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墓参り

「ねえ蝶次郎さん。タダシを連れて遊びに行っていい?」


 朝早くから家の中でとん坊と一緒にはしゃいでいたたまが、墓参りに向かう蝶次郎にお願いをした。蝶次郎は憂鬱な気分を余所に「おう、いいぞ!」と空元気で答えた。


「でも危ないところに行くなよ。とん坊やタダシじゃ頼りないんだからな」

「ええ……? そりゃそうだけど、蝶次郎さんだって大したことないよ」


 とん坊が呆れて言ったことは事実だった。それなりに剣を扱えるものの、特別強いわけではない。というより人並以下である。

 蝶次郎は顔を背けて「お、俺は一応、大人だからな……」と答えにならないことを言う。


「とにかく、あまり遠くに行くなよ? 君子危うきに近寄らずって言うしな」

「うん。気をつけるよ。たま姉さんもほら」

「もちろん、心得ているわ」


 その返事で十分だと判断した蝶次郎は「それならいい」と頷いた。

 それから近くで正座していた瀬美に「行こう」と促す。


「イエス。いつでも向かえます」

「えっ? 蝶次郎さんたち、どこか行くの?」

「ああ。まあ、その、あまり言いたくないところだ……」


 蝶次郎の口ごもりと意味深な言葉で、たまはきょとんとした後、すぐに顔を赤くして「ふ、不潔!」と喚いた。


「ふ、二人して、いかがわしいところに行こうとしているんでしょう!」

「違う。そうじゃない。というより大声を出すな。周りに誤解されるだろ」

「じゃあどこに行くのよ!」

「えーとだな……」


 蝶次郎は困った顔で頬を掻いた。

 とん坊はよく分からないまま「なんで言わないの?」と問う。


「いかがわしくないんだったら言えるでしょ?」

「……そうだな。俺たちが行くところは墓地だ」

「墓地? お墓参りなの?」


 蝶次郎の答えを聞いたたまは拍子抜けした表情になる。先ほどまでの勢いも小さくなってしまった。


「ああ。あまり楽しいところじゃないし、言うのもどうかと思ってな」

「な、なんだ。私、てっきり……」

「てっきり? たま姉さん、蝶次郎さんと瀬美さん、何するの? そもそもいかがわしいところってなに?」


 大人びいているとはいえ、六才のとん坊には理解できない話だった。

 たまは顔を紅潮させて「なんでもない!」と大声で怒鳴った。


「誤解が解けたなら行くか。あ、戸締りはしておいてくれ」

「うん。分かったよ。蝶次郎さん」


 恥ずかしさで悶絶しているたまを、半ば無視してとん坊が応じた。

 瀬美は出かける前、しっぽを振っているタダシに「行ってまいります」と呼びかけた。タダシは嬉しそうに、わんっと吠えた。


 蝶次郎と瀬美が出かけた後、顔を覆って悶絶しているたまに「今日はどこで遊ぶの?」と何でもないようにとん坊が話しかけた。


「せっかくだから目抜き通りで何か食べたいなあ」

「……昨日、あんだけ食べたのに、また食べるの?」

「食べたら大きくなれるんでしょ? おら、お相撲さんぐらいになりたい」

「冗談言わないの。そうねえ……」


 ようやく落ち着いたたまは、とん坊ににこっと笑いかけた。

 少女らしい魅力に溢れた笑顔だったが、とん坊は嫌な予感がした。だいたいこういう顔をするときは、彼女はろくでもないことを考えていると分かっていたからだ。


「私、思ったんだけど――」



◆◇◆◇



 その墓地は城下町から離れた、人気の少ない寂しい一画にあった。

 住職が一人で営む小さな寺。由緒や伝統が無く、ただ整然と並べられた墓石が鎮座する、まさに死者が眠る場所のような空気感が漂っている。


 蝶次郎は寺に備えてある桶に水を入れ、花や線香を携えて目的の墓へ歩く。その後ろを瀬美は黙って続いた。沈黙したのは蝶次郎を慮ったわけではない。ただ蝶次郎が何も話さず、何も語らなかったせいだった。目の前を歩く主人が会話をしたくないのなら、する必要はないと彼女は判断した。


 しかし機械的かつ合理的な思考をする瀬美でなくとも、蝶次郎の表情を見れば誰だって話しかけたりしないだろう。心配や気遣いの言葉をかけるのをためらうような、悲痛に満ちた顔をしているのだから。


