08
――自分は、男にとって、一体何なのだろう。
一番分かり易い解答例として、男の実験体の一つ。特別な――しかしとても危険な能力を持ち、唯一国が欲しがらない実験体。
だが、そうではないのだろう、と自答する。
少し考えを変えた。最近まで自分は「イコ」という一個体であるという意識が、果たしてあったのだろうか。
きっと、ただの「お人形」だった。男の命ずるままに生かし、殺し、向けられる感情にも視線にも関心を向けず、考えることを放棄した。男の言う通りに、その時々の、完璧に造り上げた器を喰った。力は蓄えられたが、男が望む変化とは違うようで、いつも苛立ったように頭を掻いて喚き散らしていた。
今なら、おぼろげに理解出来る。彼が解き明かしたいのはこの能力――体質じゃ、ない。
彼が本当に欲しいものは、きっと、初めからたった一つの――最愛とも呼べる、過去だけだったのだ。
何となく、理解は出来る。同時に、自分を偽れば、今、彼の望むものであれば、手に入るだろうことも。
けれども、果たして――それは「イコ」として、生きていると言えるのだろうか。
同時にあの貴族の青年が構う理由も分かるような気がした。
恐らく彼は、色んな感情が混ざり合ったものを張り付けながら、こちらを無意識に憐れんでいるのだろう。もしくは、今、自分がこうやって動いていること自体、見るのが苦痛なのかもしれない。
見たくないからこそ――彼は自分を殺す術を探しているのだ。
解剖、という言葉を用いて。中途半端に研究狂いを演じて。もしも、すらなくなるように。
――二度と、この体が、動くなんてことにならないように。
それはひどく傲慢で、一方的な感情だ。こちらのことなど、お構いなしで。
少し前なら、死んだとしても構わなかったはずなのに、少しだけ死が、怖くなっていた。弱くなったのかもしれない。けれども、明確に生き続けたいと――生きるための理由も、見付けられない。
理由が欲しかった。生きる理由が。
漠然とした先しか見えないし、もしかしたら、明日にはこの生活すら失うかもしれない。先など自分には見えない。目標もない。
過去を取り戻したところで、結局「イコ」は「イコ」のまま。ただのお人形の、まま。
どうしようか、と途方に暮れた。考えることをしてこなかった弊害か、この問い掛けがひどく難解なもののように思える。
誰かに相談するのも手かもしれない。その場合、自分のことも男のことも、全て知っている人物であることが好ましい。
一人、それらしき人物が浮かんだ――が、あまり信用ならないか、とすぐに止める。
だが、もう一人。事情を話せば世間話くらいなら応じてくれるかもしれない、と思われる人物が一人だけ浮かぶ。あまり好きではないけれど。
いずれ話してみるのも手だろうか。一先ずこの問いは、棚上げしておくことにした。
こうして悩んでいる間、一つ、自分について分かったことがある。
自分は難しくあれこれ考えるのが、全く性に合わない。
ウツロを処分してから数日は経ったが、懸念していたアリは、未だにこちらに何の接触もしてこなかった。
いや、接触する暇がこちらにもあちらにもなかった、というのが実情だ。
イコは、また減ってきた実験体の補充に伴うナンバリング作業と失敗作の処分に駆り出されていたし、アリは逃げる要因の一つでもあった第五段階――すなわち、蟲毒実験により、しばらく実験場に閉じ込められていた。
結果は言うまでもない。誰よりも生き意地汚い彼は、ウツロを失ってどこか吹っ切れたようで、搦め手も嘘も交えて他の実験体達を蹴落として生き延びていた。
「今日は三人? また中途半端な……纏めて送ってくれればいいのに」
「そう言うな。まさか十人入れて全部駄目になるとは思わなかったんだろうし」
軽く嘆息し、三人に数字の刻まれたタブを渡してシフに案内させる。その間に記入していると、何が楽しいのか、にこにこと笑って待つ青年を視界の端に捕らえた。とうとう暇を持て余した閑職にでも飛ばされたのかと勘繰りたくなる。
「随分と……頻繁に来ていますが、何か?」
「いやぁ? 何かね、あいつの動きが変わったって聞いたんだよ。絶対碌でもないことしようとしているだろうって思ってね。ね、ね、イコ君。何か聞いてないの?」
「直球に訊きますね」
「だってイコ君ったら、遠回しに訊いても全然分かってくれないんだもん」
ぶうぶうとむくれるハロエスに、内心落胆していた。
結局のところ、彼もまたイコにとっては男と同じだ。一方的な理想を押し付けるだけの人間。とはいえ、こうして腹を括るには、良い頃合いだったのかもしれない。
落胆を悟られぬよう意識して無表情を保っていれば「そう言えばねぇ」と、聞きもしないのに、ハロエスが喋り出した。
「最近、こっち(本国)に帝国の人間がよく来るんだ。嫌になるよ。あいつら無骨だし、何だか息苦しい感じするし。しかもさ、噂によると、ここの技術を気にしてて」
「帝国?」
「ここと同じくらい勢力のある国の一つだね。あっちは昔の――旧文明の武器を発掘していて、それを基にした武器を使って勢力を広げているみたいだよ。何だっけ、銃火器? とか言ってたかな?」
「へえ」
無知なイコに説明するのは楽しいのだろうか。やけに自慢げに話す声が、少し耳障りに感じる。
どちらにせよ、ハロエスとの関係も潮時だろうな、と、内心で独り言ち、彼を外側の――信用に値しない人間として、明確に線引いた。
