Note:4 フェルムの村へ
「魔法を駆使し、国を滅ぼした」――――
俄かには信じ難い発言である。不意に異世界から転移してきた神様が、魔法を駆使して他国を滅ぼした……。それは、あまりにも矛盾に溢れているのである。
仮に、その転移してきた神様が魔法を使って滅ぼしたとしよう。そうであれば、この国だけ贔屓する理由は何もないはずである。他国……莫の住んでいた国と同じように、この国も滅ぼされて然るべきだ。しかし、その神様はこの国を支配し、他国を蹂躙したのだという。
それは、どう考えても人間……しかも、恐らくかなり悪質な性質を持つ者が転移してしまった影響だと推察できる。
つまり、神様を騙る何者かが魔法を使用し、己の欲を満たすために各国を潰していった……そう考える方が自然だろう。
「それは、本当なのですか……?」
確証を得るため、まずは莫の話の真偽を問うこととする。
「本当だ。僕はこの近くの村に住んでいる、とは言ったけど……住んでいるだけで、出身ではないんだ。あの戦禍の中、姫様と共に命からがら逃げだすことに成功し、ようやく辿り着いたのが、フェルムだったんだよ……」
顔面を蒼白に変え少し俯く。これ以上の詮索は、彼にとってあまり良くないだろう。
しかし、姫様と言ったか……だとするならば、莫は兵士か何かだったのだろうか。確かに、そう考えればその立派な体躯にも納得がいく。
「それは……大変でしたね。だとすれば、その……異世界から来た私を、あなたはどうして受け入れてくれたのですか? 丸腰の私の首を刎ね落すことくらい、あなたなら容易でしょうに」
「いや、それは出来ないよ。無抵抗の女子供を殺すのは、騎士としての道義に反するから。それに、僕があの森に行ったのは偶然じゃない。……君を、探していたからだ」
「わ、私を……?」
ドキリ、と心臓が大きく跳ねる。
「そう……まあ、正確には姫様の命令で、だけどね。ただ……ここから先の話は、少し長くなる。出来れば腰を据えて話したいから、フェルムに着いてから、でもいいかな。もうじき空も暗くなってくるし」
その言葉を受け、空を見上げる。相変わらず空は青さを保っているが、そこに浮かぶ太陽は、随分と地平線に近づいて来ていた。時計がないために正確な時刻は分からないが、感覚からして、十五時あたりであろうと推測される。
旧世界と同等の感覚で良いのであれば、ここから暗くなるまで早い。確かに急ぐ必要がある。
「そうですね……少しモヤモヤとはしますが、フェルムに着いた折には、よろしくお願いします」
「ああ。しかし、フェルムはその神様に対する信仰が厚い村でね……だから、神様と同じ名前の異世界転移者を受け入れてくれるか……それは分からない。出来れば出身とか名前を偽って欲しいんだけど、良いかな?」
そうか、神様に対する信仰が厚い村で、その神様と同じような経緯で、しかも同じ名前の人物が現れたら少なくともパニックになる。場合によっては、嘘つきだの信仰を惑わすなどと追及を受け、処刑される可能性もないことはない。
ついでに言うと、莫と、恐らく村に留まっているその姫様の身にも危害が及ぶ可能性もある。彼らは異国の民であることを明かしていないだろうし、そんな素性の知れない人物が私のような危険因子を連れ込んだと知れれば、大概ロクなことにならない。
「偽名、ねぇ……」
出身については記憶喪失にでもなった体で、莫により助けられた流浪の民、という設定でも問題はなかろう。あとは、適当な名前を付ければいいのだが……この世界での妥当なネーミングとは、まるで見当がつかない。
「莫さん、よければあなたが考えてくれる? 私では、どうしても旧世界の名前しか浮かんでこなくて」
「……ああ、それもそうだね。うーん、と、そうだな……泥塗れだし、ドロリンっていうのはどうかい?」
彼は笑顔で、硬直してしまった私へと振り返る。その表情からは、悪意などは微塵も感じない。つまり、彼にはそういったセンスは皆無であった。
