表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/43

地主の鈴木さん壁ドン事件の後

 その日は夕方ちーちゃんに頼まれて、足りない調味料の買い出しをしていた。セイが好きな野菜たっぷり餃子をおいしく食べるには、お酢がちょっと足りない。

 毎週月曜日、いつも二人きりの夕飯にお客さんが一人参加するようになって、ちーちゃんも私も少し心が浮き立っている。

 お父さんが亡くなって、しばらくしてお爺ちゃんが亡くなって、自宅でやっていた小料理屋も出来なくなった。やっぱりとても寂しいし心細い。

 お父さんと再婚したちーちゃんにはこの家を出て行ってもいいよと言ったのだけど、ちーちゃんは私とこの家に居たいと言ってくれた。

 大学を辞めるのは反対されたけど、特に目的もなく通っていたので、ちーちゃんとの生活を支えるためにも早く自立したいと思ったのだった。

 ちーちゃんも自宅の店舗部分を使ってお昼時にランチの提供をしたりしている。

 お父さんとお爺ちゃんの保険金もあるので、すぐすぐ生活に困ることはない。

 けれども、この古い家の維持と、毎月の地代を思うと、このままでいられないことは二人ともわかっている。

 でも少しだけ、もう少しだけと、私とちーちゃんはお父さんとお爺ちゃんとの思い出をなぞるように今の生活を続けている。


「ただいまー」

 玄関の引き戸を開けたがちーちゃんのお帰りの声が聞こえない。

 お店の方にいるのかなと台所に向かうと、店舗からガタンと大きな音がした。

「ちーちゃん?」

 自宅と店舗を仕切る引き戸をガラッと開けると、目の前をちーちゃんがものすごい勢いで横切っていった。そしてその後を追う人影も私の前を横切る。お座敷に駆け込んだちーちゃんを壁際に追い込み、その人影は店舗の土壁にどーんと勢いよく両手をついてちーちゃんを囲い込んだ。

「きゃああ!」

 ちーちゃんの絹を裂くような悲鳴にフリーズしていた体がビクリと動く。

「ちーちゃん!」

 ちーちゃんに駆け寄ろうと店舗に飛び込むと、グフッとくぐもった男性の声がした。

「キモイ!」

 再び男のうめき声がして、ちーちゃんに迫る男が何らかの衝撃に体を揺らす。

「離れなさいよ!」

「うぐっ!!」

 ちーちゃんの叫びと共に男性がはっきりとうめき声をあげ、男の壁ドンが解けた!ちーちゃんの前で体をまるめてゆっくり蹲っていく男。

「ちーちゃん!」

 その時ちーちゃんに駆け寄ろうとした私の横を、一陣の風が吹き抜けた。

 次の瞬間ダアン!と店内に大き な音が響き渡る。

 私が我に返ると、突然店舗のお座敷に現れたセイが、ちーちゃんに壁ドンして迫る人物をお座敷の反対側の土壁に引っ掴んで叩きつけたポーズで停止していた。

 その人物はよくよく見ると、私達が毎月地代を払っている地主の鈴木さんだった。

 鈴木さんは胸倉をつかまれたまま壁に叩きつけられ、白目をむいてカツラが半分ずれている。砂壁は鈴木さんの後頭部を中心に放射状にヒビが入っており、鈴木さんは生きているのかどうか危ぶまれる惨状だった。

