マリオネットの町
中心地から電車に揺られ2時間余り
高いマンション群が立ち並ぶ町
その群れを抜ければ、川のせせらぎや木々たちの呼吸も感じられる。青年は毎日、ロボットのように働き、そして人間に戻るために、緑の中に帰って来ていた。規則正しい生活、同じ道を歩き、同じ電車に揺られて…
周りの情景などまるで記憶には残っていない。と言うか、関心を抱くことさえなかった。ロボットから人間にと、思っていることさえ、プログラムされている事なのだろう。気づいていないだけで。
青年は、いつものようにマンション群を抜け、川沿いを歩いて、緑に向かって歩いていた。ポチャンと、耳に響いてきた。今まで一度も聞こえて来た事のない音、その音に引き込まれるように視線を向けた途端、青年の耳には色々な音が飛びこんできた。
ビックリして蹲った青年の耳にまた、ボチャンと音がした。
そっと顔をあげ、その音の方を見れば、土手に座り、小石を川に投げている少年がいた。初めてみる少年。何をしているんだろうと、気になった。
耳に流れ込んできた音に慣れてくると、不思議とあんなにびっくりするほどの音ではない事に気づいた。
青年は、そっと立ち上がりさっきから気になっている少年に話しかけてみた。
「君、そこで何をしてるんだい?」
青年の声に不思議そうに振り向いた少年の目は、哀れむような悲しい目をしていた。
何も返事の返ってこない事に、もう一度声を大きくして呼びかけた。
「君、一人かい?何をしてるんだい?もうかなり遅い時間だよ。早くおうちに帰った方がいいよ」
心配顔で話しかけてくる青年に、少年は
「壁を越えちゃった事、気づいてる?おじさん」やっと、口を開いた少年の言葉の意味が解らず、青年は不思議な顔になっていました。
「君は何を言っているんだい?壁ってこの近くには壁なんてないよ。」
少年は、大きなため息を零しながら
「おじさん、家はどこ?ここから近いの?」
少年が何故自分の家の場所を唐突に聞いてきたのか、もしかしたら家出少年か?など思考をめぐらせていると、沈黙に痺れを切らした少年は
「おじさん、へんな事考えてるだろ?僕、家出してるわけじゃないよ。おじさんの家に行けば解るよ。」
そんな事を言いながら、腰をあげ近づいてくる少年に少しばかり恐怖のようなものを感じた。
「おじさん、早く行こう。取締官たちが来るから。」
と、俺の腕に手をかけ
「駅から来たんだよね。だったらこっちの方だ。」
俺を促した。
腕にかけられた手から自分と同じように体温が感じられる。幽霊とかじゃないみたいだし、俺の家に行けば何が解るというんだろうか、少し気になった。
歩を進めた俺に、ほっとしたようにかすかな笑みが少年の口元に零れた。
「おじさん、気分悪くなったりしてない?」
「いや、大丈夫だが、何故だ」
「大丈夫ならいいんだ。これから時間はたくさんあるから、ゆっくり話そう」
いつも歩いているはずの家路なのに、違和感のようなものを感じていた。何が違うのかと問われてもはっきりした答えなど思いつかないのだが、体全体がそう感じている。
初めて会った少年と無言で歩くのに息が詰まりそうになる。
「君、さっき言っていたことなんだが・・・・」
少年は、ちらりと俺に視線を向けたがすぐに前をみて
「後で話すよ。今は、自分の目で見るのが先だよ。何が起こっているかをね。」
それだけを言うと黙ってしまったので、俺も仕方なく黙って一本道の土手を歩いた。
小さな橋をが見えてきた。そこから先は住宅街になっている。
「その橋を渡るとすぐ右側のマンションになるんだが、何があるというんだ。」
橋の手前で少年は足を止めたので、俺も同じように立ち止まった。
「今まで僕たちの横を流れていた川はどこに行ったんだろうね。」
少年が唐突にそんなことを聞いてきたので、俺は川・・・そうだ俺たちは土手を歩いていたんだった。
目の前には今まで横にはかなり広い川があった。でも、目の前には小さな水路のような川が横に伸びているだけだ。まるで境界線のように。
「地下を流れているんじゃないか。住宅街に入るから。」
つじつまの合わない変な返事をした俺に
「おじさん、自分でも変だと思っているのに、認めたくないんだね。でも、認めなくちゃ生きていけないよ。」
「何を認めるっていうんだ。生きていけないだの、訳がわからない。君は何者なんだ。」
考えれば考えるほどイライラとしてくる。少年が得体のしれないものに見えてきて、大きな声でわめき散らしていた。
「おじさん、大きな声を出しても、暴れても何も変わらないんだ。おじさんは、壁を越えちゃったんだから。家に帰ればもっと叫びたくなるよ」
少年はそれだけを言うと小さな橋を渡り始めたので、俺もそのあとに続いた。
「右だったね。あのマンション?やっぱりすごいね。マンションがまるで積まれたブロックのようだね。」
少年が独り言のようにつぶやいた言葉に、改めて目の前に広がる景色を眺めた。こんな風景だっただろうか?自分のマンションはどれだ?今までこんなこと思ったことなどないはずなのに・・・・
「さぁ、行こう。おじさん」
呆然としている俺の手を少年が引き歩き始めた。
「ここだよ。たぶん。8階の808号室だ」
「すんなり入れるかな~急ごう、もう、おじさんが家に帰ってしまっていたら僕たちは入れなくなっちゃう。それとも、ここで、もう一人のおじさんを待つ?」
