優雅なブレックファーストですから
テーブルを囲むソファダイニングのLの角に駕籠沢磨実、その左右に小鞠とカノンが座り、正面の席にはモーニング・ティーを優雅に楽しむエリナ。縄が解かれただけで、磨実への圧迫感は変わっていないような気もしないでもない席順。
「定子の入れたお茶は美味しいわよ。遠慮せずに、どうぞ」
エリナは社交的に進めるが、磨実は身を縮めたまま曖昧に頷くばかりで動かない。
うっすらと妙な緊張感はあるが、美味しそうな音と香りがキッチンから漂ってきて、腹ペコの一同には共通のわくわくもある。
「お待たせ! 朝ご飯はクロワッサンだよ」
スクランブルエッグにベーコン、レタスにトマトと、それぞれが盛られたお皿を定子が次々と運んでくる。ちなみに、いつもはみんなで協力して準備するのだが、今朝は例外である。
彩り豊かな食卓はおしゃれでキラキラしているし、その上クロワッサンのバターの良い香りが食欲をそそる。寝不足を吹っ飛ばし、鼻歌でも挟みたくなるくらい彼女らの顔も明るくなる。
「クロワッサンに切れ込み入ってるから、あとは好きに挟んで食べてね」
「はあーい、いただきます!」
配膳を終えた定子がエリナの隣へ座り、揃って手を合せる。バイキングの要領で各々盛り付けて一口食べれば、ああ美味しい、と自然と頬に手を添えてしまう。
「生野菜が染みる……」
シャキシャキのレタスを噛みしめ、駕籠沢磨実がしみじみこぼす。
「そういえば貴方、昨日の夕ご飯は食べたの? まさかずっと学校に居たわけではないでしょう?」
エリナがなんの気なく尋ねると、磨実は一呼吸じっと黙り込んでから、観念したように頷いた。
「一度家に帰って食べました。それからまた学校に……」
「夜中に?」
こくり、と磨実が頷く。
エリナたちが舞室を出たのが午前二時頃だから、彼女が学校に戻ったのはそれよりも前だろう。学園の警備の時間帯を見直すよう進言しておこうとエリナは心の内に留めておく。
「それで、このまま登校するつもりだったの?」
「はい……掃除をしてから少し時間を潰して、教室に行こうと思っていました」
「大体いつ頃からこんなことを? 今回が初めてじゃないですよね」
肩をびくりと揺らして、磨実は口ごもる。隠すために画策しているというよりは、知られていたという事実に、己が内の羞恥心が激しく暴れているらしい。
ちなみにエリナの尋問の隣では、カノンと定子がクロワッサンに挟むベーコン一枚に対する、レタスとトマトと卵の量の黄金比についてまじめに議論を交わしている。
「たぶん……」と蚊の鳴くような細い声で磨実が、「二、三ヶ月前から」と白状する。
体育館での怪我人が発生し始めたのは、ここ一、二ヶ月のことだし、亡霊たちが手を尽くしそして途方に暮れるまでの期間を含めれば、全く時期が一致する。まあ、今更疑う余地もなかったけれど、これでしっかり裏も取れた形だ。一連の騒動は、駕籠沢磨実が原因で間違いない。エリナは安心したような、どっと疲れが出たような、そんな溜息混じりの相槌を打つ。
「で、でもっ!」
磨実は弾くみたいに顔を上げ、唐突に真っ正面からエリナにその切実な瞳を晒して訴える。
「誰かを困らせようとか、迷惑を掛けようとか、そういうつもりは一切ないんです! 剣道場に勝手に入ったのは悪かったですけど、夜明け前までには雑巾掛けして全部きれいにしてたし、私の姿すら誰かに見られたことは一度もないはずです。その辺は本当に気を付けて、徹底してやってきたつもりです!」
「そ、そうなのね」
「はい! 推しに迷惑が掛かったら本末転倒ですから!」
今日イチ良い発声で宣言する磨実に、若干気圧されながらエリナは頷く。突然前のめりになった磨実の隣で、フォークを握った右手の動きをピタリと止めた小鞠へ、大丈夫と目配せするのも忘れない。
「それなのに、まさか見られていたなんて……。その上、こんな恐ろしい部屋に連れて来られてもう、意味が分からない……」
磨実の視線がエリナから、その背後へ移ったのに倣ってエリナも振り返ってみるが、“恐ろしい部屋”を否定出来てない量の御札が入口ドアにびっしりと張り付いていて、苦笑するしかない。
