都市伝説ができるまで
ーーダメだ…また再生数3000下回りコースだな…。
薄暗い一室で1人パソコンに向かって頭を抱える俺の名は沢渡拓也。御歳二十一歳の大学生だ。今のところは、それ以外語ることの無いような平凡な男だが、そんな俺にも夢がある。
突然だが、HeyTubeと呼ばれる動画投稿サイトの再生数でお金を稼ぐ人が出て来てからはや四年が経とうとしていた。
自分の趣味や、やりたい事を動画撮影しHeyTubeに投稿するだけでお金が貰える時代が浸透し始めている。確かに動画編集等、多少の面倒ごとはあるものの、上手く行けば事務所などを介さずとも有名人の仲間入りだ。
実際にHeyTubeでの収入を中心に生活している人らをヘイチューバ―と呼び、トップ層にもなるとテレビ出演もしばしば…。
そう、俺の夢はヘイチューバーになる事だった。
但し、ヘイチューバーになろうとして尽く失敗していった無策な少年らと俺は違う。我なりにしっかりと考えた具体的な戦略があるんだ。
4年の間で様々なジャンルがヘイチューバーによって開拓されてきた。ゲーム実況、商品レビュー、やたら同じものを購入して無策な実験を行う等、ヘイチューバーならではのネタは飽きが来はじめている。
今はHeyTubeを利用して新しいブームを起こせるかや、誰もやったことの無い斬新な企画を思いついた者が、ヘイチューバ―としての地位を獲得することが出来る。
そこで俺が目をつけたのが都市伝説というジャンルであった。正確に言うと、都市伝説系の動画はあるにはあるのだが、それも静止画に文字を羅列させたような適当なものばかりだ。実際に人間が画面の前で喋って都市伝説を陽気に紹介すると行った動画は、四年間の中でも現れていない。
ーー何がダメなんだ…?編集か?チョイスがつまらないのか…?
ーーなんでだ…?あの時みたいに!再生されてくれよ!!クソッ!!
“あの時”とは今から一か月前。都市伝説を取り上げたとある番組のネタを更にわかりやすく解説した動画を投稿した時だった。
その動画だけは番組名で検索をかけた視聴者のおかげか他の動画よりダントツで再生され、結果的に二十一万回という中堅ヘイチューバ―波の再生数程度まで伸びた。登録者数も三百人から千六百人まで一気に伸び、ヘイチューバーとして活動するブーストとしては充分すぎる結果を得ることが出来た。
その時に俺は思った。自分の道はヘイチューバーでしかないと。
しかし、あの動画以来ずっと再生数は減少の一手を辿っている。平均再生数は三千回にも満たなくなっていた。
ーーもっと過激な都市伝説はないのか!?聞いたら3年以内に死ぬ話とか!実際死なないけど!
俺は今日も都市伝説をネットサーフィンで捜索していた。薄暗い部屋でマウスのカチカチッというクリック音が響く。
小一時間都市伝説サイトを漁ったが、自身にインパクトを与えるような凄まじい内容のものは見当たらなかった。
ーーネタ切れ…か…。
都市伝説とは有限である。少なくとも、サイトに載っているものを読み上げ続けるのみといった転載行為に依存している内は。
※ ※ ※ ※ ※
それは一人、部屋で酒を嗜み、菓子をつまんでいる時だった。
俺のヘイチューバー生活に大きな変革をもたらす発想を閃いたのは。
ーー自分で創作するしかないか…?
但し、当然それにはリスクがあった。
創作といえば聞こえはいいが、悪くいえば捏造と捉えることも出来る。バレてしまったその瞬間、自分のヘイチューバーへの夢は途絶えてしまうだろう。
ーー冷静にならないと。バレる可能性は……? それ以前にどんな話を作る?
リスクとメリットを天秤にかけた結果、俺は重要なことに気が付いた。
元々都市伝説というものは創作チックなものだ。その情報のほとんどが、嘘か話を盛られているかだ。あやふやだからこそワクワクするものであり、時に恐怖するような、動かないでいても感情を揺さぶられる魅力的なジャンルとして成り立っている。
仮に疑う者がいたとして、それもまた都市伝説の解釈の一つのようなものとなっている。「信じるか信じないかはあなた次第」というキャッチコピーは、もはや都市伝説を象徴とする言葉だ。
ーーこれしかねえ!!
