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モルモット  作者: 冷や奴
6/18

06

今回のみウツロ視点です。

 ウツロは、弱虫な自分が嫌いだ。

 真っ当な、ごくごく平凡な生活、平凡な己。そう認識している。

 それゆえか、このような、平凡とはとても言い難い施設で、真っ当ではない実験で、真っ当な人間ですらなくなった己自身を、誰よりも恐れていた。

 どこを向いても人の姿に擬態した怪物ばかり。いや、本来の自分の姿を取っているだけと言えばそうなのだが、そうじゃない。それは、もう引き返せなくなったという意味合いを含んでいるのだから。



 そして彼は、人の姿すらもおぼろげになり始めている――噎せ返るような百合の匂いと腐臭を纏わせる、体のほとんどが植物と融合したかのようなあの少年イコを、誰よりも恐れている。



 彼は、まるで人形のようだった。人形のように、表情を変えず、ただ一人の研究員の理不尽な命にも従い、粛々と動いている。

 同じ色の髪、同じ色の瞳、だけれども、誰よりも相反する少年は、ウツロにしてみれば、恐怖の権化のようなものだ。人らしさで言えば、むしろ食堂にいる改造機械兵の方が、ずっと人らしい。

 そう思った時に、では人らしさとは何ぞや? と疑問を覚えた。

 表情や態度が移り変わることだろうか。思考出来ることだろうか。感情を持つことだろうか。

 だが、世の中には、嘘の感情を操り、嘘の態度をあたかも本当のように見せることが出来る者もいる。そしてその彼ないし彼女だって、本性がどれだけ能面のようになったとしても、人の範囲には入る。昔は脳が動かなくなっても人権を問い掛ける世もあったのだから、意識があるなら人である、とする人がいたっておかしくないかもしれない。



 だが、彼は違う。



 思考する脳はある。もしかしたら、感情もあるのかもしれない。なのに、はっきりと、彼を人らしいとは思えないのだ。



 あるいは、自ら選択することが出来るのか否か、なのだろうか。

 たとえば物語の王子が、周囲の意見を聞くしか出来ないなら、傀儡だと言われることがある。そう考えると、なるほどイコという少年は、あの研究員の傀儡なのだろう。

 自己を持っていないから、人らしく見えないのだろう。

 可哀想、とは思う。憐れむこともある。



 ――それが本当は、どれだけ傲慢な感情であることも知らず。

 現に、今もウツロは気付かないし、そも、それを誰かに言うこともないので、察せられるのは憐れみを向けられた本人だけだろう。

 そして彼は、憐れまれようが気にしない。





 激しい金属音。反響し、きんと耳鳴りがするような音の劈きに、思わず体が跳ねる。

 向かいでは、こちらに背を向けるイコが、激しく音を立てて、アリの入る牢の檻を蹴り上げていた。よく見ると、檻の一部がべこりと、揃いの向きで押し込まれている。


「ねえ、少し、黙ってよ。鬱陶しいなあ」


「…………は。何、癇癪起こして。餓鬼じゃあるまいし。図星だからっていちいちカッカしないでよ」


 足を下ろしたイコの、大きな溜め息が聞こえる。少し疲れたような、草臥れたような気配がした。ただし、意識が切り替わったのか、どこか苛立ちが混じっていた声色は、常の感情が読めない、抑揚に乏しいものへと変化している。


「別に、癇癪起こしてるわけじゃない。……冷静じゃないのはそっちの方だよ。その張りぼての虚勢は、諦めているの? それとも、考えなしに歯向かっているの? 今まで少しだけしか見てないから曖昧だけど、君のそれは、前者の方じゃないの?」


「何が言いたい」



 アリが不快そうに、露骨な態度を取っている。



 アリは、死んでしまいたいのだろうか。イコは彼を死にたがりと称していたけれど、頭の悪いウツロからすれば、自分より賢いアリは、もしかしたら何か考えがあってそうしているだけなのかも、と漠然と考えている。

