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Note:160 わずかな希望

「そ、そんな……」


 まさに絶望的な光景だった。王国でも指折りの戦士であるミラが、こうも呆気なくスライムに取り込まれてしまったのだから。


 こうなってはもう、彼女は助からない。あの大きな塊は、あらゆる有機物を溶かしてしまうのだから。残ったとしてもせいぜい、太い骨くらいだろう。それすらも残るかどうか怪しいくらいだ。


「ミラ様!」

「こ、この化物め! ミラ様を離せ!」


 多くの者たちが呆然とする最中、二人の兵士がスライム目がけて槍を投擲した。しかし当然のことながら、放たれた槍はスライムの体に直撃した途端に溶けてしまった。金属製の(やじり)だけが虚しく赤黒いゲルに漂うだけで、スライムにはダメージ一つ入っていない。


 幸運なことに、スライムはミラを消化するのに夢中なようで、兵たちには見向きもしなかった。触手を伸ばすことなく、ただその場で胃のようなものを蠢かせている。


「ひ、ひいっ!」

「くそ、もう一回……」

「止めなさい、そこのアホども!」


 再び槍を手にした兵の元へ駆け寄り、スライムとの距離を目で測りながら強めの口調で諫める。


「コイツにそんなもの効きやしない! さっさと逃げて!」

「リン殿! し、しかし」

「しかしじゃない! ……あなたたちは市民の避難を優先して。被害を防ぐためには、それしかない。ミラ殿の死を無駄にしないで」

「……分かりました。総員、市民を避難させよ!」


 必死の説得に応じ、ミラの兵たちは市街へと散っていった。

 これでいい。スライムとの戦闘経験がない者がこの場に残ったところで、余計に混乱を招くだけだ。人海戦術が通用するような生命体では無いのだから。


「ふう……さて、どうしたものかな」


 一息つき、改めてスライムの様子を窺う。

 相変わらず動く気配はないが、アレがどの程度の知能を有しているのか分からない以上、悠長に眺めていられない。少なくとも、市民を避難させられるだけの時間を稼ぐべきだろう。


 周囲を警戒しながら思考を巡らせる中、いつの間にか背後にいたアナが静かに語りかけてきた。


「それで、どうするつもり? あの時みたいに燃やしちゃう?」

「……それはちょっと無理、かな。宮殿とは状況っていうか、環境が違うから。それに……ほら、やっぱり降ってきた」

「最悪。この感じだと、もっと強く降りそうだね」


 フェネシンの宮殿で相対した時は、閉鎖的空間だった上にジエチルエーテルがあった。だからこそ、奇跡的に通用しただけの話である。今はジエチルエーテルどころか、硫酸すら持っていない。今までとはまるで状況が違うのだ。


 それに加えて、暗い空から雨がポツポツと降り始めている。これではたとえジエチルエーテルや硫酸を持っていたとしても、すぐに無効となってしまう。


 残念だが、逃げるしか選択肢は無さそうだ。


「……悔しいけど、今の状況じゃあ足止めも出来ない。お手上げだ」

「了解。じゃ、全員地下に戻るように……あれ?」


 足早に郊外の地下遺構へと向かおうとした矢先、アナがスライムの方を見て足を止めた。彼女の珍しい反応に、私もつられて足を止める。


「どうかした?」

「いや……なんか(ひか)ってない?」

(ひか)って……?」

「ほら、あそこ」


 アナの指し示した場所を、じっと目を凝らして見つめる。確かに彼女の言うとおり、赤黒いゲルの中に仄かな光を感じた。


 あれは恐らく、ミラの所持していた魔導兵器によるものだろう。先ほどまでは気付けなかったが、周囲が一層暗くなったおかげで、わずかながらも視認できるようになったと思われる。


