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Note:2 はじめてのポーション

「う、うーん……あれ、ここは……」

「あ、気付かれましたか。良かったぁ……」


 私が裏拳(うらけん)をブチかましてから小一時間ほどであろうか、ようやく命の恩人であるこの男は目を覚ました。


 彼が気絶した後、私は一先(ひとま)ず場所を移した。それというのも、あの獣の遺骸(いがい)がそのままの状態となっているのだ。人間である私ですら強烈に感じたあの血肉の臭いは、この森林を(ざわ)めかせてしまう。そんなものの近くで、のんびり看病など出来るはずが無い。


 小柄な私が、この体格のいい成人男性を、少なくともあの遺骸の見えない位置まで移動させるのはかなりの重労働であった。それ故に、こうして早期に目覚めてくれて心の底から安堵した。


 とはいえ、恐らく顎を撃ちぬいたことで気絶をした、ということは……軽い脳震盪(のうしんとう)を起こしたと考えて良い。ここで下手に無理をさせてしまうと、後々厄介なことになりかねない。まずは、その症状の確認を急ぐ。


「あの、めまいや吐き気は?」

「え? ええと……いや、少しぼんやりする程度で、特に問題はないよ」


 自覚症状はなく、会話もはっきり出来ている。言語の引っ掛かりも、特に感じない。現状としては、そこまで大きな問題はないと言えよう。


 ちなみに、どうして私がこんなことを容易に行えるのかというと、実は高校時代、ラグビー部のマネージャーを務めていたのだ。試合中や練習中、こうして脳震盪を起こす選手は少なからず居たお陰で、こうして冷静に判断することが出来たのである。


 素人判断には変わりないが、今はとにかく、この場所から離れることが先決である。あの臭いが時間を経るごとにその濃さを増し、更なる脅威を呼び寄せる前に。


「立てそうですか? すみません、私のせいなのに……」

「いやいや、僕だって怖がらせてしまったんだから。それに、あの程度の打撃で倒れてしまうなんて、僕もまだまだ未熟だよ」


 そう言って、彼は笑顔を見せる。顔に刻まれた皺が、より一層深くなる。それはどこか、親近感、と表現すべきだろうか。黒髪と無精髭も相まって、父親のような雰囲気を醸し出している。


「……それはそうと、早く移動した方が良さそうだね。こんなに森が騒がしいのは、久しぶりだ」


 起き上がり、真剣な眼差しで周囲を見渡す。私も神経を研ぎ澄ませてはいるが、木の葉のさざめき以外に、耳で感じ取れるものは何も無かった。長年の感覚、というものなのだろう。


「急ごう。こっちだ」

「は、はい」


 男に手を引かれ、森を駆けてゆく。そろそろ私の足は限界に近づいて来ているのだが、背に腹は代えられまい。気力を振り絞り、何とか男の後をついていった。





 足の裏と肺の上げる悲鳴に耐えること、数分。見晴らしの良い丘の頂上に出たところで、男はその速度を緩める。繋いだままの手を離し、男は、ふぅ、と小さく息を吐いた。


「……っと、ここまでくれば一安心、か。大丈夫かい?」

「はぁ、はぁ……だ、大丈夫、です……けど……」


 とっくに限界を突破していた私は、その言葉とは裏腹に膝をつく。その途端、全身に痛みを感じて(うめ)き声を漏らす。今までは興奮状態にあり、痛みをそこまで感じていなかったのだろう。生きてきた中で最大級の痛み、そして倦怠感(けんたいかん)が全身を襲う。


「う、うう……」

「……どう見ても大丈夫じゃないね。そんな奇妙な格好で森を歩いていたら、そりゃそうなるよな……ま、今はそんなことを言っても仕方がない。とりあえず、これを飲んだらいい」


 そう言うと、男は背負っていた袋から一つの小瓶を取り出す。苦痛で視界が歪み、それが何なのかはよく見えない。ただ、何かの液体が入ったガラス製の瓶だ、ということは何となく理解できた。


 渡された小瓶をしげしげと見つめ、少し揺らしてみる。中に入った緑色の液体は、水とさほど変わらない挙動を見せる。しかし、その人工的な彩色には戸惑いを隠せない。青汁などの深緑色であれば許容できたが、表計算ソフトなどで見かける、あの目に痛い鮮やかな緑色なのだ。


「これ、は……?」

「え? これは治癒ポーションだけど……まさか、知らないのかい?」


 男は驚愕し、じっくりと私の顔を見つめている。ポーションとは確か……ファンタジー世界における重要な回復アイテム、だったか。実物を目にするのは初めてだったが、まさか本当にこんな色をしているとは思いもしなかった。


 それはともかくとして……彼の反応から察するに、この世界ではポーションの存在自体を知らない、というのは異常なことであるらしい。現状として、彼に不信感を抱かれ、見放されるようなことがあっては致命的だ。ここは何とか誤魔化(ごまか)すしかない。


「あ、いえ……こんな貴重なものを、勿体(もったい)ないと思いまして……」

「ああ、そういうことか。気にするな、こういう時のために持っているんだからね。何、ポーションは買おうと思えば買えるが、命は買えない……そういうことだよ」


 なるほど、やはり彼を信用して正解であった。こうした綺麗事を、考えることもなく答えられる人間なのだ。恐らく彼は、村の中でも慕われる存在なのだろう。


 さて、そうなるともう、これを飲むしかない訳だが……。


 キュポン


 とりあえず、栓を開ける。軽い力で栓が開いてしまい、それがまた不安感を煽る。色だけでなく、衛生的な面での懸念が増えてしまったのだ。


 チラ、と男の様子を確認する。周囲の警戒をしているらしく、彼はこちらを見ていない。とはいえ、このまま飲まずにいるのも不自然である。現に、足は痛いし傷は疼くし、全身ボロボロであることは間違いないのだから。


 小瓶の口を扇ぎ、臭いを確認する。臭いは……ない。薬草や香料などの臭いがあれば、多少は味も想像できたものだが……無いものは無いのだ。仕方あるまい。


 ええい、ままよ!


