Note:29 僅かな亀裂
「さて、怪我は?」
「え、ああ……大丈夫、です」
「そうか、それは良かった」
雲間から差し込む光を受け、少しだけ眩しそうにしながらも笑顔を浮かべる。あれほど緊迫した一戦の後だというのに、私の心配すら出来るとは……この男、只者ではない。
彼がここに現れなければ今頃、私はあの男たちにより攫われていたことだろう。どんな目に遭わされるかまでは定かでないが、少なくともアスナの希望は、ここで潰えてしまっていたはずだ。
結果的に、リトは私とアスナ……いや、それだけではない。この国の全てを守ったことになる。これは存分に称賛してやらねばなるまい。
……いや、ちょっと待て。さすがに出来過ぎではないだろうか。偶然、城を出た私を追いかけ、偶然、あのローブの男の仲間を見つけ、始末し、そして私たちの前に現れたというのか。それはあまりにも都合が良過ぎる。
何度も偶然が重なってしまえば、それはもう必然と同義なのだ。
「……あの、リトさん」
「何か」
「その……どうしてここに来たんですか? アスナを……許嫁を城に置き去りにしてまで、私を追いかけるだなんて。一体、何を企んでいるんですか?」
「む……それは、その……」
彼があまりにも不可解な行動を取ったが故に、探りを入れようなどとはせず、直球勝負に挑む。こういう場合は、下手に回りくどくしない方が良い。回避不可能なほど、まっすぐに疑問をぶつけると、案外ボロが出るものなのだ。
その証拠に、リトは答えを躊躇っている。感謝の言葉よりも先に疑惑の目を向けられれば、心中穏やかでいられるはずもない。
やはり、彼には私に言えない事情があるのだろう。残念だったな、リト……私は、そう簡単に懐柔できるような人間ではないのだ。
さあ答えろ、リト・ネイヴィール。その心積りを曝け出せ。
「どうしました? はっきり答えてください」
「……そう、だな。キミには悪いと思って言えなかったのだが……その、あまりにも怪しかったものでな」
「怪し、かった?」
「そうだ。キミという存在が怪しくて、つい、な」
……なるほど、これは予想外だ。まさか、この私が不審人物扱いされるとは。
冷静になって思い返せば、確かに私の行動は非常に怪しかった。女神と同等の力を持つと紹介された私が、いきなり単独行動を取り始めれば、それはもう怪しいどころの騒ぎではない。何かあると考え、こっそりと尾けるのは妥当といえよう。
しかも、リトにとっては完全なる初対面、かつ敵国からの来訪者なのである。幾らアスナから全幅の信頼を寄せられているとはいえ、私のことなど、そうそう信じることは出来ない。
アスナの手前、私を信用するような発言をしていたが……心の底では、私を思い切り疑っていたのだろう。それは当然であるし、むしろ健全であるともいえる。私がリトの立場であったならば、彼と同様の行動を取っていただろうから。
ああ、何というか……恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「二人ともー! 何かあったのー?」
奇しくもこのタイミングで、背後からアナの声が響いてきた。リトに顔を隠しながら振り返ってみると、遠くの方からアナと……それに、アスナが数人の兵士を引き連れてこちらへと歩いている様子が目に映った。
休むようにと言われていたはずなのに、まったく落ち着きの無い連中だ。元気が有り余っているかのように、アナもアスナも大きく手を振っている。
……しかし、今回ばかりはそれに助けられた。あのままリトと二人きりにさせられてしまったら、気まずいにもほどがある。
二人がどうしてここに辿り着いたのかは不明だが、この微妙な空気を吹き飛ばすほどの笑顔を振りまいてくれて、とても感謝している。
「ふ……随分と、アスナ様に慕われているようだな。あの方がここまで他人に執心するのも珍しい」
彼女たちの醸し出す空気に中てられたのか、リトも少し笑顔を零す。
