Ⅶ
オアシス復活への道は滞っていた。
「人夫が集まらない、とのことです」
シルトがすまなそうな表情で奏上してきても仕方ない。
今は使っていない水路の掃除と点検、ひび割れた管の交換などを細々と行っている状態だ。しびれを切らしてアリーヤは城下に五つ井戸を復活させてしまったほどに進んでいなかった。
「王都までの水路が残っていても、そこへ繋げるまでは手で掘って貰わなくてはなりませんから……厳しいですね」
「姫様、アーハナでございます」
二人黙り込む寸前に飛び込んだ声は焦りが強い。
「城下で騒ぎが起きたということでお出まし願います」
アリーヤに出てほしい、それ即ち井戸に関係がある。城下の井戸も自身の所有としていたが基本は自由に使って良いという布令を女帝陛下に頼んで出していただいたのに。
「分かりました。では、わたくしはこれで」
退出するアリーヤにシルトも付いてきた。宰相の本分を果たすためだそうだ。
アーハナに案内されたのは皇宮の前庭、そこに拘束された髭面と細身の男。衛兵に槍を突きつけられて、怯える様子も無いまま。
「この二人、アリーヤ姫様が復活させました井戸を我が物と騙り、使用料として金銭を巻き上げていたそうです。布令を見ていた民から苦情があり発覚した次第」
はきはきした衛兵の言葉を遮り、髭面の男が「どうでもいいだろう!」と大声をあげた。
「あんた、見たところ皇族だろう。食い物にも金にも困ってないから井戸の所有を放棄した、それを俺らが所有して何が悪い!!」
「所有を放棄したのではありません。自由に使って良いと言ったまでです」
詭弁だ、と細身の男も吐き捨てる。
「今更出てきて正義ぶってんじゃねえぞ!」
「そうだ! 俺らは家族を養ってかなきゃならねえ、正義なんて腹の足しにもなりゃしねえんだ!」
「このっ――黙らないか!」
衛兵に槍の柄で叩きつけられても男は口を閉じなかった。
鬱憤が溜まっているのだ。民の生活はそこまで苦しい。困惑したが悲しくもあった。自分が苦しいと誰かを思いやることは出来ない。そうして人心は荒んでゆく。
「乱暴はやめてください。布令を見れば分かることです、所有したうえで自由使用を許可しただけ。正義でも何でもないのです」
「はっ。餓えたこともねえお姫様が、よく言うぜ」
ぐ、とアリーヤは奥歯を強く噛みしめた。
餓えたことなどない。それは幸せ――ふとハリージュの王宮へ召し上げられる直前の出来事を思い出した。
突然、王命をしたためた書類を持ってやってきた使者から、己が愛する娘を守ろうとした父は捕縛され投獄された。母は怪我をしていたはずだ。二人の身の安全を保障するならと承諾したが、両親は今どうしているのか。
「餓えたことがないのはその通りよ。国が違うから。私はハリージュ国から来たの。オアシスを復活させるためにね」
「だったら大人しく――」
「そのせいで両親には二度と会えないわ」
今度は男が言葉に詰まった。アリーヤの冷たい瞳に射抜かれたように。
「だからといって、私は人の心を捨てたりしない。お金が手に入っても、食べることに困らなくても、自分の命に意義を見いだせないほうが余程悲しいことを知っているのよ」
すっくと立ち上がったアリーヤは厳しい視線を男二人に注ぐ。自分の使命を知る者だけが持つ光。
「私の使命はサラブ帝国にオアシスを取り戻すことよ。あなた達の使命は一体なに?」
男たちは答えられなかった。そんなものなど考えたことがない。ただ今日を生き抜くために働き、家族を養うために働き……働いていればいいとだけ思ってきたのだから。
長く沈黙した。
「……そんな、ご大層なモン、俺らにゃねえよ」
「あるわよ。家族を養うことでしょう」
困ったひとね、と言わんばかりにアリーヤは屈んで目を合わせた。
「王都へ水を引くための工事に人手が必要なのに、なかなか集まらなくて始められないの。この工事に参加すれば一日分の報酬としてパンが一枚、皮袋いっぱいの水が付くわ。参加してみない?」
すでに井戸が自由に使えるとはいえ、飲む以外に煮炊きや洗濯もするだろう。話を聞きつければ遠方からも人が来て混乱する。奪い合いの可能性を少しでも下げるため、人夫には水を配布する決定がなされている。
「一週間真面目に働いたら、八日目からは二枚。男女関係なく働ける人なら歓迎するわよ?」
「アリーヤ姫、女性は労働する存在ではありません」
驚愕するシルトが慌てて止めるよう示唆するもアリーヤは露骨に首を傾げ、
「女帝陛下はサラブ帝国のために日夜政務に勤しんでいらっしゃる。陛下は女性じゃないと仰いますの?」
「そ、そうではなく……!? 女性は家庭を守るのが務めで、外で働くのは男の役目。姉上は特異的な存在なのです」
「女帝陛下が国のために働いていらっしゃるんだもの、自分の家庭を守るために女性が働いたって構わないでしょう? だいたい、男の人だけが働いて家族を養ってゆくっていうのは無理があると思いませんこと? 息子や夫に先立たれた家庭はそのまま野垂れ死ぬしかないじゃございませんか。そうならないためにも女性の労働を認める必要がありますわ」
実際、ハリージュ国では男も女も無く働く。子供がいるなら仕事場に連れて行けば老齢の人々たちが協力して見てくれる。アリーヤ自身もたくさんの人々に囲まれて愛されて育った。
「無理強いではなく、ね。それに、早くオアシスが復活し、水の心配をしなくて良くなるほうが先決ですもの」
にっこり顔を向ければ、もう、シルトは反論出来ずうなだれた。それも一瞬のこと。宰相になるだけあって考え方は柔軟なのらしい。
「それでは今回に限り女性も労働へ参加を募る、姉上に奏上いたしましょう」
「ありがとう!」
よし、これで工事は捗るはずだ。思わず飛び跳ねたい気持ちを抑え、喜色満面の笑みになるも続く言葉が違和を齎す。
「ただし、今後も続けるか否かの判断材料にさせていただきますよ。女性は家と子を守り、男に守られて生活するのが最も幸せなことに変わりありませんゆえ」
アリーヤには理解しにくい考えだった。体力や気力の差が物を言うのだろうか。しかし祖国でも大昔、女性は一家の宝とされて半軟禁状態だった歴史が存在する。しかも一家に一人の女性を娶り、兄弟の子までも産むという文化を持っていた地域も。そうした所以が帝国にもあるのだろうか。
だったらイルを守るのは誰なのだ、と聞いてみたかった。