添い震える少年を背後に隠すようにして、クロウは声の主を振り返った。
「『誘い』」
「おお、お前にそんな目が出来るなんて思わなかったぜ。姫さんの前でいつも優しい目をしていたお前に、なぁ」
いつの間に現れたのか。
音もなく現れた声の主『誘い』は、ドアに背を預け立っていた。オールバックにされた紫紺の髪を撫で付けながら、『誘い』は鋭く細められたクロウの目を見て笑う。
「なぜ。なぜ、このようなことを!」
「ふう、それをお前が言うのか?俺以外にも夢を渡っている奴がいるって気付いた時点で、まさか、とも思ったが。俺が気付いて、お前が気付かない訳ねえよな。今更そんなに怒るぐらいなら、最初から全員助けてやればよかったのによ」
『誘い』は、クロウの背後に隠れる少年の存在を知っているかのように言う。
マントに縋る少年の体が震えているのをクロウは感じ取った。
その震えに、その恐怖に、クロウの胸は痛んだ。
大切なもののために、形振り構わず目的の達成を目指してきたのは自分自身。
だが、それはどことなくあの子に似たこの少年を悲しませるだけの行為だったのか。そう思うと、苦しくて、苦しくて、仕方がない。
こんな自分にあの子は泣くだろうか。
こんな自分をあの子は嫌うだろうか。
「まあ、どっちでも同じことかもな―――お前を見逃すと、『暁』の野郎がうるさいだろうしよ。だから、お前は黙って俺に―――殺されろ」
ヴォオオオーン。
『誘い』の声に重なるようにして鐘の音が響く。
感傷に浸り掛けていたクロウは、はっとした。
ただでさえ、夢と現実の境が曖昧となり負の感情に満ちた今、心を強く持たなければ『誘い』の思う壺だ。
チャキッ。
『誘い』が得物を構える音。
その音を耳にしても、クロウは得物を構えることなく思案する。
どうしたらこの状況を切り抜けられるか―――
どうするこのが最善であるのか―――を。
そして。
『誘い』が切りかかってきた。その時。
クロウは、力いっぱい窓を開け放ち、少年の腕を掴むと窓枠へと飛び乗った。
「え?」
腕の中で少年は身を強張らせたままクロウを見やった。それに対し、少年に質問する暇も与えず、その体を抱き寄せる手に力を込めるクロウ。
「黙っていろ、舌を噛むぞ」と、少年の耳元で囁き。
クロウは跳躍した。
窓の外へ。
夜の闇へ、と。
腕の中で少年が、息を呑むのが聞こえたが、気にしない。いや、気にする余裕などないのだ。否応なく襲い来る重力と風圧に耐え、クロウは―――
ばさりっ、
漆黒の翼を広げる。
それは一種の魔術。
夜の民として生きていく中、クロウが唯一覚えた魔法。
闇に溶ける翼を羽ばたかせ、クロウは飛んだ。
「へえ、俺と鬼ごっこでもしようっていうのかよ。じゃあ、精々楽しませてくれよ!」
「はあ」
事の顛末を聞いてセフィアは溜め息を吐いた。
村は既に敵の手の内。
芳しくない。
否。
恨めしいのだ。
自分の無力が。出遅れたことが。
そして、ここで問題となってくるとすれば。するならば。
「太陽の瞳の方は……太陽の瞳は無事なのかよ」
「わからない。だが―――」
「だが?」
「セトの加護を持つものはホルス神の神殿に入れないのだろう?」
昨夜、自分自身が言われたことをクロウはそのまま口にする。
その言葉が正しいのなら、『誘い』はもちろん、その手の内に落ちた村人達も、神殿に入ることは適わないはずである。
「と、いうことは、クロウ、あんたは太陽の瞳の在り処が神殿だと?」
「アレがそうだという確信は持てないが、私が見たものがそうだとするならば、カイが神殿の宝物庫に仕舞った、と」
「神殿の中の造りについては?」と、続け様にセフィアは問う。それにクロウは首を横に振った。
「私は、村の中を満足に調べる間も無かったからな。知っているとするならば―――」
「この少年か……」
二人は揃って寝息をたてるカイを見た。
「何にしろ、この少年が目覚めるのを待つしかないのか」