「……あの、無機物だって、もうちょっと頭を使うと思いますよ」
「無機? え? 何だって?」
私の言葉の意味が伝わっていないのか、そもそも無機物という概念が存在しないのか……それはさておき、このキョトンとした表情を浮かべる男に名付けを任せるのは止めておこう。悲惨なことになる前に。
「仕方ありませんね……一先ず、そのお姫様にお会いするまでは名前も分からない、ということに致しましょう。村の方々の名前なども聞いてから、ゆっくり考えることとします」
「そ、そうか……ドロリン、いいと思うんだけどなぁ……」
まだ言うか。そもそもリン、が付いている時点で良くないだろうに。それはそうと、急がなくては、またあの狼のような獣と対峙する可能性もある。
「さ、急ぎましょうか。もう太陽が沈みかけています」
「おっとそうだったね……急ごう、村まではあと少しだ」
先ほどよりも足を速め、雑草の茂る丘を越える。その視界の隅に、薄っすらと赤く光るものが見えていた。
▽
「おし、やっと着いたね。ここがフェルムだよ」
周囲は既に暗くなり、現時点で視界に映るものと言えば、簡易的な木製の柵と、村の入り口らしきアーチ、だろうか……一風変わったゲートらしきもの、それだけであった。
街灯の類は勿論ある訳がなく、薄ぼんやりと見える石造りの建物からは、チラチラと灯火のようなものが光るだけであった。
それだけ確認したのち、私は膝に手をつく。そして、溜まった疲労を逃がすようにゆっくりと深呼吸をする。
「はあー……随分と、遠かったですね……」
「君、運動不足だよね……少しは鍛えた方が良いと思うよ?」
私の横で、彼は可哀そうなものを見るような目つきで私を見下ろす。騎士と研究者とでは、そもそもの体力が違うのだから当然だ。少しくらい大目に見て欲しい。しかし、今はそう反論するほどの体力すら残っていない。彼の批判を、甘んじて受け入れる以外になかった。
「おや、そこにいるのは……ああ、莫さん。随分と遅かったですね」
暗闇から、不意に男の声が聞こえてくる。先ほどは見えなかったが、村の入り口であるこのゲートの脇に物見櫓があり、そこから一人の男が降りてきたのだ。それなりに鍛えていそうな体つきであるが、この莫には劣る。
「おお、スクロオ。ちょっと遅くなってしまったが、例の件は問題ないと思うよ。ただこの通り、肉は持って帰れなかったけどね」
そう言うと、莫は私を指さす。その指先へと視線を移したスクロオという男は、その目に私の姿を捉えた。
「おや……迷子、ですか? にしては、妙な格好をしていますけど……」
「ああ、どうやら森の中を彷徨っていたらしい。何かの事故に遭ったようで、彼女は自分の名前すら思い出せないようなんだ。それで、可哀そうなもんでここに連れて来たんだが……マズいかい?」
「いいや、マズいものか。神様はきっとあなたの善行を喜ばれることでしょう。……しかしまあ、よくあの森を無傷で出て来れたものだね……」
ジロジロと、女性に行なうにはやや不審な行動を取るスクロオに、私は若干の不快感を覚える。それほどまでに彼にとっては奇妙な格好だ、ともいえようか。
スクロオの衣服は、とても現代人が着るものとは思えない代物であった。布自体は比較的良質なものであるようだが、一枚の布を折りたたみ、その両脇を止め、首の部分に穴を開けただけのようなシンプルなデザインだ。文明で言えば、中世くらいのイメージだろうか。
「ええと、幸運だったのでしょう。……すみません、私もう疲れてしまって……出来るのであれば、どこか休んでも良い場所をお借りできれば、と……」
今は、こんなところで道草を食っている場合ではない。不信感は強いだろうが、疲労していることを前面に押し出し、相手の感情を揺さぶるのが常套手段だと言えよう。
これは、社会人になってから会得したものである。それというのも、そうやって無理している雰囲気を出さない限り、上司や教授たちは延々と残業を強いてくるのだ。無論、それに給金は付かない。
