かわいいは絶対ですから
彼女らの予想に反して、ブラッティ・デス・クラブのドアの向こうは至って普通だった。
こぎれいな木調の床に壁、教室の配置と同じようにホワイトボードがあって、合わせてちょっとした会議室みたいにコの字型に長机が置かれている。むしろ快適で、隅には応接用のソファもある。
そして、その長机の端で上半身を伏せている、人。
「ぎゃああああ!」
乗り込んだ勢いそのままに、叫ぶカノンはくるりと戻って、後ろにいたエリナに抱き着く。
「なっ、なんなのっ!?」
伏せった人の髪は、机に乗り切らず不気味に垂れていて、その画はホラー映画染みている。が、エリナにはその姿になんとなく見覚えがある。
この人は、思っていたら、ぎこちなく人が動く。
「ああ……みなさん、よく来てくれました……」
いよいよ蚊の鳴くような声量と血の気の失せた顔を、腕を張って身を僅かに起こしつつ上げる、
「花江先生!」
エリナと小鞠が駆け寄る。
花江先生は微笑を作るというより、もうその表情を崩すと危ういのではないかといような、我慢の交じる微笑で言う。
「だ、大丈夫。午後に呑んだ栄養剤の反動が来ているだけだから」
どれほどの劇薬だ、と思いつつもエリナは慌てて支えようと手を伸べる。花江先生はそれを制して、震える手で一冊の冊子を差出す。
「……こ、これを……。私もさっき、臨時顧問に決まって、何も知らないの……」
エリナは急いで受け取る。先生は弱弱しくも優しい顔のまま、
「だから、これを、読んで……ウッ」
突然口元を抑えて、その指の間からは真っ赤に血が滴り出す。
「きゃあ、花江先生っ!」
小鞠が悲鳴を上げる。花江先生が吐血した。
「きゅ、救急車をー!」
血の気の引いた表情でエリナが叫ぶ。
「さっき自分で読んだから……大丈夫……」
バタリ、と先生が再び伏せった直後に、保健室からの担架が来て先生は運ばれて行った。
四人は互いの顔を見合わす。
残されたのは冊子のみ。表紙は至って普通で、 “活動概要”と記してある。しかし、花江先生のだろうか、血痕のような染みもある。
怪しさに開くのが躊躇されるが、所属の上級生も花江先生の代わりも一向に現れる気配がない。読んでと言い残されてしまった以上もうこれを開くしかないと、寄りかけた背を一旦正して、彼女たちは腹をくくって長机を囲む。
「じゃあ、」
代表してエリナが、表紙を開き始める一文を読み上げる――
「『鈴舞管理委員会 活動概要』」
やっぱり委員会で合ってた、と誰しもが心中で思う。
「『何よりも第一に、わが委員会の絶対理念を掲げておく。“かわいいは絶対”』。ええ、かわいいは、それは絶対ね」
エリナは反射的にそう所感で頷いて、そして視線を感じてコホンと咳払いでお茶を濁す。
再び緊張感が場を満たす。
「『鈴舞管理委員会は、絶対理念のもと鈴舞高校の生徒たちの幸せに貢献し、活動者自身にも幸せを感じてもらおうという、素晴らしい委員会です。
歴史ある当委員会に選出された生徒4名は、学園の代表であるという自覚のもと、最後まで投げ出すことなく責任ある態度で活動に臨むこと』……要はボランティア活動をする委員会ってことかしら」
「メンバー四人だけってこと!?」
「でもみんな、入学したてだよ」
戸惑うカノンに定子も眉を曇らせる。
顧問の花江先生は当てになりそうにないし、とエリナも内心不安に同意する。次のページの文章を素早く目でなぞって、
「活動内容については……基本的には顧問を通して依頼が来るみたい」
「けど、花江先生は……」
くっ、となぜか芝居がかった動作で無念がるカノン。隣でその様子を、困ったようなしかし優しい微笑で見守る小鞠。
「他には……あ、」
エリナが更にページをめくると、間に一枚の紙が挟まっていた。
しかし、二つ折りのそれを開く前に、エリナの表情が凍る。冊子のページを凝視するまま停止する彼女に、3人も身構え緊張の視線を向ける。
「エリナちゃん、どうしたの……?」
「こ、コレ」
そうエリナはページを外に向ける。そこにはボールペンで走り書きがしてあった。
『この委員会は血塗られた苦螺舞、警告、BLOODY・DEATH』
全員が戦慄に息を詰める。
「こ、こわっ!」
「だけど、意味わかんないよ」
「警告、をしてくれてるみたいだけど……」
「この字体で? ここまで来ると、誰かのいたずらじゃないかしら?」
各々感想を述べるも、覚える不気味さは濃くなっていく。室内の普通さと花江先生の一件ですっかり忘れていたが、外の廊下は朽ち果てた地獄の入り口めいた恐ろしさだった。
固まる4人だったが、いち早く冷静に戻ったエリナは、とりあえず挟まっていた紙を開いてみる。
そこには、印字されたゴシック文字で、
「『鈴舞管理委員会のみなさん、お疲れ様です』」
読み上げるエリナに、3人が一斉に注目する。彼女は続ける。
「『校内の見回りを依頼します。詳細は、お手数ですが黒板側の箱を確認してください。それでは、成果に期待してます。ごきげんよう』」
読み終えるなりエリナは勢いよく振り返る。正面の黒板の隅に、確かに大きめの段ボールが一つ置いてある。
「最初から、あったよね?」
「変なこと言わないでよ」
走り書きのせいで、ごく普通の文面も段ボールもひどく怪しく思える。
4人は立ち上がり、じりじりと箱との距離を詰めていく。