俺はパソコンに向き直り、メモツールを立ち上げる。思いついたならば即行動。早速自身の思い描く最大級の都市伝説を創作することに決めた。
ーーやっぱりジャンルはホラーだな! 陰謀論は難しい単語が多くて取っ掛り難いだろうし、有名人や人気アニメの裏設定なんかはどこかでボロが出るだろう。心霊系はぼかした地名にあやふやな現象を伝えるだけでも充分なからな。
元々オカルトマニアだった俺は、怪談話の創作には自信があった。丁度よく酒も入っているおかげか、創作は思ったよりスラスラと進んだ。
制作時間凡そ二時間弱、俺の最初の自作都市伝説が出来上がった。
その名も、『地獄の中を覗く方法』───。
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地獄の中を覗く方法 ※ 実際にあった事件が関与しております。お試しの際は自己責任でお願い致します。
持ち物:十円玉六枚 懐中電灯などの灯り(スマートフォンでも可) 鏡
手順1・〇〇県の山道の麓に古びた小さな鳥居と賽銭箱があるので、そこに十円玉を6枚投げ入れ、願い事を唱える代わりに横にある岩に✕印を付ける。
手順2・暫く山道を登るとトンネルがあるので、そこの少なくとも百m手前で自動車等の乗り物を置いて、歩きで進む。
手順3・トンネルには現在は消されているが、大量のラクガキがされてあった。しかし一つだけ、消し忘れたのかそこだけ塗りつぶしたインクが剥がれたのか、真っ黒な大柄の男性のようなラクガキが残っているので、そこの左胸に六秒間触れる。
手順4・そこから更に六秒後にあたりの電灯が急に消灯するので、それまでにラクガキ場所からそう遠くない位置にカーブミラーがある。そこに懐中電灯等の明かりと所持している鏡をカーブミラーに翳す。
手順5・すると、カーブミラーの中から地獄の様子が映し出される。※そこから1分間は一切目を背けては行けない。もし一瞬でも背けた場合は、生き地獄(精神障害等)の裁きを受ける。
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ーーまあ、ちょっと二番煎じっぽいかな。
完成した直後、ネガティブな事を考えるも、しっかりとそこは対策を打ってあった。というのも俺が重要視しているのは都市伝説のシナリオだけではない。それを証明する背景の設定である。
仮に、ヤクザが心底震えあがるような内容の都市伝説を思いついたとしても、そこに裏付ける根拠のようなもの、つまり“背景”が存在しなければただの怖い話として終わってしまう。この都市伝説だって例外では無い。
そこで俺は、背景として実際にあった出来事を結合させることにした。
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30年前、この山道のトンネル付近でとある極悪犯罪者が警察官と壮絶な逃走劇を行っていた。
犯人は警察官から逃れるべく自動車を猛スピードでトンネル無いのカーブを突っ切ろうとしたところ失敗し、現在丁度今立っているカーブミラーの場所に激突し即死した。
それ以来、犯人の呪いが原因かトンネル内では度々彼の呻き声のようなものが聞こえるだとか怪奇現象も度々噂されるようになった。
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背景としてはシンプルなものだが、実際にこんな事件があった訳では無い。悪く言ってしまえば“事件のでっち上げ”作戦を実行する事にした。
作戦は簡単、この創作事件を実際にあったかのようになるべく昔の新聞記事の画像に自身で作った自作記事をコラージュ編集で誤魔化し、信頼性を高めるのだ。
ベースとなる新聞記事や具体的な地名は、すべてコンプライアンスという本来ちょっとお邪魔なものを今回は味方につけることで簡単にぼかすことが出来る。
一応念を押して自作記事の文体もなるべく漢字を多く使い、低画質にする等解読を試みようとする輩に隙を与えないようにした。
ーーよし!早速こいつを取り上げた動画を撮ろう。一応人を騙している訳だが、誰かが傷付くわけじゃないしな。
『誰かを傷付ける嘘はついていない』と若干残る罪悪感を押し殺し、俺は動画を撮影した。
1日後彼は例の創作都市伝説を投稿し、反響を待ち構えていた。
--さて、動画投稿を開始してからバイトに向かったから…多分6時間くらいはたってる頃かな?さて、どんなもんだかね〜?
久しぶりに自身の動画の期待値をあげてパソコン前の椅子に座る俺。だが、現実というものはあまりにも冷たかった。
--再生回数……千五百四十回!? 嘘だろ!?
