Note:5 アスナの意志
「私の、力……?」
まさにそれは青天の霹靂というやつである。つい先ほど、もうちょっと運動しろと宣ったのは莫ではないか。そんな私に、国を取り戻すだけの力が備わっている、とでも思っているのか。
馬鹿馬鹿しい。そんなこと、有り得る訳がない。
「ああ、待って莫」
反論しようとした矢先、床に崩れ落ちたままであったアスナは腰を上げ、言葉を紡ぎ出す。膝に付いた埃を払うその顔には、もう先ほどまでの笑顔はない。
「順序だてて説明しないと、彼女も混乱してしまうわ。なぜ私たちが、彼女の力を欲しているのか……それに、どうして彼女がそんな力を持っていると思うのか。それをちゃんと言わないと。ね?」
子どもを叱るような、優しい口振りである。その容姿に加え優しいとくれば、国民からの支持も圧倒的であったことだろう。それも今となっては、もはや無価値であるのだが。
「……そう、でしたね。失礼いたしました」
「うん、よろしい。……では、改めまして。私はアスナ・C・プレヴィール……莫からすでにお聞きになったかも知れませんが、有体に言えば、しがない亡国の姫でございます。ですので、私のことは気軽にアスナとお呼びくださいまし」
ニコリと軽く微笑むアスナを、私は眩しそうに見つめる。輝いている。旧世界でも、これほどの美少女はなかなかいないだろう。彼女を盾にすればその国も滅びなかったのでは、と愚考するが……まあ、それは一旦置いておくとする。
「ご丁寧にどうも。ええと……私は宮瀬 凛、この世界とは違う場所から転移させられた、可哀そうな未婚アラサー女子で――――ゲフッ!」
言いかけた言葉を、必死に飲み込もうとし軽く吐き気を催す。穏やかな雰囲気で自己紹介を始めるものだから、いつもの調子で喋ってしまい、未婚だとかアラサーだとか……そんなどうでもいい情報を与えてしまった。
私の様子を訝しんだアスナは、小さく首を傾げつつ口を開く。
「えっと、アラサー、とは?」
「え……」
そこに引っかかったのか。意外とお歳を召しているのですね、などと言い出すかと思った。ああいや、多分この娘はそんなことを言わないだろう。たとえ思っていたとしても、だ。
それはさておき、冷静に考えればアラサーという言葉が通じるはずもなかった。この世界にはそもそも、英語というものが存在しているのかどうかでさえ不明なのである。そうとなれば、まず伝わることはない。まだ、誤魔化すとは可能だろう。
「いえ、お気になさらず。本当に、何の意味もありませんので。……質問をしても?」
「え、ええ。もちろん」
私の態度に、柔和な笑みを崩さない。何でも受け入れる覚悟が、彼女にはあるという証拠である。ならばこちらも包み隠さず、思った通りの質問を投げかければよい。
「ありがとうございます。……まずは、そうですね……辛いかも知れませんが、あなたたちがこの村に辿りつくまでの経緯を、出来れば要点を搔い摘んで教えていただければ、と」
それは重要な点である。先ほどまでの話を総括すると、彼女たちは敵国の一部であるこのフェルムへと移住した、ということになる。それはさすがに、村民たちの反発は大きいはずだ。であれば、何らかの詐称をしてここに留まっている、と考えるのが妥当だろう。
「やはり、身分を偽って?」
「……ええ、そうです。彼のことはともかく、私は、この国と隣接していたヴィール公国の筆頭貴族の末裔でしたから。お父様はこれを予見していたのか、偽の証明書を私に授けてくださいました。そして戦乱に乗じて越境し、何とかここまで辿り着いた、といったところでしょうか」
「なるほど……」
策略的な父親のおかげで、こうしてアスナは逃げ切ることが出来た、と。当の本人の安否については……問うまでもない、か。
ヴィール公国とやらで何が起きたのかも、想像に難くない。とはいえ、奪還しようという場所であるのだから、情報くらいは得ているはずだ。それは、確認しておく必要がある。
「ちなみに、そのヴィール公国は今、どうなっているんです? この国……ええと」
「グレイスティーム王国ですね。……ええ、本来であれば、この国により攻撃を受けたのですから、占領されていてもおかしくはありません。しかし……」
