幼馴染を喪った女の子が、死んだ人に会えるという魔女の棲む洞窟へ向かう話(男女/女女)
『魔女の棲む洞窟』
死んだ人に会う方法が一つだけあると、聞いた私は魔物の森へ入った。
ランタン一つを手に、鬱蒼と繁る木々を掻き分け、魔女が棲むという洞窟へと向かった。
夜の闇を更に煮詰めたような、ぽっかりと大きく口を開けた洞窟の入り口で、私は思わず身を竦めた。
「僕、将来ソルと結婚するんだ」
そう言って笑ったリムは、ひと月前に死んでしまった。
冷たくなった亡骸を前にしても、棺が土の下へ埋められても、彼のいない日常を過ごしても、私は未だリムが死んでしまったことが信じられないのだ。信じたくないのだ。
震える吐息とともに恐怖を飲み込んで、私は洞窟への足を踏み入れた。
洞窟の中は、外から見るよりさらに大きくて、高い天井に足音が鋭く反響する。黙々と奥へと進んでいくと、何やら周囲から囁き声が響いてくる。
「誰かいるの……?」
私は周囲を見回すが、人の気配はない。それなのに、囁き声は次第に大きくなって、やがてはっきりと言葉を結んだ。
「会いたかったよ、ソル」
リムの声だ。
私ははっと息をのんだ。やはり噂は本当だったのだ。私は駆け足で洞窟の奥へと進んでいく。
「来てくれて、嬉しいなあ」
「ずっと、寂しかったんだ」
「ねえ、もうずっと一緒にいようね」
リムの優しい声が反響して、私の胸を締め付ける。早く、早く。
私はとうとう、洞窟の行き止まりに辿り着いた。そこには、私の背丈を優に越える、大鏡が置いてあった。
私は跳ねる息とはやる胸を抑え、大鏡の前に立った。
「洞窟の魔女さん、リムに会わせてください」
期待と畏れに戦慄く唇で、言葉を紡ぐ。
すると、大鏡の表面が彩雲のように輝き、美しい少女が映り込んだ。
白銀の長髪は二つの三つ編みに編み込まれ、黒いワンピースが白皙の肌を浮かび上がらせている。長い睫毛が震え、金色の双眸が私を捕らえた。
私は一歩後ずさり、彼女に尋ねる。
「あなたが洞窟の魔女ですか」
少女は美しいかたちの唇を微かに歪めた。
「確かにそう呼ばれているわ。だけど私は、魔女じゃない」
「じゃあ、私はリムに会えないんですか」
小さく眉根を寄せ、少女は思案した後、口を開いた。
「私は、魔女によってこの大鏡に閉じ込められてしまったの。この洞窟は、人の記憶を食べる。あなたも聞いたでしょう、思い出の声を」
思い出の声。それは、先程聞いたリムの声のことだろうか。私は目を瞬き、少女の話に聞き入った。
「この大鏡も、鏡の中の私も、人の記憶を食べて生きている。幸い、この鏡の中では自由な姿になれるみたいだから、私に記憶を食べさせてくれるなら、そのリムって人に会わせてあげられるわよ」
「それは……リムの記憶をあげるってこと?」
「ええ」
「そしたら、リムのことを忘れちゃうの?」
「そうね」
私はざっと血の気が引いていくのを感じた。少女がわずかに首をかしげる。
「あら、何を怯えているの。辛い記憶なのでしょう。今までここを訪れた人は皆、迷わず記憶を差し出したわよ」
私は唇を噛み締めた。
リムに会いたい。
リムの記憶は、私を酷くつらい気持ちにさせる。
だけど、どんなに痛くたって、リムのことを忘れるなんて絶対に嫌だった。
私は少女に問いかける。
「ねえ、あなたは鏡から出たくはないの」
「そりゃあ出たいけれど、中からは出られないのよ。外から鍵を開けないと――」
言葉を聞き終える前に、私は鏡の中に片腕を突っ込んだ。人の記憶を散々食べてきた鏡の中は、泣いてしまいたいくらい温かくて心地よかった。
私は少女の細い腕を掴み、勢い良く彼女を引き摺り出した。
「きゃっ」
愛らしい悲鳴を上げて、少女は洞窟の地面を踏んだ。
「一緒に帰ろう」
私は固い声で少女に言った。
「あなた……泣いてるのね」
記憶を食べて生きてきた少女は、心底不思議そうな顔をして、私のことをそっと抱き締めた。
「かわいそうな子……私のことを、リムって呼んでもいいわよ」
「絶対に呼ぶもんか」
私は少女を引き剥がし、その小さな手を握って入口へと歩き出した。手を引かれるまま、少女は私の後をついてくる。しばらくして、か細い声で少女は言った。
「私、ほんとうはセレナっていうの」
私は潤んでぐずぐずになった目元を、ランタンを持った腕でこすりながら、振り返らずに言う。
「よろしく、セレナ。私はソル」
「ええ、よろしくね、ソル」
小さな手が夜の闇に震えていた。外の世界は、鏡の中みたいに温かくて優しくなんてない。でも私も彼女も、こちらを選んだのだ。
熱い吐息が、夜の冷たい空気にとける。洞窟を抜けた私たちは、ただ互いの体温だけを頼りに暗い森を進んでいった。
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