結果はいつも通り三千回を下回る低いものだった。いつもと違い、今回は気合いを入れて編集した結果だったのでさすがに凹んだ。だがまあひとまず、コメント欄ででっち上げ記事がバレていないかどうか確認しよう。
〈地上にも地獄に直結してる場所があるってどこかのサイトで書いてあったのでもしかしたらそのトンネルはそうなのかもしれないですね…その殺人鬼がそこで死んだのも地獄に引き込む為に…?〉
〈地獄の人達もこっちの景色が見えるのかな?〉
十件程度しかないコメントだったが、バレている様子は無かった。強いて言うならば、少し下の方にあった〈その場所確か〇〇県の山道ですよね?あそこ不気味ですよね〜(震え)〉というコメントがちょっとだけゾクって来たくらいだろうか。
完全に気が抜けてしまい、そのまま不貞腐れたようにベットで横になる俺。バイトの疲れもあり、その日はそのまま眠ってしまった。
次の日、一応後でウケたとかあるかなと淡い期待を込めて再び動画の伸びを確認してみたが、やっぱり二千と少し程度にしか伸びず、また落ち込んだ。
しかし、とある視聴者同士のやり取りには、かなり引っかかるものがあった。
それは昨日俺が少しゾクッとなった例のコメントに対する返信だった。
〈本当に例の事件ありましたもんねその場所で。正確には二十八年前らしいですけど。。それでカーブミラーが建てられたとかなんとかって話も?〉
この動画は全て俺の創作で、実際に起こっているはずが無い。それなのに何故かこの二名の視聴者はまるで本当にあったかのような具体的すぎる情報のやり取りを行っているのだ。
ーーなんだこいつら…?気味が悪い…。
暫く二名のやり取りに気を取られていたが、やはり偶然だろうと思うようにし、次の動画の研究に没頭した。
俺が動画の研究に没頭する中、コメント欄では二人のやり取りが続いていた。
〈カーブミラーは事故って死者が出た時その場所に建てられるって車校の教官が言ってましたしね。〉
〈え?こっわ! wおかげで夜寝れませんよもう!〉
〈僕が添い寝してあげます( ̄^ ̄ゞ〉
ーーこいつら…くだらない話に切り替わったか……。やっぱり偶然か。
俺は研究の合間ので2人のやり取りを監視していたが、これ以上有益な情報が得られそうに無かったのでホッとする反面、少し幻滅した。
しかしそのすぐ後で、まさかの三人目が現れた。
〈興味あります。近いので明日向かってみます。〉
ーーおおい!まじかよ!俺が考えた創作を実際に試そうだって!?
これには俺も予想外だった。幾ら近所とはいえ、都市伝説を実際に試す輩が現れるとは。
だが、この三人目の登場で、俺の興味は再びコメント欄へ移った。
これは俺の創作クオリティが凄いということで良いのだろうか。実際に試そうとするなんて興味津々じゃないか。俺は少し自信が付いた気がした。めげずにまた新しいものを作ろうと心に決めた。
そこから2日経ったが、未だに“3人目”からの結果報告は無かった。
ーー未だに連絡無しか……。まあ、行くわけないよな。こんな底辺ヘイチューバーの動画に影響されるなんてバカバカしいしな。
俺は落胆し、そのまま家のリビングへと降りた。
「拓、今日バイトじゃないの?」
母親が自分の部屋から降りてきた俺に声をかける。
「無いよ。飯も家で食うよ」
適当に返答しキッチンの冷蔵庫を漁る。
「あらそう。最近ずっと家にいるわね~。たまには外に出たりすれば?」
母親の気遣いは、俺の耳には入らなかった。別に反抗期が続いているだとか、母親の声が異様に小さいとかそんな理由ではない。
というのもリビングの角に設置してあるテレビから流れてくる映像に、俺は夢中になっていた。
「拓? ねえ聞いてるの拓!?」
「ちょっと黙ってくれ!!」
強く言い返され黙り込む母親。沈黙した二名の中で、テレビは淡々とニュース番組を放映していた。
〈こちらが遺体が見つかったとされる〇〇県、〇〇山道です。血痕などは見つからなかったことから警視庁は自殺と判断しており…〉
--〇〇県……ここ……あの2人が言ってた場所と全く一緒だ!。
その瞬間、血の気が引いていき、思わず持っていた麦茶のコップを落とした。
もし、実際に“3人目”が例の場所に行き、都市伝説を検証していたとしたら……? 混乱する俺に母親の「どうしたの?」という声は届かなかった。
しかし、落としたコップから零れる麦茶の冷たい感触により我に返ると、母親に「ごめん」とだけ告げ、そばにあったぞうきんで麦茶を拭いた。
拭きながら冷静になり考える。そこで俺は、ひとつの仮説を建てた。
ありえないことだが、自分は偶然にも実在する怪奇現象と同じものを作ってしまったという説だ。
早速確かめるべく、再びパソコン画面に向かい、〈〇〇県 トンネル 地獄〉と検索をかけてみる…がまともなものが引っかからない。続いて〈〇〇山道 事件〉と検索をかけると、1つだけ似たような記事を発見した。
