エピローグ
ここは温泉街から少し北に進んだ山の中。
人の気配のない場所で、仕事は行われる。
そう――これは、残された魔の者を退治するという、ノワールが受けている仕事。
といっても私は無力なので当然何もできず、木の陰に隠れて様子を見守っているだけなのだが。
誰もいない山の中の細い道にて、ノワールは紫がかって光る気味の悪い魔の者と対峙する。
たこのような形をした身体、上の辺りには三日月みたいな不自然な口がついている。そして、てらてらと湿ったように光った何本もの触手。それらが木々の狭間で大きな影を作っている。
刹那、たこのような魔物は細くなった月のような口から唾でも吐くかのように墨の塊を吐き出した。
砂利を踏みしめる音がして、ノワールはそれを回避。そこから片足で砂ばかりの地面を蹴って、宙へ。落ち着いた緑が魔法のように空中を駆け抜けてゆく。その手にはアイスピック似の武器。
魔の者は触手のうち一本の先を尖らせ、それで攻撃。
刃物のように鋭くなったそれはノワールの額をかすめる、が、ノワールは動きを止めない。攻撃を受けても気にせず、既についている勢いに乗るように魔の者の頭頂部付近への距離を縮める。
そして――。
「ギャア!!」
ノワールが武器の尖端で魔の者の急所――なぜか頭頂部にある口のような部分を貫いた。
「ガバババババ!!」
地味だが必殺の一撃。
魔の者は急激に大人しくなり、みるみるうちにしぼんでいった。
そして、地面に一人の男性だけが残される。
五十代くらいの日焼けしたおじさんで『たこ焼き』という文字とたこの絵が描かれたバンダナをしている人だった。
「お疲れ様!」
「ふぅ」
敵が倒れたところで合流する。
これは定番の流れだ。
いつもこんな感じである。
「手当てするわ」
「いつもごめん」
「いいのよ、私にできることはこれだけだからそうしたいの」
緑がかった暗いグレーの垂れた前髪を片手で持ち上げ、その下の切れた部分を露出させる。
「これは派手ね」
眉より上、額に、切り裂かれたような傷ができていた。
そしてそこから赤いものが滴っていて、その赤は既に目の辺りにまで到達している。
だがこういった物理的な傷ならいくらでも治すことができる。
「……早く終わらせたくて」
「自分を大事にしてちょうだいよ?」
「魔の者は核さえ無事なら死なないから……」
「まったく、貴方っていつもそんな感じね」
手をかざし、治癒魔法を発動すれば、傷は徐々に消えてゆく。
深い傷だってそう。
時間はかかるだろうがいつかは癒える。
「……それに、なるべくさっさと終わらせないと、ソレアのためにも」
「私のせいにするの?」
「いや、そうじゃない……ボクがそうしたいんだ、だって、もたもたしていたらキミと過ごせる時間は減るし」
――その時。
「ノワ様!?」
ノワールを呼ぶ声がした。
ここは人のいない場所のはずなのに、そう思って驚きつつ声がした方へ視線をやれば、太い木の向こうから歩いてきているルナが見えた。
「ルナさん!」
「ソレア、アンタも元気そうね」
「どうしてルナさんがここに……」
「魔の者討伐のために出張よ。けど、どうやらもう片付けられてしまったみたいね」
ルナの後ろにはコルトとコルテッタもいた。
「あ、お二人も一緒なんですね」
「まーね。坊やは今相棒みたいなものだから」
「そうなんですか!?」
そこへ、コルトが「現在自分はルナさんのサポート役に徹しております!」とはきはき口を挟んできた。ルナからは「うっさいのよ、声大き過ぎ」と注意されていたが、コルトは一切気にせず「また、私生活でもお世話になっているのです!」と言いたいことをどんどん言っている。その横にいるコルテッタは「お久しぶりです」と挨拶してから、少し照れくさそうに「私も……サポート役に入っています」と今の立ち位置を伝えてくれた。
「でも意外だわ、まさかノワ様とソレアが魔の者狩りなんてしてるなんて……」
「給料がいいんだ、コレ」
即座に返すノワール。
「ソレアばっかりに頼ってられないし。ちょうどいい仕事だよ」
「ノワ様……! なんて素晴らしいお心……!」
「元々魔の者は潰すつもりだったし、これで稼げるならちょうどいいよ」
意外な形での再会だった。
とても嬉しい。
たとえ束の間の遭遇だとしても。
「じゃ、アタシは帰るわ。無駄足だったみたいだし」
「こちらの男性を連れて帰りましょう!」
「そうね、頼むわ。じゃ! ノワ様もお元気で! また会いましょ!」
ルナはもう涙していなかった。
あの時とは変わっていた。
彼女もまた、彼女なりの居場所を見つけられたのだろう。
「今日はこれで終わり。帰ろ、ソレア」
少し先を歩いて、振り返るノワール。
その夕焼け空のような双眸に微かな笑みが滲めば、懐かしく愛おしい世界へ飛び出すように身体を前へ。
「帰ったら何食べる?」
「そうね……貴方が好きなもの、何でも!」
差し出された手を握って、共に。
あの始まりの日、その肌に触れて夜明けの街を駆けた時のように――けれどもそれ以上の温かさと互いを想う心を持って、私たちは歩き出す。
「じゃあ抹茶アイスかな」
「それはちょっと……売ってないかも……」
この世界では、誰もが居場所を求めてる。
時に迷い、時に後悔し、様々な色に染まる迷宮を越えて。器用には生きられず、運命に抗い、傷ついて。それでもまた何かを望み、裏切られ、憎み、怨んで、それでも愛して。
そしていつか、誰もが見つける。
自らが自らとして生きてゆける場所、己に相応しい居場所を。
けれどもそこは、終着地点ではない。
またそこから始まってゆく。
――新しい、日々が。
◆終わり◆