まさか、その経験がこんなところで活きるとは思わなかったが。
「あ、そうですね、これは失礼を。そうですね……空き家は無いですし、この時間なので村長の家に、という訳にもいきませんし……」
「では、僕と彼女の住む家で良いだろう。二人で住むには広かったし、彼女も同性のいる方が安心だろうしね」
莫の手筈通り、上手いこと話を誘導出来た。これで、少なくとも今晩は問題なく過ごすことが出来よう。
「え? まあ、それで良いのであれば……一応、明日の朝には必ず村長の家へ向かうようにお願いしますね。疑っている訳ではありませんけど、ほら……最近ちょっと物騒ですからね。こんな村でも、いつどうなるかは分かりませんから。それでは、お気をつけて」
「おう、そっちも頑張ってな」
軽く手を振ると、スクロオはまた梯子を伝って上へと昇っていく。しかしそのスピードたるや、消防士も驚くほどの速さであった。
「……さてと。じゃあ、行こうか。僕と姫様が仮住まいとしているのは、あの奥の家だよ」
彼の指さす方向を凝視する。暗くてよく分からないが、微かに灯りが灯っている。
「……あの、最近物騒だ、というのは……」
その家へと歩みを進める中、先ほどの会話の中で引っかかったことを訪ねる。もしや、あの大型の獣が村を荒らし廻っているのではあるまいな。そうであれば、私などひとたまりもない。
「ああ、それについても姫様から話があると思うよ。……さて、ここだ」
顔を上げると、やや大きめの石造り……いや、よく見ると煉瓦のようだ。比較的頑丈な造りの家がポツリと、周囲から孤立しているように存在していた。その家の大きな扉を、莫は躊躇することなく叩く。
「起きていますか、私でございます。莫です。ただいま戻りました」
その声に、この家の住人はバタバタと慌ただしく音を立てる。
御伽噺でよくある、亡国の姫様とイケメンの騎士という関係であれば、急に帰宅した騎士に驚き、こうして姫様がバタバタとするのは頷ける。そういう場合は大抵、姫様は騎士に恋をしており、汚くしているところを見られまいとして慌ててしまう……微笑ましいシーンである。
しかし、今回は少し状況が異なる。何せ帰って来たのは、熊のような大男……しかも、年齢で言えば壮年後期、もしくは老年とも言えそうな男なのだ。その姫様の年齢にもよるところであるが、今回のようなケースでは、まず恋焦がれているということはないだろう。あるとすれば、意外にもこの男は綺麗好きで姫様だろうと厳しく指導する、とか……。
「す、すみません。ちょっとウトウトとしておりまして……どうぞ、お入りください」
そんな失礼な思案を続けていると、中からは透き通るような女性の声が響いてきた。この声の主が、その姫様なのであろう。
「失礼します」
「し、失礼します……」
莫の後ろから、音を立てずに部屋へと入る。何かのアロマだろうか、不思議なお香を焚いているようで甘い香りが漂ってくる。そして目の前の男が横に動くと、一人の女性の姿が目に飛び込んできた。
非常に美しいスタイル、綺麗な金色の長い髪……そして、その青い瞳が私を捉えていた。興味深そうに、じっと私の目を見つめている。その青さのせいで、私は海に沈められてしまったかのような息苦しさを覚える。
「……莫さん、この方は、もしや……」
「はい、この方が件の異世界の住人でございます。その名は、宮瀬 凛。恐らく、姫様のお探ししていた方だろうと」
「あ、ああ……良かった、そうなのですね……」
何も分からないままである私をよそに、その姫様は歓喜し膝をつく。よほど安堵したのか、顔を覆いさめざめと涙を零し始めてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことなのか、説明してくださいよ! 一体どういう――――」
「ああ、すまないね。……もう気付いているだろうけど、この方が、アスナ・C・プレヴィール。僕の主人であり、君を探していた人物だ。僕たちは君の力を借りて、国を取り戻したいと考えているんだよ」