〈19✕✕年、〇〇県にて女性二人を殺害したとされる男性が、警察との激しい逃亡劇の末に〇〇山道のトンネル内のカーブを曲がりきれずそのまま壁に激突。男性は即死した〉
ーーまるで一緒だ…。俺はこんな場所見たこともないのに。
続いて俺はGoogleマップにて〇〇山道を検索してみることにした。衛生写真から山道を細やかに見ていくと、その麓に小さな鳥居があるのを発見した。
ーー鳥居まで一致している。なんなんだこれは……訳が分からないぞ!。
偶然にしては奇跡的過ぎている。背景の事件は完全一致しており、麓にある鳥居と後にその先にあるトンネルの入口らしきものも確認出来た。それらしき都市伝説はまだ見つかっていないが、偶然にもまだ未発見の怪奇現象誘発法を自分の創作で公開してしまったかもしれないのだ。
全身に鳥肌が立った。身体は大きく震え、息が荒くなる。
但しそれは恐怖としてではなく、ヘイチューバーとしての興奮からだった。
ーー偶然作った都市伝説が……実際の怪奇現象誘発法とリンクしたなんてとんでもないことだぞ!? 上手い形で公開してしまえば、絶対にバズる!! 俺は都市伝説界のレジェンドじゃねえか!!
ーー行くしかない……。俺が実際に〇〇山道に出向いて、証拠動画を取りに行くしかない!
〇〇山道までは車で2時間程かかるらしい。だがそんなことはどうでもいい、俺の気分は緊張と興奮に満ちていた。
ーーこの動画が……都市伝説界隈の中で永久の伝説として残るだろう。逃がさないぞ幽霊共! 俺のヘイチューバーとしての人生を歩むべく踏み台にしてやる!
鳥居の前に着いたところで、俺は動画の撮影を開始した。撮影することで若干あった恐怖を完全に打ち消した。これから俺は伝説を残すんだ。期待でいっぱいだ。
「はい! 深夜の皆さんこんにちは! ヤータクです! 今回は、先日投稿した都市伝説を実際に検証したいと思います!」
必要以上に声を上げ、実況を開始する俺。ヘイチューバー特有のジョークを交えながら愉快に鳥居の中へ入っていく。
ーー今更だけど本当にあるんだな。まずは……そうだ十円を6枚入れるんだったな。
沢渡は財布から十円玉を6枚投げ入れ、そのまま目の前にあった岩にスマホのライトを当てる。
「はい! 入れましたので、実際に✕印を付けていきたいと思いま……え??」
実況中のセリフとは別に、俺は素で声を上げてしまった。というのも、全く想定していなかったモノが刻まれてあったからだ。
「無数の✕印…?があるように見えませんか? 俺が行く前から既に何人かが試していたのかも知れません……?」
慌てて実況を再開するも、再び混乱に陥った。
この場所が例の一致した事件があった山道なのは間違いないが、実際に怪現象が起きる場所としての認知はまだ無いはずだ。
“三人目”以外にもこの方法を試した者がいたとして、それでも数が多すぎる。俺にここまでの影響力は無いはずだ。
「……✕印を付け終えました。今からトンネルに向かいます」
軽快だった実況の声色は段々と震えが混ざっていた。
ーートンネルの内部はどうなってるんだ? もし人の形をした落書き跡が無かったら…その瞬間このネタは没になるな…。
半分の期待と半分の不安を抱えながらトンネルに辿り着く。
青白く古びた電灯が途切れ途切れに点滅したトンネルの内部は、心霊スポット特有の肌寒さを有している。アウターを羽織っているのに、俺のスマホを持つ右手は震えていた。
「今から、男の落書き跡のアソコ……じゃなくて! 心臓部を触ってみたいと思いまーす! しゃ! いきまっせ!」
自分で言うのもなんだが、今のジョークは心霊スポットよりもサムかったのではないだろうか。まあでも気持ちは紛らわせた。そのままトンネルの内部へと入ってゆく。
すると確かに、トンネル内部は大量の落書きを雑に白く塗りつぶしたような落書き跡で埋め尽くされていた。
「うわ…落書き跡すげぇ…昔の不良度胸ありますね〜」
実況を行いながら散策していくとそれらしきカーブミラーを発見した。
「ありましたカーブミラーです! ここから地獄を〜覗き見しちゃうのかなー??」
軽くおどけて見せたが、震えを完全に抑えることは出来なかった。
というのも、カーブミラーのすぐ横には、確かに成人男性のシルエットらしき黒い落書きが残されていたのだ。
背景である事件の詳細だけでなく、場所の具体的な構造も完全に一致してしまった瞬間だった。
「こ、ここだけ確かにぃ……ら、ラクガキ……が剥がれてますね……! 手抜き作業……してたのかぁー? おい」
荒くなる呼吸を抑えようと実況を続けても上手く話すことが出来ない。
ーー嘘だ。俺が作ったんだぞ……? こんなことってあるのかよ?