それから、滅多にない、飛び切りの笑みを意識して浮かべてハロエスに向き直る。
対面で息を呑む音が聞こえた。
それから、甘えるように、
「ハロエス叔父様」
と。一言。
それだけで、ハロエスの様子が劇的に変わった。
彼の目は大きく見開かれていた。言葉にならない声を発し、やがて幸せそうな、切なそうな――泣き笑いを浮かべている。
「ああ、イコ君……。君ならきっと」
ふ、と。おかしくて、暗い愉悦を感じて、小さく口の端が歪んだ。
「本当、押し付けられる願いほど、鬱陶しいものはないと思うんですよ。ねえ、叔父様」
ぴたり、と。
蔑むように半笑いで続ければ、ハロエスの動きは見事に硬直し、信じられないものを見るかのようにこちらを見ていた。
縋るような目が鬱陶しい。どうせ、傍から見た自分しか見えていないくせに。
内心の苛立ちを隠しきれなかったようで、棘のある口調で、続ける。
「ねえ叔父様、僕はそんなに可哀想ですか? この身は、そんなにも救われないものなんですか?」
ハロエスを責めるように、淡々と、棘で刺す。
「僕が――僕がこうやって、死んだ体で動いているのを見るのは、苦痛ですか? だから殺して、壊して、今度こそ起き上がらないように自分の手で処理したいんですか?」
「……!? そ、れは……!」
イコは一つ息を整えて、頭を冷やす。それから己の、既に冷たくなっているその体に、動かないその心臓に手を添えて、淡々と述べた。
「確かに、死体が成長しているのは気味が悪いでしょう。自分の姉の忘れ形見なら、尚更見るのは辛いのかもしれません」
でも、と続ける言葉は、やはり昂りを抑えきれない。少しだけ語気を荒げながら、イコは続けた。
「それでも僕は、生きているんだ」
――今も、覚えている。彼の原風景。
研究所を壊して進み、無意識に父を求めて彷徨い歩く自分。煙が巻き上がり、砂埃が舞い、泣き叫ぶ幼子や恐慌する実験物達、さらに煩く喚き、彼を口汚く罵る研究員どもを、見下ろし、踏み潰し、殺している。
呆然と見上げる父が、次第に状況を理解し、泣きながら訴えかけてくる。
止めろ。止めてくれ。父さんが悪かったんだ。お前が必要としていたこと知ってたのに、何も出来なかった俺が悪かったから。
――だから止まってくれ、エイルス!
結局怪物が捕らえられたのは、力を使い果たしてからだ。ただその時、同時に奇妙なことが起きていた。
怪物の中の一つ、「植物化」の生命力に引き摺られように、死んだ体で生きているという事態が起こっていたのだ。
これには残った数少ない研究員も、国からさらに事情聴取という名目で捕獲するために派遣されてきた軍人達も、そこから報告を受けた貴族の議員達も扱いに悩んだ。
殺すべきか、生かすべきか。
なんせこのような事態が起こること自体、初めてのことだ。観察してみたい欲求、国内にこれ以上の危険因子は必要ないという主張――そんな中、ただ一人、子供の父親だけが言う。
――これは、自分の倅です。自分が責任をもって、管理と観察をしようと思います。つきましては、これを隔離するための施設を……。なるべく国から遠ざければ、さほど危険もないでしょう。怪しむ気持ちもあるでしょうから、ある一定の周期で誰かに様子を確認させて下さい。その際にこちらでも記録を提出しますので……。
父親は、疲れたような顔で頭を下げた。恐らく、この時はまだ、我が子を守るための行動だったのだろう。
それか、我が子を失いたくはないという、怯えから来るものだったのかもしれない。
とにかくそれにて、彼はただ一人、国の僻地の、あの忌まわしい研究所に閉じ込められながら、我が子と対面する。
――そして、愛した我が子が死んだ事実を、再度突き付けられることになった。
惚けたハロエスを放ったまま、ただ、シフに彼を帰らせるよう頼んで、男の下へと足を運ぶ。
振り返ることはしなかった。小さかろうが、自分の矜持が許さないと思えた。
男の私室に入り、壁に並ぶ背の高い本棚の一つの前で、一つの本を押し込む。静かにスライドして備え付けられた窪みに収まる本棚を眺め、さらに地下へと進む階段を下った。
木枠で固定された、石で出来た横穴を進む。ほとんど何も見えないが、慣れた足取りで進んだ。
すると、突き当りに扉が見える。塗装の剥げた、錆臭い金属の扉が。
本来なら鍵が掛かっているのだが、今は開いているはずだ。確信をもってノブを引く。
「あいつに楯突いたんだって?」
にやにやと愉快そうに笑う男が、一人の少年と共にいた。
「愉快そうですね、父様」
「まぁなぁ。愉快痛快ってなぁ」
「それが?」
ああ、と思い出したように、傍にいる少年の体をこちらに向ける。
黒い髪と、青い瞳。
背格好も、年も同じくらいの少年だ。イコと瓜二つの顔立ちをした彼は、男をきらきらとした目で見、次いでこちらを見て、仏頂面に変わる。瞳に猜疑が映っていた。分かり易いものだ、と内心呆れていると、少年が男に言う。
「あいつ、きらぁい。人形みたいに死んだ目してるもん」
「ははは、ゼロはイコが嫌かぁ。でもなぁ、少しの辛抱だからな。少しだけ我慢したら、俺と一緒にいられるぞ」
「……しょうがないなぁ。僕、頑張るね」
にこにこと笑っていたと思えば、こちらを見下してくすりと嘲笑う。
特に顕著なのは、男の、少年に対する態度だろうか。
「エイルス」の完成形。E-0000。通称ゼロ。
奇しくも、全ての記憶を取り戻したイコ、そして同じ記憶を植え付けられた彼が、ここにて相見えることとなった。