 頭のいいアリは、もしかしたらこの不気味な体をどうにかする方法を見付けてくれるかもしれない、出来なかったとしても、現状だけでも変えてくれるのかもしれない、と。



 アリが死んでしまうことは嫌だった。彼が消えてしまえば、道標がなくなるような不安を抱くことも、容易に知れた。

 ウツロが檻を握りそわそわしていると、シフがこちらを向いている。

 感情の見えない、底が知れない目をしている。

 彼もまた、イコに隠れて分かり辛いけれど恐ろしい。イコは無機質な人形のようだったが、彼は親しくない相手だとにこにこ笑ってばかりいて、それがまるで油断させてから騙くらかす、詐欺師のような印象があった。

 本人曰く、あまり戦場の前線で活躍するような能力じゃない、らしい。そも、彼が能力を使ったのは、先程捕まった時にようやく、という少なさだ。情報がなさすぎて、それが真実か虚偽かも判別がつかない。知らないということは、対策も練られないという事実を突きつけられるため、非常に不安になる。

 つい、とイコの服を引いて気を引くと、シフは何事かを彼に耳打ちして、それからこちらに近寄って来る。


「や」


「ぅ、こ、こんにちは」


「そんな怯えなくてもいい。別に、とって食うわけじゃないんだから」


 そうは言うが、怖いものは怖い。思わず喉が引き攣り、しゃくりあげた。無意識に喉を覆うように手を這わせていると、まいったな、と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ彼は、乱暴に頭を掻いて困惑していた。


「少し、話でもしよう。気が紛れるだろうし」


「……アリ、は」


「彼ね……どうなんだろ。ああ、でもイコも、本気で尋問する気はないと思うから、そこは安心してもいいぞ。ああ見えて、意外と優しい奴だから」


 優しい、だって? 一体何の冗談なのだろうか、と軽く目を剥いていると、察したらしいシフはおかしそうに小さく笑い声を上げた。


「そう見えないだろ? 正確には、些事に気を止めるような奴じゃないから、放っておいたらそう見られていた、なんてことがあっただけだ。同じように、氷のように心が冷たいと言われることもあるが」


「じゃあ、安心できないんじゃ……」


 焦るあまり檻を揺さぶると、向こう側からウツロを呼ぶアリの声が聞こえる。何もしてない、とシフが否定し、軽くウツロの姿を見せた。その際、アリの両頬が赤く腫れあがっている姿を見てしまい、余計に狼狽えた。


「ねぇ!」


「大丈夫だろ、あれくらい。見ての通り、さっきの挑発のようなものも、もう気に留めていない。だから下手打ってやり過ぎて殺してしまった、なんてことはならないから、安心しなって言いたかったんだ」


 シフは飄々とそう言ってのけるけれども、こちらからすれば、そんなもの全く安心出来るわけがない。ともすれば、その言葉は、冷静に嬲り殺すことが出来るという脅しのようにも聞こえた。

 勝手に体中から汗が噴き出すのを感じながら、ウツロは詰め寄るようにシフに問う。


「そ、そもそも、貴方は何も感じないんですか?」


「何を?」


 彼は唐突な問い掛けに首を傾げている。

 つまり、彼は何の疑問も抱いていないのだ。確信し、内心で慄きつつも、ウツロが続ける。


「この、実験そのものです。国家ぐるみだとか、色々言っていますけれど、こんなの正気の沙汰じゃない、と思います。そ、れに、こんな、人間を使うなんて恐ろしい、おぞましいこと……人間じゃなくちゃ、駄目だったの、か、とか……人間を使う目的、とか……」


「どうしてそう思う?」


「え、だって……」


「研究を後押しする国があって、作り出した『結果』を提出すれば、先生は好きなだけ好きな研究を出来る。

 ――目的? 知らないさ、そんなもの。むしろ、あの人は気分や直感で生きているような人だから、何も考えてないような気がするし。人間使うのだって、たまたま上手くいったからとかさ。でも、それって、どこの国だろうといると思うんだよな。結局どこにだって、あの人みたいなマッドな奴はいるんだ。ただ、その度合いが違うだけで」


 彼と同じような人が、世界にはまだ何人もいるのか。その事実に困惑し、二の句も告げられずにいれば、重ねるようにシフは続ける。



「そもそも、変だろ。何でそんな風に言える? あれはともかくとして、何でお前までここに、先生にすら疑念を抱いたんだよ。『人間を使って実験する目的』ねぇ? ……気付かれないよう本来訊きたいことから――知りたいことから、遠ざけて訊いたんだろうがな、無駄なことだ。お前らは一体、どこまで禁を犯せば気が済む?」