「今が特別仕様なだけで、いつもはごく普通の部屋よ」
コホン、とエリナは取りなして、
「貴方に悪意がないのは分かりました。だけれど、その行動が思いも寄らないところに影響して、結果として一般生徒に被害が出ています」
「被害……? どうして?」
「剣道場で、何かを見た覚えは?」
「えっ、え? もっと前から、見られていたってことですか!?」
亡霊たちの存在に微塵も心当たりがなさそうな様子に、エリナだけでなく一同深く納得する。鎧武者と亡霊たちの哀愁と必死さが思い出される。
磨実の疑問ももっともだが、霊感の一切ない人(見えなすぎて、逆に何らかの庇護能力を身につけているのでは、とさえ思うが)に超常現象をいちいち説明するのも骨が折れるし、そもそも信じてもらえるのかも怪しい。
「詳しくは花江先生に聞いてもらうとして、ともかく私たちは慈善委員会を任されていて、貴方を止めるよう先生から依頼を受けたの」
そんな委員会聞いたことない、と二年生である磨実が初めて先輩らしい一面を覗かせる。
エリナはエリナで、字面の強いブラッティ・デス・クラブの名は伏せたが、慈善委員会という名目でも、知らないという磨実の反応に引っかかりを覚える。この不本意で謎な委員会について詳しく情報収集したいところだが、一旦抑えて本題を続ける。
「ここで貴方との話し合いで事を収めたいけれど、それが難しいのなら剣道場でのことは職員会議にかけられて、あるいは更に一般生徒たちに知れ渡ることに――」
「いやああああ! それだけは、それだけはお許しを!!!」
しゃべっていたエリナ以外は、察しがついていたらしく、スッとスマートに両耳に手を当てて悲鳴の威力を軽減する。もろに食らったエリナはくらりと天を仰ぎつつ、机にかじりつく勢いで縋る磨実を手の平で制しつつ、
「可能性の話よ、落ち着いて……」
「そもそもどうして、剣道場の床に書いてたんですか?」
「そうそう、そこだよね。はい、食後のフルーツ」
お腹が膨れてすっかり元気になったカノンと定子が横から尋ねる。
「それは、その……別に最初から床に書こうと思ったワケではないんです」
それまでの渋りように比べると意外とすんなり話し出したが、当の聞き手の面々は疲れたのかどうでも良くなってきたのか、デザートのオレンジにすっかり意識が移っている。
「これって包丁で皮剥いてるの?」
「そう、上と下を輪切りで落として、あとはグルグルと形に沿って。こないだお嬢に教えてもらったんだ」
「キウイとかもそうやって剥くと、きれいに出来るわよ」
「へえー、っと。うーんすっぱ甘い!」
集中力は閉店したが、駕籠沢磨実の方は磨実の方で、集中力を内に向けすぎているのかそんな彼女らの様子は目に入っていないらしい。両手で頭を抱えて苦悩しつつ、とつとつと告白し始める。
「私だって、日記に書き綴るだけで済んだらどれだけ良かったか……。何冊も何冊も、あの方の素晴らしさを日々書き連ねて、それでも足りなくて……あの方と出会った去年の六月、あの秘めたような静かな雨模様の夕方からずううううっと、溢れ続ける想いは私の中に留めておくのももう限界になって髪の毛一本の隙間もないくらいいっぱいだった……それでいよいよ本当に、何も手につかなくなったから、このままじゃ苦しくて溺れ死んじゃう、どうにかしなきゃって思ったの。だけどもちろん尊すぎるから、私みたいなのが話かけるなんて天地がひっくり返っても出来ないし、もー私は一体どうしたらいいの!って、それで悩んだ末に、手紙なら渡せるんじゃないかって思い付いたワケ! 直接は無理でも、下駄箱に入れればいいし、名前だって匿名でもいいし。それで、私、手紙をしたためることにしたの」
「好きだから、手紙を書こうと思った、と」
「ふむふむ。まだ発想が常識的で安心するね」
床書きを通って耐性が備わったのか、多少の胸焼けもオレンジでさっぱりリフレッシュして聞き流しつつ、彼女らは訓練された手際で要点をかい摘まむ。




