春は出会いの季節ですから
「今日、どこの部活見に行くー?」「あ~忘れ物、忘れ物……」
「鹿組の子の話、聞いた!? スポーツ万能で、先輩たちがスカウトに来ててすごいんだって」「料理研究会でマフィン焼いてー」
一日の授業を終えて溌剌とした放課後。賑やかにすれ違う生徒たちと同じく、エリナも弾む気分で廊下を行く。エリナの横、半歩遅れて隣には、クラスメイトの足柄小鞠がいる。二人はくじ引き後すぐに委員会召集を受けた。
「さっそく今日の放課後、顔合わせがあるの。そこで顧問の先生から詳しい説明もしていただけると思うから、急だけどお願いします。もしも何かあったら、なんでも相談してね」
渡された花江先生のメモには、集合場所までの簡単な案内図が記されている。目的の教室は北館二階、その一番奥。
「部活の見学に行こうかと思ってたんだけれど、委員会も同じようなものでしょう?」
西館へ繋がる渡り廊下を歩きながら、エリナは嬉しそうに言う。
始めは戸惑いのほうが強かったが、だんだん期待が勝ってきている。隣で小鞠が控え目に頷く。
開け放しのドアをくぐり、西館に入る。学園の校舎は東館・西館・北館部分に分かれており、1年生の教室は東館に、隣の西館を抜ければ、北館へと至る。どれも、和風の面影を加えたエキゾチックな洋館で、新しくはないがとても美しい。
こうして二人で廊下を歩いていると、エリナは初めて廊下を歩いた感覚が今も少しも変わっていないのに気付く。喜びと期待。自然と笑顔になってしまうような、充足感で満ちている。
北館に入ってすぐに、階段を上る。
「この先を右に、」
手元の案内図を確認しながらエリナが言う。北館は、オリエンテーションで入口に立ち入った程度でほとんど馴染みがない。配置されているのも視聴覚室や多目的室などで、北館に普通教室はない。こうした、クラス外活動での利用が主なのだろう。
「まだ先かしら」
何度か廊下を折れて、それでもまだ案内図は先を指す。だんだんすれ違う生徒もいなくなって、人の気配すらも減ってくる。
「こっちで合ってるはずなんだけれど……」
さすがにエリナの胸にも薄らと不安が漂い始める。それでも、案内通りに進んでみるしかない。
そうして、一層ひっそりとした一角に入り込んだ頃、
「ああ、この角の先だわ。私たちが最後でないといいんだけれど」
小鞠を振り返り、気軽に笑いかけてから、エリナは足早に角を曲がる。だが、行こうとしていた体が止まる。
「――、」
エリナは硬直する。
何か言おうとするにも、言葉が出てこない。混沌かつ、困惑。エリナを以てしても、何が起きているのか理解できない――
突き当たりの先に、それまで満々ちていた優美な風情は皆無。
薄暗い。
なぜか窓は隈なく木板で塞がれて、隙間からいくつか細い光が入っているが、明かりはそれだけ。
天井の蛍光灯は割られていて、恐らく窓も同じだろう。ひゅるると隙間風が鳴っている。
木目の床もなぜだか、何かが染みたみたいに薄気味悪く発光の紫に変色している。
まるで異世界。異臭の立ち込める、悪魔の沼の淵に立っているような錯覚。
「……ま、間違えたかな」
不気味な光景に愕然としつつも、小鞠はエリナに尋ねる。だが応えはなく、エリナは膝から崩れ落ちる。
「エ、エリナちゃんっ」
「嘘だわ、」エリナは、廊下に手を突き絶望のまま俯く。
「こんなの、思っていたのと違う」
高藤エリナ、早くも涙目。これまで全く理想全部であった鈴舞学園の煌めく姿が、色々と崩れ落ちる。こんな闇のような廊下は、彼女の理想にあるまじき場所。
「お、おかしいわ」
混乱の中必死に、エリナは自分に言い聞かせるように呟く。
「こんなはずではなかったはずよ。そうよ間違っている。どこで? くじ引き? くじ引きがいけなかったの? とにかく一刻も早くprocessの修正を、」
あまりの思い詰め様に、小鞠は慌てて、
「こ、ここだけ改修中なのかもしれない」
頼りなくも励まそうと頑張るが、ぶつぶつと一人プロセスを洗い始めるエリナに聞こえているかは定かでない。
一挙に、二人してパニックに陥りかけたそこへ、
「げっ! なにこれ!」
背後に声!
