表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

一件落着!ですから

「エリナちゃん!」

 自失しかけたエリナの意識を小鞠が呼び戻す。

「二人とも逃げてっ」

 そう小鞠は敵の前に立ちはだかり、素早く床に残っていたカノンのハイヒールを投げつける。命中した敵の動きは多少ひるんだように見えたが、決定的でないのは明らか。

「おかいしい、あんなのっ!」

「逃げなきゃ、」

 エリナは必死でカノンを抱え起こして、定子と一方ずつ肩に腕を回し支える。とにかく距離を取らねばと、カノンをひきずっていく。

「こまちゃん!」

 彼女らを守って、敵の前に立ちはだっている小鞠を定子が呼ぶ。敵は前進している。

 小鞠はほとんど敵から目を逸らさずに促す、

「先に……!」

 ギッ、ギリギリ、グッ

 何かをこすり合わせているような、奇怪な音が聞こえてくる。立て続けに、バサリ、と空気が鳴って、エリナは躊躇する間もなく敵を振り見る。

 巨大虫は透明なセロファンみたいな羽を広げ、静止している。黒い目玉が、標的を狙うみたいにこちらを見定め不気味に光る。

 エリナの意識は、時間と共にゆっくりと遠のいく。為すすべなく、広げられるた透明なセロファンみたいな敵の羽が小刻みに震え、波打つのを、細切れに見ている。

 ついに巨大虫が飛んだ! 低空で、一直線に向かってくる。息を呑み込み、エリナは命の危機の恐怖を悟る。

「逃げてっ!」

 意識を手放しかけたエリナの視界に小鞠が飛び込む。

 小鞠は身体ごと投げ出した、文字通り捨て身の体当たりで巨大虫の進路を無理やり逸らす。

「っ小鞠!」

 エリナはようやく我に返る。

 小鞠は敵の勢いに押し負け、床に転がる。敵はぐるりと目玉を巡らし、倒れた彼女の姿を捉える。

「小鞠!」

 叫ぶエリナの、武器を取ろうとする体はバランスを崩してもたつく。

 巨大虫は小鞠の身体の上を構わず進んでいく。

 細く儚い少女の身体が、巨大虫の無数に蠢く足のなかに呑み込まれていく様はあまりにグロテスク。見ているだけで身の毛がよだつ。

「いやあっ!」

「こまちゃん!!」

 エリナと定子は叫ぶが、倒れる時に頭を打ったのか小鞠は動かない。開かれた巨大虫の口らしき穴が捕食めいてどんどん大きく開き、彼女の頭に近づいていく。

 エリナはカノンを手離し、とにかく虫に向かって駆ける。

「やめて!小鞠を離してっ!」

 叫ぶエリナの瞳から涙が零れる。だめだ間に合わない――

 ガッ、と唐突に鈍い音が短く鳴る。

 エリナの目前で、巨大虫が僅かに浮いた。巨体は勢いよく吹っ飛び、壁に鈍い音でぶつかると、そのまま落ちて仰向けにひっくり返る。

 じたばたと、無数の足が一斉に騒ぎ巨大虫は体勢を戻そうともがいている。

 グサリ。

 いつの間にか起き上がっていた小鞠が、虫のむき出しになった腹に、躊躇のない一閃でヒールを突き刺した。

 ギシッギャシャ、と何かが擦れるような、形容しがたい断末魔を上げて、仰向けのまま虫は完全に動きを停止した。

 一瞬の出来事に、駆け寄ろうとしていたエリナはその体勢のまま、状況が飲みこめなくて固まっている。頭の中は混乱しているが、小鞠が非常に的確かつ無駄のない動きでこの巨大虫を倒した、らしい。エリナが状況を飲み込んだ頃、ようやく小鞠と目が合った。

