そうして魔女は
人間に心を傾けてもいいことなんて何もないよ。師匠の口癖だった。
だからと言って師匠は別に人間嫌いではなかったし寧ろ困っていた人間が居れば口ではボロクソに言いながらもなんだかんだ放っておけずに助けていた方だと思う。そんな師匠の姿を見て育った私も人間を相手に商売をしているので似たようなものなのだろう。けれど人との間に一定の距離は保っているので私の作った商品をどういった理由でどういった人間が求めて来るのかなんて知らないし、知ろうとも思わない。少なくとも愛想の良い魔女ではないと自負している。にも関わらず少し前からなぜか一人の人間に懐かれていた。
「…帰りたくない」
「帰って」
最早定位置になりつつあるカウンターの席で顔を突っ伏しながら迷惑極まりないことを言うので即座に言葉を返した。顧客に依頼された物を作っているので集中が削がれるし気も散るのですぐにでも帰ってほしい。そもそもここに居座らないでほしい。
力技で無理矢理にでも出て行かせる方法はあるが魔女と人間との間には幾つかの条約があり、それもあってこの人間に無理強いが出来ずに居た。長く古くから続いて守られてきた条約。現在、魔女は私だけではなく転々とした場所で暮らしていて人間に混じって生活を送っている者も居るらしいので私一人が条約を破ったせいで同族に迷惑がかかるようなことがあってはいけない。条約を決めた当時の魔女と人間も、まさか魔女に対して家に無断で侵入した挙げ句入り浸ったりするような人間が居るなんて思わないだろう。しかも王族で、王子で、次期国王になるであろう第一王子。私の知っている王族はもっと威厳があって礼儀も慎みも備わっていた。時代も変われば王族も変わるのかと、王子を一瞥する。
「ラウラってやっぱり魔女だから人間的な感性とはちょっと違う感じ方をするのかな」
「人間的な感性ってどういう意味よ」
「美しい物を愛でたりする的な?」
「言いたいことは分かった自意識過剰自己陶酔男」
「ひど…」
「俺今すごい暴言吐かれた…?」と、普通にショックを受けた王子の様子は見ずとも分かって鼻で笑えた。まぁでも言いたい事は分かる。女性受けする均等の取れた顔立ちに王族だと明らかに分かる透き通った金髪とその碧眼。人間の女性だったら誰もが好意を抱く顔をしているのだろう。けれど、
「人間の子どもに欲情する程飢えてない」
「欲…」
不老の魔女にとって人間は等しく幼い子どもみたいなもの。魔女の中では若い方の私ですらそう感じるのだから、そういうことだ。顔の造形美が良かろうとも18年しか生きていない王子。鼻で笑った。
「…今日もラウラは絶好調だね」
「いいから帰って」
「帰りたくないもん」
「かわいこぶるな帰れ」
「ラウラがつめたい……」
わざとらしく顔を両手で覆う王子を見て、今日はいつにも増して面倒くさいなとため息が出た。会話をしながらも作業する手は止めていなかったが最終段階まで来たところでここから先は一気に完成させるのにかなりの集中力が必要になる。…現状、このまま放置したところで問題はない。諦めてカウンター越しから王子に視線を寄越した。
「王子なんて辞めれば?」
「……ラウラがそんなこと言うなんて驚いた」
「いつまでもここに居座られると納期が遅れるから根本的な解決の提案をしてるだけ」
「あぁ…そういう…」
「王位継承権を放棄したところで何も問題ないんでしょ」
「そうなんだけどね。でもたぶん、認められないかな」
なぜ。と話の流れで聞こうと思ったがそう言えば今の国王と正妃との間に生まれた子供は目の前のこの王子だけだったと思い出す。あとは三人の側妃の子供が五人。内、継承権を持った男の王子が二人。その第二王子と第三王子が居たところで、王はまだいいとしても、あの融通の効かない血族主義の貴族院が継承権第一位の王子の継承権放棄を認めてくれるかどうか。血筋的にも王族に近いと言われている公爵家の令嬢だった正妃に対して、三人の側妃の中で位の高い者は第二王子を産んだ側妃だが彼女は伯爵令嬢でも他国から嫁いできた異国人だ。第三王子を産んだ側妃は商家の出の人間なので貴族ですらない。それらを考えると確かに、難しいのかもしれない。
