Note:166 大きな傷と、小さな傷
マイケルは小さく息を吐いて椅子に座り直し、天井を仰いだ。何を思っているかは分からないが、少なくとも本気で『狂人化』現象のことを後悔しているようだ。
「じゃあ、それは事実なんだね?」
「さっき言った通りですよ。プロセスについては、そこに詳しく書いてあります。どうぞ自由に読んでください」
「……」
失敗を説明したくないのか、向き合いたくないのか。彼はそう告げると目を瞑ってしまった。
あれだけ非人道的な行為を平然と行なっていた男が、こうも態度に示すとは。一体何があったのだろうか。
マイケルの動向は注視しつつも、改めてモニターへと視線を移す。
とはいえ、そこに示された情報は私の予測どおりのものであった。
「『労働体が我らに逆らわぬよう、人工衛星等を介して制御を行なうこととした。骨格筋に作用する電気刺激を照射することで、その行動を抑止するというものだ』……なるほどね」
つまり、マイケルたちに歯向かう意思を示した人間は、骨格筋をコントロールされるよう設定されていた、ということらしい。
現代科学では異常とも言える技術だが、理論的にはそこまで困難なものではない。自動車のナビゲーションシステムに近いものを、人間に応用したようなものなのだから。
私に危害を加えようとしてきた者はみな、寸前で動きを止めていた。あれは骨格筋が照射された電気によって異常収縮してしまい、行動不能に陥っていたのだろう。
回りくどいように思えるが、人々に恐怖心を植え付けるには即死させるよりも効果的と言える。『逆らえない』ということを、身をもって知ることが出来るのだから。
それはともかくとして、問題はその先だ。
「『しかし、電気的刺激を受けることでスライム化ウイルスが活性化し、彼らの肉体は崩壊してしまうことが発覚した。加えて、この状態に陥った労働体は電気的刺激をもってしてもコントロール不能となる。結果、我々は労働体に対する直接的な介入を困難にしてしまった』……か」
要するに、人工衛星を使って人間を使役しようとしたが、スライム化も起きることが発覚したので困りました、ということらしい。
なんともバカみたいな話だ。こんなもの、言うまでもなく実証不足が原因である。
「なるほど、これはちょっと……擁護できないミスだね」
「擁護なんかしてもらわなくて結構です。この件について、ワタシはちょっとしか関係してませんし。そもそも、このシステム自体はリンの考案なのですから」
「え、リン・ミヤセが、これを?」
「そうですよ。反逆者なんて、すぐに処分すればいいものを……リンはとことんまで、彼らに甘かったのです」
そうは言いながらも、マイケルはまた大きく溜息を吐いた。
「まあ、ウイルス感染については後から分かったことなので、誰が悪いということではありません。しかしその結果、事態を混沌とさせてしまった。液状化した労働体は言葉も理解しませんし、見境なく攻撃を仕掛けてきた。おかげで、何人もの同胞が食われました」
「それはまあ、ご愁傷さま。でも、ちょっと待って」
適当な相槌を打ちつつ、ふと過った疑問をマイケルにぶつける。
「ここに書かれている『労働体』って、何?」
そう、先ほどから何度か登場している『労働体』というワード。それが引っかかっていた。
文脈から考えれば、マイケルたちと一緒にこの惑星にやって来た奴隷階級の人間、と思ってよさそうだが、それにしては妙だ。
人権を無視しているし、そもそも高度な科学技術が発達した時代なのだから、ロボットやAIに頼んだ方がコスト・パフォーマンスの点からも有意義だろう。
では、この『労働体』とは何なのか。それが気になっていた。
するとマイケルは私の問いに対し、特に表情を変えることなく答えた。
「労働体とは、ワタシたちが人工的に産み出した作業用の人間です」
「作業用の、人間?」
「ええ」
戸惑う私に、マイケルは無表情のまま話を続ける。
「お伝えしていたと思いますが、ワタシたちがこの惑星に来た理由はテラ・フォーミングです。覚えていますよね?」
「そ、それはもちろん。あんな衝撃的なこと、忘れるはず無いでしょ」
「単純にテラ・フォーミングを行なうだけならば、我々と機械で充分だったでしょう。しかし、今回の目的は『科学に依存しない居住環境の創成』でした」
「科学に依存しない環境?」