逃げ出すべきかもしれない。ただ、間違いなくカメラに納めれば伝説として残ることを確信していた。
揺れ動く恐怖とチューバー魂。俺は後者を選んでいた。
「それでは今から……心臓部に触れたいと……思います……」
宣言するなり、俺は男性のシルエットの心臓部に6秒間触れた。
「1…2…3…4…5…」
数え終わらんとするその時だった。
ピシャリ! と音が聞こえたように感じ、その直後に背中にねっとりと舐めずられたような感触が走る。咄嗟に後ろを振り返る頃には、トンネルの電灯のあかりが全て消え、暗闇が周辺を包んだ。
「ヒィァイ!!」
俺は思わず悲鳴を上げて、しりもちをついてしまった。落としたスマホの音だけがトンネル内に鳴り響く。
スマホは落ちた時の衝撃からか、勝手にライトがつきその光の角度は丁度、目の前のカーブミラーに当たっていた。
「あ……あた……あたっ……てるぅぅうう……お、おふ、あぽ……う……」
俺は視線をカーブミラーから逸らさなかった。というより逸らせなかった。蛇に睨まれた蛙のように、体が動かない。
「あ…ああ……」
見開いた眼球からは涙が溢れていた。何故自分はこんなにも恐ろしいものを動画として収めようなどと愚かな発想に至ったのか振り返り、自身をひたすら呪い続けた。
だが、ここで「地獄」が映し出されなければ証明にはならない。俺はさっきとは真逆のことを祈っていた。どうか映し出されませんようにと。
しかし、カーブミラーに広がっていた光景は、俺が書いた地獄そのものだった。
マグマのような灼熱の背景に、恐ろしく瘦せこけ、肌が斑に爛れていた男女が、ゾンビのようにこちらに迫っていた。頭髪はパサパサのカツラのようにボロボロで、眼球が存在しない。本来眼球のある場所は空洞になっており、だからこそこちらを見つめているような、視線を感じた。
恐怖に震え上がりながらも、俺は悟った。このまま地獄へ連れていかれるのだろうと。その感覚に呼応するように、地獄の住人たちはカーブミラーの淵に手をかけ、“こちら側”に這い出てくる。
奴らは俺の顔に手を伸ばしてきていた。病的な程白く、爪が異常に伸びている。もうおしまいだった。このままカーブミラーの中へ連れていかれてしまうのだろう。俺は失禁した。
「ひゃえあ……ふぇええ」
身体は全く動かない。完全にされるがままだった。そうしてついに奴らの手が俺の顎に触れる――。
--あれ? 意外とあったかい。
そう思った次の瞬間、右頬に電撃のような衝撃が走る。
バチン!! 軽快な乾いた音と共に視線が一気に左へと移される。この感触には覚えがあった。
--これ…ビンタ…?