「殺す?」

 醤油は?くらいのテンションで聞いてくるセイに慌てて首を振る。

「こ、殺さない!」

「・・・・」

 少し不満げではあったけどセイはこっくり頷き、鈴木さんの胸倉を掴んでいた手を無造作に離す。

 どしゃりと畳の上に崩れ落ちた鈴木さんに今度は手をかざすと、セイの右手から緑の色の柔らかな光が鈴木さんの頭部から胸元までに降り注ぐ。

 すると白目をむいていた鈴木さんがスッと目を閉じ、「ううん、むにゃむにゃ」位の心地よさそうな様子で寝息を立て始めた。

 セイは鈴木さんを冷たく一瞥すると、今度は砂壁に手をかざす。

 さっきと同じ緑色の光が砂壁に届くと放射状のヒビがみるみる消えていく。

 なにこれ。

 現実とは思えない光景に唖然としていたけど、壁ドンから解放されて座り込んだままのちーちゃんに気付いて、私は慌ててお座敷に駆け上がる。

「ちーちゃん!」

「なっちゃん」

 私達はぎゅっと抱き合った。

 ちーちゃんが微かに震えている。果敢に反撃していたけど、怖くなかったわけがない。

「もう大丈夫。大丈夫だよ」

 ちーちゃんの背中をゆっくり撫でていると、少しずつちーちゃんの体の強張りが解けていった。

「・・・セイちゃん、ありがとう」

 少し落ち着いた様子のちーちゃんがそっとセイにお礼を言うと、セイはゆっくりゆっくりちーちゃんに近づいて、少し離れた場所に腰を下ろした。

 セイは心配そうにちーちゃんを見つめている。

 口数は少ないけど、セイは相手を思いやれる優しい人だ。私たちが食卓のお肉を殆どセイに譲っていると悟ると、手土産の食材が毎回結構な量のお肉になったし。

 セイは私達に危害を加えないという信頼があるので、セイが巻き起こした不思議現象は隣に置いておく。

 まずはどうしてこんな事になったのか事情を聞きたい。

 お座敷で眠り込む鈴木さんから距離を置いて、私たちは店内のカウンターに座った。

 私を挟んでちーちゃんと反対側に腰かけたセイは、カウンターに肘をついて鈴木さんを鋭く睨んでいる。少しでも鈴木さんが身動ぎしたら殺す、といった風情で。

 私はセイを抑えるべく、セイのカウンターについた腕をぎゅむと握る。するとセイが鈴木さんからこちらに流し目をくれて、微かに目元を緩める。

 流し目は心臓に悪いのでやめてほしい。セイにドキッとさせられている場合ではなく、今は鈴木さん問題である。

「ちーちゃん、何があったの」

 鈴木さんは私の中では昔から知っている町内の世話好きおじさんだ。その鈴木さんがちーちゃんに無体を働くとは、どうしてそうなったのか私もまだ混乱している。

 それからちーちゃんがぽつぽつと語り始めた内容は、私を憤慨させるものだった。

 お父さんに続いてお爺ちゃんが亡くなった時、ちーちゃんは30歳を過ぎたばかり。

 付き合いのある商店街のおじちゃん、おばちゃん達は頼みもしないのに再婚相手の紹介をしてくるようになったそうなのだ。最初は色々な紹介をどうにかかわしていたけれど、いつしか地主の鈴木さんとの再婚を勧められるようになった。土地をお借りしている地主さんだし、やんわりとお断りしていたのだけど、まんざらでもない様子の鈴木さんを、かわし続けるのはさすがのちーちゃんも苦労するようになった矢先の出来事だったそうだ。

 良くも悪くもここは田舎なのだ。女性の幸せは結婚して男性に守ってもらう事だと、未だにおじちゃん、おばちゃん達は思っている。そして鈴木のオッサンは周りの後押しに勘違いして今日の暴挙にでた。鈴木のオッサンはもちろん最悪だ。そして周りのおじさんおばさんは、悪気が無いのがより質が悪い。

「ごめんね。失敗したなぁ」

 ちーちゃんがため息をつく。ちーちゃんが悪いことなんて、ひとつもないじゃんか。

 私が頼りなかったから、ちーちゃんはこの困った事態を今日まで私に話せなかった。

 ちーちゃんの悩みに気付けなくて情けない。自分に腹が立つ。

 優しいと思っていた隣近所のおじちゃん、おばちゃん達が、突然に話の通じない敵になった。色んな感情で頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「ちーちゃん!こんな所、出て行こう!」

