Note:47 ワスレモノ
机にバスケットの中身が広げられ、芳ばしい香りが周囲へと漂っていく。どうやら作り置きしていた訳ではなく、私たちのために新しく焼いてくれたのだろう。まったく、アスナのそういった心配りは見上げたものだ。
徐々に陽が傾き暗くなってゆく中で、こうした温かみというのは非常に有難い。何せ、ジエチルエーテルを生成している以上、この室内では暖房機器を使用することは出来ないのである。ああ無論、アスナの気持ちも含めてだ。
「少し暗いですね。灯りを点けましょうか?」
「あ、それは止めた方が良いかな。換気も充分じゃないし、引火するかもしれないからね。でも、ありがとう」
電気の無い中で、灯りを点けるとすればランプか蝋燭に頼らざるを得ない。そうなると必然的に火を使うこととなるので、単純に危険だ。ここでそのような凡ミスを犯せば、大惨事となろう。
「じゃ、暗くなる前に食べちゃお。……お、この漬物おいしい。なにこれ?」
アナは豪快にパンと漬物を手に取り、頬張りながらアスナへと問う。聖職者の振る舞いとはまるで思えないが、今さら食事マナーに気を遣う仲でもあるまい。
「ありがとうございます。これはプレヴィール家伝統の漬物で、母から作り方を教わったものなのですよ。日持ちしますし栄養価も高いので、とても重宝しているのです」
「へぇ……そういえば、フェルムでも作ってくれたっけ。美味しいよね、これ。アスナとお母さんの思い出の品、ってことかな」
「思い出、とは少し違うかも知れませんが……そうですね。今にしてみれば、一緒にこれを作ったのが最初で最後のお母様との思い出、ですね」
しまった、失言だったか。しかしアスナはその表情に影を落とすこともなく、むしろ過去を懐かしむように笑みを浮かべていた。心身ともに、ずいぶんと強くなったようである。
「ごめんね、アスナ」
「いえ、むしろありがとうございます。受け継がれた料理を褒めていただいて、きっとお母様も喜ばれているでしょうから。しかも女神さま直々に、ですからね」
「……それ、皮肉?」
「さて、どうでしょう。ふふ」
わざと言ったのだろうな、アスナは。しかしそれでチャラにする、という気持ちも見えて、ある意味で対等な関係とも言えるか。それだけ打ち解けた証拠でもあろう。
すると、いたずらっぽく微笑むアスナに対し、何やらアナがキョトンといた顔で見つめていることに気付く。話の流れを理解していないような、そんな表情だ。聡明な彼女にしては珍しかったため、私は思わず問いかける。
「どうしたの、アナ」
「え……いや、何で女神さま直々に、ってなるの? リナは別に、女神でも何でもないじゃない。ただ魔法のような技術を持っているってだけでしょ?」
「あ、えっと……」
すっかり失念していた。そうだ、私がどういう存在なのか、アナには全く説明していなかったのである。長い付き合いのような感覚でいたため、肝心なことを伝えそびれていた。
一度、アスナと顔を見合わせる。アスナもその事実に気付いたようで、少し苦笑いを浮かべていた。どうやら彼女も、私と同様に説明した気になっていたようである。
いい機会だ、他に誰もいないことであるし、私の出自を知ってもらおう。私は女神リンと同等の力を有するのではなく、女神リンそのものなのである、と。
「ごめんね、アナ。ずっと黙ってたんだけどさ」
「うん」
「……実は私、女神なんだ」
「は?」
キョトンを通り越して、目が点になっている。まあ、そういう反応になるだろうな。もともと冗談を言うことは少なかったし、ましてや聖職者であったアナに対し軽く発言して良い内容ではない。
「なにそれ、あんま面白くないんだけど」
予想通り、アナは一転して不機嫌そうな表情となる。しかし、事実なのだから仕方がない。
「いやいや、本当なんだ。私は別の世界の出身で、つい先日この世界に迷い込んじゃったんだ。まあ、証明は出来ないから、信じてもらうしかないんだけどさ」
「えっと、待って待って?」
アナは目を閉じ、こめかみの辺りで右人差し指をくるくると回す。そしてそのまま指を、一直線にアスナへと向けた。
「アスナ、これは本当?」
「……ええ、黙っていてごめんなさい。リナさんは、星の導き……グレイスティーム王国では『兆し』と呼ぶのでしたか。その直後に、突如として現れた人物なのです。これは莫さんにも証言が出来ますし、そもそもアナさんはリナ……いえ、凛さんの力はよくご存じでしょう? それが何よりの証拠、と言えましょうか」
「……」
アスナの言葉を受け、へなへなと力なく指を下ろす。数回瞬きをした後、また改めてアナは私へと向き直り、唇を震わせながら小さく言葉を発する。
「もしや貴女様は……『兆し』の人、でいらっしゃいますか……?」
「えっと……多分そうだと思うよ。改めて、自己紹介するね。私の名前は宮瀬 凛。科学技術の発展した、遠い、遠い世界からの来訪者だよ」
「……」