「執心って、それはちょっと違うと思いますけど……アスナにとって、私は国を取り戻すために必要な人材ですから、心配するのも当然かと。でも、アスナって割と人懐っこい印象があるのですが……昔はそうではなかった、と?」
「……少なくとも、今のような雰囲気では無かったはずだ。それこそ、許嫁である俺ですら軽く言葉を交わすことも珍しいほどに。それ故に、こうして無事にお戻りになられたことよりも、キミたちと自然に語らい、笑顔を見せる様子に驚いたものだ」
意外であった。私のアスナに対する印象は、彼の抱いているものとまるで異なっている。彼女は、出会ったばかりの私に向け、共に風呂へ入ろうと提案するような人間であり、とても寡黙な少女だとは思えないのだが……幼少期より行動を共にしていた彼が言うのだから、正しいことなのだろう。
単純に男性恐怖症……ということは無いはずだ。そうだとすれば、あの莫と二人きりで逃亡生活など続けていられるものか。
……莫、か。
「……」
「どうした。少し顔色が悪いが……やはりどこかに怪我をしたのではないか?」
「あ、い、いえ……そういう訳では。ただ……」
「ただ?」
身を挺して守ってくれたこの男を、信用しない理由はもう無い。しかし、今はまだ打ち明けない方が良いだろう。私だって、まだ気持ちの整理がついていないのだ。
「……いえ、気にしないでください。それより、その横たわっている男を隠さないと。このままでは、別の問題が起きそうですよ」
「おっと、確かにそうだな。いかんな、男所帯に慣れていると、どうしてもそういう心配りが欠けてしまう」
はは、と軽く笑い、リトは纏っていた上着を、その死体へと隠すように掛ける。随分と謙遜しているが、リトほど気遣いが出来る男など、それこそ一握りもいないだろう。まったく、どこまで株を上げるつもりだ、この男は。
それはそれとして、だ。……あのローブを纏った男の言葉が、心の嫌な部分に刺さったまま抜けそうにない。莫が、王国の騎士団……それも団長であった、という話。あれがもし事実だったとすれば、彼が王国側へと寝返らないとも限らない。いや、むしろ元からスパイであった可能性すら浮上する。
その真偽はともかくとして、この話は絶対に喋ってはならない。何だかんだと言いつつも、アスナが莫をすっかり信用し切っていることは明白なのだ。その話を聞いてしまえば、一瞬にして盤石な信頼が揺らぎ、立っていることすら儘ならなくなるであろう。
誰を信じたらいいのか分からず、疑心暗鬼になり……リトの言っていた、昔のアスナへと戻ってしまう。いや、それよりもっと悪い状態になりかねない。
然るべきタイミングが訪れれば、その時は莫の口から話して貰おう。それまでの間に、話の裏だけは取っておくとしよう。
そうであれば、一つ確認しておかねばなるまい。
「……リトさん。その……あの男と私の話、聞こえてましたか?」
「話? いや、この男を始末するのに手間取って、な。本来ならば、じっくりと二人の会話を盗み聞くつもりだったのだが……ああ、あの時は疑っていたからな、その……決して、今も疑念を抱いている訳ではない。そこは安心せよ」
何を慌てているのだろうか。別に、今さらどう取り繕われても好感度は上がらないが……もう疑われていない、というのは僥倖だ。まあ、本気で恐怖する私の姿を見たのだ、さすがにあれが演技だとは考えておるまい。
さて、そうなると……必然的に私だけが莫の秘密を知っていることになる。共有している人間の数が少ないに越したことは無い。幸いにも、私は口が堅い人間だ。これならば何とかなるであろう。
私だけに強い重圧が圧し掛かることは百も承知だ。それでも、何とかして守らねば。アスナの、あの笑顔を。
そう決意した矢先、アスナとアナは私たちの元へと辿り着いた。リトの上着で隠された死体には気付いていないようで、アスナはリトへと睨みを利かせながら詰め寄ってゆく。
「もう、莫さんを迎えに行くならみんなで行きましょうよ。リトも急に追いかけたりして……まさか、リナさんに惹かれてしまったのではありませんよね? そんなこと、私は……」
