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終わる関係(2)

 ……いつの間にか雨はやんでいた。

 香耶はびしょ濡れのブランコに座り、宙を見つめていた。カーン、カァーン……と、鐘の音が聞こえてくる。のろのろと視線を動かして時計を見やれば、五時。日はすでに暮れ、ぽつぽつと街灯がついていた。

 ぼんやりとあたりを見回し、首を傾げる。


(彼は……いつ帰ったんだろ?)


 そこらへんがひどく曖昧だ。普通、抱きついて泣いていたのなら、帰ったのがすぐわかるはずなのに。

 不思議に思いながらも、香耶はびしょ濡れになった鞄を持ち、立ち上がった。ちらりと中を見れば……思ったよりは濡れていない。もちろん水没はしているけど、無事な部分もあるから、良しとしよう。そう思わないと今後のことに泣いてしまいそうだ。

 はぁ、とため息をつき、重たい足取りで歩き出す。暴風雨のような激情は、すでに落ち着きを得ていた。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 翌日、香耶は見事風邪をひき、学校を休むハメになった。けれど、家に誰もいない夕方、一人で公園に向かう。熱は少しだけあるが、我慢できないほどではなかった。

 カーン、カァーン……と鐘の音。四時。それが鳴り響くと同時に、香耶は公園に着いた。いつものブランコに腰掛けると、今日もまた、〝彼〟がやって来た。少し、気まずげに。

 彼は定位置である隣のブランコに座ることなく、香耶の目の前に立った。初めて出会った日のように。

 薄い唇が開かれた。


「あの、その……」

「ありがとう」


 彼の言葉を遮って、香耶はそう言った。ありがとう。熱に浮かされながら、今日会ったら言うと決めていた言葉。

 言われた当人はどうしてそう言われたのかわかっていない様子で、こてりと首を傾げた。これもまた、初めて会った日と同じように。「どうして?」と目で問いかけてくる。

 香耶はそっと喉を震わせた。


「あなたがいなかったら、今でも葵だけが友だちで、鬱々とした日を送っていそうだったから。それに昨日、慰めてくれたし……」

「あれはただ、胸を貸しただけで――」

「それでも。ありがとう」


 そう言うと、彼は照れくさそうにぷいっ、とそっぽを向いた。少しだけ頬が紅潮しているように見えるのは、夕日のせいではないはず。

 そんな様子に思わず笑みをこぼしていると、不満げな表情を浮かべられた。せっかくの可愛らしい面持ちだったのに、と思わなくもないが、彼が「それで、」と、真剣な瞳で話しかけてきたら、気持ちを引き締めるしかなかった。香耶は正面から彼を見つめる。


「……これから、どうするの?」


 そのことに関しては、すでに決めてあった。すぅ、と息を吸う。


「別に、なんとでも。正直葵とはあまり顔を合わせたくないし、今までのようには接せられない自信は、残念だけどある。だけど……とにかく、前を向いていこうって。それ以外のことは、そのときそのときでも十分じゃないかなって思ってるから」


「そっか」と彼は言った。安心したように。

 今までの香耶だったら、たぶんこんなふうには思わなかっただろう。ひたすら嘆き、悲しみ、自分の殻にこもったに違いない。もしかしたらとうとう自殺をしていたかも。葵を失うということは、香耶をこの世に繋ぎとめる枷を失うということだったから。


 だけど、今は違う。たった二週間、されど二週間。その間に香耶は見違えるほど変わった。いつも鬱々としていて、下を向き、人と関わらず、一人ぼっちだった少女はもういない。幸せになろうと決意し、自分から動き始め、明るくなった。笑うようにもなった。たとえ葵という重石を失っても、宙に浮くことなく、地に立って生きていけるほどには。

 だからもう、大丈夫。

 香耶はにっこりと笑った。不器用じゃない、心の底からの笑み。彼を安心させるためのもの。


「あなたがいてくれなきゃ、たぶんこんなふうには思えなかった。ありがとう」

「――っ、どういたしまして」


 そう言う彼は、くしゃ、と顔を歪めた。万感の思いを抱いているようでもあり、どこか泣きそうでもある表情……。

 ふと、香耶は言い知れぬ不安を覚えた。なにか重要なことを見落としているような、そんな予感。ざわざわと胸を掻き立てるそれに、思わずきゅ、と胸元で手を握りしめる。


(どうして、こんな気持ちに……?)


 そんなことを思っていると、彼は先ほどまでの表情を消し、からりと笑った。どこか作り物めいたもの。一歩、彼があとじさる。


「――ごめん、今日はもう帰らないといけないから」


「じゃあね」と言って、彼はくるりと背中を向ける。香耶の返事を待たないその態度に、慌てて「待って」と声をかけた。彼が振り返った。


「あの、その……」


 呼び止めたけれど、何を話せばいいのかわからなくて視線をさまよわせる。口をはくはくと開閉させて……結局、「またね」としか言えなかった。彼はにっこりと笑うと、返事をせずに走り去っていった。

 時計に目をやる。四時十分。まだいつもの時間にはほど遠い。

 香耶は手に込める力を強めた。


(大丈夫……)


 また、会えるはず。たとえ返事をしてくれなくても。

 そう自らに言い聞かせても、不安が消えることはなかった。




 ――その日、四時半の鐘は鳴らなかった。




 翌日、熱から回復した香耶は公園に行ったものの、結局彼が現れることはなかった。

 その日も、そのまた次の日も。

 四時半の鐘もまた、耳にすることはなかった。

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