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Note:116 先手必勝

 軍医イミグルセーラの娘、アーデ。彼女を預かること自体は特に問題ない。むしろ孤児であるならば、このままヴィールで引き取っても良いとさえ思っている。


 彼女の頭脳明晰さは、昨日までの会話から察している。加えて冷静沈着、言葉遣いも完璧となれば、これほど将来性に富んだ人材はいないだろう。私よりも君主としての心構えが出来ている、とさえ感じてしまうほどだ。


 ただ————


「……」

「む? 私の顔に何か付いているか?」

「う、ううん。なんでもない。気にしないで」

「……?」


 ただ、アーデからはどこか厳しいというか、何というか……表現しがたい『圧』のようなものを感じる。ラブリズと相対している時の『監視されている感覚』とは異なり、『観察されている感覚』というのだろうか。そういう雰囲気が伝わるのだ。


 まぁ、孤児であるアーデは大人を見定める感性が鋭いのかも知れないし、私の杞憂かも知れない。どっちにしろ、彼女を期日までしっかり守り抜くこと。ただそれだけを考えればよい。


 それにしても、腹が減ったな。大きな要件は済んだことだし、まずは腹ごしらえとするか。


「さてと。そういえばアーデちゃん、もう朝ごはんは食べた?」

朝餉(あさげ)だと? 陽が高いというのに、随分とおかしな質問をするものだ。そんなもの、とっくの昔に済ませているよ。そういう貴殿は、まさかまだ食べていないとでも言うまいな?」

「えっ!? えっと……と、当然、もう食べ終わってるよ! いくら宴会の翌日だからって、油断なんか出来ないからね! むしろ、今後のことについて検討しようと思ってたくらいだし!」

「ほう、そうか。貴殿はもっと大らかな性格かと思っていたのだが、なんと殊勝なことよ。貴殿の素晴らしい姿勢を、この国の兵たちにも見せてやりたいところだな」

「は、ははは……」


 もちろん、これは真っ赤な嘘である。リスプロはどうか知らないが、少なくとも私とアスナは朝食を摂っていない。それどころか、昨日の演出が大成功したことで油断し切ってしまい、寝過ごしてしまったくらいだ。


 かと言って、こんなことを堂々とアーデに公言できるはずがない。多少の無理はしてでも、嘘を真実へと捻じ曲げてしまった方が圧倒的に良い。これは私だけの問題では無い。ヴィールという国全体の沽券に関わるものだ。


 乾いた笑いで誤魔化した私はアーデに気付かれないよう、私の陰でこっそりと笑いを堪えているラニへ告げる。


「ラニさーん」

「……は、はい? な、なんでしょうか」

「当然、ラニさんも朝食は摂ったんだよね? まさかとは思うけど、寝過ごしたりなんかしてないよね?」

「ええ!? ちょ、それは————」

「も・ち・ろ・ん、問題ないよね?」

「……はい」


 私のやせ我慢する姿を笑ったのだから、この男も同罪だ。というか、君主が我慢している姿を見て笑いやがって。昨日の宴会で脳にエタノールでも注入されたのか、この野郎が。


 さて、それはともかく。このままここにいては、何も知らないアスナが部屋から出てきてしまう。呑気に風呂へ向かおうとするアスナの姿を、アーデに見られてはマズい。私の嘘がバレてしまう。


「えっと……とりあえず場所を移そっか。預かるって言っても、こっちも何をしたらいいんだか分かんないし、アーデちゃんも私たちのことを知りたいでしょ?」

「ううむ、そうだな……全く不本意ではあるが、こうなった以上は貴殿らのことをよく知っておきたい。時間が許すならば、貴国の面々とも言葉を交わしてみたいと思う」

「了解。じゃ、まずは自己紹介を兼ねて……えっと、ラニさん。どこかに空き部屋はあるかな? なるべく外部に声が漏れないと良いんだけど」


 無論、変な意味ではない。アーデは王宮に住んでいた身なのだ。もし彼女が誘拐でもされれば、大きな問題となるだろう。それこそ、同盟どころか国交すらも断絶しかねないレベルの失態だ。それ故に、アーデがここにいるという情報を、なるべく漏洩させたくなかったのだ。


 僅かに悩んだ後、ラニは私の質問に対する答えをすぐに導き出した。


「それはつまり、警備が厳重な部屋、ということでしょうか。それでしたら、リン様の部屋を使われてはいかがでしょうか」

「わた……いや、リン様の部屋を?」

「ええ。あそこは常に警戒網が敷かれておりますから、リン様を狙う輩以外、足を踏み入れようとは思わないでしょう。ミリモスティーム教会の連中ならばともかく、フルベストラントなど他国の民が襲撃する理由は希薄かと」

「ふぅん、なるほど。いくら女神二世の力が欲しくても敵国を増やすのは愚策中の愚策だし、失敗した時のデメリットの方が甚大だもんね」

「で、でめ……?」


 私たちが王国に滞在しているという情報が漏れたとしても、ヴィールと敵対している国は非常に少ない。強いて言えば王国と西方の国くらいだ。敵対していないならば、幾らでも話し合いの場を設けられよう。ヴィールを敵に回す危険を犯してまで、私を略取する意味は無い。