「す、すみません、アスナ様。その……惹かれた、という訳ではありませんが、女神と同等の力を有すると伺いましたので、是非とも手合わせ願いたい、と考えてしまいまして」
この男、誤魔化し方が下手だ。手合わせを願うにしても、こっそり追跡する必要など無いだろうに。言い訳が下手ということは、それだけ真摯なのだとも言えようが……真面目過ぎるのも問題である。
一方でアスナは、リトの言い訳を鵜呑みにしたようである。軽く溜息を吐きつつ、私へ同意を求めるように話しかけてきた。
「はあ……いくつになっても、男の子ってそうなのよね。子どもなんだから」
「あ、あはは……ところで、アスナ? そろそろ莫さんを迎えに行かないと、って思ったんだけど……こんな大所帯で押しかけたら、ちょっとびっくりしちゃうよね。どうしようか」
莫が一人で籠っている別邸まで、そう遠くはない。まだあの男が近くに潜んでいる可能性はあるが、全員が行動を共にする必要は無いだろう。むしろ、大人数であの別邸へと向かってしまった場合、多くの人間にあの家の存在を知られてしまう恐れがある。
いざという時のために、隠せるものは隠しておきたい。リトに対する不信感はほとんど消えたとはいえ、彼の配下たち全員まで信用する訳にもいかないのだ。
「確かにそうですね……では、私とリナさんで迎えに行くのはいかがでしょうか。それならば――――」
「いや、アスナはリトさんと一緒に城へ戻って。アスナの身に何かがあったら、それこそ本末転倒だし」
「そうですよ、アスナ様。体調管理もしっかり出来ていてこそ、上に立つ資格があるというものです。ここはご自愛を」
「そう、ですか……」
私たちに諫められ、アスナは少し悲し気な表情を見せる。いい加減、彼女もその立場を理解しなくてはならない。私を顎で使うくらいの気概が欲しいところだ。
さて、そうなると残るはアナと私だが……アナはまだ疲れが癒えていないはずだ。とはいえ、私も先ほど単独行動を取ったばかりに、危ない目に遭ってしまったことも事実だ。疲労困憊の彼女に、あまり無理させてはいけないのだが……仕方があるまい。
「じゃあ、アナさん。悪いけど、一緒に来てもらおうかな。疲れているだろうけど……」
「ううん、別にいいよ。っていうか、そのつもりで来たんだし気にしないでよ。リナも疲れてるのは同じでしょ?」
快く引き受けてくれてホッとした。私はもう、あんな恐ろしい体験などしたくない。次から、何か護身用のアイテムでも身に着けておこう。
「さて、じゃあ行ってくるね。リトさん、アスナをよろしく頼みます」
「改めて言われるまでも無い。そちらこそ、今一度用心せよ」
そして、私たちは分かれて別々の方向へと歩き始めようとした。先ほどまでは光が差す程度の空であったが、今はもう完全に雲は晴れ、暖かい陽光が辺りを照らし始めていた。
先行して歩くアナに続き、私も足を踏み出そうとした、その時。何者かによりグイ、と強く肩を引かれ、私は体のバランスを崩しかける。
唐突な出来事に驚き、思わず叫び声を上げそうになってしまった。しかし、私の肩を引いた犯人がリトであったことに気付き、体勢を整えた後、彼に問いかける。
「おっ、と……リトさん? なんでしょうか」
「……充分に気を付けよ。あの男、エグアレンはそう易々と諦めんからな」
「エグアレンって……あの男の名前ですか? な、何で知って――――」
おかしい。あの男は名前など一度も名乗っていないし、私ですら聞いていない。それにも拘わらず、あろうことか初対面であるはずのリトが知っているとは。
その疑問をぶつけようとしたが、彼の険しい表情により、その言葉は掻き消えてしまった。そしてそのまま、彼は無言でアスナの後へと向かって走り去ってゆく。
残された私は、ただ呆然と彼の背中を見つめるしかなかった。
「ん? リナ、どうしたの?」
「あ、ああ……ごめん。今行くよ」
アナに急かされ、私も身を翻す。分からないことだらけであるが、今ここで考えても埒が明かない。まずは、私の為すべきこと……あの、素性の知れぬ男の元へ行こう。




