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誰そ彼時の公園(1)

 さぁ、と風が吹いた。カラカラ、と、枯葉が可愛らしい、だけどどこか物寂しい音を響かせて、ひと気のない公園の中を転がる。


 冷たい秋風に思わずぶるりと身を震わせながら、香耶(かや)はそっと視線を上げた。夕焼けに染まる空にはいくつもの黒い点が飛び交っている。カラスだろうか? ……遠目だからよく分からない。もしかしたら別の鳥かも。そんなことをぼんやりと思う。


 なんとなく衝動に駆られて、足裏をしっかりと地面につけると膝を伸ばした。自然と座っていたブランコが高くなり、見える世界が変わる。そっと足から力を抜けば、キィキィと悲鳴を上げてブランコが前後に大きく揺れた。

 そのとき、どこからかカーン、カァーン……というチャイムの音が聞こえてきた。四時。いつもこの時間になると聞こえてくる音。うんと幼いころはこの音がすると友達と一緒に帰宅の途についていたはず。もう何年もそんなことはないし、めったに思い出すこともないから、朧げだけれど。そのときは世界のすべてがキラキラと輝いていて、毎日が楽しかった。


 悲しみや切なさは、湧き上がらない。もう過去を懐かしめるほど、心は豊かではなくなっていた。擦り切れてしまっていた。

 キィキィとブランコが揺れる。ぼんやりと空を見つめる。これまでの人生で幾度となく考えたことが、ふっ、と頭に浮かび上がった。


(――どうして、生きているんだろ)


 生きている意味なんてないのに、ただ虚しく時間を浪費するだけなのに、どうしてか死にきれずにいた。あの日から、ずっと。何度も死のうとして、そのたびに死ねずにいた。

 つま先が地面をこする。それに合わせて徐々にブランコの揺れが小さくなっていき、やがて完全に静止した。風が吹き、どこからが楽しげな子供の声がかすかに聞こえてきた。香耶がいるのとは別の世界のような、陽気な声。

 何をするでもなくぼうっと、少しずつ黒や紺の面積が濃くなっていく空を眺める。そのときだった。


「――どうしたの?」


 声につられて視線を空から離せば、そこにはこの公園の近所にある高校の制服を着た男子がいた。ということは、香耶と同じ年ごろ。それなのに、黄昏時(たそがれどき)で見えにくいからだろうか、やけに大人びて見えて、老成した雰囲気を感じさせた。体と中身がちょっとズレてるような、そんな感覚。

 けれどそれはすぐになくなった。彼がにこりと笑うと印象が一変し、不思議と年相応――というよりはさらに若く、中学生くらいに見えたのだ。逆光で見えにくいけれど、子供らしい無邪気な笑顔なのはなんとなくわかった。


 どことなく居心地が悪くなって、香耶は思わずブランコを繋ぐ鎖から手を離して下に置いていた鞄を取ると、ぎゅっと胸元で抱きしめた。心に小波(さざなみ)が生じる。少しだけ手が震えてしまうのは、仕方のないことだった。


 いつでも逃げ出せるように足に力を込めていると、こて、と彼が首を傾げた。不可思議なものを見るような目でこちらを見てくる。……つい先日、高校に入学したときにも多く向けられた類のものだった。ふっ、と、そのときのことが思い起こされる。口々にされる噂。「あの子に関わらない方がいいよ」と言う、同じ中学校出身だと思われる女子生徒。不思議なものを見るような視線。それはやがて納得の光とともに、拒絶の色を含ませた。体を縮こまらせるしかない自分。そして――。


 小さく首を振った。思考を止める。考えても仕方のないことだから、もうどうだっていいだろう。あの日の事実は変わらない。一生。永遠に。


 ――〝人殺し〟だから。


「……悩みがあるのなら聞くよ」


 彼はそう言うと、隣のブランコに腰掛けた。長年の風雨で錆びついた鎖がキィ、と悲鳴を上げる。それは香耶の心も同じだった。どうせ彼も、話を聞いた途端に香耶を拒絶するのだろう。そして〝人殺し〟だと蔑む。それは事実だけれど……どこにも居場所がないと改めて自覚するのは、つらかった。

 だんまりをきめこんでいれば、またもや言葉が耳に届いた。


「ほら……僕なら君のことまったく知らないからさ。話せば楽になることもあるし……」


 彼はその後も言い募るが、どれも香耶の心に響くことはなかった。助けたい? うそ。ただの自己満足のためでしょ? そう心の中で言い返す。実際に口にする勇気は、なかった。

 ……やがて彼も言葉が見つからなくなったのか、口を噤んだ。風が吹き、制服のスカートが揺れた。くくっていない髪がふわりと巻き上がって、煩わしい。カラカラという枯葉の音は、まるで自分の心のようにうつろ。聞いていたくない。

