07
「おとうさん」
幼い子供が、ゆらゆらと不安そうに涙ぐんで、傍らにいた父親にしがみ付く。
父親は、まだ若い。少し癖のある黒髪、黒曜石のような無機質な瞳は甘く柔らかい色を帯び、耽美的な美しさのある整った顔立ちが、困ったように笑っている。仕方ないな、と安心させるように、彼は愛する我が子の頭を撫でた。あまり上手じゃなくて、いつもくしゃくしゃと潰すように撫でられる。それに安心してホッとするけれど、幼子はまたハッとしたように、ふるふると首を振った。
「いかないで」
幼子は、懇願する。母親は既に亡く、ここで父親までもいなくなれば、もう自分には誰もいない。
周囲に人がいない生活は、幼子にとって当たり前だった。草原に、ポツンと一つ建った小さな家。半自活生活を送っていた弊害だ。
だが、父親は笑ったまま、瞳にほんの少し、強い否定の色を乗せた。
「本当はな、連れていきたいよ。でもな、お前がここにいてくれれば、父さん、ちゃんと帰ってこれるんだ。お前がいなくなっちゃったら、帰るお家がなくなっちゃうだろ?」
「じゃあ、じゃあ、おとうさんのすむところをおうちにしよう! おかあさんだって、ここじゃなきゃだめっていってなかったもん!」
舌足らずな高い声が、懸命に紡ぎ出される。幼子の持ちうる限りの、最初で最後の説得だった。
小さな頭で懸命に考えた。どうすれば、父親と共にいられるのだろう、と。
「でも、そうしたら、母さんの墓参りも出来なくなるぞ?」
父親のその言葉に、幼子は、がんと後頭部を叩き付けるような衝撃を受けた。思わず、言い返そうと思った言葉も紡げず、ぱくぱくと意味もなく口を開閉させるだけしか出来なくなる。
少し前に死んでしまった、大切な人。母。
彼女は家のすぐ傍に埋まっている。棺も用意出来なかったせいで、バラバラにして埋めた、母の変わり果てた姿を一瞬で思い出す。
くしゃりと笑い、父親がもう一度幼子の頭を撫でた。
「……母さんのこと、頼むな。毎日、花でも供えてやってくれ。もし食うのに困ったら、叔父さんに手紙を書くんだぞ。郵便物は、大きな木の近くにある建物にいる職員さんに渡せばいいから」
「……うん」
「叔父さんの名前ちゃんと分からなかったら、いつもの引き出しの左側にあるメモに書いてあるからな」
「わかるよ、それくらい。ハロエスおじちゃんでしょ」
「ちゃんと、苗字も書くんだぞ?」
「わかってる。……ねえ、すぐにかえってくる?」
「そうだなぁ……。エイルスが俺くらい大きくなる前には、帰ってこれるさ」
「やくそくだよ! ぜったいに、かえってきてね!」
「ああ、約束」
父親が、待機していた護衛に連れられて行く。
その背を眺めていた幼子は、不意に堪え切れなくなった涙を零した。
いなくならないで。だれも、いなくならないで。
いいこにするから、つれていかないで。
本当は言いたかった言葉も、父親を困らせるだけだと気付いてしまって、言えなかった。
だが、我慢出来るほど、強くもない。
幼子は、とうとう大声を上げて泣き出した。
その慟哭は、いつまで経っても止むことがなかった。
「『ゼロ』が起きた」
いつになく上機嫌の男からその報告を受けたのは、アリ達の脱走騒動から一週間は経った頃だった。
殺そうかと、本気で思った。それでもしぶとく生きるとは。半ば呆れたように報告すれば、男がいい玩具を見付けたと言わんばかりに喜んでいた。それから数日間、二人は牢に放置され、男に嬉々として体を弄られていた。
そのせいか、アリはすっかり皮肉屋になり、全体的に色素が薄くなっていた。
ウツロは、怯える気力も失ったのか、瞳に恐怖を乗せているくせに、前よりもイコや男を恐れる素振りをしなくなっていた。疲れたのかもしれないし、諦めたのかもしれない。
「ウツロはどうするんですか?」
「ありゃ喰えねぇだろ。勘付きやがったし、もう弄るのは飽きてきたし。適当に理由は付けとくから、処分しとけ」
「分かりました」
可哀想なウツロ。
彼の思い通りに生かされて、どうにもならなくなれば捨てられるだけなのに。
「今日は第三段階への実験が予定されて、おりますが」
「何人だ?」
「四人です」
ふぅむ、と男は顎を撫で擦り「もう少ししたらやるか」と呟いた。
「先に集めてろ。少ねぇし、第一実験場でいいわ」
「了解しました」
それきり、ウツロのことは喋らなかった。
男にとって、彼もまたその程度だということだ。
最近入った四人の男女を集め、待機命令を出す。
観察していると、同期の中で、三人が固まって気楽に会話しているのに対し、一人だけポツンと隅で突っ立っている。