ビンタという認識に至るまで多少の時間があり、少しの間もほうけていると「あれ?効かないな…もう1回やっとくか?」という声がうっすら聞こえたので急いで立ち直る。
「ちょ!! もうビンタやめてーーー!!!!!」
顔面を防御して立ち上がる俺。そこには、先程の地獄人達のうろつく暗闇空間などではなく、トンネル内の照明に三十代前後の男性警官が目の前でビンタの構えを取っていた。
「なんだ立てるし喋れるじゃないか。こんな時間にここで何やってるんだ。夜中の二時だぞ」
俺は、唐突などうしようもない恐怖からの解放に安堵と混乱が交差した結果、低い声で語りかける警官に思わず抱きつき、ひたすらに号泣した。
「おいみっともないぞ男の子っていうか大の大人が。何があったんだか教えなさい」
「先輩のビンタが痛すぎたんじゃないっすか?」
後ろにいたまだ若そうな男性警官があとからやってくるなり後ろで先輩警官をからかって見せた。
「お………おで!! おではとしでんせるるくって!! それがげんじちゅに……なってえええ!!」
「お前これ解読できるか?」
「無理っすよ。とりあえずパトカーん中放り込みません? ほかの車とか来たら迷惑っすよ」
後輩警官に諭されると、そのまま沢渡をおぶり、パトカーの中へと連行された。
※ ※ ※ ※ ※
パトカーの助手席に座らされると、即座に鍵を掛けられ尋問が開始された。
まるで自分を犯罪者のように扱う警官2人に苛立ちながら、俺はぶっきらぼうに問いかける。
「……二人は…見えなかったんですか?」
「ここで君が一人で震えながら魚みたいに口パクパクしてたこと以外に何が見えたっつーんです?」
「違う!! 地獄の!! 地獄が見えなかったのかって聞いてんだよ!!??」
小馬鹿にする後輩警官に強い苛立ちを覚えて思わず怒鳴り付ける。
少しの静寂の後、警察の帽子を深く被り直した先輩警官が口を開き、ポツポツと語り始めた。
「……我々は一応犯罪を犯した覚えはないから地獄なんて見えないな。幻覚を見たのならば薬物使用の疑いが出てくる。少し調べさせて貰いたいんだが、車は道中で止まってるアレかな?」
ーーこいつら……まじで俺が今まで受けた苦痛を知らずになんてこと言ってやがるんだ!? ふざけやがって!!
淡々と業務的な対応を行ってくる警官への怒りは遂に頂点へと昇った。わからせなければならない。自分の潔白と自分がどれだけ怖い思いをしたかを――。と強く感じた俺は、警官を睨みつけながら、またぶっきらぼうに返答した。
「いいですけど、まず先に案内したい場所があります。ついてきてください」
「その隙に逃げたりとかされたら困るんだが?」
「警官2人にマークされて逃げられるわけないでしょ。とにかく来てください!!」
「……それで気が済むなら良いだろう」
先輩警官がため息混じりに俺をパトカーから解放すると、後輩警官が即座に沢渡の後ろに付き、しっかりガードを固めた。
「ごめんね〜こうしないと俺が怒られんのよ〜」
後輩警官はおどけていたが、隣を歩く先輩警官は、再び帽子を深く被り直すだけで特にアクションを起こすことは無かった。
正直もう二度と行かないつもりではいたが、再びトンネルへと戻る俺と警官二名。先程のカーブミラーを見つけるとその付近にある黒に染った男性型の落書きを探した。
「ここの近くにある男の形をした落書きに六秒触れたら照明が一気に落ちてですね! それで」
沢渡は落書きを探しながら都市伝説の詳細を説明する。先輩警官は腕を組んで様子を見守っているだけだったが、隣にいる後輩警官は話を聞くなり……。
「……あのねえ…そんなこと言ってるけど、さっきから全然その落書きとやらが見つかんないじゃない〜。雑だけど全部白く上塗りされてるよ〜ちゃんと〜」
「すぐ近くにあるんです! もう少しで見つけますんで!! 黙ってもらっていいですか!?」
そう言いつつ、俺は内心かなり焦っていた。何せ先程は簡単に見つかった落書きが全然見当たらないのだから。
十分くらい経った後に、沈黙を貫いていた先輩警官が口を開き、カーブミラーから伸びる影を指さし、沢渡に問いかける。
「……もしかしてこの影のことなんじゃないのか?」
「……は!? そんなわけないでしょう! 確かにあったんです! しっかり男の形をした落書きが!! ふざけてないであんた…も…?」
今1度カーブミラーの影を見てみると、確かに自身の立ち位置によっては元々ある壁の模様と上手く合わさり、人の形っぽく見えなくもなかった。というより結構それっぽかった。
「……え!?」
「あー見間違いっすね〜まあよくありますよね〜こーゆうの〜」
後輩警官がつまらなさそうに軽く足蹴りをしながら呟く。それを聞いた俺は、更に焦りながらその人型の影に近付き、心臓部に手を触れる。
「この後六秒後に電灯が落ちますからね!! 実際さっきは本当に落ちたんです!」
見ていろと言わんばかりに心臓部に手を触れ、二人に吠え散らかす。が、六秒経つも全く電灯が落ちる気配はなかった。
「あ…あれェ…? あれれェ? え? はい??」
もう一度手を触れ、六秒待つも、結果は同じく全く動く気配がなかった。
ショックのあまり、その場にへたり込む俺。すると再び先輩警官が口を開き、指摘する。
「ここの電灯は古いからな。たまに落ちることはあるだろう。今度俺から交通機関に報告しておこう」
ーー嘘だ……なんで……じゃあ俺が見た地獄は一体……?