「父上は俺の意思を尊重してくれるだろうけど、本当は俺を次の王にしたいことは知っている。
弟たちも決して王になれない器というわけでもないし、自分たちの母親やその周りからも色々と言われているだろうに俺のことを兄と慕ってくれている」
王子の周辺が煩わしいだけで、王子の家族自体は恵まれている方なのだろう。私たち魔女には家族が居ない者が殆どだが、長く人間を視ていれば色々な家族の形があることは知っている。王族という貴族以上にしがらみの多い立場に立つ人間を目の前にして、人間はやはり面倒くさい生き物だなと改めて思った。
「辞めるつもりがないならぐちぐち言いながら居座るな」
「いや、それは違うよラウラ。ぐちぐち言う場所があるから人は頑張れるんだよ?」
「酒場にでも行ったらいいんじゃないの」
「うるさい場所はちょっと」
「わがままか」
「そう言いながらもなんだかんだラウラが優しいのは知ってるから」
だからまた来るよ、と頬杖をつきながら笑った王子に私は無言で魔法を展開しておでこに軽い衝撃を与えた。「いだぁ゛っ!」と言う王子にあるまじき声。もういいからさっさと帰ってほしい。
▽
外が騒がしいことに気付いたのはつい先程。騒がしいと言っても人の騒ぎ声が聞こえるとかではなく、森に住む動物や木々を纏う魔力にいつもの穏やかさが感じられなかったから。魔法というのは自分が持ち合わせている魔力と外気中に存在している魔力が合わさって使えるもので、その外気の魔力があまりにも安定しないものだからどうにもおかしいと家の外に出て初めてそれに気が付いた。
魔法を使うのに支障が出る程外気の魔力が不安定になる理由の心当たりは一つしかなく、息を小さく吐いて目を瞑る。
集中。自分の魔力だけを使って頭の中で術式を展開すれば広範囲に動かそうとしている魔法にごっそりと己の魔力が持って行かれるのを感じながらも術の展開は止めない。閉じた目の奥で、自分が今居る場所から疾風の如く街に向かって進む景色を視る。街に着いて建物の隙間を抜け、人混みを抜け、門を越えて王城内に入る。入り組んだ城内を凄まじい速さで駆け抜けて着いた先にはある程度の人が居て、皆一様に青い顔をしており中には忙しなく出入りする者、声は聞こえないが怒声を発していると思われる者、様々だった。今のこの国の王が、顔を覆い座り込んでいる王妃を支えているのが見える。その近くで不安定な外気の魔力の原因と思われる教会の人間が数人、何か言葉を発しながら血溜まりの中で倒れている人間の周りを囲んでいた。倒れているのがあの王子だと気付いた瞬間に私は即座に展開式を換えて視えたその場所に、飛んだ。
突然何もない空間から現れた私に周囲が酷く驚いたのが分かる。周りが煩いが私はそれを全て無視して衣服に血が纏わりつくのも気にせず青白い顔でぴくりとも動かない王子の頚動脈に手を当てた。脈の動きを感じられなければ、魔力も何も感じられない。それが意味するところを理解して一気に血の気が引いた。「魔女か…?」誰かが言った言葉に応えることなく私が突然現れたことで中断された魔術を、教会の人間が再び起こそうとしていたのを止めた。
「その魔術にもう意味はないから止めて。無駄に外気の魔力が消耗するだけだから」
「なっ…!」
「邪魔をするな!王子を死なせる気か貴様!!」
「死んでるんだよ。もう魔力の一欠片も残ってない王子に何度術で魔力を入れたって意味がないって言ってるの」
「そんな…っ!」
女性の、王妃の悲痛な叫び。嗚咽が漏れる程の泣く姿を視界に入れればその隣の国王と視線があった。