「そう。科学による汚染の進んでいない惑星ならば、少なくとも百年単位での居住が可能ですから。気候とか、そういった辺りは弄りましたけど、それでも惑星の環境を破壊するまでには至っていません。ちゃんと過去を顧みたのでね」
「それって……」
つまり、マイケルたちの住んでいた惑星は科学汚染で危機的状況にあるのだろう。環境に配慮した方策などは、私の時代でも存在した。しかしそれでも間に合わないくらい、地球の環境汚染は深刻だったと言わざるを得ない。
そのことについて訊ねようとしたが、マイケルは私の言葉を遮るように言う。
「ともかく。労働体はワタシたちの手足となり、地上の環境を整備するために持ち込まれたのです。科学に触れさせないようにヒトのつがいを育てるのは、本当に苦労したみたいですよ。まあ、ウイルスには感染してしまいましたけどね」
「……」
「ああ、これもワタシの担当ではありませんから、責めないでください。それで、質問は終わりですか?」
「とりあえず、ね。納得はできないけど、理解はできた」
「それは良かった。では」
そう言うと、マイケルは急に立ち上がって私の背後近くにある昇降機へと視線を移した。
「時間がありませんね。残念ですけど、ワタシの質問はひとつだけにします」
「時間がない?」
マイケルにつられ、私も昇降機へと振り返る。しかし昇降機のカゴは動いていないし、地上方面から物音も聞こえてこない。
彼は一体、何を警戒しているのだろう。
「あの、マイケル?」
「時間が無いと言ったでしょう。黙らないと、あの女王サマを殺しますよ」
「なっ……!」
「素直に答えてくれれば、それで大丈夫です。いいですか?」
先ほどまでとはガラッと雰囲気が変わり、マイケルからは殺気すらも感じられる。これ以上何か言えば、本気でレノが殺されてしまいそうだ。
黙って頷くと、マイケルは残り少ない髪を掻き上げながら言った。
「では。リン、あなたはどうやってここに来ましたか?」
「え、ここに? もちろん歩いて、だけど」
「違いますよ。この世界に降り立ったときのことを聞きたいのです。で、どうですか?」
「えっと……」
何が聞きたいのかと思えば、まさかそんなことだったとは。
まあ、アレについては私も結論がついていないし、話したところで何の支障もないだろう。レノに何かあっても困るし、ここは素直に答えよう。
「そうだな。なんか変な扉が急に目の前に現れて、不思議に思って開けたら、吸い込まれた感じ……かな?」
「扉ですか。そのとき、リンはどこにいましたか?」
「どこって、えっと……路上だよ」
扉が現れたのは、確か出勤途中の出来事だった。であれば、会社の近くにいたはずだ。
あれだけ長く勤務していた会社だ、ここに来て長いこと経つが、忘れることはない。きっと最寄り駅から会社の途中のどこか、だろう。
しかし私の返答に納得がいかなかったのか、マイケルは質問を重ねる。
「んー、そうではなくて。どこに行く途中でしたか?」
「え? そりゃあ出勤途中だし、会社だよ」
「なんという名前の会社ですか?」
「な、なんでそんなことを……」
「いいですから、答えてください。時間が無いのです」
「分かったよ。会社の名前は、えっと……あれ?」
会社の名前は、と聞かれて思い出してみたが、なぜか一向に浮かんでこない。
それどころか、最寄り駅の名前すらも思い出せない。
もう十年近く通っていたはずなのに、外観や同期の顔も思い出せるのに、なぜか具体的な名前だけが、私の脳の中からすっぽりと消えていた。
「え、と……おかしいな。なんでだろう」
「思い出せませんか?」
「……」
いくら悩んでも、会社や駅の名前が出て来ない。喉の辺りまで出かかっている、という感覚すらもない。
どういうことだろう。まさか、若年性認知症にでも罹ってしまったのだろうか。
一抹の不安が脳裏を過る中、マイケルは私の様子を見て数回ほど頷いた。
「なるほど。分かりました、ワタシは満足しました。帰りますね」
「え?」
「情報交換会がしたかった、と言いましたでしょう。これでワタシの要件は済みました。やはり、しばらく殺さないでおくことにします」
「ちょ、ちょっと待って! マイケル、アンタ何を言って――――」
私の呼び留める声に応じることなく、マイケルの姿は消えた。まるで立体映像であったかのように、忽然と行方をくらませたのだ。
ここに残ったのはモニターに映る文書と、奇妙な謎だけだった。