沢渡は確かに見ていた。カーブミラーに映るこの世のものとは思えない恐怖の空間を。灼熱の地獄を……。
どうして現象が起こらないのか思考を巡らせ、やはりもう一度初めから手順のやり直しが必要だと考えた沢渡は、フラフラと立ち上がり、警官2人に告げる。
「まだ……まだだ……! 手順があるんだよ!! この手順全部超えたら〜!! 絶対に俺が体験した恐怖がわかるんだよーー!!!」
パニックからか、イントネーションがおかしくなってしまった。そんな俺を見かねたのか、先輩警官はそのまま俺に歩み寄り、深々と被られた帽子の影の中に映る鋭い目付きで睨みつけながら呟いた。
「良いだろう。気の済むまで教えてみろ」
俺は2人を麓の鳥居まで連れ、中の賽銭箱へと案内した。
「いいですか!! 今から俺がここに十円玉を六枚入れて…そっからそばにあるでかい岩に✕印を……!?」
沢渡が横にある岩に視線を落とすと、再び先程とは違った状況を見た。
ーーあれだけあった✕印が……俺の以外ない……だと……?
正確に言うならば、先程の大量の✕印とやらは全て、影だったり岩の模様だったりがスマホライトの光が当たる角度によって丁度よく調整され、✕印っぽく映っていただけだった。
「へーへー。十円玉六枚ってなんか決まりとかあんすかね〜?」
後輩警官が戸惑う俺に問いかけるも、答える気にはならなかった。一応六は悪魔の数字だからということで六枚にしたわけだが。俺は震える手で✕印をつけた。
「次にまたあのトンネルに行って……そしたら今度こそラクガキがあるんでそれに……!!」
説明しながらも俺はかなり混乱していた。
ーー全部違っている……じゃああれはなんだったんだ……? 確かに俺は見たぞ!! あの地獄の中を!! 畜生……畜生!!
再びトンネルに戻るも、やはり男性の落書き等残って居ないし勿論あの怨念たちが再び姿を表すことも無かった。
ーーなんでだ……なんでなんでなんで!! じゃあ俺が見たのは一体なんだったんだよ!!
