幼い頃の約束を守って、神の使いの狐が求婚にやってきた話(男女)
『狐の求婚』
学校からの帰り道、私は三叉路の又にひっそりと佇む祠の前を通り過ぎた。
幼い頃、私にはイマジナリーフレンドがいて、彼のことを高校生になった今でもはっきりと覚えている。
彼の名前は黄舟といって、笑うときゅっと上がる目尻や、唇からのぞく八重歯が印象的な少年だった。私と黄舟はいつもこの祠の近くで遊んでいた。
小さい私は黄舟という名前がうまく発音できなくて、きね、きね、と呼んでいた。
黄舟は人間の少年の姿の時もあれば、まっしろな犬の姿の時もあって、「俺の耳は、きんいろの舟みたいな形をしているだろ。だから神様が黄舟って名前をくれたんだ」と話していた。
私は黄舟が大好きで、「大きくなったら、きねのお嫁さんになる」と言っていた。
そうすると、黄舟は少年の顔に似合わない気難しい顔をして、「俺は大事なお役目をいただいている神様の使いだからな。嫁を迎えられるのはずっと先に違いない」と大真面目に語った。
幼い自分の想像力の豊かさに笑いが込み上げて、私は頬を緩めた。秋口の空はもうすっかり日が落ちて、夜の帳の端を黄昏の残照が淡く染めるばかりだった。制服のブラウスの袖に入り込んだ秋風が肌を冷やして、思わず二の腕を抱いた私の背後から、呼び止める声があった。
「おい、待たせたな」
私が振り向くと、懐かしい面影を背負った青年が、秋の翳に染まって立っていた。笑う目尻が愛らしく上がって、勝ち気な口元からは小さな八重歯がのぞく。
私は眉根を寄せて、「どちら様ですか」と問おうとした。
それなのに、私の中に頑固に居座っている幼い私が、もう大人の入り口に立っている私の口を借りて、「きね?」と尋ねた。
青年は、いかにも動きづらそうな、幾重にも布を重ねた美しい装束を纏っているのに、軽快な足どりで私に歩み寄り、「やっと修業が終わったんだ」と笑った。
「もう十年も経ったよ」
応える私の口調がすこし拗ねているようで、私は自分の中から幼い私を追い出してしまいたくなる。
「ずっと待ってると信じてるなんて、甘いんじゃない?」
黄舟は余裕のある表情で私の右手を取り、「会えなかった日々に比べれば、また一からあんたの心を奪うくらい、わけないことだ」と頬をすり寄せた。
私は頬を膨らませ、ぱっと自らの手を彼から取り戻した。
「軽薄な男は嫌いだもん」
突き放すように言えば、「そんなこと言うなって」と黄舟はするりと姿を変えた。
幼い私には白い犬に映っていた彼は、白銀の毛並みと金色の耳、豊かに揺れる尾をもった、美しい狐だった。黄舟は潤んだ瞳で私を見上げ、犬のようにふわふわの尻尾を振った。
――狡い狐!
私は心の中で叫んで、だけど幼い私も高校生の私も、もふもふの誘惑に耐えきれず、思わず膝をついて彼の柔らかな毛並みに顔をうずめた。
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