不意に俯き、苦虫を噛み潰したように顔を顰める。
「……この国の目的は、占領ではありませんでした。内乱を起こさせ、傀儡を国王として君臨させる……それこそが先王、ネイルト・グレイスティームによる狙いだったのです」
張り詰めた空気の中、夜風の窓を叩く音のみが室内へと響き渡る。隙間風が灯火を揺らし、チラチラと視界が歪む。
「姫様」
その重い沈黙を破ったのは、意外なことに莫であった。ずっと腕組みをしたまま窓際で佇んでいた彼が、アスナの前へと静かに跪く。
「どうか、抑えてください。今はとにかく、彼女に情報を与えることだけに専念致しましょう。あの憎きドルテのことは、今は……」
アスナへ諭すように語り掛けているが、背後にいる私には、彼の想いというものがひしひしと伝わっていた。彼女から見えないよう、自らの腕を引きちぎれんばかりに握りしめているのだ。それはまさに、純然たる騎士の振る舞いであった。
「莫……ええ、そうね……ありがとう。すみません、話を続けましょうか」
「あの、大丈夫でしょうか……話し辛ければ、後々にでも……」
私の語り掛けに、先ほどまでの柔和な笑みを再び取り戻し、アスナは毅然と答える。
「いえ、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございますね。……さて、先ほど申しましたように、ヴィール公国は傀儡による統治が始まり、現在はドルテ・H・グラヴィールが国王と名乗っております。ただ、所詮は傀儡ですので……滅亡までもう間もないことでしょう」
まあ、そうなるだろう。突如として絶対君主制に切り替わり、特に支持されていた訳でもなさそうな人物が君臨したのであれば、国民が納得するはずは無い。いずれ破綻する国を支援する形で懐柔させ、ゆくゆくは領土へと変える……狡猾な人間のやりそうなことだ。
「なるほど……あなたたちの置かれた境遇については、概ね理解しました。しかし、それだけ強力な力を持った国なのでしょう? その、フィル・グレイスティーム王国というのは。例え国を奪還できたとして、また攻め込まれてしまっては元も子もないのでは?」
むしろ、それを契機として占領に踏み切ってくる可能性の方が高いだろう。つまり、今そのヴィール公国を治めているドルテとかいう奴は、単なる囮。正式に国を攻め落とす口実に過ぎないのだ。
すると、アスナと莫は示し合わせたように頷く。なるほど、そこまでは織り込み済み、という訳か。さすがに無策、という訳ではないらしい。
「……そもそも、かの国がここまでの戦力を有する切っ掛けとなったのが、神様……いえ、異世界人の転移なのです。強く瞬く星の導きにより突如として現れたその存在は、ネイルト・グレイスティームと手を組み、その奇妙な業を以てして他国を圧倒したのです」
「奇妙な、業……?」
「ええ……手から炎を出したり、その場にあったはずのものを消し去ったり……その方は、その業を魔法と称して、次々とその魔法による武器や道具を生み出していったのです。その内の一つが、この村の特産である治癒ポーションです」
昼間、莫から貰ったあのポーション。あれは、異世界人の作り上げた魔法の賜物だという。確かに魔法と疑っても仕方がないくらいに、高い効き目で副作用らしき症状もない。
その異世界人は、恐らく魔法の存在する世界から転移させられたのだろう。そして、支配することの愉しさを覚えてしまったその人は、国王と手を組み世界を手にしようと目論んだ……なるほど、この世界の住人としては傍迷惑な話である。
「その人の力に対抗する手段が無ければ、こちらとしては成す術もありません。ですが、そんな絶望の淵に佇んでいた矢先でした」
私の手を、アスナはそっと握る。
「強い星の瞬きが、またもや観測されたのです。それも、私たちの落ち延びた先であるこのフェルムの上空に……それはまさに天恵だと、そう思いました。そして……あなたに出会ったのですよ、凛」
コツン、と私の手に額を当て、希うような体勢をとる。指先から、彼女の温かな体温が伝わる。