しゃがみこみ不気味にブツブツとつぶやき続ける俺の目の前に、先輩警官が立ちはだかる。そのまま目線を合わせるようにしゃがみこみ、低い声で語り始めた。
「よく居るんだよ。こういう肝試し紛いのことをしに来る奴らが。みんな揃って霊が出た霊が出たと巡回してる俺に泣き付いて来てな。全部付き合ってやったが殆ど奴らの思い込みだったよ。ごく稀に、変な音が聞こえたりといった程度のものはあるが……今回のは完全にお前の思い込みだ」
ぶっきらぼうだが、父親に叱られた時のような温かさを帯びた先輩警官の説教。俺はあまりの恥ずかしさに下唇を噛み締め、プルプルと身体を震わしながら反論した。
「こ……ここで実際に事件が起きてて! つい昨日だって自殺者が出てて! あんたらもそれを調べに来たんじゃないのかよ!!」
「自殺者が出たのは確かだが、それはここじゃなくてもう一個奥のトンネルだし、亡くなられたのは四日前だ」
四日前とは、沢渡は実際にこの動画をアップロードした日にちであり、更に“3人目”が最後にコメント欄に現れたのは二日前。つまりこの都市伝説と自殺者にはなんの因果関係もなかったのだ。
「四日前!? ……ああ…俺は本当に見たんです……信じなくていいですもう……でも俺は……」
「例えば、お前の家の天上に幽霊がいると俺が言ったとしよう。そうするとその日からしばらくの間お前は常に天上を意識するだろう? そうするとその内天上からはっきりとしない“嫌な感じ”がするとお前の脳が勝手に認識を始める。それが疲労や酔いなんかで意識が朦朧とすると脳がバグを起こして幻覚を見せてしまう。実際には居ないはずの天上の幽霊をな」
「で、でも!! それにしてもあれは確かに!」
先輩警官は、淡々と心霊現象のメカニズム的なものの解説を始めた。俺は反論を試みるも、彼は止まらない。
「お前は実際にその都市伝説とやらを試している時、少なくとも冷静ではなかったはずだ。高ぶった感情のままではたかが影によるトリックもそれっぽく見えるだろう。事実、二度目は起こらなかった。電灯が消えたのも偶然。当然パニックと恐怖で覆われたお前の脳はバグを起こして地獄の中身とやらの幻覚を見たんだよ」
「俺……あう、そんな……あ、うううう……!!!」
冷静になれば自分の考えた都市伝説が現実に存在するなどあるはず無かったのだ。偶然、本当に偶然作った都市伝説と同じような場所があっただけで、裏付けだと思い込んでいた自殺については、全くの別件だったのだ。
俺はここでようやく、自分で作った都市伝説に自分自身が踊らされていた事に気づいた。あまりにも滑稽で間抜けな自分の姿に悔し涙が止まらなかった。
「うううう……!!ぐふっ、ぐひっ! あっあっあっ……ぐっ!!」
泣きじゃくって立ち上がれない俺に、先輩警官はそっとハンカチを差し出し、「これに懲りたらもう、心霊スポット巡りなんかはやめることだな」と肩を叩いて告げた。
そうして俺が泣き止むまで立ち合った後、パトカーに乗って山道の中へと消えていった。
取り残された俺は、とぼとぼと自身の車へと戻った。
結局何をしに来たのだろうか。思いついたのも自分、行動したのも自分、騙されたのも自分。
俺は墓場に持ち込むであろう誰にも言えない黒歴史を作ってしまった。これからこの出来事を思い出すたびに、両手足をばたつかせて自分の頭を叩き、忘れろ忘れろと叫び続けるのであろう。
俺の背中は、哀愁に満ちていた。
※ ※ ※ ※ ※
あれから二年の月日が流れ、俺は不動産関係の会社へ就いた。新社会人一年目として忙しくも新しい毎日を送っている。
俺の夢は現実にならなかったが、時々都市伝説系ヘイチューバーを目指していたあの頃を思い出し、HeyTubeで都市伝説動画を検索し、娯楽の一つとして楽しんでいた。
今は都市伝説系ヘイチューバーとしてNAOAKIという者が有名になっている。俺がうまくやっていれば、俺も彼のようになれていたのかもしれない。
ーーなんてな。考えるのはやめよう。今思えば、俺の動画はクソつまんなかった。あーあ、なんであんなことやってたんだろ。馬鹿みてー。
過去の失敗を心で笑い飛ばし、NAOAKIの動画をタップする。帰りの電車内の暇つぶしに使わせてもらう為だ。
なんやかんや俺も、一般社会の歯車の一つとしてぴたりと当てはまっているんだろうな。
社会人として、これから頑張っていこう。
※ ※ ※ ※ ※
「はいどうもこんにちはー! NAOAKIチャンネルへようこそ! 今回紹介する都市伝説はー?」
「地獄の中を覗く方法と消えたヘイチューバーの謎についてです!」
「20✕✕年◎◎月にHeyTubeに“地獄を見る方法”というタイトルの動画が、とある無名ヘイチューバーのアカウントからアップロードされました。当時はそこまで有名では無かったんですけど……そこのコメント欄で具体的な地名や場所が割り出されまして、更にその動画がアップされたその日に全く同じ場所で自殺者が出てるんですよ! これ不気味じゃないですか??」
「その動画を最後にその無名さんは一切動画出してなくって、現在も行方知らずっていうところがまた怖いんですよね〜! 何かしらのメッセージ性を感じます! そしてさらに不自然な一致を見つけたんですけどこのトンネルのカーブミラーが出来た理由がですね~また怖くて……」