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終わる関係(1)

 夕焼けに染まる住宅街を、香耶は必死に走っていた。鐘の音は随分前に鳴っていた。急がないと〝彼〟が帰ってしまう。

 どうしても、今会って告げたかった。先ほど知ったことを。思わず茉奈佳を問い詰め、得た真実を。


 ――あんたさ、もっと人を疑いなよ。善人ばっかじゃないんだからさ。……あたしの話だって嘘かもしれないよ?


 教室で。告げられた真実に呆然としていると、そう茉奈佳は言った。けれどそのようには見えなかった。どちらかと言うと、愚かな香耶に呆れ果て、面倒だから教えてくれたように思える。だから彼女は嘘をついていないはずだ。それに、そうする必要性がない。おそらく、茉奈佳だって香耶のことを鬱陶しいと思っているだろうから。

 そう言えば大笑いした。面白おかしそうに。そして話は終わりだと言うように他の子たちに向き直ると、不自然に別の話をし始めた。

 だから香耶は折りたたみ傘を手に取ると駆け出して――今、公園に向かって必死に走っていた。


 正直、泣きたい。悲しくてつらくて、大声で叫びたくなる。罵りたくなる。ただ、それよりも先に〝彼〟に話したくて……。

 途中、ぽつぽつと肌に水滴が当たり始めた。すぐにそれは勢いよくなり、香耶はぐっしょりと濡れてしまう。けれどそんなことなど気にせず、一心不乱に走った。


 ……やがて公園が見えてきた。腕時計を確認すれば、四時十六分。いつもならいる時間だけれど……この雨だ。果たしているだろうか?

 そんなことを思っていると、「あんたのせいよ!」と、公園のほうから声がした。葵の声(・・・)。香耶は思わず、一瞬足を止めてしまった。まだ、彼女と向き合う勇気がなくて。そうしてしまったら、世界は決定的に崩壊してしまいそうで。


 だけど――向き合わなければならない。


 深呼吸をして心臓を宥めると、香耶は再度足を動かし始め、公園の中へ入って行った。

 ざぁざぁと雨の降りしきる中、〝彼〟はいつものようにブランコの上に座っていて、葵は彼の前に立って見下ろしていた。二人とも傘をささず、びしょ濡れになっている。

〝彼〟がこちらに気づいた。慌てたような表情で、何か声を発そうとしたそのとき、先に葵が叫んだ。


「私は香耶ちゃんといたかった! そのために香耶ちゃんを一人ぼっちにしたの! それなのに、今の香耶ちゃんは……!」

「――……わたしが、なに?」


 声を振り絞って尋ねれば、バッ、と勢いよく葵が振り返った。驚きに目を見開いて、わなわなと唇を震わせている。「か、香耶ちゃん……?」と、動揺がありありと伝わる声はかすれていて、力がなかった。

 香耶はズキズキと痛みを発する胸を無視して、「葵」と呼びかけた。


「……葵が、全部手を回していたんだってね」

「か、香耶ちゃん、私は……」

「言い訳なんて聞きたくない!」


 葵の言葉を遮って、香耶は叫んだ。息が苦しい。全身が震えてしまうような寒気は、たぶん雨のせいだけじゃない。


 ――可哀想じゃない? あの子って、自分の幼馴染みが〝人殺し〟だと言い触らして自分を孤立させたこと、それでも関わろうとする人には裏から手を回して脅していたこと、ぜーんぶ知らないんだよ? 流石に気の毒じゃない?