「はっ、」

 小鞠は我に返ったように短く息を詰まらせた。そして、表情は苦し気に大きく歪む。

 小さな足音で小鞠はエリナたちに背を向け走り出す。

「小鞠? どうかしたの?」

 呼び止める声にも振り返らず、小鞠は一目散に駆けて行く。

「こまちゃん!」

 定子の声が虚しく闇に飲み込まれ、小鞠の姿は廊下の奥へ消えてしまった。

「急にどうしたんだろう」

「泣きそうな顔をしていたわ」

「うん」困惑しつつも、定子も頷く。

 エリナは浮かんだ嫌な予感に、顔を青くする。

「まさか、どこか痛めたんじゃ」

「追いかけよっ」

 うん、と頷きあって二人は後を追う。巨大虫をもう見向きもせず脇を通り抜け、廊下を駆ける。

「小鞠ーどこーっ」

 もうすっかり暗闇にも目は慣れて不自由なく、彼女たちは小鞠を探す。廊下の端まで行ったが、姿は見当たらない。

「一体どこに……」

「ねえ、お嬢、これ見て」

 廊下の床を指差す。月明かりに照らされる教室のドア、閉じたその手前に、ぽたりと水滴を垂らしたみたいに、丸く液体が落ちている。

 血痕、とすぐさま浮かぶ直感に二人は焦燥と不安で顔を見合わす。

「小鞠っ」

 エリナはすぐに教室のドアに手を掛ける。

「―、開かない!」

「でも、鍵なんて」

 隣の教室の扉は開く。定子がそれを確かめて、

「ここにいるんだわ」エリナは確信する。

 ドアを叩く。

「小鞠、けがをしたのなら早く治療しないと」

「こまちゃん、ここ開けて!」

 二人は呼び掛けるが、声は返って来ない。心配が一気に増す。

「中で倒れてるのかも」

「隣から何か扉を破れるものを」

 そう探しに向かおうとして、

「違うの……私は大丈夫だから……」

 聞き逃しそうな程、弱弱しく声が返る。二人は緊迫のうちにも、いくらか表情を明るくする。

「怪我は、」

「ううん、平気。どこも怪我はしていないから……」

「本当に? 良かった」

 二人して安堵のため息を漏らす。

 しかし、再び小鞠は沈黙する。

「小鞠、どうかしたの?」

「いいの……、先に帰っていて……」

「なぜ?」「どうしたの急に」

 呼び掛けるも、それきり返答はない。

 エリナは不安になってくる。返事のない小鞠の心が遠く離れて、この扉のように閉ざされていくみたい。

「小鞠、何かあるなら私たちに話してみて。力になるから」

 エリナも戸惑いながらも、再び沈黙に語りかける。

「……私、その、さっきのこと」

 ぽつぽつと届く小さな言葉はしかし再び途絶えてしまう。

「さっきのこと? む、虫のことなら、本当にありがとう。小鞠が助けてくれなかったら、私たちどうなっていたか」

「考えたくもないね」と隣の定子も苦い顔で付け加える。

「きっ、気持ち悪くない?」と思い切ったように小鞠が尋ねる。

「そりゃもちろん! なにあのうごうごする足! いー気持ち悪!」

「やめて定子! 思い出したくもない」

 全身に悪寒が走って、エリナは思わず自分の身をかき抱く。

「ああ、本当に。小鞠は命の恩人だわ」

「うんうん」

 首がとれそうなほど定子が頷くが、慌てたように小鞠の声が返る

「そうじゃなくって、私のこと」

「え? 私って、小鞠がどうしたの?」

 しん、と一度沈黙があってから、

「私の、こと、気持ち悪くない?」

「え、なんで?」「なんの話? 気分が悪いの小鞠?」

 エリナはまた先回りした思考で心配を始めたので、小鞠はいよいよ、

「あんな巨大な虫、平気で倒す女子高生って、気持ち悪くない?」

 核心を尋ねる。

「はあ」とエリナと定子は間の抜けた声を上げる。

「私、田舎暮らしだから、虫なんていくら大きかろうと平気だし、あれがもし熊だったら即死だけど、毒のない虫なら触ろうが噛まれようが死にはしない。腹なら柔らかくて防御力も低いだろうからすぐに殺せるな、って。そんな風に考えるのにも、殺すのにもこれっぽっちの感情も起こらないし……」