「負けた人ねっ、じゃんけんポン!」
素早く定子が仕掛ける。咄嗟に3人も応じるが、結果はグーを出したカノンの一人負け。
彼女はがっくりと肩を落とし、うう、と弱気になりつつ段ボールの蓋に手を掛ける。そして最後は勢いよく、
「えーいっ!」開け放つ。
身構えていたものの、何も起きない。
中を確かめていたカノンは唐突に振り返り、
「わっ!」
3人は眩しさに思わず手を翳す。
「じゃーん」
無邪気に笑うカノンの手に握られているのは懐中電灯らしい。
らしい、というのは、懐中電灯らしからぬその見た目。パステルカラーのリボンやボアで装飾されたそれは、スマホケースなんかでありそうなおしゃれなデザイン。
「かわいいは絶対」
エリナは思わず、鈴舞管理委員会絶対理念を口にする。
訳が分からず、目をぱちくりさせるばかりの3人に、カノンがひょいと箱の中で見つけた新たな手紙を読み上げる。
「『見回りには今夜23時に出発して、0時までにこの部室に戻ってくること。念のためですが、敵が出たとき用の武器を入れておきます。コース↓』だって。校内の地図が載ってる」
「敵? この学園には敵がいるの?」
情報スパイ、教師や事務員の不正に隠蔽、ライバル高の破壊工作、さらには何かしらの組織に掛かる暗殺まで、即座に、想定しうるあらゆる敵を頭の中でずらりと列挙しつくしたエリナだが、なぜそんな危険の中を自分たちが見回らなくてはならないのかは全く理解できない。
定子がゴクリと息を呑む、
「敵を倒すための銃、とか入ってないよね」
「こっちは銃所持禁止でしょ!?」
「あ、ほらきっとコレだよ」
一度開けたから、カノンにはそう躊躇もないらしい。箱の中から、小ぶりな箱を取り出し開ける。
わっ、とカノンが感嘆の声を上げる。
「見てこれ!」
全員がもれなく瞳を輝かす。
「かわいい!」
箱の中から現れたのは、ハイヒールだった。
全部で4足。どれもピンヒールで高さも10センチはあるだろう。ビビットな赤から、艶やかなパールまで、どれもハイセンスでかわいらしい。エリナはたまらなくときめく。気付けば思わず手に取っている。
机の上に並べてみたり、ちょっと履いてみたり、ハイヒールを囲んで彼女たちは華やいでいたが、
「そういえば、武器って?」
「箱の中もう空だよ」
「武器って、これ……?」
「まさかー」
「いやでも確かに」エリナは顔を青くして注釈を加える、
「破損防止のためピンヒールのヒール部分には耐久性の高い鉄が使用されているわ。殴打で戦えなくもない……」
「そんなの怖すぎる」
「今すぐ職員室に抗議へ」
「うんうん! 行こう」
言いつつエリナは僅か手放し難くハイヒールを見るが、くっ、と苦渋の表情で置き去る。
「あ、エリナちゃん待って」
冊子をパラパラとめくっていた小鞠が、控えめな声で引き留める。
「『当委員会の特典について』」
そのまま冊子を読み上げるのに、浮足立った彼女らの動きが多少止まる。
「『一年間の活動を終えたのち、その後の二年間、特特待生の権利を得る。年間授業料免除、学食券支給、施設使用優待ほか』……」
「そんなもの、関係あるわけないでしょ!」
エリナは一蹴し、
「今すぐこんな委員会廃止よっ」
再びドアへと進行する。
「待って!」
凛と叫ぶ声。静寂の中、カノンが身を翻す。
「様子を見てくるだけなら、出来るかもしれない!」
彼女は使命感に燃えていた。自分の心に気持ちを留めておくみたいに、胸の前で片手を握り締め、
「花江先生の犠牲を無駄には出来ない……!」
ぐっと辛い決断を口にするかのように、長い髪を散らし顔を伏せる。
「花江先生はもともとああよ」
犠牲ではないわ、と的確な指摘でエリナも堂々と振り払い、決意の歩みを止めはしない。しかし、
「わ、私もっ」
俯いていた小鞠が、小さくも意志の通った声を上げる。
「私もカノンちゃんに賛成です……!」
「小鞠? ……なぜっ!」
驚愕と困惑の表情でエリナの意思は怯む。
ふう、とそれまで静かに見守っていた定子がなぜか鷹揚めいた大人顔で息を吐く。そしてエリナの肩にポンと手をやる。
「二人がそう言うんだもん、友達の気持ちを裏切ることは出来ない! でしょ、お嬢!」
きらりと微笑んで、すっきりと澄んだ表情でエリナに向かって頷く。
「なっ、」
なぜなの、とエリナは内心激しく動揺する。自分にはわからない特別な魅力がこの委員会の中にあったというのだろうか、私はそれをまだ理解出来ていない――?
エリナは悩む。三人の瞳はキラキラと、それぞれまるで絵に描いた餅を見ているかのように別の方へ輝いている。というかカノン以外は明らかに、“特典”ののち態度が180度変わった、ように見えるが、高藤家の子女たるもの潔く、そんな野暮なことは口にはしない。
「わ、わかったわ……」
エリナはやむなく頷き返す。
自分にこんなに気さくに接してくれる彼女たちを、友達を大切にしたいとエリナは強く思っている。
カノンの言うとおり、様子を見てくるだけならそう難しくない。そもそも、セキュリティーは万全だと学園案内と今日の校舎見学で確認しているし、夜でもまったくの無人ということはないだろうから、何か見つけたら警備でも警察にでもすぐに連絡して逃げればいい。ハイヒールだって、歓迎のちょっとしたジョークだろう。
きっと平気よ、と自分へ向けても一度頷く。