「・・・でも、この家は?」

 ちーちゃんが強く出られなかった原因がこの家でもある。

 この家は私が生まれ育った、生みのお母さんと、お父さんと、お爺ちゃんと、ちーちゃんとの思い出がぎゅうぎゅうに詰まった大切な場所だ。手放したい筈がない。

 それでも。

「いいんだよ!家よりもちーちゃんが大事!!」

 私が言い切ると、ちーちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。

 ちーちゃんは泣き顔も可愛い。可愛い大切な、お姉ちゃんで、お母さんで、家族なのだ。

「ここを出て、行くあては?」

 泣き出したちーちゃんが落ち着くのを待っていたら、セイが静かに質問してきた。

 セイが静かすぎてセイの存在を少し忘れていた。

「ちょっと大きな街とか、どうかな。アパートを借りて」

 2人でアパートを借りて仕事をしたらどうにかなるのではないか。

「なっちゃん。保証人がいないと賃貸契約、たぶん出来ないと思うの」

「ええっ!」

 あっという間に詰んだ。アパートを借りるには保証人が要るなんて知らなかった。

 保証人を頼める人なんていない。ちーちゃんの家族、親戚の話は聞いたことが無い。

 私も父方の親戚はいないし、遠縁に生みの母の親戚がいるらしいが連絡先も知らない。

「この家は持ち家なのにな」

「土地ならある」

 セイが唐突にそんなことを言った。

「土地があっても家を建てるお金がないよ」

 家賃が無いからこそ、細々と続いていた生活なのだ。

「心配ない。この家を持って行く」

「もう、どうやって持って行くの」

 笑いながらセイを見ると、その真剣な表情にハッとした。

 その時私は、理解が及ばずに一時保留にしていた、セイの超常現象問題を思い出した。

「ここは、奈津と千紘の大切な場所?」

「う、うん」

 念押しするようにセイに問われて、私はぎこちなく頷いた。

「わかった」

 セイがすっくと立ち上がって眠り込んでいる鈴木さんの所に向かう。

 セイは鈴木さんの胸倉を掴んで持ち上げると、私とちーちゃんが止める間もなく宙づりになった鈴木さんに往復ビンタを食らわせた。ほっぺが真っ赤になった鈴木さんが呻きながらうっすらと目を開いた。

「清川家との借地契約は今日をもって解約する。更地となって返却されたと思え。2人は遠い親族のもとに身を寄せたとでも周囲には伝えろ」

 今までせいぜい3語文ほどしか話さなかったセイが、長文(当社比)で鈴木さんを脅しつけている。日本語超ペラペラじゃーん。

 私とちーちゃんはあっけにとられて口をはさむこともできない。

 セイは持ち上げた鈴木さんを店舗出入口に向けてドスンと降ろす。

 鈴木さんはたたらを踏んでから体勢を持ち直し、ちーちゃんの前を素通りしてぼんやりとしたカツラ半ズレ状態で店の外に出て行ってしまった。

「あの男のいう事を周囲は信じる」

 日本語ペラペラだけど、どういうこと。

 説明が足りないと思う!

 セイの言葉に被るように建物が細かく揺れ始める。ゴゴゴゴと地の底から湧き上がるような地鳴りに私とちーちゃんは再びぎゅっと抱き合った。

「セ、セイ!」

 揺れは少しずつ大きくなる。たまらずセイにも手を伸ばすと、セイがちーちゃんごと私をふんわり抱きかかえてくれる。

「すぐ終わる」

 セイの宣言通り、家屋の揺れは突然ぴたりと収まった。

「な、なにがあったの?」

 戸惑う私とちーちゃんを前にセイはゆったりと店舗の入り口に歩を進める。

「家と庭も持ってきた」

 セイがガラリと店舗の引き戸を開ける。

 店舗の入り口の引き戸の向こう。そこはなだらかな凹凸を柔らかな緑が覆う草原がどこまでも続き、地平線から空にかけては濃いピンクからクリーム色へと変わるグラデーションが広がっている。見慣れた商店街に続く町並みから景色が一変していた。

「ここで千紘と奈津の料理を毎日食べる」

 淡々と語るセイは通常営業である。私とちーちゃんは手を取り合って恐る恐るお店の出入り口から一歩外へ足を踏み出した。清川家の小さな庭が少しあり、茶色い土が途切れた先はふかふかの芝がどこまでも続いている。

「なっちゃん、私お月様が2つ見えるわ」

 ちーちゃん、私もだよ。

 自宅を取り囲む猫の額ほどの庭もきちんとついてきている。

 そういえば、庭(土地)は鈴木のおじさんの持ち物なのではと思ったが、それもいったん置いておく。

 敷地の境から向こうは見渡す限りの柔らかそうな芝が広がっている。段ボールソリとかしたら延々と遊べそうな位の広大な場所だ。そしてその広大な芝生の中にぽつんと一軒の小さな我が家。

 見慣れた町並みが突然消えてしまった。月が2つ空に浮いている。

 その空は昼なのか夜なのかわからない。

 周囲を見回す私達を無言で見守っていたセイに、私はとうとうはっきりさせるべく質問をした。

「ここは、セイの世界なの?」

 私の質問に対してセイは、しっかりこっくり頷いたのだった。



 私たちがキョロキョロと辺りを見回していると、遠くから足音が聞こえてきた。大人数の規則的な足音。まるで映画で良く聞く軍隊の行進のような。

 なだらかな芝生の盛り上がりの向こうに黒い人影が現れた。人影が次から次へと芝生の起伏を乗り越えて現れる。その黒い人影は最終的に30人ほどの団体になってどんどん近づいてくる。

「セイ、誰か来るみたいだけど」

 セイを見上げると、いつもの無表情でじっと近づいてくる団体を見ている。

 相手の様子が目視できるようになると、黒づくめの揃いの服を着て、黒っぽい武器をもっているのが分かった。

 その団体は清川家の敷地から3メートルほどの距離をあけて止まった。

 そして私たち3人は軍隊っぽい謎の組織に完全包囲されてしまったのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