「ミラの指輪だろうね。アレは金属だから消化されなかったんだと思う」

「ああ、そっか。でも不思議だね。扱う人がいなくなったのに、まだ光り続けてるなんて」

「え? そりゃあ機械なんだし、停止させなきゃ――――」


 そう言いかけた私の脳裏にふと、魔導兵器を起動させたミラの行動が蘇った。


 あの時、彼女はただ『精神を集中させる』だけで魔導兵器を起動させた。触れることなく、軽く手をかざす程度で光り始めたのだ。だとすれば、あの兵器は使用者の意志に従って動くと考えていい。


 そうなると、スライムの体内が光り輝いているのはおかしい。起動させたミラがすでに絶命しているならば、魔導兵器も同時に機能を停止させて然るべきなのだ。でも、今もなお魔導兵器は起動し続けている。


 つまり、だ。


「ミラは、まだ生きてる……!」

「え!?」


 スライムに取り込まれながらも、どういうわけかミラは生きている。そう考えれば辻褄が合うのだ。


 私の発言に驚きつつも、アナは冷静な口調で言う。


「……リンがそう考えたんなら、そうなのかもね。でも、それが何?」

「どうにかして助ければ、間に合うかも知れない」

「だから、それでどうするの? 何も出来ないって言ったのはリン、アンタじゃない」

「それは……確かにそうだけど。でも……」

「今はまだアレが動いてないから、そんなことが言えるんだよ。もしアレが急に動き出したら私たち、最悪死ぬんだよ? あんな訳の分からない液体に飲まれて……」

「……」


 確かに、救う手立てがないのであれば逃げなければいけない。先ほど私がミラの兵たちに告げたのと同じで、いたずらに死を遂げるのであれば回避すべきだ。


 消えかかっている命が目の前にあるのに、何もできない。私は、なんと無力なのだろう。


「……分かった。私が間違ってたよ、ごめん」

「責めるつもりはないよ。私の方こそ、ごめんね」

「……」

「二人とも! さっきから何をしているのですか!」


 雨脚が徐々に強まる中、痺れを切らせたのかアスナまでも私たちの元へと駆け寄って来た。その背後にはラニの姿もある。一方オザグレルは広場の外れの方で、兵たちを指揮しているようだ。


 頬を伝う水滴を拭い、向かってきたアスナとラニに笑顔で応える。


「ごめん、ちょっと考え事をしてて」

「もう! あの気持ちの悪い腕はどこまでも伸びてくるのですから、早く逃げないとダメじゃないですか!」

「そうですよ、リン様。他の者はオザグレル指揮下のもと、地下遺構へと移動させておきました。もうここに留まる理由はないでしょう」

「そっか。的確な指示ありがとう、ラニさん。そうだよね、あの触手が届かない範囲に行かないと、安全じゃないよね」


 思えば、スライムとは地下でしか出会っていないため、触手がどこまで届くのか不明だった。最悪の場合、この街のどこにいても射程範囲に入ってしまう可能性すらある。


 なにせ、無秩序な増殖をする生命体だ。悪性腫瘍が血管や細胞の間隙をすり抜けるように、建物の中までも触手が入り込んでくるかも知れない。ならば、なるべく遠くに逃げるのがベストだろう。


 無秩序な増殖を抑制する手段でもあれば別だが。


「……細胞増殖の抑制?」


 ふと、広場の外周へと視線を移す。広場を囲むように造られた花壇に咲く、色とりどりの植物が目に映った。


 そうだ、すっかり忘れていた。

 この花壇には『ニチニチソウ』が植えられていたのだった。


「リンさん?」

「リン様、早く逃げませんと」


 不意に足を止めた私を、アスナとラニは怪訝そうに見つめる。その一方、アナは何か勘付いたように目を見開いた。


「リン。なにか閃いたんだね?」

「……よく分かったね」

「何度も言ってると思うけど、付き合いは長い方だからね。で、何したらいいの?」

「ありがとう。それじゃ、ちょっと手伝ってくれる? 効くかどうか分からないけど、試す価値はあると思うんだ」

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