 腹を(くく)り、ポーションを一気に煽る。口腔内へ、あの緑色の液体が浸透してゆく。


 ……苦い。ただし悶えるほどの苦みではなく、ごく一般的な漢方薬のそれに近い。想像よりも飲みやすいものであったことに驚きつつ、嚥下(えんげ)する。液体が胃に到達し、溜まっていく感覚が体へと伝わる。


 その時であった。


「……ん?」


 体中の痛みが、スッと消えてゆく。浴槽に入浴剤を入れたときのように速やかに、その液体が全身へと広がっていく感覚がした。


 そんなまさか……そう思い、獣から逃走した際に出来た切り傷を見る。しかしすでに組織は修復され、固まった血液だけがそこに取り残されていた。無論、痛みなどない。


「う、嘘……?」


 思い切って、立ち上がってみる。あれだけの激痛に(さいな)まれていた足も、酷使された肺も、どこも問題ない。むしろ、普段より調子が良いくらいである。


 あまりの出来事に困惑している私を見て、男は豪快に笑った。


「はっはっは、どうだい? そんじょそこらのポーションとは回復量、それに速度が段違いだろう。何を隠そう、それはうちの村の名産なんだ」

「……」


 彼の言葉は、私の耳に届かなかった。それというのも、私の体に生じた異変……そちらの方に、全ての興味が移行していたからだ。瞬間的に吸収され、組織の修復、止血、疲労の除去……それらを同時に行う医薬品を目の当たりにして、興味を示さない研究者などいるはずが無い。


「……おーい?」

「……吸収過程はともかくとして、全身へ回る速度……これは血流に乗るだけでは説明がつかない……いや、極低分子量ならば可能か……もしくはナノマシンか? いやそれはない……組織修復についてはどうだ……」


 我を忘れ、ブツブツと考察を呟く。様子の急変した私の顔を、男は恐る恐る覗き込む。


「あのー、お嬢さん……聞こえますか?」

「……え! あ、はい! な、何でしょう!」


 不意に現れた男の顔に驚き、体を仰け反らせる。その勢いで、危うく転倒するところであった。せっかく傷が治ったところであるのに、また怪我をしてしまっては元も子もない。


「あ、ああ……聞こえているなら良いんだ。それより、そろそろここを出発しないと。森から少し離れたとはいえ、日が暮れると危険なのは変わりないからね」

「そ、そうですね。すみません、もう大丈夫ですので……」


 この男の言う通り、今は考察している場合ではない。安全な環境を得てから、ゆっくりと考えてみようじゃないか。そうと決まれば、善は急げ、だ。


「それで、先ほどあなたの言っていた、村というのはどちらに?」

「先ほど? ああ、そういえばそんな話をしたか。ええと……あの丘を越えた先に、赤い湖があるんだ。その畔に、僕たちの村がある。距離で言うと、そうだな……さっき走った距離と同じくらい、かな」


 目的地は意外と近いようで安心した。今度は走る必要はないし、ゆっくり話しながら進めるはずだ。出来ることなら靴を履き替えたかったが、さすがにそれは贅沢というものだ。


 それにしても、赤い湖、か……。実際に赤いのか、それとも何か謂れがあるのか……見てみないことには判断しようがない。そちらにも興味が湧いてくる。


「では……申し訳ありませんけど、そこまで案内をお願いできますか。その赤い湖とやらにも興味がありますし、あのポーションをいただいたお礼もしたいので」

「お礼は結構だけど、案内はもちろんさ。僕も、あなたに興味があるのでね……ああ、そういう意味じゃなくて、どうしてあんなところに、そんな格好で居たのか、とか……そういう意味だからね!」


 男は顔を真っ赤に染め、慌てる様子で全身を使い否定する。そう全力で否定されると、(いささ)かショックではあるのだが……少なくとも、ここに置いて行かれずに済みそうで何よりである。


「と、とにかく。またしばらくは歩くことになるから、それまではよろしくね。ええと……そうだ、名前を聞いてなかったな。なんて言うんだい?」

「そういえばそうでしたね。私は宮瀬(みやせ) (りん)。気軽に凛、と呼んでいただいて結構です。あなたは?」

「僕は、(もう) 柔芬(ろうふぇん)。僕も(もう)で良いよ、村のみんなもそう呼んでいるからね」


 莫……中華圏では比較的メジャーな苗字だ。この地方は、もしかするとアジアと類似しているのだろうか。私がここに飛ばされたのも、極東アジアからの転移だから、と考えられなくもない。ただ、前提としてこの世界と旧世界がリンクしていれば、の話である。


 いずれにせよ、ここでは何も分からないことは確かである。まずは、その辺境の村へと向かうことにしよう。


「じゃあ、行きましょうか。あなたたちの村……えっと」

()()()()、だ。……さて、もうあまりのんびりは出来ないね。少し急ぐよ、足は大丈夫かな?」


 無言で頷き、彼の後を追って歩き出す。辺境の村、フェルムへと。


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