それはもちろん生粋ですから
春。教室には、柔らかな日差しが眩しく注がれる。
高藤エリナは、誘われるようにふと手を止めて、一時間目の机上の準備もそこそこに、窓の外へと視線を遊ばせる。
風に乗って薄桃の花弁が舞っている。花盛りを終えた桜の枝には青々と若葉が芽吹き、光を透かして鮮やかに輝く。
学園の春は美しい。
レースを絡めた長い髪に春風を受けて、愛でるようにエリナは一人その美しい顔をそっとほころばす。
鈴舞女子学園高校に入学してから一週間が過ぎた。
今日までを振り返るなら、まさに憧れの学園生活。ゆったりと流れていく時間、美しい校舎に庭園、藤色の制服、学友たちとの無邪気な会話。どれもエリナが思い描いていた通りの、華やかで、優雅な――
「まずいよぉっ!」
隣でガタリと椅子が鳴って、エリナは回想から引き戻される。
「昨日宿題全っ然わかんなくって、そして気づいたら寝てたあ!」
「自業自得」
「なっちゃん冷たいっ! でも正しいっ!」
半べそで机に突っ伏す学友を、後ろの席に座るもう一人の学友が同情の欠片も見せずに言い置いて、はむはむと、かまぼこを食している。
エリナは再び窓の外へと視線を戻し、湛えた微笑は変わらない。ここ梅組の多少賑やかな声などは、さらりと春風のごとく受け流し、彼女は優雅に回想を再開する。
――「じいだけではありません。皆様嘆いておいででしたよ。ようやく日本にお戻りになったのに、と」
ハンドルを握る執事のじいやに、フロントミラー越しにエリナは曖昧な笑みを浮べてみせる。革張りの後部席に彼女を乗せて、車は風となって海岸線を行く。
「寂しくはありますが、じいも影ながら応援しております。お嬢様はまだまだお若いのですから、沢山お遊びになったほうがよいのです。これまでお勉強ばかりでしたから」
「そうね」
とエリナは、十六歳の少女にしては随分大人びた様子で息をつく。
高藤エリナは確かに十六歳の少女であるが、通常の十六歳の少女ではない。
超金持ちで超秀才、かつ超美少女。
十二歳でUSAに渡ると同時に世界有数の超名門大学に合格。期待のホープとして入学後も破竹の勢いで飛び級に飛び級を重ね、難なくつい先日、MBAその他もろもろの修士博士号を取得し大学院を卒業したばかり。
そんな類稀なお嬢様は日本に帰国して早々に、いやおそらくはその前から、鈴舞学園への入学を決めていた。帰国するなり今はもう、購入したての学園近くのマンションへ向かう車中にいる。
『伝統のある鈴舞学園。清く正しく美しく、の校風のもと、時代に新しい風を吹き込む女性を育成します』
学園のパンフレットに謳われている通りに、日本でも指折りのお嬢様学校だと聞いている。素晴らしい学友と、充実した学園生活が送れることだろう。
遠い異国の地で慣れ親しんだMANGAには、眩しいほどに瑞々しい、故郷日本の素晴らしき女子高生たちの姿が描かれていた。
私もこの学園で、輝く宝石のような思い出をたくさん作りたい。エリナの胸は期待に躍る――
鐘が響く。
学園の始まりを告げる鐘だ。エリナの意識も現実に帰る。
間もなくして、ここ梅組教室の戸が引かれる。
「はい、みなさん、はじめますよ」
か細い声とともに、担任の花江優子先生が、ゆっくりとした動作で教卓に辿り着く。ゆっくり、というか、ほとんど弱々しいと言った具合で、その覚束ない足取りに、いつものことながらエリナは心配になる。
「おはようございます。みなさんが入学して、一週間が経ちましたが、健康など、具合はいかがですか? そろそろ疲れが出てくる頃ですから、特に気を配ってくださいね」
教室を見回す先生の顔色こそ、真っ青で明らかに悪い。
が、その不健康さと若さに反して、花江先生の声音はいつでも優しく暖かく、一貫して落ち着いている。まだまだ慣れない新入生とって、安心する存在だ。
「では、出席を取ります。はい、と元気に返事をくださいね」
先生が出席簿を開き、足柄さん、と出席番号一番から点呼が始まる。
そしてそれが滞りなく済んで、花江先生はその脈絡のまま、
「では次に、くじ引きです」
迷いなく教卓の下から、どう収まっていたのか結構なサイズのくじ引きBOXをドンと和やかな笑顔で取り出す。
「これから特別委員の選出を行います」
えっ、と教室には戸惑いの声が上がる。
いつもなら、連絡事項です、と続くところなのに、とエリナも首を傾げる。“特別委員会”なんて、初めて聞いた。
先生は続ける、
「毎年、通常の委員とは別に、1年生から四人、学園特別委員会のメンバーを選出しています。学園の代表でもある重要な役どころです。委員会の特徴からも平等に、いつもくじ引きで決めています」
エリナは颯爽と、手を上げると同時に質問する。
「活動内容はどのような?」
「他の委員会と主旨は同様で、学園内のボランティア活動が中心です。もしこの委員会に所属した場合でも、本人が希望するなら他の委員会と掛け持ちも出来ますよ」
なんだかはっきりしないけれど、いくつかある委員会の一つで名誉らしい、という認識で梅組生徒たちのくじ引きは始まって行く。
「では足柄さんと山西さん、じゃんけんをしてください」
不安げな表情で足柄小鞠は席を立つ。
黒髪でおかっぱの、どこか儚げな雰囲気を纏ったこの少女に、日本文化に不慣れなエリナは登校初日に助けてもらった。エリナにとって小鞠は、学園で初めて出来た友達だ。
大人しくて控えめな彼女だから、突然に注目を浴びることになって緊張しているのだろう。伏し目がちに出したチョキで、しかし見事に勝ちを収めてくじ引きBOXを渡されている。
なぜだかエリナの頭には、嫌な予感が過る。しかし予感を追いかける間もなく、
「足柄さん、当たり」
一番目にして、小鞠が引き当てる。赤いくじを手に、彼女の表情にあるのは明らかな困惑。加えて花江先生の顔色も、短い間にどんどん悪化して来ている気がする。
大丈夫かしら、と二人ともを心配しながらエリナは、あれ、と思う。
当たりは出たがBOXは更に回る。白くじばかりがみるみる減って、あっという間にエリナの番までたどり着く。
嫌な予感がする、と再び、今度は予感ではなくエリナはもう確信する。
高藤エリナは通常の少女ではない。
超優秀、超金持ち、かつ超名家高藤の長子、上に立つべくして生まれた彼女は、挑むからには例えこの中に当たりがなくとも無より当たりを生み出す次元で生きている。箱の中に手を入れればもう、
「高藤さん、当たりね」
花江先生が優しい笑みを向けている。エリナが手にしているのは確認するまでもなく、赤いくじ。
かくして、エリナと小鞠の特別委員会入りが決定した。