気弱そうな子だ。どうにも、この手の子は、よく仲間外れにされやすい。ウツロはアリがいたからそうでもなかったけれど、と内心で呟きつつ、ぺたぺたと少年に近寄った。露骨に顔が歪んでいる。
それでも、かたかたと震える体に対し、随分と生意気そうな、反抗的な目をしていた。
ふと、試すように彼と目を合わせる。挑むように、強い調子で見返された。
「……ねえ、君、ちょっと試して欲しいことが、あるんだけど……」
そっと耳打ちし、また様子を窺う。胡散臭そうな目で返された。
……これは駄目そう、かな。
「いや、いいよ。何でもない」
少年にそう言い残し、また実験場の入り口付近で待機する。
それからほどなくして、男が気怠げに現れた。
数日経って、アリとウツロを含め、第四段階まで進んだのは、七人だけだった。
後はショック反応を起こして死んだり、黒いヘドロに変わって死んでいった。むしろ、ヘドロの被害で間引きしていた。ある程度一人で対処出来ていた数名を残していたら、ここまで減っていただけだ。
暢気に見学していたアリもまた、冷静にあれこれ試して、どうにも出来ないと知るや否や、さっさとウツロを抱えてイコを盾にしていた。間違いではないのだが、もう少し頑張るフリはしてもらいたいものである。
「今度はなぁ、副能力を決めるんだ。最初の喚起で、大雑把な能力は出て来ただろぉ? 次で、それを扱うための武器――まぁ、指針を決めた。そん次で、自力で顕現出来る能力も得たな。で、今回は、補助武器決めんだよ。メインだけじゃぁ、どうにも出来ねぇことあっからなぁ。つか、あったんだよ。だから決めんだ。決まった奴から来い。ヤク持って待ってっからなぁ」
「父様、注意忘れてます」
「ああそうだった。一つ気を付けなきゃならんのは、自然にあるものじゃないと駄目だってことだな。人工物も出来ねぇことはねぇんだが、大体死んでる。ま、無難に考えた方が利口ってこったなぁ」
注意事項を聞いて、実験体達の大半が顔を引き攣らせている。きっとイコが言わなければ、人工物を選んでいたに違いない。
「ほれ、さっさと決めてこっち来いよぉ」
部屋を眺めつつ、あの凸凹二人組が気に掛かって視線を向ける。
アリはどうやら初めから自然物を選んでいたのか、さっさと男に向かい、さっさと部屋の隅にて縮こまる。数分経って、皮膚を突き破り、下半身が肥大化して足がぞろと生えてきた。
黒く鋭い針が関節に取り付けられた足、丸っこいのにどこか流線型なフォルムが特徴的な、黒蜘蛛だった。思っていた通りの姿だったのか、心なしか満足そうである。
アリが実際に変化した姿を見た他の実験体達も、要領が掴めたらしく、ぞろぞろ列を成して男の前にやって来る。
だが、ぽつんと困惑したように立ち尽くすウツロが一人、残っていた。
「どうかした?」
理由を知っているくせに、そ知らぬふりして問い掛けた。反射的に肩を震わせたウツロが振り向く。怯えた目をした、無表情と相対した。
そう言えば、彼とまともに話したのは、牢屋で男のことを問い掛けたのが最後だった、と思い出す。まだ数日しか経っていないというのに、随分人が変わるものだとしみじみと思った。
「困ってるんじゃないの?」
ウツロの気配が、困惑に変わる。今の心情を言い当てられて戸惑っているのだろう。分かり易いところは変わらないようだ。
一先ず気にしないことに決めたらしく、ウツロが小さな声で言う。
「あの、いつも、お父さんが能力を決めてて、それにしろって言ってくれていたんですが……。その、今日は、何も言われなくて……」
「ふぅん? ならいっそ、好きなものにしてみれば? せっかく自由に選べるんだし」
「…………好きなもの、ですか」
さらに戸惑ったように眉を寄せて考え込んでいた。考えたこともなかったのだろう。
E番は全て、男のたった一つの目的のために作られた者達だ。それゆえ、全ての能力も、行動も、規定されている。
だから、彼らは自発的に考えることが難しい。規定から外れた時、どうすればいいのかが分からない。そうやってどんどん男の目的と離れれば、不要となる。
――こんな風に。
ウツロはしばらく悩んで、その間に失敗した実験体を処理して、男が解散を告げて人がまばらになった頃だ。ようやく男の下に向かい、初めて願いを口にした。
戻ってきたウツロは、少しだけ嬉しそうにはにかんでいる。それから掌からそっと、小さなフウセンカズラを生やした。
「本当は、思い出深い鬼灯にしようかと、思ったんですけど……。でも、こっちの方が、可愛らしいかな、て。そう思って」
「いいんじゃないかな」
ウツロのことを気にしていたアリも、意外な選択に驚いた様子だった。恐らく、ウツロの方向性が見えなくて困惑しているのだろう。
「アリにも、あげる」
「あ、ありがと……」