 エリナと定子は顔を見合わせた。落ちる沈黙に不安げに小鞠の言葉が続く。

「そんな子って、気味が悪くない?」

 ふっと我慢できずにエリナが笑みをこぼす。

「馬鹿ね小鞠! 大好きよ!」

「えっ?」

「そんな子、私は大好きだって言ってるの!」

「定子もー!」

 想定外だったのか、ぽっかり無言が返える。

「でも、小鞠とってはそれがつまり、コンプレックスだったのね。なのに、私たちを助けるために、嫌いな部分を晒してくれた。こんなに友達冥利に尽きることはないわ。だから私も」

 うんうん、と頷いていた定子が、え、と顔を上げる。エリナはなぜか自信満々の表情で立ち上がる。そして叫ぶ。

「きやあ、また出ター!」

 定子は、おそらくドアの向こうで小鞠も、きょとんとしていたがエリナは構わず続ける。

「だけど今度は私が倒すワ。さっきは初めてだったからちょっと、びっくりしたケド、虫の一匹や二匹くらい! ネ、そうでしょ定子! 一緒に倒しマショウ!」

 エリナにそう熱い眼差しを向けられると、定子はとうとう抑えきれずに盛大に吹き出した。

「こら、笑ってないで、返事は」

「ぶっ、だってお嬢、とんでもない棒読み」

 咎めながら、エリナも自分で笑いを堪えてる。

「お嬢、女優さんみたいに見た目きれいなのに、ぷっ、演技が死ぬほど下手だなんて……。文化祭の劇、楽しみだね」

「黙りなさい、定子」

 クスクスと、ドアの向こうからも小さく笑う声が漏れてくる。

「ほら、もういいでしょう、ここを開けなさい小鞠」

 強気に言いながらも、エリナは耳まで真っ赤になっている。

 すーっと控えめに、教室のドアが開く。

「まったく。手が掛かるんだから」

「うん、ありがとう。エリナちゃん」

 小鞠が伏せていた顔を上げる。瞳が少しうるんで、きらりと光った。

「ミッションコンプリートね」

 当初の予定とは違ったけどね、と定子はコソッと付け足すも、エリナと小鞠の手を手をとって、

「さ、帰ろう!」ぎゅっと握る。

 廊下を包む、あれほど恐ろしかった闇が、今は少しも怖くない。

 三人は階段を降り、何事もなく渡り廊下まで戻ってきたが、ふと、エリナは足を止める。

「なにか忘れていない……?」

 沈黙ののち、三人は同時に声を上げる。

「カノン!!!!」


    ***


「結局、あのおぞましい虫たちは何だったの?」

「うん、普通の大きさじゃなかった」

「ううー、思い出したくなぃ……」

「あはは……、私、全然覚えてない」

 無事翌朝を迎えた4人は、委員会室でそんな会話を繰り広げる。

 がらり、とドアが開いて、今日はそれほど不調ではなさそうな花江先生が現われる。

「昨日はごめんなさいね。保健委員会からの依頼、みんなだけで大丈夫だった?」

「え、保健委員会からの依頼?」

「知らなかったの? 外に警告も書いておいたんだけど」

「警告? ブラッティでデスなあの落書きが!?」

 まさか、と身を乗り出し詰め寄るカノンに、花江先生は事も無げに優しく頷く。

「保険の先生いるでしょ? 彼女が私の薬を調合してくれたんだけど、ちょっと強過ぎた上に、うっかり花壇にぶちまけたらしくて。薬の効果で生態系に異常を来たしかねないからって、駆除を依頼されたのよ。あら、挟んでおいた依頼書に書いてなかった?」

 4人は揃ってブンブンと首を横に振る。

「でも、助かったってお礼を言われたから、みんなちゃんとやってくれたのね。ありがとう」

 エリナは、ガタリと机に手を突き立ち上がる。

「次回からは、絶対に、断ってください!!!!」

 あんな依頼は二度とごめんだと全員が切に願いながらも、刺激的な委員活動はお構いなしに続いていく。



 『鈴舞管理委員会 活動概要』最終ページ

【おわりに 鈴舞管理委員会とは?】

鈴舞学園持ち前の、行き過ぎた好奇心と良心、そして技術力を持て余し、暴走する教員たちを止めるために設立。生徒諸君は、平和的対話と友愛の精神をもって、豊かな学生生活を守りましょう。委員らの健闘を祈る!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