はっ、と小鞠が振り返るそこには二人の女生徒の姿。
一人は、クルミ色の長髪に、すらりと均整の取れた見栄えのするスタイルをした美少女。
もう一人は小動物めいた可愛さで、左右に纏めたお団子からおさげを垂らした個性的な髪型に、パステルカラーのパーカを制服の上から羽織っている。
纏う雰囲気が随分違う二人も二人とも、混沌の空間に尻込みするも、打ち拉がれる様子はない。小鞠は一筋の希望を見るように、咄嗟に尋ねる。
「特別委員会の人ですかっ」
「そう! 二人も!?」
声を揃えて答えるのに、小鞠が強く頷く。ぱあ、とお互いの顔が明るくなる。
「ああ、よかった!」
「間違ったかと思ってホント不安で」
抱き合う勢いで、三人は気持ちを分かち合う。小鞠は声を弾ませ、エリナちゃん、と呼び掛ける。
「仲間がいたよっ」
しかし即座に、
「ということは、やっぱりここなの」
座り込み頭を抱えていたエリナは、冷静さを取り戻したが、顔は真っ青のままである。
「これで1年生の委員全員? 四人だもんね」
パーカーの子が尋ねる。
小鞠は頷きつつ、
「あ、私は梅組の足柄小鞠と言います。こっちが、」
ようやくいくらか復活したらしいエリナが、上品にスカートを直しながら立ち上がる。
「同じく高藤エリナよ」
よろしく、と答えてから、まずはクルミ色の髪の子が凛と胸に手をやって、
「私は鹿組! 青伊カノン」
そしてパーカーの子がニコリと人懐っこい笑顔で、
「紅葉組の赤絵定子、予定の“てい”に子供の子って書いて“てーこ”って言うの」
これからよろしく、と四人は一様に、ほっとつかの間息を吐く。
「迷ってたら、カノンちゃんに会ったんだ。いきなりこんなに端っこまで来いなんてちょっとヒドイよね!」
そう定子は唇を尖らせる。
「本当に、なんでこんな場所……」
重い額に手を添えて、エリナはその場所には極力背を向けたままで言う。
小鞠と定子、カノンの案内図を合わせてみても、やっぱりここで合っている。それに、
「あっ、特別室って書いてあるよ!」
カノンの指差す先の室名札に、確かにそう書いてある。しかし目が行くは、その下。朽ちかけの年季の入ったドアに、赤いスプレーで、
「……BLOODY・DEATH?」
大きく落書きされた文字を、エリナは読み上げる。
「気味が悪い……」エリナはそう顔を顰めるが、
「は、発音!」定子とカノンは揃って羨望に目を輝かせる。そこに微笑の小鞠が加わり、
「エリナちゃん、帰国子女なんだって」
すごい、と彼女らは小鳥のように盛り上がる。
「じゃあお嬢だねー」
定子の名付けで、エリナのあだ名は速攻で決定した。本人を除く満場一致である。
お嬢様学校なのだからみんなお嬢でしょうと、エリナは冷静に思ったが、それよりも落書きの文字。BLOODY・DEATHの続きがある。
「その先は? く……?」
並ぶ漢字の単語は見覚えがなく、エリナにはわからない。
「えーと、苦螺舞……“クラブ”、かなぁ」
定子が首を捻りつつ読み上げる。
「BLOODY・DEATH CLUB? 委員会なのに? だいたい“血”に“死”なんて、どういうことかしら」
エリナは眉を寄せる。ますます得体がしれない、とその場の空気を代表するように、長い睫を斜に下げてカノンが深いため息を吐く。
「なんだか思ってたのと違うなあ。私ね、学園を守る正義の委員会、って聞いて来たのに。かっこいいでしょ!? これぞ、騎士道って感じで!」
「ナイトなの?」
エリナが真顔で尋ねる。横から定子も真顔で、
「そうらしいよ」もっともらしく耳打ちする。
「へえ変わってるわね」
エリナがそれほど興味なく言うのにカノンが、
「でも、カッコいいっしょ?」ビシっと指さし尋ねる。
「ええ、そうね」
やはりそんなに熱量なく頷くが、カノンは嬉しそうに瞳を輝かす。そして清々と胸を張り、
「私、こう見えても強いんだっ! 柔道剣道合気道、全部出来るよ! 頼りにしちゃってよし」
バシバシバシ、とエリナの肩を両手で連打する。エリナは困惑気味に小さな唇を開けているものの、これもジャパニズムの洗礼なのだろうと素直に受け入れている。
「画がシュール」
そう小悪魔的に笑いをこらえる定子に壁にされて、小鞠が困ったように穏やかな微笑を浮かべる。
「よーし、ぶらっとだか、クラブだか知らないけど!」
勢いづくまま、カノンは不気味なドアをスパンと一思いに開く。
「たのもー!!」