 蝶次郎の足が止まった。武家にしては小さくみすぼらしい墓。刻まれていたのは『青葉さなぎ』の名。蝶次郎は桶の中の柄杓を手に取り、水を静かにかけた。そして真新しい布で墓石を掃除し始めた。


「お手伝いしましょうか?」

「……いや、そこにいてくれるだけでいい」


 これは自分の義務であるという姿勢で、蝶次郎は熱心に掃除をする。

 瀬美はどうして蝶次郎が泣きそうになっているのか分からない。しかし命令どおりに傍で立っていた。口を挟まずに、掃除を終えた彼が線香に火をつけるまで、ずっと。


「……俺の姉のことは、調べてあるのか?」

「イエス。事前情報として入力されております」


 線香の匂いが辺りに広まる。白い煙がたなびく中、蝶次郎は花を置いた。


「姉のさなぎは、俺が十六のときに死んだ」

「不審火による火災で亡くなったと記録に残っています」

「記録か……俺の記憶だと少々違う」


 蝶次郎は立ったまま、墓石を見下ろした。

 姉のさなぎがこんなちっぽけな寝床にいるとは、彼には思えなかった。

 だからこそ、長年の思いを瀬美に言うことができた。


「おそらく、姉の自殺だ」

「つまり、自ら屋敷に火をつけて、亡くなったのですか?」

「そうだ。証拠はないが……俺にはそうとしか思えない」


 蝶次郎は姉がここではない、別のどこかに逝けたのだと信じている。

 それが極楽か地獄か判然としないけど、どちらかに逝けたのだろう。

 そうじゃないと、姉は救われないと彼は思っている。


「姉は苛烈な人だった。俺に武士の在り方を叩き込んだ。はっきり言って、迷惑だと思った。何度も逃げ出したかった。それでも姉は逃げるなと言い続けた。逃げてしまったら何かを失うと、耳にタコができるほど聞かされた。なのに、どうして――」


 蝶次郎はそれ以上言わなかったけど、どうして姉は死んで逃げるようなことをしたのかと言いたかったと、人間ならば誰もが勘づいた。

 瀬美は「死を選んだ理由はあるのですか?」と機械的に言う。人間ならば躊躇するところに踏み込むところが、絡繰らしいなと蝶次郎は思った。


「分からない。姉は絶対に弱音を吐かない人だった。弟の俺でさえ――いや、弟だから言えなかったのかもしれない。とにかく理由は分からない」


 理由。どうして病床の母を巻き込んだのか。どうして蝶次郎の不在時に焼いたのか。

 ――そして、どうして自分を道連れにしてくれなかったのか。


「蝶次郎様は、さなぎ様のことをどう思っていましたか?」


 蝶次郎に渦巻く感情を知ってか知らずか、瀬美は起伏のない声で訊ねた。

 彼は首を横に振って「分からない」と答えた。


「厳しい躾を受けて、憎いはずなのに、どうしても嫌いになれない。同時に両親の代わりに育ててくれたのに、どうしても好きになれない。何なんだろうな、この気持ちは。愛すればいいのか、それとも憎めばいいのか。分からない。本当に、分からねえよ」


 蝶次郎の声に涙が混じっていた。

 瀬美は彼の肩に手を添えた。


「……瀬美?」

「質問を変えます。蝶次郎様は、さなぎ様が姉で後悔したことはありますか?」

「まあ、何度かある」

「逆に姉で良かったと思ったことは?」

「少ないけど、ある」

「ならばそれでよろしいかと」


 瀬美は肩に手を置いたまま、蝶次郎を落ち着かせるような言葉を言う。


「人は一つの思いで他人を見ないと、私の電子回路に入力されています。ある時は好きですし、ある時は嫌う。まるで流体のように変化する複雑怪奇なもの。人間関係とは、そうなのですよ」

「…………」

「それに、関わりたくないのなら、こうしてお墓参りに来ませんよ」


 無関心や忘れたいのなら、城勤めを休んでまで墓参りなどしない。

 そう指摘されても、蝶次郎は自責の念を絶つことはできなかった。


 もしも、姉の悩みを聞くほど、自分が強ければ……頼もしければ……そういうどうしようもない考えが浮かんでしまう。


 だから蝶次郎は瀬美に応じずに、手を合わせて祈った。

 ひたすらに、ただひたすらに無心で。

 何かを思えば、どうにかなってしまいそうだったから。

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