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だけど想定外なのデス

 その後もすいすいと鎧武者は刀で血文字をなぞり、エリナたちも警戒心を解いてふむふむと読み進める。


 初めは文字を追うのもまどろっこしかったが、なにしろ漢字を含めて血文字のテンプレートは種類が豊富だし、要領を得てしまえば意思疎通に煩わしさも感じない。


 輪になって血文字を読み終えた頃には、すっかり打ち解けている。


「つまり、」と単語での訴えを総括するエリナの口調にも、親しみとともに鎧武者への同情が混じる。


「この子が、夜な夜な赤文字を床に書きまくり、ときに朝まで啜り泣いているせいで、本来この時間に活動すべき者たちが活動出来ずに困っている、というワケね」


「ほう、なるほど?」


 あらましに一同頷くものの、“本来この時間に活動すべき者たち”とは一体何者なのか、所々触れたくない疑問符を華麗にスルーしつつ続ける。


「それで泣きつかれた貴方は、この事態をどうにかすべく、しぶしぶ出てきた。無理して昼間にも出てみたが、この子の奇行に誰も気付いてくれない、と」


「あ、体育館で撮った写真! あの影はもしかして武者さん?」


「言われて見れば、面影あるかも?」


「うん」「言われてみればそうね」


 あははびっくりしちゃったよ~、などとそれまでの反動なのか、和やかかつ集中力を欠いた笑いも挟みつつ、


「“この娘も怖がるどころかそもそも我に気付いていない様子だし、もうどうしていいか分からない”……ええ、これは手詰まりにもなるわね」


「ようやく私たちが来たって感じかあ」


 鎧武者が再び刀を取る。理解者を得たからか、手の運びも心持ち軽くなった気がする。


「み、ん、な、怖、が、っ、て、い、る」


「みんなって?」


「み、ん、な」


 繰り返す疑問符と沈黙、見過ごそうとしていた問いが自ずから迫ってくる。


「でもここには、私たちしか……」


 彼女らの表情がじわじわ引き攣っていく。なんだかホラーの王道的予兆がある。いや既にホラーの只中にいるのは、間違いないのだけれど。


 鎧武者はおもむろに顔を上げる。その方向を、エリナたちも恐る恐る見てみるが、そこにはやはり誰もいない。剣道場の出入口があるだけだ。


「誰もいないけど……」


 姿の代わりとでも言うように、バンバン、と扉を叩く音が返る。


「ひぃっ」


「あ、もしかして外の!」


 怯える定子と、珍しく閃くカノン、そして肯定する鎧武者。


 体育館を逃げ惑った記憶と、校庭に無数に湧き出た亡霊たちの光景が走馬灯のように蘇り、エリナの意識も密かに遠のく。身震いで意識を戻して、


「あの亡霊たちが? 怖がる?」


 復唱せずにはいられないエリナを、またも鎧武者が肯定する。


 唖然として彼女らは顔を見合わせ、そして未だ幸せそうに眠り続ける女生徒へ、向ける視線には畏怖さえ混じりだす。


「この子、強者だわ……才能すら感じる」


 本当に魔法陣から何か召喚でもしそうなオーラも見え始め、どうしたらいいのかわからない、というかもう考えるのも面倒になってきて、しばし呆然。そんな空気を十分に感じているのだろう鎧武者が多少控え目に、