何か言おうとしていたようだが、彼は一先ず礼だけ述べて掌のフウセンカズラを眺める。細い茎の先に、小振りな蕾と、少しだけ綻んで顔を覗かせる白い花が見えた。
同じ植物だというのに、気味悪がられてばかりの自分とは大違いだ。二人は、ゆるゆると伸び続けるフウセンカズラを面白そうに観察し出す。
「じゃあ、ウツロ、君にだけ、少し用事があるから残ってくれる?」
久しくなかった心穏やかな時間は、唐突に終わった。
冷水を浴びせられたようにハッと我に返り、二人同時にイコの方を向く。アリはこちらの挙動を見逃すまいとするかのように目している。
面倒な、と内心で悪態を付きつつも、
「父様の命令だから。文句があるなら、父様に言って」
言えるものなら、と言外に言えば、アリが露骨に舌打ち、ウツロに「検問で待ってるよ」と掌のフウセンカズラと共に歩き出す。そのまま行くかと思っていると、出入口で一瞬立ち止まりこちらを一瞥した。反応に困っていると、何事もなかったかのように彼はそのまま出ていく。何だったのだろう。
疑問は一瞬で解け、興味を失くす。
「さて、では、ウツロ」
「……はい」
ウツロもまた、居住まいを正し、次の言葉を待った。
ふと、気に掛かったつかえを零す。
「父様のこと、君は父親だと言っていたね。どうして自分の子供も、実験体にするんだろうね? 考えたことはない?」
「それ、は……」
ウツロも顔を伏せ、口ごもる。恐らく、疑問は抱いていたのだろう。問い質す勇気がなかっただけで。
質問を変えた。
「じゃあさ、昔の父様って違ったの? 優しかった?」
「……そう、ですね。元々、周りに人がいないような、草原にポツンと建っている、小屋みたいな家に住んでたんです。父と、母と、僕と。
でもある日、母が――どこかの国が作った爆弾……地雷、で、吹き飛ばされて死んで、それから、父が国に連れてかれて……。……次に会った時には、もう……。……人を人と思わないような、あんな人に……」
「そう」
イコは、ここでようやく一つの確証を得た。ある事実を認めた。
だからこそ、最後に問い掛けた。
「では、ウツロ。君の生まれ年は、幾つ?」
へ、と間の抜けたような声がする。彼には、こちらの意図が読めなかったのだろう。
けれども特に考えもせず、素直に口にした。
「二百、と、六年。新暦、二〇六年に」
「そう」
そこで初めて――イコは、勝手に吊り上がる口の端を抑えきれなかった。
「あは」
イコとして生まれて、初めて、心の底から笑っていた。
「あははははは、あは、あはははは、あっはははは!!」
腹が痛い。腹筋が痙攣したように引き攣る。肺も痛い。喉も。でも、止められない。意識して止めようとすれば、余計に止まらない。
「な、何ですか……? 貴方は一体、何を……!?」
「あ、ふふ、く、ふふふ、ごめん。ふ、ふふ、じゃあ、僕からも最期にいいことを教えてあげる」
まだ少し引き付けるような感覚が残るが、こちらが先だ。ひとしきり笑ったおかげで痙攣染みた笑いの発作は落ち着いた。
今度は、意図して口の端を吊り上げたまま、言い切る。
「今は、新暦二二八年なんだよ。知ってた?」
彼は、惚けたような顔をし、次第に理解したらしく、みるみる顔を強張らせている。
「そ、そんなことっ」
まだ、十と少ししか経っていないような、細い体の彼に。
動揺の声を塞ぐように、彼の下に植物を生やして細い体を縛る。今のやり取りで、警戒心も彼方に飛んでいたらしく、とてもあっさりと捕まえられた。
煩いから口は塞いでしまおう。ただ、鼻まで塞がないように慎重に。
ただウツロもやられっぱなしでは終わらなかった。もごもごとひたすら抵抗し、次いで腕から鋭い櫛歯が飛び出す。
「そんなことしても無駄だよ。『僕の植物』は『切れない』、から」
だが、彼の小さな抵抗はそこで潰えた。一瞬だけ千切れかけた茎が、どれだけ引いても切れなくなっている。
そこで、ようやくウツロと目が合った。彼は初めて、剥き出しの感情を、ぶつけてくる。
死への恐怖と――剥き出しの嫌悪、そして、憎悪。
「そもそも、君はここに来た時の記憶はある? いや、ないはずだ。だって君は、目覚めたら父様と向かい合っていたはずだから。そして言われたことだろう。『起きたか、失敗作』って。ああ、でも、少しだけ、僕は君に感謝するよ。なんせ――……」
ぺたり、ぺたりとウツロの元まで歩く。細い首に手を掛けた。図星だったのだろう、彼はぴたりと動かなくなり、イコのされるがままだ。
温かい。
柔らかな笑みを湛えたまま、イコはそっとウツロの首筋を一撫でし、
「君のお陰で、僕は失った記憶を取り戻すことが出来たんだから」
鈍い音を立てて、彼の首をへし折った。




