転生に失敗してしまった泉の精霊と、そんな彼女を誰よりも美しいと思う男の子の話(男女)
『泉の精霊の愛』
三百年の時を越え、森の奥の泉に、精霊が転生すると言い伝えられていた。
泉の精霊は三百年生き、三百年眠り、それは美しい姿で生まれ変わってくるそうだ。
美しい精霊は、森に平和を、里に幸福を呼び、祈る者の願いを叶え、見る者すべてを清らかな心地にさせると言われていた。
だから僕は精霊に会えるのが楽しみで、清廉な水の湧き出る泉に鎮座した、精霊の化身とされる瑪瑙石を、来る日も来る日も磨き、撫で続けた。
そしてようやく転生した泉の精霊は、伝説とは異なる風貌をしていた。
「前世のわらわは、もっと美しかったんじゃ」
そう言って、精霊はいじらしい仕草で首をすくめた。
泉の精霊いわく、彼女は転生に失敗してしまったらしかった。
確かに、彼女の髪はごわごわと乱れ、片方の目は大きく突き出し、唇はひび割れ、薄青の鱗が濁った肌を裂くように無秩序に生えている。
けれど僕は、慰めのための嘘ではなく、言った。
「今のあなたも、僕にとっては誰よりも美しいですよ」
本心だった。ずっと会いたいと願ってきた彼女だから、どんな姿であっても彼女の価値を損なうことはなかった。
精霊はふっと視線を下げ、小さく首をかしげて問いかける。
「なあ、ぬしは何が望みでわらわの世話を焼くのじゃ? 欲しいものはなんだ? わらわが叶えてやろう」
幼い子どものように途方に暮れた彼女に、僕は微笑む。
「僕は、あなたに会えただけで嬉しい。ずっと夢だったんだ」
泉の精霊はぎゅっと両の瞼を閉じ、澄んだ水の香りがする吐息を零した。
「わらわ、本当はもっと石の中で眠っていなければならなかったんじゃ。だけど、ぬしが優しい手つきで撫でるから、本当に愛おしげに触れるから、ぬしに会いたくて我慢できなかったのじゃ。だから、転生にすこし失敗してしまった」
僕は、なんだか泣いてしまいたい気分になって、精霊の冷たく薄い手を握った。
「あなたは、本当に美しいひとだ」
彼女はぎこちない表情で、けれども幸せそうに笑い、空いた手でそっと僕の頬に触れた。
誰もが醜いと目を背ける、大きな火傷痕に覆われた僕の頬を、涼やかな手の平でやさしく包む。
「わらわにとっても、ぬしが誰より美しいよ」
彼女の慈愛に満ちた笑みは、泉の化身に相応しく、澄み渡っていた。
僕たちに客観はなく、ただ主観で、お互いを世界一美しいと思う。
僕らはその、狂おしいほどに切ない幻想の名前を知っている。
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