09
ゼロと男のやり取りに呆気に取られて気付かなかったが、ふと、彼らの足元に転がる少年の存在に気付いた。
あ、と声を上げると、男が興味なさげに「ああ」とそれを転がす。
「……アリ」
「ったく、ふてぇ野郎だ。何考えてるんだか知らんがよぉう、こいつ、ゼロを見ていきなり攻撃してきやがったんだ。ひでぇと思わねぇか?」
「それで、このような?」
「殺してないだけマシだろぉ? もうすぐ出荷出来るから見逃してやってんだしな」
いそいそとアリを男から引き離し、軽く揺さぶった。小柄な体に、太い縄がぎっちりと食い込んでいた。右腕には注射痕もある。恐らく、不意打ちに何かを打たれて動けなくなったところで、雁字搦めにされて暴行を受けたのだろう。
呼びかけてみたが、濁ったような瞳が虚ろに見返すだけだ。神経系の薬でも打たれたのかもしれない。後遺症がなければいいのだが。
ここは、男が秘密裏に「エイルス」という器を造り続けていた部屋だ。
ぐるりと見回せば、まず目に入るのは、真正面、数段上った先に見える、ここよりさらに奥へと続くであろう扉。
それと、入口右手隅に、小振りの機械と試験管が立ち並んだ机、大きな棚が備え付けられている。
だが、それ以外は全て、大きな筒状の硝子板が整然と並べられており、それぞれには土台となる機械が設置されていた。それらのうちの数本が、微かな振動音と、薄ぼんやりとした青い照明が付いている。
中身の入った、数本が。
イコに向けた説明としては、自分の――生きる死体の特異性と、この状態から完全に蘇生することは可能かどうか、という実験のために生かされていること、そして、その状態を成すために、自分のクローンを造り、同じ過程を経て、どれだけの確率で生き残るのかを確かめている、と言っていた。
ウツロもまた、ここにいるゼロと同様、イコを素体として造られた器に過ぎない。それも、目覚めた時から失敗だと分かっていた器だ。扱いは既に察せられている。
イコに向けた説明も結局は建前だ。彼の本来の目的ではない。
彼は、自分の「エイルス」を――息子を、本当の意味で復活させたい、それだけを目的として、何年も研究してきたのだ。
「お父さん、僕、立派な怪物になるからね!」
アリやイコなど初めからいないものとして扱い、無邪気に笑うゼロを見ながら、ふと考える。
もしも、あの事故がなかったとして。
もしも、今まで怪物にはなっていなかったとして。
果たして自分は、あのように――何も変わらず、男を、父を慕っていたのだろうか、と、ふと、疑問が湧き上がった。
確かに、本物である自分が何だかんだで怪物化に成功しているし、今まで作ってきたコピー体の器を使って実験を行い、既に成功率としてはほぼ確実というところまできていた。怪物化実験は、確実に成功する。
だが、あれほどまでに考えることを放棄していたのだろうか。
「……していたのかも、しれない、か」
最近までの自分を顧みながら、呟く。形は違えど、結果としては同じだった。
「それでは、ゼロの初期投与を始めるのでしょうか?」
アリを入口辺りで寝かせ、男に問い掛ける。邪魔をされたとゼロがムッとしていたが、相手にする方が面倒臭そうなので無視した。
「そうさな。始めようか」
常になく真面目な態度で、男は鷹揚に頷く。こうして見ると、そこいらの貴族よりよっぽど賢く見えるのだが、仕方あるまい。溜め息を隠して、ゼロと向かい合う。
男はイコの腕を寄せ、軽く視診を行い、問題ないと判断した。おもむろに手元にある採血針をイコの腕に刺し、先にスピッツを差し込む。赤い色が内側を染める。
「それ、何? 怖いよ、お父さん……」
「こいつから怪物化に必要な因子を採取してんだぁな。一から作るんならこんなまどろっこしいこと必要ないんだがなぁ、お前はトクベツだから、そうしなくちゃいけないんだ。何、失敗はしないさ、安心しろよ」
イコから取った血液をすぐに機械へと回し、ポケットから飴玉を出して、こっそりとイコの口に放り込む。
昔からの、ある種、ルーチンのようなものだ。
ぐしゃりと乱暴に頭を撫でられる。ゼロには見えないような角度で、ほんの一瞬のことだった。
「今日で第三段階まではやる」
「分かりました。どうぞ」
イコが頷けば、男は精製した薬液を、ゼロに注射した。少年は痛みで顔が歪んでいる。
しばらくして、特に大きな変化も暴走も起こらなかった。だが、問題はない。ゼロは何度も拳を作り、開き、変化したことを確認した様子で嬉しそうに男に飛びつく。
「よし、そんじゃぁ、次だ」
メインとなる武器の選択。一瞬、言った方がいいのかな、と口を開いたが、誰も見ていないことに気付いて止めた。ゼロがどうなったところで、自分には関係ないのだし、と内心で言い訳をする。
あの時。巨大な、それでいて小さな林のような姿から、正確にイコの能力を知ることは、本人以外には誰も出来なかった。そのせいで、オサシダの葉か何かを、櫛歯と見間違えたのかもしれない。
だけれど、男の願いは。自分の望みは。
一人ぐるぐると悩んでいる間に、彼らが選んだのは、やはり「櫛」だった。
「随分、すんなりと進みますね」
男から見れば無事に第三段階まで到達したゼロは、休息を取るべく、奥に続く小部屋へと戻っていった。
その隙にアリを寝床に押し込み、戻って器部屋の整理をしつつ、男に問い掛ける。