 つい三十分ほど前の学校で、茉奈佳がそう言っていたのだ。何人かの友人〝だと思っていた〟女子が「しまった」とでも言うような表情でいる中、彼女だけは泰然と微笑んでいた。その表情がちらちらと脳裏に浮かぶ。

 幼馴染みと言えるのは、今の香耶にはもう葵しかいない。信じたくなんてなかった。だけど現に今、彼女はそのようなことを口にしていて――。


 ひどく胸が苦しい。つらくて、悲しくて、張り裂けそうだ。

 香耶は葵を睨みつけた。彼女は眉を下げ、たいそう悲しいものでも見たかのような表情を浮かべている。すがりつくような目を向けてきている。

 そうしたいのは香耶のほうだ。親友に裏切られて、苦しめられて……。

 しかも七年も。その七年の間に、いったい何ができたことか。どれだけの思い出を作れたことか。


「葵、そんなにわたしのことが恨めしかった? 肉らしかった? 何も知らないわたしを見て嘲笑ってたんでしょ!」

「そんなことない! 香耶ちゃん、私はただ、香耶ちゃんといたくて! 他の人と関わってほしくなくて……!」

「だからわたしの人生を無駄にさせてもいいと? ふざけないで! わたしの人生、誰と関わってどう生きるのかは、わたしが決めることであって、葵が決めることじゃない!」

「香耶ちゃん!」

「黙って!」


 葵は口を噤んだ。

 ……ざぁざぁと降る雨音だけがあたりに響く。見るのが好きだったぴょんぴょん跳ねる葵のツインテールはぐっしょりと濡れ、元気なさげ。当たり前だけれど。

 肌に張りつく制服が気持ち悪いけれど、それどころではなかった。そっと目を伏せる。今までの人生がすべて無駄だったと、否定されたようなことはあった。だけど今はそれ以上の絶望感が全身を包み込んでいた。ひどく寒い。


 ――そのとき、そっと肩に手が触れた。冷えきった手のひら。ブランコに座っていたはずの〝彼〟だった。いつの間にか香耶の後ろに立って、悲しげな表情を浮かべている。

 彼はそっと、労わるように香耶の手の甲を優しく撫でた。それがとても心地よい。ほんの一時(いっとき)だけれども、そのおかげで胸中で渦巻く怒りを忘れることができた。

 ほっと息をつくが、葵に視線を向ければ、再度苛立ちが生まれ、心の内が荒れる。ぎゅっと手を握りしめて香耶は言った。


「――もう、顔なんて見たくない」

「香耶ちゃん、私は……!」

「……葵、わかる? わたしにとって葵はすべてと言ってもいいくらいだった。ほかの人と違って〝人殺し〟だと言わなくて、蔑まなくて、わたしを愛してくれたから。孤独にしなかったから」


 胸中で吹きすさぶ激情を抑え込み、香耶はにっこりと笑った。皮肉げに。


「それなのに、そんな葵がわたしを孤独にしたんだよ? 傷つけたんだよ? ……恨むなというほうが、無理に決まってるじゃん」


 その途端、あたかも香耶が傷ついていることに思い至っていなかったかのように、葵は目を見開いた。青ざめて見えるのは、降り注ぐ雨のせいか、それとも……。

 雨足が強くなる。香耶は再度口を開いた。


「帰って。二度とわたしの前に顔を表さないで!」


 ……葵は、そっと目を伏せた。その瞳に浮かぶ感情はわからないけれど、苦渋の表情を浮かべている。

 そして雨が降る中、一人きり、寂しげに歩き去っていった。


 ざぁざぁと雨が降りしきる。全身がべっちょりと濡れていて肌にまとわりついているが、香耶はそんなことなど気にならなかった。

 何もせず、呆然とその場に立っていると、そっと抱きしめられた。同じように濡れている〝彼〟。そのわずかな温もりに、目頭が熱くなった。頬を伝う液体の量が増える。

 彼の腕の力が強まった。


「……泣いていいよ。思いっきり泣けばいい。ここにいるから」


 その瞬間、ひくりと喉が震えた。きゅ、と彼の制服を掴み、顔を押しつける。

 そうして、香耶は雨音にも負けないほどの大声で泣いた。荒れ狂う激情を吐き出した。

 それくらいしか、できなかった。

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