「…森の魔女よ。その言葉に偽りはないのか」
「条約に違えることなく」
「…っ、そうか…」
視線を王子に向けて顔を歪ませる国王に、私も王子を再び見下ろした。決して合うことのない蒼い瞳。私たちの会話が聞こえたのだろう方々から聞こえる声は誰もが心の底から悲しんでいた声だった。
城に居場所がないとでも言うように、どんなに言っても居座っていた王子を思い出して馬鹿だなこいつと思う。
「…愛されてんだよ。王子」
小さく呟いた声は勿論誰にも彼にも聞こえていないだろう。それでも言わずにはいられなかった。ぶっ叩いてやりたい気分だったが流石にこの場でする程の世間知らずでもない。
思わず笑みがこぼれてそれから王子の手を取った。その手と共に王子の胸に置く。目を閉じる。頭の中に術式を展開する。集中する。
「…魔女?何を…」
私の纏う空気が途端、変わったのが分かったのだろう国王の声が聞こえたがもう何かを言ってやる程の余裕は私にはなかった。
師匠。
今なら師匠の言った言葉の意味が分かります。
師匠の言う通り人に心を傾けても何も、いいことなんてありませんね。
「(…私も大概、)」
馬鹿弟子と、師匠に笑われた気がした。
▽
人間と魔女の違いはその膨大な魔力量の差がまず一つ。あまりの魔力の多さに体内の組織細胞にまで影響を及ぼすことで魔女は不老となる。老いもないので寿命もなく、けれど不死ではないものの人間に比べると果てない時間を生きることになる。だから魔女の持つ魔力が人並みになれば人間としての老いと寿命が与えられるだろうと言われていた。けれどそれはあくまで空想上の理論にしか過ぎず、持ち前の桁外れの魔力量のお蔭で外傷を受けても一瞬で治癒してしまう魔女に魔力が人並みにまで減った場合どうなるのかなんてこの長い歴史の中でも解明されずに居た。どんな魔法を使用した場合でも人並みにまで減ることはなく、集中力が先に切れてしまい魔法の発動が出来なくなるのが常だった。
だから私の存在が今、新たな真実の証明なのだろう。と思いながら鏡にうつった自分の姿を見た。魔女だったときの見た目よりも少し成長した自分の姿。底が見えないような深い魔力の感覚が今は何も感じられず、まるで浅瀬に居るような。魔女の多くがそうであるように先天性で魔女となった私にとっては未知の世界だ。人間とはこういう感じなのか、と落ち着かない。
気配察知まで衰えたのか扉の開く音がするまでこの家に誰かが近付いて来たのが分からなかったぐらいで。音に驚いて振り向いたよりも先に相手が私を抱きしめる方が早く、倒れはしなかったものの少しよろけた。無遠慮に抱きついてきたそれが、誰か分かって呆れる。
「なんで来た」
問いに答えはない。無言の時間が続き少々苛立ってしまい「おい」と言って離れさせようとするがびくともしない。逆に私を抱きしめる腕に力が入ってきてしまいどうしようも出来なくなった。なんだこいつ…。
ふと。王子の身体が震えていることに気付いて、瞠目する。
「……え。泣いてんの?」
嘘でしょ?と思いながら顔をちょっと引いて王子の様子を伺えば、私の肩に顔を埋めた王子が暫くして、ゆっくりとその顔を上げた。涙で濡れた蒼い瞳と目が合う。間を置いてなんだか可笑しく思えてきてしまい笑ってしまった。頭を抱き寄せてぐしゃぐしゃと撫でる。
「馬鹿だねぇ、お前」
「ばかはラウラじゃん…」
「は?」
「ほんと、ばかじゃないの…」
弱々しい声に未だにしくしくと泣き止まない王子に馬鹿馬鹿言われて腹立たしいというよりもいつまでも泣いてんじゃないよ一国の王子が…と呆れた気持ちが大きかった。いつの間にか再び王子は私の肩に顔を埋めていて抱きしめる腕を緩めようとしない。
こいつが生きていてくれて良かった。
この感情を人間は愛と呼ぶのだろうか。
分からないが、今だけはこのままで居てあげようと思った。