ぱちり、と、器の生命装置の電源を切りながら、
「完成形だからな」
ただ、男はそれだけを告げた。
「……それは」
「何だ?」
ぱちり、と、こちらも一つ消して、口ごもる。
「いえ、ただ、ウツロも、ゼロも、そうでしたが……。なぜ、彼らは、貴方のことを父と呼んでいるのでしょうか」
ぱちり。
「お前は俺の言うことだけを聞けばいい。考えるだけ無駄だ」
「……父様。貴方は、どちらを選びますか?」
男の手が止まる。鋭く射抜く瞳に怖気づきそうになったが、相手に気付かれた様子はなかった。
「どういうこった」
「貴方は、肉体と、記憶と。どちらで、その人物だと特定しますか?」
「……さて、なぁ。まあ、だがなぁ」
男は大股で歩いてきた――かと思うと、勢いよく、イコの頭に拳を振り下ろす。
何度も、何度も、執拗に振り下ろした。途中でくらくらしてたたらを踏んでいると、今度は棚から持ってきたのか、金属製のトンカチで滅多打ちにされる。
がん、がん、と頭蓋に響くような感覚と、一点に集中する冷たい感覚、遅れてくる痛み、激痛。割れるように、いや、もう割れているのかもしれない。
何が何だか分からなくなって、自分が立っているのか倒れているのかも覚束なくて、視界が暗くて何も分からなくて、ただ遠くで声が。
「誰が俺に質問していいなんつったよ、おい」
首に圧迫感を感じた。ぐえ、と息と共に声が出てくる。押し潰される。力が抜ける。
――それでも、意識は途絶えない。
「第一に、お前の体なんぞ、人ですらねぇだろうが。悍ましい。見ろよ、少し殺そうとしただけで、百合ばっか咲かせやがって。気味悪いんだよ、このウスノロが」
白百合が、皮膚を突き破って咲かせている。早回しのように、芽が、蕾が、花が。
特に、殴打した頭部は顕著だった。白い色で埋もれている。等身大の、白百合の化け物のような様相を呈している。
「もういい。後はてめぇが片付けろ。俺はゼロの調整もあるから忙しいんだ」
最後に白百合だらけの体を蹴飛ばして、男もまた、奥の部屋へと足を進めた。
父は。
数分で割れた頭蓋も元の形に戻って、花が散っていく。
リノリウムの床に、反射された光が舞う。
視界が明暗を繰り返す。まだ数体残った、生きている器の入った機械を手探りで掴んで、ふらふらと立ち上がった。
はっきりとは見えないけれども、目の前で眠る、空っぽの器は、今も虚空を見つめて死んだように生きている。
瓜二つの顔は、イコを認識することも出来ずに、ただ生かされている。
生かされている。彼らも、自分も。
父は。
「僕は……」
どうすべきだろう。自問する。
父の言うことを愚直に聞いているだけの、人形でいることに疑問を覚えてしまった。
父の行動の意図が、知りたくなった。
自分は父に愛されているのか、知りたくなった。
「お父さん……。僕は、ここに、いるんだよ……」
それでも、涙は出なかった。
幾分か視界が回復してきた頃。
ふと思い立ち、自身から生える白百合をおもむろに手折って、機械に差し込む。もう一本、さらに一本。
全部で十一本。一本一本を整えるように差し込んでから、愛おしむように、そっと電源を切る。
「お休み。お休みなさい」
隣で眠る器にも、同じく十一本の百合を供えて、電源を切る。既に切られたものにも、十一本供えた。
まるで、誰にも弔われなかった自分を弔っているようで、奇妙な高揚感を覚える。
まだ動いているのに、自分を弔う、なんて。
「……ふふっ」
小さく笑い、死んだ器の入ったカプセルの中にも白百合を生やす。白い花と、白い肌と、黒い髪。青い光は消えてしまったけれど、これはこれで幻想的じゃないだろうか。
けれども、冷静になってもう一度見ると、今度はみすぼらしく見えて項垂れる。
憤りは感じない。悲しい、とも少し違う。
ふと、打ち捨てられた彼らを見ていると、今度は今の自分と重なるように見えてくる。
嫌なことを考えてしまった、と、思わず閉口していた。
「……あれ」
あれから黙々と器を片付けていると、途中で、あることに気付いた。
機械が作動したままだというのに、中身がないカプセルが一つ、静かに佇んでいる。
思わず近寄り、こんこん、と硝子板をノックしてみる。反応はない。
そもそも、何も入っていないのに反応が返ってくるはずがない。
「ぅ、ん……? でも、どうしてだろ。一人でに起きるはずなんてない、し……」
点々と続く水滴の跡が、絡まり合いながらも一本の線を描いていることに気付いた。
扉の先。ゼロ達のいる小部屋ではない。入口となった、ところどころ塗装が剥げて錆が目立つ、金属の扉に続いている。
ぺたりぺたり、と続くように歩き、ふと床に光る何かを見付けた。
「……針」
とても細く、薄い針。裁縫用の物よりもずっと細い。目を凝らさねば、普段ならきっと見付からなかったことだろう。水滴が付着していて良かった、と心底思う。
「…………何でまた、このタイミングで。まぁ、いいか」
自嘲気味に、薄く笑う。天井を仰ぎ、諦念の含まれた溜め息を一つ吐いた。
「……だからあの人と一緒になんてしたくなかったのに。ねぇ、どうして、ずっとこのままでいられないんだろう、ね……。
時間、なんて。もう、永遠に止まっていてくれたらいいのに。そうすれば……」
――僕は、君と友人のままで、いられるのに。
叶わぬ願いなのに、どうしようもなく、希う。