「異世界からいらした、あの憎き存在と同じ名を持つあなたであれば……いえ、あなたでなければ為せないのです。異世界にのみ存在するという、魔法……それを使えば、必ず」
「……魔法?」
聞き捨てならない言葉だ。私の価値は、魔法を使えることなのだという。異世界から来た人間は、普く魔法を駆使できるのだという。……冗談ではない。
「ふざけないでください。魔法? そんなもの、ある訳ないじゃないですか」
握られた手を振りほどき、冷たくあしらう。未だ微笑みを崩さぬアスナには少し心苦しいが、現実を突き付けるしかあるまい。
「私の世界には、魔法なんてありません。当然、私も魔法など使えません。魔法が使えないからこそ、私たちは科学を発展させていきました。すべての事象は、科学により証明できると信じて。……残念ですが、あなたたちは大きな見込み違いをしてしまったのですよ。他を当たってください」
吐き捨てるように言い切った後、私は立ち上がり、玄関へと向かう。ここに、私の居場所はない。魔法使いだと騙ってまで、あの空間に居たいとは思わない。そんなことは、科学に信念を捧げてきた私のプライドが許さない。
「ちょーっと待ってくれ、凛」
ドアに手を掛けようとした瞬間、背後より発せられた莫の声が耳に届く。まだ理解していないのか、と軽くため息を吐きつつ、振り返る。
「……何ですか。恩知らずなのはよく――――」
「違うよ。君の手から炎が出ないこととか、そんなことはよく知ってるさ。あの森で出会った時のこと、僕は忘れていないからさ」
「あの森で……? うっ」
そういえば、無我夢中で魔法を使おうとしたような気が……忘れてくれ。炎で焼き尽くしてやろうとしたことは、私にとって黒歴史だ。それこそ、消し炭にしてやりたい記憶だ。
「それはいいとして。君のその服、それに靴……どう考えても、この時代では産み出せそうもない高品質なものだ。それが魔法によって作られたものでないというのなら、君の言う科学……それって、とてもすごいものなんじゃないかな、と思うんだけど」
「え……」
言われてみれば、ジャケットもスカートも、安い店で買った故に上等な布ではなく、ポリエステルなどの合成化学繊維で編まれている。靴も人造皮革であり、素材としては合成樹脂などの化学物質だ。
村の入り口にいたスクロオの衣服と比較すれば、確かに神がかったような縫製であり、質感も良い。そんなものを普通に着ている私は、彼らからすれば確かに異端であり、畏怖の対象でもある。
「……」
「とりあえず、さ。一晩休んで考えてみてくれ。科学だろうと何だろうと、僕らにとっては魔法みたいなものなんだからさ」
そっと近づき、軽く肩を叩かれる。相変わらずの馬鹿力であり、その衝撃で体が歪んだが……なぜか安心させられるような、心地の良いものであった。
「凛さん……どうでしょうか。不躾なことは、重々承知の上です。あなたに危害が及ぶ可能性も高く、場合によっては命に関わることもあります。ですので、強要は致しませんし、拒否されたからといって村の外へ追い出す、ということもしません。ですが、少し考えてはいただけませんでしょうか」
笑顔ではなく、真剣な眼差し。本気で国を取り戻そうという姿勢が、そこからしっかりと伝わってくる。
「はあ……」
一息、大きく吐く。これも、運命という奴なのだろう。仕方があるまい、私と同じ名前の神様とやらに、徹底抗戦してやろうじゃないか。魔法ではなく、歴とした科学で。
「分かりましたよ……少し、考えてみます。でもその代わり、シャワー貸してください。泥と汗で気持ち悪いので」
その言葉を受け、アスナは嬉しそうに跳ね上がり、汚れたままの私の服の袖を引く。自分も汚れてしまうというのに、縋りつくように、しっかりと。
「あ、ありがとうございます! シャワー、というものはありませんが、共同浴場ならば外にありますので、ご案内いたします!」
「ちょ、ちょっと待って! 着替えはどうしたら――――」
「莫さん、二人分の着替え、よろしくお願いしますね!」
「え、僕ですか!?」
そしてそのまま、私はアスナに導かれて浴場へと向かった。空に浮かぶ朧げな月は、そんな私たちの様子を見て綻ばせているようにも見えた。