 そうなると、この国で最も安全な場所なのは女神リンの部屋ということになる。むしろ、この街の中で唯一の安全地帯ともいえるだろう。まったく、敵を簡単に作るものではないな。


「それじゃあ、そうしよっかな。場所は奥の方で合ってるよね?」

「あ、はい。普通に行けば迷うことは無いかと思いますが、念のためご案内しますね。リナさんだと、何か迷いそうな気がするので」

「ちょっと、どうしてそんな……まぁ、方向音痴だから助かるんだけど。じゃ、納得いかないけど案内をお願いし————」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」


 とんとん拍子で話が進む中、アーデは焦った様子で私たちを引き留める。


「どうしたの?」

「ど、どうしたもこうしたもあるまい! 私のような者を、君主の元へ簡単に招き入れてよいのか? 私が本当に孤児であるかどうかという証拠は無いのだ。もし、私が女王レノより放たれし刺客であったならば、どうするつもりだ。貴殿らの安易な行動が、後にヴィールの破滅を(もたら)すやも知れぬ。まさか、その程度のことすらも考えていなかった、という訳ではあるまいな?」

「あー、そういうことか。確かにそうかもね」


 どうやらアーデは、私たちがあまりにも無警戒なことに不安感を覚えてしまったようだ。確かに、いきなり君主の部屋へと招かれれば驚きもしよう。というか、私がアーデの立場だったら、きっと彼女と同じ質問をしていたことだろう。


 無論、女神リンは私なのだから、リンの部屋に行ったところで誰もいない。どれだけ刺客を放たれようとも、私がリンであると知られていない限り何も問題は無いはずだ。


「一応、リン様は部屋にいないから大丈夫だよ。何か仕掛けようとしたって、私たちが見張ってるから問題ないし。もし危険なものを持っていたとしても、リン様から強力な魔導兵器を預かってるから対処できるし」

「ほう? なるほど、考えなしという訳ではないのだな。……ん? 待てよ。女神は不在、だと? 貴殿らは先ほど、その部屋が最も安全だと言っていたではないか。君主たる女神は何故、危険を犯してまで部屋を離れたのだ? そもそも、それほど部屋を離れる機会の多い人物ならば、どこかで会ってもおかしくないのだが……納得いかぬ」

「おお、そう来たか……」


 話の流れからして、この疑問に辿り着くのは必然だ。むしろ彼女ほど聡明ならば、この答えに行き着くだろうと予測していたぐらいだ。本当ならばラブリズへの対策として用意していた言い訳であるが、ラブリズよりもアーデの方が始末に負え無さそうだ。ここは、全力で彼女を騙すしかあるまい。


「ラニさん」

「はい。承知しておりますよ、リナさん」


 アーデの頭の良さに舌を巻きつつも、軽くラニへと目配せをした。私の視線から全てを察してくれたようで、ラニは小さく頷いた後、アーデの問いに対し優しく答える。


「心配は無用ですよ、アーデ。女神リン様は部屋におらず、市井(しせい)へと出向いておられます」

「市井、だと?」

「おやおや、まさか我が国の君主が他国の首都で引き籠るとでも? あのお方は女神二世……即ち、王国に(ゆかり)のある人物です。ならば、ここでじっとしてなど居られぬでしょう。今頃、かつての盟友を探しに王宮へ向かっているかも知れませんね」

「ふむ、盟友か……」


 ラニの返答を受け、アーデは眉間に皺をグッと寄せて思案する。そして軽く息を吐くと、観念したように苦笑しつつアーデは重い唇を開いた。


「分かった。では、貴殿らの指示に従うとしよう。しかし、後悔しても知らぬからな?」

「ははっ、後悔なんてしないよ。可愛い子が部屋に来るんだから、リン様だって怒りはしないだろうし。……ああ、そうそう。せっかくリン様の部屋に行くんだから、一つ条件を加えていいかな?」

「む? 条件だと?」


 私の提案に、アーデはまた目つきを鋭く変える。その視線に屈することなく、私は平然と彼女へ答える。


「アーデちゃんは、私のことを『リナ』って呼ぶこと。それと、変に硬い言葉を使うのは禁止ね。いい?」

「は? ま、待たれよ。貴殿、一体何を————」

「『貴殿』じゃなくて、『リナ』だよ。実はね、アーデちゃんが名前で呼んでくれなくてずっとモヤモヤしてたんだ。私には、リナっていう大事な名前がある。だから、アーデちゃんにもそう呼んで欲しいんだ。あとね、リン様は敬語が苦手だからさ」

「む、むぅ……分かった、リ……リナ。これでよいか?」

「うん、よろしい。じゃあ改めて、リン様の部屋に行こっか。自己紹介もそうだけど、まずはアーデちゃんのことを教えて欲しいな」


 まあ、きっと彼女はグレイスティーム王国の女王、レノなのだろうけど。


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