警戒させないよう、精いっぱいの笑顔を見せたのだが、みるみるうちにアナの顔色は青白くなっていく。そして、ふらりと立ち上がったかと思うと、アナは目にも止まらぬ速さで土下座をし始めた。
「もぉーし訳ございませぬ! 女神さまだとは露知らず、数々の非礼……どうか、どうか寛大なる御心にて、お許しを!」
「え、いやちょっと」
「なにとぞ! なにとぞぉ!」
綺麗すぎる土下座に加え、このまま泣き出すのではないかと不安になるほど、大声でアナは私への詫言を叫んだ。
ドラマなどではよく目にするシーンではあるが、実際にこれを目の当たりに、しかも私に向けられると非常に恥ずかしい。これを強要する人間は、相当に心が病んでいるに違いない。そう感じてしまうほど、私はドン引きした。
「ちょっと、いいから顔を上げて! 逆に怖いよ!」
「そんな! 私など、視線を合わせる資格すらもございませぬ! どうか、どうかぁ!」
「だから、いいってば! ずっと黙っていたのはこっちなんだからさ、ほら……」
「……」
ようやくアナは私の指示に従い、顔を上げた。今すぐにでも自死しそうな、恐ろしい形相をしている。妄信していた、とリトに言い放った彼女とは、まるで別人だ。
「本当……?」
「本当だって。ていうかそもそも、私もリン・ミヤセも神様じゃないよ。科学という魔法のようなものを、ただ知っていただけ。それにさ、幾ら不敬だからといって、私がアナを処罰するとでも思う?」
私の言葉に同意するように、アスナも優しく語り掛ける。
「アナさんの見てきた凛さんは、どういう方でしたか? それが、この答えとなりましょう。どうですか?」
「……はあ、そうね。アスナの言う通りだわ」
ようやく落ち着きを取り戻したらしく、長い溜息を吐いた後、ゆっくりと立ち上がった。そして、アナはそのまま先ほどまで腰かけていた椅子に座り直し、私に満面の笑みを見せる。
「ま、今さらリナを敬おうとも思えないしね。はーあ……ごめんね、ちょっと取り乱しちゃった!」
立ち直り、早いな! というか、敬おうとは思えないというのは聞き捨てならないぞ!
「きょ、極端だね、アナ……」
「まあ、少し予想はしてた、っていうこともあるけどね。偶然にしては出来過ぎだったし。でも、そっか……だからエグアレン様はリナを……あ、そうだ。本名で呼んだ方が良い?」
「え? えっと、そうだな。出来るなら、リナのままが良いかな。女神と同姓同名だと、さすがに混乱を招くだろうし」
それにリナ・クロードという名は、今は亡きフェルムの村の村長から貰った、大切な名前でもある。この名で生き抜くことは、同時に彼の……いや、彼らの遺志をも受け継ぐことだと思うのだ。
「そう? じゃ、リナで。……それはそうと、リナが本当に女神さまなら、王国には充分に注意しないと。万が一、あのワガママ王女さまの耳にリナの情報が入ったら、本気で奪いに来るかも。それこそエグアレン様だけじゃなく、王国騎士団も動くんじゃないかな」
「王国騎士団、ね……」
その名を聞くと、どうしても莫のことが浮かんでしまう。エグアレンの話によれば、莫は王国騎士団長だったという。その話が本当だとすれば、今でも王国側と繋がっていてもおかしくはない。
それにしては、王国側も動きが鈍いように思える。そもそも王国が本気ならば、ヴィール公国など一蹴できただろうに。まあ、急速に領地を拡大した国家なのだ、各地で内乱が発生しているに違いないし、内政も追い付いていないのであろう。
状況に鑑みれば、莫が未だに王国側と繋がっている、と判断するのは早計か。しかし否定する材料も乏しいし、まだ保留としておこう。
この件も共有しておきたいところだが、今はアスナが傍にいる。彼女の精神面を考慮すれば、まだ打ち明けて良い段階ではない。もう少し……そうだな、ヴィール公国の騒乱が収束する頃にでも、本人の口から話して貰おうか。
まずは、目の前の問題を片付けるとしよう。先のことについては、その時にでも考えればよい。
「さて、と。そろそろ部屋に戻らない? もうずいぶん暗いし、まだ何か作業はあるの? あるなら手伝うけど」
「え? ……ああ、本当だ」
王国騎士団という言葉に引っ掛かり気付けなかったが、部屋はかなり暗くなっており、それに気付くと同時に強い寒気に襲われる。このままこの部屋にいても、ただ凍えるだけだろう。アナの言う通り、早く部屋へと戻り暖を取った方が得策か。
「うーん、今日やっておくことは、もう無いかな。ありがとうね、アナ」
「良いって。女神さまの仕事を手伝えるのなら、本望でございます」
「……」
アナといい、アスナといい……私は、おちょくられているのだろうか。女神ということをネタにされているような気がする。まあいい、アナがこうしていつもの調子を取り戻してくれるのならば、そちらの方がありがたい。幾らでもネタになってやろう。
さて、思わぬ落とし穴があったものの、計画自体は順調そのものである。後はこのまま、何事もなく反乱軍との交渉を迎えられるよう、祈るばかりだ。




