episode.26 ファーザー・コ・マモルン
束の間、マザーの揺らぎが停止した。
そうしてようやくその本当の姿を目で捉えることに成功する。
よく見れば、頭部は頭部のようになっていて、肩甲骨より下まで伸びていそうな長さのある髪のようなものも生えている。また、全体的には赤だがよく見ると少しずつ色の違いはあって、パーツも、膨らんだ肩回りと長く下にゆくにつれて幅が広くなっている袖が特徴的なある種のブラウスのような上半身と、コルセットと一体化したようなデザインのスカートみたいな下半身に別れている。目もとは常に暗くなっており目はない。が、口はあり、また、左目が本来ありそうな位置の少し下には三つしずく型のマークが入っている。ありとあらゆる部分が赤系統の色だが、口腔内としずくマークだけは水色だ。
「邪魔者ハキエロ……!」
言い放ち、マザーは再び激しい揺らぎに見舞われる。そして、それから数秒もせず、一塊の炎になったかのような動きでノワールへ真っ直ぐに突っ込んでいった。が、対するノワールは既に左手を取り出しており、それで一気にマザーを吸い寄せる。突進から逃れるどころか、彼は、引き寄せていた。
「好き放題暴れるやつに言われたくない」
「スッ……吸ワレ、ルッ……!?」
「言っとくけど、加減はしないから」
大きなマザーの身体さえみるみるうちにノワールの左手の方へ引き寄せられている。
「フ……フザケルナァァァァァ!!」
吸い寄せられたマザーだったが、途中で急にそんな荒々しい声を発した。するとその身体から凄まじい量の紅の光が溢れ出す。マザーは必死に抵抗し、ノワールの吸い寄せから何とか逃れた。
「クッ……ヤハリ穢ラワシイ……」
しかしマザーは今の抵抗でかなりの力を使ってしまったようで、弱体化し、半分くらいの大きさになってしまった。
再び、細い触手複数本が一気に迫ってくる。
ノワールはそれを前回同様手にした武器で払い除けるとそのまま小さくなったマザーへと突っ込み――鈍く光る武器の尖った先でマザーの目もとのしずくマークを突き刺した。
「アアアアアアア!!」
しわがれた悲鳴が埃っぽい空気を激しく揺らす。
――そして、次の瞬間、赤い魔の者は消滅し代わりに一人の女性が床にぽんと置かれていて。
そういえば、前に、シテキを倒した時もこんなことがあった……。
思いつつ恐る恐る近づいて、愕然とする。
「母……さん」
そう、倒れていたのは母だった。
「どうしたの」
倒れた女性を見下ろし動けなくなる私の顔を覗き込んできたのはノワール。
「ソレア?」
「この人、知っているわ、私」
「知り合い?」
「……母よ」
こちらがノワールの顔へ目をやれば、自然と視線が重なる。
「ゼツボーノの言ったことは……真実だったのね」
ノワールは何も言わずそっと目を伏せた。
その時。
「ノワ様! もう一体そっちへ行ったわ!」
ルナのそんな声が聞こえて。
気づいた時には、青い方の魔の者が凄まじい勢いでこちらへ向かってきているところだった。
風のような、光のような、そんな速さで向かってくる――そして、掲げた片手が振り下ろされる。
ノワールめがけて放たれたチョップだったが、それは無事回避に成功した。が、残念なことに、それによって床にまた被害が出てしまった。青の魔の者の手刀による攻撃の威力はかなり高く、一発でも床にひびが入るほどであった。
「貴様……我ガ妻ヲヨクモ……」
「次は何? 父?」
「娘ニチカヅキ、サラニハ妻マデ……ユルサン、絶対、コノ身ホロボウトモ……シトメル!!」
父なのか? この青い魔の者は。
ただ、マザーとの共通点はあった。それは、目もとにしずくマークがついていること。マザーのしずくマークは顔の左側にあって水色だったが、ファーザーは逆で右側にあって赤っぽい色をしている。
「ファーザー・コ・マモルン、参ル!!」
青い敵、ファーザーは、青く熱く燃え上がる。
刹那、背後からルナが蹴りを突っ込む――しかしファーザーの反応は早く、軽やかに回避していた。
「愛ト憎シミハ偉大ダ!!」
ファーザーは遠心力に乗せて両腕を回して回転し、宙にあるルナの身体を払い除ける。勢いよく払われる形となったルナは意思など無関係に飛ばされ胸から壁に叩きつけられた。
けれどもルナはほんの数秒で体勢を立て直す。
「痛いじゃない。何なのよ、もう」
ルナはかなりタフだった。
「ホント頭きた、覚悟なさいよ!」
ルナはそのまま低めの体勢でファーザーに駆け寄り、その胴体に両腕でしがみつくと、そのまま豪快に振り回して下へと叩き落とした。
そして飛び降りる。
ルナは殴る蹴るの攻撃を着実に当てていく。ファーザーもダメージを受けてはいた。ただ、ファーザーはなかなかしぶとく、ルナの猛攻に晒されてもなお生き延びている。核を破壊されていないからだろう、恐らく。
「穢レタ女……死ネェッ!!」
「っ!!」
高さが異なるので見づらいが、ルナがチョップを受けるところは見えた。
彼女は即座に腕で防いだが、それでも威力を抑えきれず、近くの枯れた草むらに突っ込んで数メートル向こうまで飛ばされたようだった。
「ルナさん!」
思わず前へ進みそうになって、ノワールに止められる。
「……危ない、それ以上前に出たら」
今この宿の状態はそれまでと変わっている。
何も考えず前へ進んでいっていたら急に落ちるということも考えられる。
そういう意味では、ノワールの制止も正しい。
「そ、そうね。でも、ルナさんが」
「援護に行くよ、ソレアは出てこないで」
「……待っているわ」
ノワールは窓側へ向かって軽やかに飛び降りた。
普通垂直落下してしまいそうなものだが、彼の場合はそうはならない――その身はふわりと下りてゆく。
ルナを吹き飛ばしたばかりのファーザーは自慢げに動きを止めていたが、上から下りてきたノワールに気づかないほど愚かではなくて。腕を振り回し即座に対応する。ノワールはファーザーの回ってくる腕を避けると、頭部の方へ向かう。そして、アイスピックのような武器の先端をファーザーの目もとのしずくマークへ突き立てる――刹那、ファーザーの片手がノワールの胴を掴んだ。
「本気ノスイコミサエナケレバ貴様ハ怖クナイトキイテイル……人間ノ姿デアレバ何モ恐レルコトハナイ、ト……」