人の道徳心を嗅ぐ男
弥助の話。
昔、村のはずれに弥助という男が暮らしていた。
目が悪く、ほとんど物を見ることができず、出会う人の首筋に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
「道徳心」の程度を嗅ぎ分けているのだという。
「道徳心」だなんて、そんなものを嗅ぎ分けることができるのだろうか?
簡単だという。少なくとも自分には簡単だ、と弥助は言った。
道徳心の強い人からは明らかに道徳心の匂いがするし、道徳心の弱い人からは明らかに道徳心の匂いがしないという。
どんな立派な肩書きの男と出会っても、どんな着飾った女と出会っても、道徳心の匂いのしない奴は、俺は相手をしないんだ、と弥助は言った。
道徳心のない奴が何を言おうと、その言葉を信じる理由は何もない。
道徳心のない奴が何をしようと、あるいは何を思おうと、世の中にとっては結局、何の価値もないし意味もない。だから、道徳心のない奴の相手をする理由は何もない。
大金を目の前に積まれたって、柔肌でしなだれかかられたって、俺の心は少しも動かない。
目のいい奴らは、馬鹿だね。見えちまうから見た目に騙される。
何の意味もないことに振り回されて、本当に大事なことに気づかない。
だから実際には、俺のほうがずっとよく見えてる。俺の目のほうがずっといいんだ。
お前らはみんな馬鹿だよ。
人間の形をした奴がむこうから歩いてくりゃ、人間だと思うんだろ?
そして、手足があり目鼻もあって何か喋った日には、人間だと信じきる。
金や美貌に目を奪われ、心ない人間と夫婦にまでなる。
人を見る目のない奴の人生ってのは、最期まで苦労の連続だよな。
俺は違う。俺はまず、道徳心を嗅ぐ。
それが一番、効率がいいんだ。
俺は、道徳心だけで人間を測る。他のものは必ずついてくる。
でも、そんなことをしているのは、どうやら俺だけみたいだ。
俺以外にはそもそも、「道徳心」なんて言葉が何を指すのかわかってない。
日本のどの村や町からも、道徳心の匂いがどんどん消え失せてるぜ。
俺の爺さんの頃の日本では、どの町でもまだ、人として生きるべき筋道ってものが、言葉にならずとも共有されてた。曲げちゃならない筋ってものがあって、それが、男が男であるために、女が女であるために、町や村の一員に数えられるために必要だと思われていた。
外国から来た言葉で言えば、愛や正義についての話だ。でも、愛や正義なんて言葉を使わずとも、日本には愛以上の愛や正義以上の正義があった。
愛や正義なんて言葉に頼ったことで、愛や正義はすべて嘘っぱちに取って代わられた。
日本では、子供が子供を背負って世話をするのが当たり前だった。乳母車や哺乳瓶なんてものはなかった。
だから、家族や仲間ってのは、スキンシップの距離として現実的な実感だった。生き物の身体の熱を通して、互いの息吹きがそこにあった。
そして、動物には感情的に共感できる機能が備わっている。誰もが家族や仲間との共感のなかで生きていて、個人というものは言葉の上にしかありえなかった。
家族や仲間が痛みを感じていれば、自分の心も痛みを感じざるをえなかったし、おいしい食事をともにとる喜びや幸せも共有していた。
それには表と裏とがあって、つまり、家族や仲間の苦楽を苦楽として感じない、自分自身にしか関心がない者は、家族や仲間といった共同体の成員としては、格下だと見なされることになる。
歴史的な、人が歩むべき道とは、空論ではなく、落伍者を伴うものだったのさ。
すなわち、共感する能力を前提とし、それによって共有される精神的な利害をリスペクトし重視することが、他者を愛することであり、社会道徳における倫理的価値つまり正義だった。愛も正義も、思いやりの別名でしかなかった。
しかし、日本の文化は次第に西洋の実力に屈し、愛はセックスの別名にまで堕落し、平等や人権や法の支配といった形式的性質にまで正義の概念は乖離した。歴史的な価値は爆発四散して、もうどこにも残っていない。
でも、仲間の苦楽を共感して筋を通すなんて能力、犬猫にもあるぜ? 獣や鳥や家畜からだって、道徳心の匂いはムンムンするんだ。
そして、共感する能力とは言っても、結局は脳がする情報処理にほかならない。
今の日本人は、有名な学校にでも行けば頭のよさが証明された気でいるけど、本当かなあ?
単純に、どんどん馬鹿になっているようにも見えるぜ。
大金でも稼げば、一角の成功者になったつもりでいるけど、本当かな?
道徳心の匂いのしない馬鹿ばかり増えているようにしか見えないぜ。
人間が人間でいるために、本当は言葉を飾る必要なんてない。
ただ突っ立っていれば、霊長類様からは道徳心の匂いがムンムン香るはずだ。
そしてその道徳心は、そっと手を重ねただけだって、遠く一瞬目を見合わせただけだって、分かり合えるものだ。
優れた者が優れた者でいるために、着飾る必要は少しもないし、大勢の人に知られて褒め称えられる必要もない。今まさに着の身着のままで飢えて死ぬ人間からだって、偉大な道徳心の香りは猛烈に香っているんだ。
人間よ。お前らは、何か大事なことを完全に忘れちまったみたいだな。
あるいは人間の形だけ残って、かつて人間だった生き物はとっくに全滅しちまったのか。
言葉を話せるからって、動物より尊いつもりになるなら、とんだ間違いだぜ。
力を手にしたからって、弱い者達より偉くなった気でいるなら、余命いくばくの重症だ。
お前らは、かつては人間だったのに、残念だなあ。
かつてお前らが賢かった時代には、お前らの誰にも、道徳心を嗅ぎ取る知性が与えられていたのに。
力を前にして誇りを失い、知性を自ら投げ捨ててしまうとは。
人と出会うたび、俺は道徳心の匂いを嗅ぐ。
本当は分かってるんだ。道徳心の匂いのする人間なんて、もういない。
でも正直、寂しくて。
昔の家族や仲間が、蘇って訪ねてきてくれるんじゃないかと、俺は匂いを嗅ぎつづける。
日本がもう終わっているとしても、死ぬまでそんなこと認めてやるもんかって、俺の意地だ。
囲炉裏に薪をくべながら、弥助はそんな独り言をつぶやいていた。
弥助はそのように、国や人間の悪口ばかりを言うものだから、村には疎ましく思う者も少なくなかった。
一説には、山の狸が人に化けて暮らすうちに言葉を覚え、ついに自分こそが人間だと思うようになったものだという。
人の道徳心を嗅ぐ男の話。