少年の言っていることが全く理解できない。
「おじさん、マンションの自動ドアの前に行ってみて。僕は行けないから」
少年に促されマンションの前に立った、ドアは普通に開いた。何も変なところはない。
少年は、走って俺の横をすり抜けて行った。
「おじさん階段を行くよ。」
「階段だって・・・俺には8階までなんて無理だよ」
「ごめんね。でも、僕には頑張ってとしか言えないよ。」
少年の申し訳なさそうな表情に
「わかった」
としか返せなかった。
心臓がつぶれそうなほど疲れたが、やっと8階までたどり着いた。俺の家は、この非常扉の斜め向かいのはずだ。
非常階段のドアを開け家に向かおうとしたが、
「おじさん、待って。ここでいいんだよ。見ていて何が起こるかを」
何が起こるというのだろう。非常ドアの前、壁に隠れるように自分の家の玄関を見据える。
沈黙の長い時間が過ぎていく中、じっとりと汗をかいていた。エレベーターのピンポーンと軽快な音がこの階にとまったことを知らせる。一人の男が降りてきて自分の家のドアの前でチャイムを鳴らした。そこにいたのは自分自身だった。ドアが開き妻が嬉しそうに「おかえり」と、手に持っているカバンを受け取っている。
どういうことなんだ。あれは俺…….じゃ、ここにいるの俺じゃないのか。
俺の戸惑いを憐れむような目で見ていた少年は
「おじさん行くよ。河原に戻ろう。ここじゃ離せない。監視員が気付く前に逃げなきゃ」
呆然としている俺の手を取り、階段を駆け下りる。俺は、訳が分からず少年に引きずられるように足を進めた。どうやってここまで来たのかよく覚えていない。気が付くと少年と会ったところぐらいまで走ってきていたみたいだ。かなり息が上がって苦しい。
「おじさん、こっちだよ」
少年は、もう俺の手を放していた。ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す俺に着いて来るように言い置くとさ河原に下りて行った。
そして、川の中に入っていくのが見えた。
「おい!危ない!何してるんだ」
どんどん川に入っていく少年をあわてて追いかけた。確かに水の中に入ったはずなのに冷たさも感じない。
何とも気持ちの悪い、ぐにゃりと歪な空間。吐き気がこみ上げてきた瞬間、ふわりと暖かい風を感じた。吐き気はおさまっていた。俺は目の前に広がる景色に言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。
「おじさん、ここまで来たら安心だよ。あそこに座ろうか」
俺は、目の前に広がる荒野、否、廃墟に目を奪われていたが、少年の言葉にあそこってどこだと思い少年の指差すほうを見た。そこには元の形が何なのかわからない瓦礫が点在していた。
少年が歩き出したので俺も後ろを着いて行った。比較的大きな座れそうな瓦礫に少年は腰を下ろすのを見た俺も隣に腰を下ろした。
「おじさん、目の前の景色、どう思う」
目の前の景色、見たことのないような、でも、見たことのあるような景色、崩れかけのビルがあちらこちらに見え、朽ち果てた車らしきものが点在する。
「ここはどこなんだ?俺は・・・」
掠れた声を詰まらせた。
「ここは現実の世界。おじさんが今までいたのは虚実の世界だよ」
「虚実の世界?」
「過去の大人たちはしてはいけないことをして、自分たちの世界を壊したんだよ。その結果がこれ」
少年が言うことがよくわからない。してはいけない事とはなんだ。
解らないと眉間にしわを寄せ視線を彷徨わせる男に少年は
「核を使ったんだよ。そして人類は全滅に近い状態になった。わずかに残った人たちは、自分たちのクローンを作り、町の周りに次元の壁を作り、生活させたんだ。感情を一切持たないマリオネットの世界をね。そして少しづつ人を増やしていき、そこに住む人たちは自分が普通に家族を持ち子孫を増やし生活するようになるんだけど、時々おじさんや僕みたいに次元の歪みに同調して感情のコントロールを外れてしまう人間が出てくるんだ。そんな人間を監視、排除するのが監視員。コントロールが外れた時にマザーは、その人間のクローンに記憶を植え付け送り込むのさ。秩序を守るためにね。マザーは人間に感情があるから戦争が起こると認識したんだ。もしかしたらマザーが人類を滅ぼそうとしたのかもしれないね。おじさん、これからは自分の意志で生きていくか考えなきゃいけないんだよ」
少年は遠くに浮かぶ月を見ながら話していたが、俺のほうに顔を向け、この後どうするのか自分で決めろと、まっすぐな強い視線が問い掛ける。
「ここで生活できない時はどうなるんだ?」
「向こうの世界に帰って、監視員に捕まれば記憶を消去され別の家族を持ち別の生活が始まるんだと思うよ。感情のない人形の世界でね。どちらが幸せかなんて僕にはわからない。だから、自分で決めるしかないんだ」
それだけ言うと少年は、腰を上げ
「今日は、僕の家に来なよ。お腹空いただろ」
歩き出した少年の後を追いかけた。少年の言うようにお腹が空いたような気がする。今まで感じたことのない気分だ。これが、感情なのか、まだ解らないでいた。考えるのはお腹が満たされてゆっくり考えよう。初めての事なのだから、この感覚を楽しみながら考えるのもいいかもしれない。心地よい風が頬を撫ぜ、髪を揺らす。未知の世界、未来に一歩踏み出した、わくわくする自分がそこにいた。