 おもむろに頭に手を乗せられた。かと思えば、唐突に髪を乱暴に掴み上げられ、シフが立ち上がる。引き摺られるようにウツロも立ち上がるが、身長が足りなくてそのまま爪先立ちになった。


「ぐ、ひぃ、ぃた……!」


「イコは優しいから、体に傷は残さないがな、俺はそうでもないから、きっちりと躾けなきゃ落ち着いていられないんだ」


 くぐもった笑い声を上げるシフは、イコよりもずっとあの人に似ているように見えた。冷酷に細められた灰褐色の瞳がこちらを捉え、その圧力に押し潰されそうになって、視界の端に涙が零れる。


「弱虫め。いや、それともわざとか? そうやって弱虫気取って、誰か彼か、使命感溢れる莫迦に寄生して生きてんの? だとしたら、とんだ食わせ者だな。全然同情出来ない」


 嫌らしい笑い声が、くすくすと穏やかな声に変わっていく。けれども、眼前にいる少年の気配は、少しずつ冷え冷えとした負の感情ばかりが渦巻いて、それら全てがこちらを余さず突き刺している。


「俺はお前みたいなの、嫌いなんだ。いや、お前だけじゃないな。お前らは皆嫌いだ。逃げてばかりで、どうしようもない」


 がくがくと小刻みに、髪ごと頭を揺らされる。何本か、ぶちぶちと耳障りな音が聞こえてきた。皮膚が引き攣る感覚と奇妙な浮遊感、それから息苦しさにチカチカと明滅する視界が、次いで髪が抜ける細かな痛みに涙が止まらず、小さくアリに助けを乞う。

 けれども望みのアリはといえば、イコの折檻でこちらの声など聞こえるわけがない。

 傍にいたシフは見咎めるように険しい顔付きでねめつけ、勢いを付けて牢の奥へとウツロを投げ飛ばした。頭を揺さぶられ、体が勢いよく石壁に叩き付けられる。

 ひどく視界が悪い。ぐらぐらと世界が回って見える。

 込み上げてきた吐き気を堪えるように口元を手で塞いでいると、頭上からシフの声がする。



「……まぁ、一番嫌いなのは自分だけど」



 恐る恐る見上げると、彼は歪な笑みを浮かべて呟いていた。

 震える唇を開く。


「あ、貴方は、なぜ……」


「何?」


 威嚇するような声に尻込む。今の彼に、訊き出せるような勇気はなかった。そのせいか、つい、出かかった言葉を飲み込み、紛らわすように問いの方向を変えた。


「……いえ、その、あの、僕、は……。僕、お父さん・・・・、が……」



「……お父さん」



 ぴたり、と。

 アリを体中に纏わりついた蔓で吊り上げて、両手足をぎりぎりと縦に伸ばしていたイコが、機械のように急に止まってこちらを向いた。

 硝子玉のような瞳が、じっと見ている。無機物と目が合うような感覚に、また小さく悲鳴を上げた。正面にいるシフが微かに顔を顰めている。

 イコはアリを乱暴に振り捨て、ぺたりぺたりと足音を立ててこちらに向かう。諦めたように溜め息を吐いて、シフが代わりにアリの様子を見に行っていた。



 ぺたり、ぺたり。



「あのだらしない格好の人間の男のこと?」


「ぅ、え、と……」


「あの、偉そうな、草臥れた感じの人のことって訊いてるんだよ」


 静かに苛立つ様子に、ウツロの肌がぞわりと震える。次いで、恐怖で目を見開いたまま、こくこくと何度も頷いた。

 イコがそう、と呟き、思案するように軽く顎に手をやっている。


「君の、父親なの?」


 こくこくと、さらに頷く。

 ウツロの様子など気にも留めず、そう、それで、とイコは納得したように呟き、


「……じゃあ、死ななかったら、この件は不問にしてあげる」


 うぞうぞ、肉を破って溢れる、幾つもの植物によって、浸食されていくように人の形を失う少年の姿に、目が離せない。

 唯一見えた唇が、薄く開き、何かを紡ぎ。



 ウツロの意識は、そこでぷつんと途切れた。

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