「我、もう、寝」


 指し終えて、刀を鞘に収める。カチンと鯉口が鳴ってようやく一同は我に返る。


「寝……って、え?」


 高い位置にある、剣道場の窓を見上げると闇夜は薄ら白んでいる。


「もう朝じゃない。嘘でしょ?」


 愕然とするエリナ。


「眠いよ、寝たいよ……」


 圧倒的寝不足だと自覚すると、急に眠気が襲ってくる。カノンがあくびを漏らすとすぐに定子に移って、半分かみ殺しはしたもののエリナまで、あくびで瞳が潤む。


「どうする?」と眠い目を擦りながら言うのは定子。


「起きるのを待って、こんなことはやめるよう説得してみましょうか」


「説得かあ。聞いてくれるかなー。そもそも、この人何年生だろう」


「そういう基本的なこと、全然気にしてなかったね」


「私が、ここで見張っておこうか?」


 小鞠が提案するのに、エリナはうーんと気乗りしない様子で考えて、


「この子はそのうち起きて登校するのだろうし……私たちは舞室に戻ってもう休むべきだわ。ひとまず身元だけ抑えて、さっさと戻りましょう」


 とはいえ、ざっと思い返す血文字の内容に、名前とか学年とかそういう具体的な事は一つも出てこなかった。


「生徒手帳とか、持ってないかな」


 定子がスカートを摘まんで、ポケットを探ってみるも、出てきたのはハンカチだけ。


「まあ、普通は持ってないよね」


「えーじゃあやっぱり、起きるまで見張るしかないかあ」


 がっくりとカノンが肩を落とす隣で小鞠が、


「縛って置いておく?」


「それも手ね。何か紐状のものを……」


 賛同するエリナも、辺りを見回し始める。


 一方、改めて血文字を眺めて、定子が首を傾げる。


「この床……いつもどうしているんだろ。剣道部の人が気付いてないってことは、朝にはきれいになってた、ってことでしょ」


「そうだよね、これから朝練あるだろうし。……まさか私たちが掃除するの?」


 気付いてしまったカノンに定子がすぐさま、


「ええっ、絶対ヤダ!」


「でもこのままにしておくのも、何かいたたまれないよ!」


「わかる、これが共感性羞恥……」


 全員眠気で目を虚ろにしながら、うろうろし始める様を見かねたのか、立ち去りかけて、というか消えかけていた鎧武者が戻ってきて再び刀を抜く。


「どうかしたの? え、……協、力?」


 エリナが読み上げた途端、冷たい風が巻き起こる。締め切ったままの剣道場に突如、しかも足元から吹き上げるように起こった風は、エリナたちのスカートと前髪をはためかせ、一陣で吹き去っていく。


「な、何……?」


 スカートを抑えた格好のまま固まるが、すぐに空気が冷え冷えとしてきて肌寒く、腕を抱いて身を縮める。まるで足元にドライアイスを焚いたみたい、とまさに感じた通りの光景、というか冷気の霧が足元でもくもく湧いている。


「まさか」


 予感した四人は、息もぴったりに壁際に退避して背を寄せ合う。


「これって」「ええ」「外で見たやつ」「定子ちゃん、塩を」


 すっかり警戒態勢で血の気の引いた彼女らの前に、ゆらりと立ちはだかる鎧武者。


「え!?」


 だがすぐに、鎧武者はその身を脇に避ける。後ろに控えていたのは、寝転がったままの女生徒。それも、床から少し浮いている。


「手が沢山……」


 彼女を持ち上げているのは床から生えた無数の手。それも骨と皮だけの、亡霊たちのそれが、体を下から支えて移動している。


 エリナは反射的に身を引いてしまったが、その向こう、剣道場の中心部に目をやれば、禍々しい亡霊たちが何やら忙しなく行き交っている。


 どこから持ってきたのかデッキブラシで右へ左へ駆ける亡霊に、バケツを脇に雑巾掛けしている亡霊もいる。どうやらみんなで床掃除をしているらしい。


「協力って、こと……?」


 なんともシュールな光景に、驚きやら恐怖やらがない交ぜになって、結局口を開けた間抜けな顔になって、エリナたちは鎧武者を見やる。


 だが鎧武者はもう振り向く事なく、霧の中へ消えていく。


 残されたのは、眠る女生徒と、働く亡霊たち……エリナたちは間の抜けたままの顔を見合わせる。心配事はすべて解決して、それこそ彼女らの望み通りあとは舞室に帰って寝るだけなのだが、


「このまま一緒に、舞室まで行くの……?」


 女生徒を支える亡霊たちの手は、手だけだから、うんともすんとも返事はしない。

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