 公園の中央にある時計に目を向けた。四時十五分。


(だいぶ、早いけど……)


 ――もう、帰ってしまおうか。人がいないからこの公園にいたのに、この男子高校生がやって来てしまった。家にいるのも苦痛だけど、まだ部屋にこもれば両親とも顔を合わせることもないから、マシ。それよりもここにいたくない。

 うん、と心の中で頷くと、帰るためにぎゅっと鞄を握りしめ、立ち上がろうとしたところで――。


「――っ、とにかく!」


 叫ぶような声が聞こえた。思わずそちらを見る。彼がこちらを見ていた。真剣な瞳で。

 薄い唇が動く。


「話して。それじゃなきゃ、僕は何も言えない。君を救えない」

「でも――」


 あまりにも熱っぽい瞳で見つめてきてこられて、思わず声を漏らしてしまった。こんなにも熱のこもった瞳で見つめられたのは、もう何年もなかったから。少しだけドギマギして、正常な判断を下せない。逃げ出したくなる。

 うう、と心の中で呻いていると、「ほら」と、満面の笑みで言われた。無邪気なもので、この人だったら話を聞いても拒絶しないのでは、と思ってしまう。親友の、〝あの子〟と同じように。そんなことは決してありえないはず、なのだけれど……。

 そんなことを思っていれば、「大丈夫」と、また言葉を重ねられる。


「拒絶は、しない。約束するよ」


 その言葉が、決め手だった。もしかしたら、香耶はずっと欲しかったのかもしれない。過去のことを話しても、受け入れてくれて、優しさを向けてくれる人が。〝あの子〟の他にも。

 だから……口を開いた。


「…………ほんとう、に?」

「うん、本当に」

「……ほんとうのほんとう?」

「うん、本当の本当」


 その言葉は真実味に溢れていて、誠実さを感じさせるもので、香耶はほっと息をついた。少なくとも、彼が本当に拒絶しないのかは別として、今はそれを真実にする気があるようだった。なら、たぶん大丈夫。きっと。

 深呼吸をする。冷たい空気が鼻を刺激した。寒さも忘れてしまうほど、動揺していたらしい。

 心臓を落ち着けると、香耶はそっと口を開いた。


「あれは、まだ、小四のころ――」




 ミンミンとセミのやかましい夏のことだった。夏休みで、香耶はほぼ毎日親友の(あおい)と一緒にどこかへ出かけたり、お互いの家に行ったりして遊び呆けていた。夏休みの宿題なんて知ったこっちゃない。そのせいで毎日コツコツと進めている、このころから親友だった葵には苦言を呈されたけれど、そんなのさほど気にならなかった。楽しかったから。幸せだったから。今を楽しめるのなら、あとで苦労しても良いと思っていた。


 その日も香耶は公園で葵やそのほかの友人たちと一緒に遊んでいた。かくれんぼや鬼ごっこ、氷鬼に砂場遊び。飽きたら自然と別の遊びに移行して、ひたすら公園を駆け回った。

 そうしていると、カーン、カァーン……と、今日何度目かの鐘の音が聞こえてきた。時計を見ると、五時。まだ十分明るいものの、この時間になったらちゃんと家に帰ると両親に約束させられていたから、もう帰らなければならない。そうじゃなきゃこの夏休みはもう二度と友達と遊ばせないと、言われていたから。


 まだ残って遊ぶ友人たちに別れを告げ、香耶は水筒を手に持つと駆け出した。公園を出て、目の前の横断歩道の信号が青だということを確認すると、そのまま車道へ一歩、足を踏み出す。そのとき。


「危ない!」


 背後から、悲鳴じみた男性の声が聞こえた。くるりと体の向きを反転させてそちらを見れば、蒼白な顔をした男性が駆け寄ってきているところで。香耶は首を傾げる。何だろう?

 そう思っていると、大音量のクラクションが聞こえてきた。すぐ右側から。ビクッと肩を跳ねさせて顔をそちらに向ければ、トラックが眼前に差し迫っていた。――避ける暇もなかった。


 衝撃が体を襲った。


 力ない体躯が宙を舞う。――香耶を突き飛ばし、庇った、男性の肢体が。


 悲鳴が聞こえた。トラックは香耶の前を少し通り過ぎて、やっと止まった。おそるおそるそちらに目を向ければ、黒々としたアスファルトに赤黒い血が広がっていた。だらりと、まるで糸の切れた人形のような、だけどあちこちが歪な方向に曲がっている体も。

 ミンミンとセミがやかましかった。

 その日を境に、香耶の人生は一変した。

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